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地球温暖化が陸域生態系に与える影響とリスク評価

2010年 3月29日

伊藤 昭彦

伊藤 昭彦:
独立行政法人国立環境研究所地球環境研究センター 研究員

 男性、1972年8月生まれ。2000年 筑波大学大学院生物科学研究科単位取得退学、博士(理学)。2006年より独立行政法人海洋研究開発研究機構・招聘主任研究員を兼任。専門は植物生態学および生物地球化学。独自に開発した陸域生態系モデル(VISIT)を用いて、温暖化の影響評価や森林伐採に伴う炭素放出の推定などを行っている。

1.はじめに

 化石燃料消費に代表される人間活動が、大気中の温室効果ガス濃度を上昇させ、地球の気候システムに深刻な影響(いわゆる地球温暖化)を引き起こしつつあることは社会に広く認められるに至っており、気候変動枠組み条約をはじめとする具体的な対策が進められている。地球温暖化の問題で忘れてはならないのは、その影響は人間社会のみならず地球表層の様々なシステムに及ぶという点である。温暖化によって海氷が融けたために、北極のシロクマが住処を失うといったイメージが、温暖化影響の象徴として引き合いに出されることがあるが、実際には熱帯から寒帯・乾燥地までの生物とその居住地(その総体としての生態系)が深刻な影響を受ける恐れがある。

 温暖化影響への脅威が認識されるにつれ、それをリスク評価・リスク管理の問題として捉えるアプローチが提案されている。ここで言うリスクとは、影響の大きさと発生可能性(頻度)の積であり、不確実な将来に対して意志決定を行う上での基準となる。一般には、リスク管理は、悪影響となるリスクの特定、そのリスクに対する発生可能性と影響の大きさの評価、そしてリスクを回避し被害を最小化するための対策、という手順で行われる。地球温暖化に関連するものでは、将来の海面上昇による沿岸域の水没のリスクと、堤防建設や移住による影響の軽減などがわかりやすい例であろう。もちろん実際に対策をとるかどうかは、リスクがコストを考慮した許容範囲を超えるかどうかで判断される。

 しかし、生態系への温暖化影響に関しては、従来のリスク評価・リスク管理の枠組みでは扱うことが難しい複雑な問題がある。本稿では、主に陸域の生態系を対象に、温暖化の影響評価とリスク管理への課題について述べる。

2.温暖化が生態系に与える影響・リスク

 温暖化によって生態系に何らかの悪影響が及ぶことは容易に想像されるが、それがどのような種類のリスクを引き起こすかは未だに明らかではない。このことが生態系のリスク管理を難しくしている一因である。まず、大気CO2濃度の上昇と気候変動によって生じる影響は、正なものと負のものが複合的に生じる。大気CO2濃度上昇そのものは、植物の光合成生産を向上させる(施肥効果)ことが多くの実験から示されている。しかし、温度上昇は寒冷地では好適な生育期間が延びることで成長を促すと考えられるが、すでに十分に温暖な熱帯地域では高温による障害が起こることが懸念される。また、たとえ寒冷地であっても、温度上昇による土壌有機物の分解促進や凍土の融解は、負の影響となる可能性が高い。概して、温度が全体的に上昇することで、生物の生育適地はより高緯度側へあるいは標高の高い方へ移動すると考えられる。しかし、将来予測されているような急激な温暖化に対する生物の応答は、過去の気候変動と生物分布の関係を単純に外挿するだけでは推し量れない。なぜなら、生物の移動速度には限界があり、特に植物のような移動性の低い生物は、年間数十kmに及ぶ生育適地の移動について行けない可能性が高い。一方で、分散能力の高い種は、現在の生育限界を超えた広範囲に(侵入種として)分布を広げる可能性がある。

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第4次報告書(参考文献1)には、現在までの研究で示された温暖化影響がまとめられている。その中では、産業革命前に比べて2.2℃の温度上昇により世界の生物種の24%(15〜37%の範囲)が絶滅に瀕する可能性があることをはじめ、高山やサンゴ礁など脆弱性の高い生態系に関する影響について言及されている。アジア地域の研究例は少ないが、産業革命前と比べて2.9℃の温度上昇により、中国の北方林が大幅に消失する可能性について取り上げられている。日本の生態系における温暖化影響の例では、これはIPCC第4次報告書以降に出された成果(環境省地球環境研究総合推進費による)であるが、世界遺産に登録されている白神山地周辺のブナ林に関する研究がある。そこでは、温暖化により白神山地周辺のブナ林の相当割合で生育環境が悪化し、今世紀中にも生育適地でなくなる可能性が示唆されている。

 生態系における生物間の相互作用は非常に複雑であり、食物連鎖や動物-植物相互作用(例えば昆虫による花粉の輸送や動物による種子散布)、植物-微生物相互作用(例えば根と微生物の共生による菌根の水・栄養塩吸収)を通じて、予想外に影響が広がる可能性がある。そのため、現状としては主要なリスクが特定されたとはとても言えない。さらに、実際には、気候変動の影響についても、自然の変動として発生したものか、人為的な温暖化によって生じたものか原因を特定するのは難しい。前記の生物種の減少についても、原因は気候変動だけでなく、森林破壊や環境汚染などによる生息域の減少も重要な要因となっている。

3.生態系影響のリスク評価

 リスク評価においては、前述のように、リスクの発生可能性とインパクトを明確にする必要がある。いくつかの種類のリスクは特定されているものの、その将来(例えば2100年まで)の発生可能性を知ることは非常に困難である。一つの試みとして、英国ブリストル大学のグループは、複数例の気候モデルによる予測シナリオを用いたシミュレーションを実施し、ある影響が生じた例数の割合からリスク発生の可能性推定を試みている(参考文献2)。北米やユーラシアの森林消失、河川流出量の増加、そして森林火災の増加について検討されている。別な研究として私たちの取り組みを紹介すると、将来の気候変動に伴う降水量変化と、人為的な土地利用変化が土壌流亡(エロージョン)に与える影響の評価がある。そこでは、陸域生態系とエロージョンに関するモデルを用いた数値シミュレーションの結果として、降水量が多く急峻地が多いモンスーンアジア地域で強いエロージョンが発生していることが示された。また21世紀中の変化として、降水増加によって東南アジアなどでは増加する一方、植林が進むと予想される先進国や中国の一部ではエロージョンが減少する可能性が示された。これまでの研究では、用いた気候シミュレーション群が将来の気候変動パターンを、その不確実性を含めて十分に代表しているかどうかは十分検討されていない。また、前述のローカルな生物間相互作用を含めた推定モデルはまだ構築されておらず、気候を予測するモデルと生態系のモデルの両方に推定不確実性が残されている。

 リスクのインパクトを明らかにするには、生態系サービスという概念を導入しなければならない。生態系は、それ自身の営みの結果として、人間社会に様々な便益をもたらしている。例えば、森林は木材資源を提供するだけでなく、土壌の保水による水源涵養機能や大気・水質の浄化機能、さらにはレクリエーションの提供といった、様々な便益をもたらしている。森林以外の生態系も、その地方の人々の生活と密接に結びついた生態系サービスを提供している。また、炭素固定による気候調節機能などは、その生態系の周辺だけでなくグローバルな便益を提供しているといえる。つまり、温暖化のインパクト評価は、単に生態系のバイオマスや種数の増減ではなく、人間社会と関わりのある生態系サービスの変化によって評価することが望ましい。実際には、生態系サービスには多様な側面があるため、その統合的評価(例えば指標化や価値換算)は簡単ではないが、これは後述する生物多様性とも関連する問題であり、現在盛んに研究が行われている。

 別な評価軸として、温暖化による生態系影響には災害という観点もある。地球温暖化は、温度や降水を長期平均的に変化させるだけでなく、短期的に生じる急激な温度変動や降水変動、いわゆる極端現象の頻度・強度を高めると考えられる。それは洪水や熱波などにより人間に直接的な災害を及ぼすが、さらに生態系影響を介した災害も想定される。例えば、極端な高温乾燥が一定期間続くと、森林や草原では火災の発生確率が大きく高まることが知られている。野外での火災は生態系を衰退させ、大量のCO2放出を引き起こすだけでなく、人家近くで起こったものは財産や時には人命をも脅かすものとなる。過去のデータや数値モデルに基づく研究でも、温暖化時に多くの地域で野外火災の発生確率が高まることが指摘されている。このように、生態系サービスの低下と災害防止の観点から、リスク評価の手法を確立することが望まれる。

4.生態系へのリスクの緩和・適応

 地球温暖化問題では、起こりうるリスクを回避したり被害を最小化したりすることを、適応や緩和という言葉で表現することが多い。陸域の生態系において、どの程度の緩和・適応策が可能かは、コスト面の妥当性も含めて議論が分かれる点であろう。ましてや現在では、温暖化による生態系へのリスク、そして生態系サービスを介した人間社会へのリスクを緩和し適応することは、地球環境問題の中で単独では考えることができない状況である。現在の温暖化対策は、工業活動起源の温室効果ガス放出を抑制するだけでなく、森林吸収源やクリーン開発メカニズム(Clean Development Mechanism: CDM)、そして途上国での森林減少・衰退防止(Reducing Emissions from Deforestation and forest degradation in Developing countries: REDD)といった生態系サービスに依拠する部分が相当に大きい。そのため、単に生態系の現状を保全するだけでなく、炭素固定による気候調節機能の活用も加味したより広い視点での生態系管理が求められる。逆の観点では、大規模に原生林を伐採してユーカリなどのバイオマス生産の大きい早生樹種を植林する、といった極端な対策を安易にとるのではなく、生態系の便益面を総合的に考慮した方策を選択していく上でもこれは重要な点である。2010年10月には名古屋で生物多様性条約の第10回締約国会議(COP10)が開かれるように、生物多様性保全と遺伝子資源の問題はやはり社会的にも喫緊の問題となっている。そのため、生態系の観点から、多様性保全と温暖化影響の適応・緩和を矛盾するものでなく、調和的な方向で進めていく必要がある。

 では、陸域生態系における温暖化の緩和・適応のオプションとしてはどのようなものがあるだろうか。一般的なものとして、温度上昇に伴う生物移動を助けるための回廊(コリドー)設置や移植、高山植物など生育適地を失う恐れがある生物の保全、生育地の復元などが考えられる。生態系への影響は、多くの場合で不可逆であり、一度失われると復元は非常に困難であるため、事前の予測に基づいて先に対策を講じることで生態系の回復力を維持する、予見的適応策の必要性も指摘されている。対策に要する人的・金銭的コストを考えると、広大かつ多様な生態系でリスクを評価し、適切な緩和・適応策を講じることは非常に困難であると感じられるだろう。しかし、前述のように、温暖化のリスク管理だけでなく、温暖化そのものの抑制手段として生態系機能への期待は大きくなっている。さらに、生物多様性の拠点としての需要が加わることを考えれば、総合的な生態系管理実現への社会的要請は今までになく高まっていると言える。そのような現状を踏まえると、現在の温暖化と生態系影響に関する科学的知見の蓄積はまだまだ不十分である。特に、IPCC報告書に記載されたアジアの研究例が目立って少ないことからも分かるように、日本・中国を含むアジア地域でのこの分野の研究の余地は非常に大きい。この研究の空白域を埋めることは、今後の温暖化対策・生物多様性保全を、科学的知見に基づいて実行する上で必要不可欠であろう。

5.おわりに

 地球温暖化が生態系に与える影響について、リスク評価の観点から議論を行った(ここでは陸域を扱ったが、海洋にも酸性化や水産資源枯渇といった深刻なリスクがある)。生態系は極めて複雑多様であり、現在の生態学の水準は定量的予測が行える所には至っていない。それでも、生態系は私たちの生活に密着した存在であるのも確かであり、進行しつつある温暖化の中で有効な生態系管理とリスク軽減のための対策を講じなければならない。本稿ではほとんど触れなかったが、世界の様々な研究機関で、このような目的を達成するための実験・観測・解析・モデルによる研究が日々営々と行われている。温暖化をはじめとする地球環境問題に取り組む中で、研究者の活動も必然的にグローバル化しているが、やはり欧米の先端的な研究と比べると、日本と中国を含むアジア地域では遅れている分野も多い。そのことは、アジア地域の温暖化影響評価とリスク管理において不利なだけでなく、グローバルなモデルを用いた温暖化予測にも影を落としているかもしれない。今後は、アジア地域の研究者の力を結集し、ネットワーク的に研究水準を高めていく必要があるだろう。


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