第32号:食糧の持続的生産に関する研究
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日本における稲作及び品種改良

2009年5月11日

岩永 勝(いわなが まさる):
農業・食品産業技術総合研究機構 作物研究所 所長

1951年8月生まれ
1980年、米国University of Wisconsin-Madison博士課程修了、及び学位授与(Ph.D.植物育種・遺伝学)。30年近く海外で農学研究に従事した。国際イモ類センター(CIP、 ペルー在)、国際熱帯農業研究センター(CIAT,コロンビア)、国際植物遺伝資源研究所(IPGRI,イタリア)で遺伝資源の保存、活用の研究を行った。さらに国際トウモロコシ・小麦改良センター(CIMMYT,メキシコ)の所長を務め、2008年4月より現職。2006年には「植物遺伝資源の保全と利用のための遺伝育種学研究と国際貢献」で日本農学賞・読売農学賞受賞。 2004年と2006年にはベルギー王室の国際農業研究賞 (King Baudouin Award)を受賞。

1. はじめに(稲作・米の重要性について)

 米は小麦、トウモロコシと共に世界3大穀類の一つであり、世界人口の半分以上が暮らすアジアでは主食の地位を占めている。さらにアジア・モンスーン地帯では、主食としての重要性に加え、持続可能な農業体系としての水田の果たす多面的機能の役割は非常に大きい。例えば、日本の水田で生産される米の市場価格は年間で2兆円弱であるが、水田が果たす環境保全等の役割はそれを貨幣価値にすると6兆円を越えると試算されている。

 稲作は2000年以上前に中国・朝鮮半島を通して日本に導入されたといわれている。稲作導入は日本の食糧生産性向上に圧倒的な影響を与え、その後の日本の社会そして文化的基盤を作っていった。一方、稲作が冷害、干魃等で凶作になると大規模な飢饉が発生したのが19世紀までの日本の実態であった。明治以来、日本政府と国民にとって稲作の安定的生産、高収量化、そして北海道などの冷涼地帯でも生産を拡大していく事は国家的な課題であり、これらの課題を栽培法の改良と品種改良を両輪として克服していった。しかし、1960年代になって、逆に米余りという事態に直面し、日本の米作り、そして農業そのものが大きく変貌している。

2. 米作りの社会的・経済的状況

図1. 1985年以来の一人当たりの米の消費量、稲作付面積および単位面積あたりの米の収量

(1) 米の消費量

 第2次世界大戦前には国民一人当たりの米の消費量は130kg前後であった (図1)。戦時中は米不足のため消費量は90kg前後まで低下したと推定される。その後は「腹一杯米を食べたい」という国民の米の消費量は120kgまで伸びたが、1960年代半ばから食の多様性が進み、消費量は現在の60kg前後までに急速に低下した。

(2) 単位面積当たりの収量(単収)

 1885年(明治18年)では1ha当たりの収量は2トン前後であったが、その後は栽培技術、品種の改良が進み、単収は着実に増加し、1985年に5トンを越えるようになった。つまり、100年の間に単収は250%増加したことになる。

(3) 作付面積

 稲の作付面積は1885年には255万haであったが、その後は徐々に増加し、1969年に317万haでピークを迎え、その後は米の生産調整(減反政策)により、作付面積は170万ha弱へと急減した。

(4) 生産の現状、生産者の状況

 米の産出額は1990年の3兆8249億円から2006年の1兆8146億円と半減している。 2005年現在、稲作農家の76%は60歳以上であり、高齢化が一段と進み、稲作の生産構造は脆弱化している。今後、生産農家がさらに高齢化し、後継者の確保が難しい場合には生産量が急激に減少する可能性もある。

(5) 消費動向、消費者からの要望

 食生活における米離れは顕著である。少子高齢化・人口減のため主食用の国内消費については今後も拡大は望めないと考えられる。一方、輸入食品の毒物混入問題や表示の偽装問題が多発し、消費者から安全で安心な食品が強く求められており、国産農産物が見直されている。さらに、小麦の国際価格の高騰によりパン等の小麦製品の価格が高止まりする傾向にあり、米粉パンや米粉麺への関心が高まっている。

(6) 現在の市場からの要望・期待

 一般米飯用として、米卸・小売店が今後強化したい商品は、①特別栽培米や有機栽培米、②地元産米、③健康志向米(玄米、花粉症緩和米、低アレルゲン米など)、④低価格米等である。また、加工米飯および無菌米飯の伸びが著しく、冷凍米飯は微増である。発芽玄米は2002年まで急増したが、その後は微増に留まっている。

 気流粉砕法等の製粉技術の改良により、パン、麺、ケーキ、ビスケットなど様々な食品への米粉利用の可能性が広がっている。しかし、従来の煎餅、団子等への需要が基本で、用途拡大による新たな需要量の増加には至っていない。2008年になって小麦粉価格が高騰しているものの、原料米のコストダウンが必須とされる。

 最近、飼料用イネの開発・利用に各方面から注目が集まり、飼料用稲の栽培面積は7千ha(2007年見込み)に増加した。しかし、わが国の飼料自給率は、飼料全体で25%、粗飼料が77%、濃厚飼料は10%であり、飼料自給率を高めるためには濃厚飼料の自給率を高めることが必須である。

 以上のように、加工用、非食用利用については、需要創出の可能性があるものの、麦類その他輸入穀物の代替となる用途や、米デンプンなど工業原料用途、飼料米などの濃厚飼料、など、現在輸入農産物を利用して生産されている用途を米(あるいはホールクロップや稲副産物)で代替する必要があり、産業として成り立つためには、大幅な生産コスト削減は必須である。

3. 水稲作を巡る自然環境の変化

 気候変動に関する政府間パネルの第4次評価報告書が公表され、過去100年間で気温は0.74℃上昇したことが指摘され、21世紀末で1.1~6.4℃上昇、2030年までは10年あたり0.2℃上昇すると予測されている。わが国でも、この100年で全国の年間平均気温は1.06℃上昇した。(北日本は0.96℃、西日本は1.15℃)。全国の夏(6~8月)の気温は、この100年で0.84℃上昇した(北日本は0.53℃、西日本は1.12℃)。2030年には九州中部から北部にかけて水資源賦存量がマイナスになる地域が増加することが予想され、本州の日本海側を中心に融雪水を水源とする春季の用水不足が懸念される。

 高温により水稲の生育が促進し、生育期間が短縮し、北海道以外は潜在的な収量が減少している。一方、大気中のCO2濃度の上昇で水稲の光合成能率が促進され、2050年頃には15%の増収が予測されるが、高CO2濃度は高温不稔のリスクを高める可能性があり、予測の不確実性は大きいが、温暖化による稲作への影響が予想以上に早く進行している可能性がある。 また、高温による食味の低下が実需者や消費者の間で指摘され始めており、高温による品質低下のみならず、高温不稔および食味低下への対策も喫緊の課題となっている。

4. 世界的な食糧危機問題で提起された日本の米つくり、水田の活用の重要性

 2008年は穀類の世界的取引価格の顕著な高騰がみられ、開発途上国だけでなく、先進国を含む20カ国以上で食料価格高騰が引き金となった社会的な暴動が発生し、「世界同時食糧危機」という表現が使われた。開発途上国の貧困層の数もこの食料価格高騰のために1億人以上増えたとされる。 一方、日本の食糧自給率(カロリー・ベース)は40%と先進国の中では最低の部類に入り、国民の間で食の安全保障への関心が高まり、また現在の日本の農業が疲弊、衰弱化している実態を一般の国民が危機感をもって懸念する事態となった。これを受けて日本政府は自給率向上を一つの柱とした、食の確保、農業・農村の活性化へ向けての施策を打ち出している。 現在の40%の自給率を50%へと10年以内で上げることが大きな目標とされ、それを実現するためには水田の有効活用が鍵となっている。

5. 今後の稲の育種研究

 米余りが始まって以来、品種開発の目標が量から質へと大きく転換し、あきたこまち、ヒノヒカリ、ひとめぼれ等の良食味の銘柄品種が育成されるようになった。しかし、これらの良食味品種は良食味性に特化するあまり、多収性、病害虫抵抗性、直播適応性等の低コスト性・安定生産性の改良は不十分であり、食味を除く実用特性の水準はニシホマレ等の従前の品種に遠く及んでいないのが実態である。

 稲作の低コスト・省力化、環境負荷低減、減農薬・省資源栽培等への要望がますます強まる中、これまでの良食味品種ではその対応にも限界がある。 以上のような状況の下、次世代品種の育成が待たれ、以下のような形質あるいは特性を持った品種が重要とされる。

(1) 直播適性

 水稲生産者にとって栽培しやすく利益を上げるには省力化、大規模化による低コスト栽培が不可欠であり、直播栽培はその有効な手段である。また、消費者にとっても低コスト化による低価格な良食味米は大きな魅力がある。さらに食品産業など実需者からは低コストで、成分・品質・食味が一定のロットが確保されることが求められている。そのためには直播適性の改良が重要である。しかしながら機械移植が定着している今日、根底から栽培システムを変えることは、社会的にも技術的にも容易ではなく、長期的な取り組みが必要である。実用化に求められる要素技術の一つが直播適性品種の開発であるが、栽培システムを変革するだけの画期的形質を有する品種はまだ育成されていない。

(2) 多収性

 生産者が水稲栽培で利益を上げるには、大規模化が可能で低コスト・低価格で売れる米が必須である。また、国内の飼料自給率及び食料自給率を上げるためには、飼料用稲(稲発酵粗飼料用、飼料用米)や加工原料向け品種の開発が政策的にも重要である。そのためには、多収性が不可欠である。

(3) 米粉用など加工用

 国内の食料自給率の向上は喫緊の政策的課題であり、その一環として、休耕田を利用した米粉用品種の新たな作付けとその加工・利用に大きな期待が集まっている。一方、過去20年にわたり米の消費拡大のためさまざまな特性を有する品種を開発されてきているが、今後とも耐老化性、早炊性、高精米歩留り、無洗米適性、玄米食適性などについてその研究蓄積を活かして米の用途開発を推進することが必要である。

(4) 飼料用

図2.飼料用水稲品種の分類

 飼料用水稲品種は、子実を利用する飼料用米品種、地上部全体を利用する稲発酵粗飼料(WCS)用イネ品種、そして両方の利用が可能な兼用品種の3種に分けることができる(図2)。飼料用米の専用品種としては、地上部全重収量は一般主食用品種並であるが、子実収量が極めて高い「ふくひびき」、「タカナリ」が挙げられる。WCS用イネ品種は子実と茎葉を合わせた株全体の収量(地上部全体収量)が高いことが特徴であり、地上部全重収量の構成によって、茎葉の割合が高い茎葉型と米の割合が高い子実型に分類できる。茎葉型のWCS用イネ品種には「はまさり」、「タチアオバ」、「リーフスター」などがあり、子実型のWCS用イネ品種には「ホシアオバ」、「クサホナミ」などがある。こうした、子実型のWCS用イネ品種は子実収量と地上部全重収量の両方が高いことから飼料用米とWCS用イネの両方に利用できる兼用型と言える。

 飼料用米品種として、最も重視される形質は多収性である。 最近育成された飼料用米品種はいずれも800kg/10aから1,000kg/10aの高い収量性を示しているが、輸入トウモロコシと価格を比較すると依然として割高である。そのため、より一層の収量性の向上と低コスト生産への適応性を付与する必要がある。

6. 基盤的研究・育種法開発

 今後の日本での稲の品種改良を推進していくには、品種改良に使われる遺伝的変異の拡大がその基盤となる。日本での稲育種は大きな成果が得られてきたが、一方現在の日本の米品種の遺伝的変異の狭さが懸念されている。例えば現在の日本の米の品種でその栽培面積での上位の10の品種はコシヒカリとその親類関係にある品種で占められている。また、今後必要とされる、超多収性、直播向き特性、温暖化対応形質等を持った品種を育成して行くには従来の遺伝資源では不十分であり、熱帯のインド型品種を育種素材として積極的に利用し、さらに野生種の遺伝的変異の利用を含めた遺伝的変異拡大が必須である。

 今後の稲の品種改良には多くの課題があり、それを実行していくには品種改良という技術開発そのものの効率化を進めて行く必要がある。 日本はイネゲノムの解読では世界各国と共同し行ってきた実績がある。ゲノムあるいは分子レベルでの情報をもっと有効に利用し、それを現場での品種改良へと結びつける努力が進行中である。遺伝子組み換え技術を用いた画期的な品種育成もそれに含まれている。

7. 終わりに

 食料の生産は人類にとって必須の作業であり、人口増加が続き、農業をとりまく自然環境が悪化している中で、農学研究の果たす役割は大きい。世界の多様な農業生産体系のなかでも水田稲作は最大の人口を支える最も重要な生産システムであり、また唯一の持続的生産が証明された生産システムである。 その中核的役割を果たしてきた稲の品種改良の役割は今後も増していくと考えられる。 昨年以来、中国、韓国と日本のそれぞれの国の「作物研究所」が年に一度共同で国際シンポジュウムを開催し、研究協力を推し進めている。 今後もアジア・モンスーン地帯での水田稲作の持続的活用、そして米の多用途拡大に向けた国際研究協力の重要性が増していくと考えられる。


謝辞

 本原稿を作成するにあたっては当研究所の岡本正弘(前)研究管理監、根本博研究管理監、長峰司企画管理室長のご協力を得たことを深く感謝し、また、図1は国際農林水産業研究センター(JIRCAS)の小山、塩野両氏より提供を受けた事を特記し、深く感謝したい。