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中国の大気中低分子有機酸研究及び大気汚染防止におけるその役割

2009年7月23日

李心清

李心清:中国科学院地球化学研究所研究員

1965年3月生まれ。1997年、中国科学院地球化学研究所で地球化学博士の学位を取得。主な研究分野は次の通り。

 ①古海洋における同位体地球化学と環境。地質時代の海洋酸素、炭素、ストロンチウムなど安定同位体の変化の特徴、そのメカニズムの研究及びこれをベースにして古海洋の環境変化の特徴を再構築すること。

 ②大気環境地球化学。大気中有機酸の含有量と同位体組成の特徴、有機酸の生物地球化学的循環と大気自由酸度の変化、及びカルスト地域の炭素循環に対するその影響。

 ③地球変動及びその対応技術。中国の歴史時代の気候変動と中華文明の発展に対するその影響、及び土壌由来温室効果ガスの排出削減技術という2つの分野が重点。

1. 大気中低分子有機酸の環境への影響

 大気中の微量ガス成分、特にメタン、CO2、揮発性有機炭素(VOC)、オゾン等は地球の気候と環境に対して大きな影響を与える。大気中の有機酸はVOC類有機化合物であり、主にギ酸(HCOOH)と酢酸(CH3COOH)を含み、その次にプロピオン酸(CH3CH2COOH)、シュウ酸(HOOCCOOH)、ピルビン酸(CH3COCOOH)等の低分子カルボン酸がある。無機酸(硫酸や硝酸等)に比べ、有機酸は種類が多く、発生源が複雑であり、しかも対流圏の中に広く存在している。その酸性は無機酸より弱いが、酸性雨の形成に対し同じように大きく寄与しており、これは特に非工業地域と人間の活動から遠く離れた地域で顕著に見られる。これらの地域では、降水酸度に対する有機酸の寄与は65%にも達し、無機酸の含有量が多い都市及び工業汚染地域でも、その降水酸度への影響は45%に達する。一方、中国東南部において、降水酸度に対する有機酸の寄与は平均66.3%となる。降水酸度への多大な寄与により、有機酸は陸地及びその水域の生態系と環境に大きな影響を与えると同時に、pH値に左右される若干の大気化学反応にも影響を及ぼしている。また、大気中の有機酸は対流圏の全有機炭素の20%前後を占め、大気中におけるその循環はヒドロキシル基(OH)の濃度を低下させるのに大きな働きをする。後者は対流圏化学の極めて重要な成分であり、対流圏中のメタン、一酸化炭素等の温室効果ガスを減らす最も主要な酸化剤となる。このため、対流圏における有機酸の循環は地球の気候変動にも関係している。有機酸はさらに大気中の重要な凝結核であり、大気中におけるその化学プロセスは降水地域と降水量の多さに影響し、地域の気候と環境に影響を及ぼすことになる。この他、大気中の有機酸は金属工業施設の腐食、石灰岩建材の風化、及び文化財や文書ペーパーの質的変化等の過程にも関係する。その危害はこの20年で中国の大気汚染が深刻化するのに伴い、クローズアップされ、ますます多くの注目を集めている。

2. 国際的な大気中低分子有機酸研究及び中国の役割

 1960年、Erikssonは有機酸が大気の化学組成と降水の性質に大きく寄与しているとの見解を初めて示した。しかし、その後の20年近くにわたり、この見解は人々から重視されることがなかった。1980年代初めになると、大気の試料採取と分析技術の向上及び酸性雨問題の深刻化により、大気・降水の化学組成とその性質に対する研究が始まった。その間、後の有機酸研究に重大な影響を与えることになる研究計画、即ち「地球降水化学研究計画」が登場した。この研究は1979年にスタートし、米Virginia大学環境科学部が中心となって完成させた。この研究を通じ、人間の活動から遠く離れた地域では有機酸の降水酸度寄与率が65%にもなることを発見したのである。この報道により、人々は大気中の有機酸を重視するようになった。その後の20年間に、大気中の有機酸に関する20件近くの大規模な研究プロジェクト又は計画が各国で進められた。これらのプロジェクトは気相、液相とエアロゾル相における有機酸含有量の測定を通じ、大気中有機酸の発生源、移動、他の化学成分との間の相互作用、及び有機酸の沈降など一連の問題(即ちその生物地球化学的循環問題)を研究するものであった。1980年代は有機酸研究が急速に進んだ時期であり、わずか数年の研究から大気中の有機酸に対する認識面で大きな蓄積が得られた。1987年8月にカナダのPeterboroughで開催された「第6回世界大気化学・地球汚染会議」では特別分科会を設け、大気中の有機酸に関する各国の研究成果が発表された。1990年代は有機酸の研究が一段と幅広い分野で行われ、中・低緯度の各地域における大気中有機酸の含有量測定で大きな前進が見られた。それと同時に、極地と山地氷河の氷コア記録による有機酸研究でも歴史的視点からその生物地球化学的循環について探究が行われた。近年は有機酸の生物地球化学的循環と地球変動の関係についての研究が特に重視され、IGBP研究の枠組みの下、大気化学と地球変動の関係を認識することを目的とした幾つかの大型国際研究計画が進められている。例えば「アマゾン地域における大規模生物圏・大気圏実験研究計画」、「生物圏と大気圏における微量ガスとエアロゾルの相互作用研究計画」、「森林火災と大気化学・気候変動研究計画」等であり、これらの計画ではいずれも有機酸の生物地球化学的循環が重要な研究内容に組み込まれた。

 中国の大気中有機酸研究はおおよそ2つの部分から成る。1つは西部山地氷河の氷コアにおける有機酸記録の研究である。この研究は大気中有機酸の変化の歴史が刻み込まれている氷コアの特徴を生かし、その含有量の変化と気候、生態環境の変化及び人類社会・経済の発展との関係を探るものだ。もう1つは中国の現在の降水中の有機酸含有量及びその空間分布の特徴について研究を進め、有機酸の発生源、沈降フラックス等の問題を認識することである。氷コア記録がはっきり示しているように、中国西部の天山とチョモランマ地区の大気中有機酸含有量は世界の同じ緯度にある他の地区の10倍前後となる。中国東部の降水でも高含有量の有機酸が同様に検出されており、地域的な降水の自由酸度に対するその寄与の大きさは世界に類を見ないものである。氷コア記録の分析でも、現代の大気・降水の分析でも、大気汚染が中国の大気中有機酸の最大の発生源であることを示している。大都市から中小都市に、都市から農村に行くと、大気中の有機酸(特にギ酸と酢酸)含有量が目立って少なくなる。この現象は中国西南部の各汚染地域における大気中有機酸含有量の年間観測から窺い知ることができる(図1)。このため、大気中有機酸の分析は大気汚染度を識別する1つの評価指標としてよい。

図1

図1 貴陽市、遵義市、尚重鎮3地区の大気・降水中有機酸含有量の対比。

貴州省最大の都市、貴陽市は総人口372万で、森林被覆率が35%となる。
市街区域(南明区と雲岩区)の人口密度は7,070人/km2。
大気汚染が深刻な環境を代表している。
同省北部に位置する遵義市は中心市街区域の人口が82万で、その人口密度は1,220人/km2、
森林被覆面積は37.8%となり、中度大気汚染を代表する。
同省東南部に位置する黎平県尚重鎮は森林被覆面積が65%で、都市の汚染源から遠く離れており、
人口密度が146.56人/km2。西南地区における大気の自然的背景を代表するもの。

3. 大気汚染問題の認識面から見た有機酸含有量分析の不十分な点と解決の道

 国際的に広く採用されている有機酸の研究方法と同じように、中国の現在の研究方法も有機酸含有量の分析に力点が置かれている。この方法は大気汚染度を知ることができるが、大気汚染の発生源を識別し、各汚染源の汚染度を数量化する等の面では役に立たない。この種の問題は大気汚染の処理において解決の必要に迫られた難題といえる。この問題に答えるには、有機酸に発生源別の標識を付ける技術的手段と方法が必要になる。その方法とは有機酸の炭素同位体組成分析である。

 過去数十年の間、メタン、CO2等の分子・同位体組成の研究はその生物地球化学的循環を認識する上で非常に大きな役割を果たしてきた。同位体分析方法が大気の微量ガス研究で大きな可能性を秘めていることをはっきり示したのである。このため、有機酸分子の安定同位体の分析もその生物地球化学的循環問題を解決する手段となるはずである。地表条件の下で、大気中有機物質の炭素同位体組成(δ13C)は炭素の発生源と関係があり、温度等の物理的条件による影響を受けることが少ない。同時に、自然界の各炭素発生源の間には同位体組成で大きな差異が存在している。このため、δ13Cを分析すれば酸基イオンを発生源別に区分することができる。そればかりでなく、多くの既に知られた有機酸発生源は同時に数種類の低分子有機酸を大気中に放出している。従って、多種類の低分子有機酸のδ13Cを測定すれば、δ13Cと有機酸発生源別寄与量の間に多元方程式を確立し、大気中有機酸に対する発生源別の寄与割合を算出することができる。この他、物理的条件による影響をあまり受けないため、有機酸が大気中で酸化されたり他の化合物に分解される過程でも大きな同位体分留がなく、有機酸の挙動を追跡することができる。

 しかし、有機酸の同位体分析を行うには1つのカギとなる技術的問題を解決する必要がある。即ち単一有機酸分子の分離と精製である。その最新の解決方法は日本のSHINWA化工が製造したNeedlEX脂肪酸型抽出針を利用し、適度な酸性条件下でヘッドスペース抽出法を用い、有機酸分子を濃縮(図2)した後、ガスクロマトグラフィーと質量スペクトルの併用技術により、水溶液中の有機酸の炭素同位体組成(図3)を分析することである。大量の検査分析から、この種の方法で得られた分析結果は有機酸炭素同位体組成の真値と顕著な差異のないことが証明されている(P>0.05)。LC-SAX濃縮カラムと組み合わせれば、大気中低分子有機酸の炭素同位体組成をppmレベルで測定することができる。

図2

図2 水溶液中有機酸の抽出装置図。

脂肪酸型NeedlEXを抽出瓶の上部ヘッドスペースに差し込み、その後部を抽気ポンプにつなぐ。抽気ポンプが生み出す負圧作用により、高純度のHe2ガスが抽出瓶底部に差し込まれた1本の穿刺針を通じて瓶の中に入り、ガスを補充すると同時に、水溶液中の有機酸に対してパージを行う。こうして有機酸がヘッドスペースに入り、NeedlEXによって吸着・捕集される。

図3

図3 ガスクロマトグラフィー・同位体質量分析器のTIC検出器で検出された、
50ppm~500ppmの濃度条件下におけるギ酸と酢酸のクロマトグラム

4. 中国西南部貴陽地区の大気中低分子有機酸の同位体組成

 中国貴州省の省都、貴陽市の夏・秋季における降水中のギ酸と酢酸の炭素同位体組成に対する分析結果(表1)は、2種類の有機酸の同位体組成が似ていることをはっきり示しており、その発生源が一致することが証明された。既存データから見ると、2つの主要な発生源は人類がもたらした大気汚染と森林が放出したアルケンの大気中における酸化である可能性が高い。夏から秋にかけて植生の生産力が弱まるのに伴い、大気汚染が生み出す有機酸の占める割合が増え、これによって降水中の有機酸が減少する。森林の大気、繁華街の大気、自動車の排ガスなど発生源別の有機酸炭素同位体組成に対する分析結果が示すように、その同位体組成は各発生源の間で大きな差異が見られる。

表1 貴陽市市街区域の降水中のギ酸と酢酸の含有量及びそのδ13C値の分析結果
Collection data Concentration(μmol/L) stable carbon composition(δ13C)
with STDEV (n=6 )(‰)
Formic acid Acetic acid Formic acid Acetic acid
2008.08.25~26 10.25 5.43 -27.25±1.11 -26.17±1.51
2008.09.02~03 5.75 3.85 -25.72±2.17 -26.23±2.24
2008.09.13~14 18.53 11.64 -28.80±0.49 -29.33±0.41
2008.09.24~25 17.43 6.97 -27.65±0.98 -28.87±0.43
2008.10.03~04 7.29 3.41 -28.29±1.60 -27.10±2.40
2008.10.08~13 22.43 13.09 -29.08±0.46 -30.40±0.44

5. 大気中低分子有機酸同位体トレーサー研究の将来の発展方向

 同位体トレーサー技術を利用し、大気中の有機酸及びその大気汚染との関係を研究することはまだ始まったばかりである。複数の方法でこれまでに測定された有機酸の同位体組成から見ると、世界各地域の炭素同位体組成には非常に大きな違いがあり、地域別の対比を行うことは興味深い研究となる。この新しい手段を大気汚染防止に応用するには、以下の研究を早急に進めなければならない。第1に、発生源の異なる有機酸について炭素同位体組成の標定を行うと同時に、有機酸の放出フラックスを発生源別に測定する。これは実用的な研究であり、大気汚染源を識別するのに適している。具体的な大気汚染処理においては、可能性のある汚染源をモニタリングし、処理対象を確定する必要がある。第2に、大気と降水中の有機酸同位体組成について地域別の測定を行い、その同位体組成の空間分布の特徴をつかむ。この研究は基礎的な科学研究であり、得られたデータは大気汚染の防止に役立つ。


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