第44号:ゲノムおよび機能分子解析の進展
トップ  > 科学技術トピック>  第44号:ゲノムおよび機能分子解析の進展 >  高精度ゲノムアレイの開発とがんと遺伝疾患の統合的ゲノム・エピゲノム解析

高精度ゲノムアレイの開発とがんと遺伝疾患の統合的ゲノム・エピゲノム解析

2010年 5月28日

稲澤譲治

稲澤譲治(いなざわ じょうじ):
東京医科歯科大学難治疾患研究所・教授

1956年7月 生まれ。
昭和57年京都府立医科大学卒、 医学博士。
日本癌学会JCA-Mauvernay Award受賞(2006年)
平成20年度文部科学大臣表彰科学技術賞(研究部門)受賞
日本癌学会理事、日本人類遺伝学会理事
Associate Editor; Cancer Science, Journal of Human Genetics
Editorial Bird; Molecular Cytogenetics
臨床を離れ既に20年以上が過ぎましたが、難治がんや原因不明とされる遺伝疾患の病態を明らかにする研究に注力し、得られる成果が少しでもこれら患者さんのためになるようにとの思いは持ち続けています。

はじめに

 ゲノム情報を基盤に疾患の新しい診断、治療、予防法の開発、ならびに基礎研究で得られた成果を臨床医学に展開する「トランスレーションリサーチ」に多大な期待が寄せられている。私たちは、ゲノム構造変化、エピゲノム遺伝子制御機構、体系的遺伝子発現解析など統合的ゲノム解析研究を推進し、がんや遺伝疾患の原因遺伝子探索と病態の解明、さらにこれら難治疾患における画期的な診断、治療、予防法の開発を目指しています。

研究紹介

 特に疾患特異的ゲノム構造異常を標的にした疾患遺伝子の同定アプローチを体系化し、新規のがんや遺伝疾患の関連遺伝子の探索を進めてきました。これらはがん個性診断のバイオマーカーとして、あるいは創薬の標的分子候補として注目されています。さらに、6年を超える歳月を経て実用化した高精度・高密度の自作ゲノムアレイのシステムを開発することができました。国際水準からも高精度のBAC(Bacterial Artificial Chromosomeの略 )クローンを配置したゲノムアレイとしてMCG (Molecular Cytogeneticsの略) アレイの呼称で認知され、これらMCGアレイプラットフォームで展開するゲノム、エピゲノム解析はがんと遺伝疾患の病態解明に威力を発揮しています。特に先天異常症の潜在的染色体異常診断ツールとして開発したGenome Disorder Array(通称、GDアレイ)は2009年9月28日に富士フイルム株式会社より販売、ビーエムエル社で受託検査化されています。最近の具体的な成果を以下に紹介します。

1.高精度ゲノムアレイの開発

 独自にゲノムアレイシステムを開発した。その内訳は、➀4523個のBACクローンを配置した全ゲノムをカバーする高密度アレイ、②染色体1p36の20Mbを間断なくカバーしたアレイ、➂がん関連遺伝子800種類の解析を可能とする「がん個性診断」用アレイ、④X染色体を1003個のBACで埋め尽くした高密度アレイ、⑤既知遺伝疾患、染色体異常症の診断アレイ、⑥ヒトcopy number variation (CNV)検出アレイである。これらは、JST新学術創成事業「高精度ゲノムアレイの開発と疾患遺伝子の同定(平成14年度採択)」研究の支援を受けて基盤研究を実施し、さらに、さらに平成平成18年度からは、ゲノムアレイの実用化を目指し、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構 (NEDO) プロジェクト「個別化医療実現のための技術融合バイオ診断技術開発/染色体解析技術開発」プロジェクトの支援を受けることにより、①アレイデータ解析の専用ソフトの開発、②各種がんの基本ゲノム構造異常データベースの構築、③全自動解析装置等の開発研究を進めています。2009年度には、さらに高精度のBACアレイである、⑦Cancer Array-1500、⑧Whole Genome Array-15000を完成させることができました。これらのBACアレイを用いた比較ゲノムハイブリダイゼーション(comparative genomic hybridization, CGH)法により、がんや原因不明の先天異常症を対象に従来型の染色体分析法では決して検出することができなかった微細染色体断片の欠失や重複などのゲノムコピー数異常の解析を進めました。

2.がんゲノム構造異常の網羅的スクリーニング

1) CGHデータベースの構築

 25種類のがん腫の総計1700例以上においてCGH解析を実施し、がんのコピー数異常のデータベースを構築し公開しています(CGH Data Base: http://www.cghtmd.jp/cghdatabase/ index.html) 【図1】。 本データベースは米国NCBI統合データベースにおいて“CGH database Japan”としても紹介されており、国内外のがんゲノム研究者に利用されています。

図1

図1 がんCGHデータベースのトップ画面
http://www.cghtmd.jp/cghdatabase/ index.html

2) がんのゲノム解析

 現在、本邦では国民の二人に一人ががんに罹患し3人に一人ががんで死亡するという状況です。食道扁平上皮がん(ESCC)は、日本人男性のがん死亡の第7位(2008年)であり、その適切な診断、治療、さらに予防法の開発は喫緊の課題です。私たちは、高精度ゲノムアレイを用いた食道扁平上皮がん(ESCC)細胞株のゲノムコピー数解析により第1番染色体長腕1q32-q41に遺伝子増幅領域を見出し、その新規増幅の標的遺伝子候補としてSMYD2遺伝子を同定しました(Komatsu et al., Carcinogenesis 2010)。SMYD2はヒストンH3K36やがん抑制遺伝子p53のK370をメチル化することで遺伝子の転写活性の調節やp53の不活性化作用を持つことが報告されています。食道がんの手術検体を用いた検討からSMYD2は高頻度に発現が増強し、かつ発現亢進の症例では明らかに予後が不良であることがわかりました【図2】。また、SMYD2の機能をノックダウンさせた場合の細胞増殖能の検討から、SMYD2がESCCの治療標的分子候補であることが示されました。

図2

図2 SMYD2は正常食道上皮には発現を認めず、腫瘍では浸潤部で特に強い陽性所見を認めました。
また、生存曲線で示しますように、SMYD2高発現患者群では極めて予後不良でありました。

 また、同様にESCC細胞株のアレイCGH解析から新たに13q21.2ホモ欠失を見出し、その標的がプロトカドヘリンファミリー遺伝子の一つであるPCDH17であることを見出しました(Haruki et al., Carcinogenesis 2010)。PCDH17はホモ欠失が検出されない場合であっても、ESCC細胞株や手術検体においてプロモーター領域にDNAメチル化が起こり高頻度に発現低下することを見出しました。さらに、PCDH17の発現低下がESCCの潜在的リンパ節転移に関連している可能性が示され、またその機能解析から、PCDH17が新規のESCC抑制遺伝子であることが明らかになった。

3) がんのエピゲノム解析

 自作BACアレイをプラットフォームにDNAメチル化領域をゲノムワイドにスクリーニングする方法としてBAC array-based MCA method (BAMCA法)を確立した(Inazawa et al., Cancer Sci, 2004, Review)【図3】 。この方法を用いて、DNAメチル化によって遺伝子機能を消失する神経芽腫(NB)のがん抑制遺伝子をスクリーニングした。

図3

図3 Methylated-CpG-Island Amplification (MCA)法をBACアレイに応用することで
DNAメチル化領域のゲノムワイドスクリーニングを可能とするBAMCA法を開発した。

 NBは小児固形腫瘍のなかで最も頻度が高い子どものがんである。しかし、NBの中には治療をすること無しに腫瘍が自然に消退する予後良好のものがある。この「NBの自然退縮現象」の分子メカニズムは不明であり、これを明らかにすることはNBのみならずその他においても応用できる「がんの自然退縮」のメカニズムを探る端緒ともなることが期待できる。私たちは、BAMCA法によるスNB細胞株のDNAメチル化クリーニングを端緒に、LAPTM5 (Lysosomal-associated protein multispanning membrane 5)遺伝子が、NB細胞においてメチル化により発現低下することを同定した。LAPTM5は予後良好NB腫瘍内に存在する退縮部位の変性NB細胞では高発現していることや、NB細胞株へのLAPTM5の強制発現により細胞死が誘導されることが明らかになった。LAPTM5誘導性細胞死はリソゾーム膜不安定性に基づくリソゾーム細胞死である可能性を示すとともに、NB自然退縮に深く関与することを明らかにしました(Inoue et al., PLOS One 2009)。

3.先天異常症のゲノム解析

 私たちは、2005年より国内遺伝外来を設けている23医療施設と連携して「アレイCGH診断法実用化コンソーシアム」を組織して、臨床的に診断のつかない多発奇形を伴う発達遅滞 (MCA/MR)を対象に、疾患成立の原因となるゲノム異常の解析を進めてきた。1次スクリーニングとして当研究室で開発した染色体微細欠失症候群診断アレイ"Genomic Disorder Array" (通称GDアレイ)による解析を、現在までに536例を解析して56例 (10.4%)に疾患に関連すると考えられるゲノムコピー数変化 (pathogenic CNV)を検出した【図4】。更に、GDアレイでの陰性症例に対しては2次スクリーニングとして全染色体をターゲットとしたBACアレイである “Whole Genome Array-4500”で詳細に解析した。現在までに353例を解析し、66例にCNVを検出した。これらのCNVと病態との連関を、両親解析や既存のデータベースとの照応などを通じて評価し、48例 (13.6%)がpathogenic CNVを有すると判断した。これらの解析から、独立した複数の患児に共通の新規のpathogenic CNVを見出し、さらにこれらの患児では一部に共通の症状(表現型)が見出せることから、新しい染色体異常症候群の可能性も示唆されており、モデル動物を用いた詳細な病態解析を進めているところである。

図4

図4 先天異常症の染色体検査では約10%に疾患関連性がある染色体異常が検出されるが、残りの90%は原因不明である。
染色体検査で異常なしの症例534例を対象にした自作ゲノムアレイによるCGH解析で約30%にpathogenic CNVお検出した。

主要参考文献:

  1. Inazawa J, Inoue J, Imoto I: Comparative genomic hybridization (CGH) arrays pave the way for identification of novel cancer-related genes. Cancer Sci.95:559-63,2004
  2. Komatsu S, Imoto I, Tsuda H, Kozaki K, Muramatsu T, Shimada Y, Aiko S, Yoshizumi Y, Ichikawa D, Otsuji E, Inazawa J: Overexpression of SMYD2 relates to tumor cell proliferation and malignant outcome of esophageal squamous-cell carcinoma. Carcinogenesis. 30:1139-46. 2009
  3. Inoue J, Misawa A, Tanaka Y, Ichinose S, Sugino Y, Hosoi H, Sugimoto T, Imoto I, Inazawa J: Lysosomal-associated protein multispanning transmembrane 5 gene (LAPTM5) is associated with spontaneous regression of neuroblastomas. PLoS One. 4:e7099. 2009
  4. Haruki S, Imoto I, Kozaki K, Matsui T, Kawachi H, Komatsu S, Muramatsu T, Shimada Y, Kawano T, Inazawa J: Frequent silencing of protocadherin 17, a candidate tumour suppressor for esophageal squamous-cell carcinoma. Carcinogenesis. 2010 [in press]
  5. Hayashi S, Mizuno S, Migita O, Okuyama T, Makita Y, Hata A, Imoto I, Inazawa J: The CASK gene harbored in a deletion detected by Array-CGH as a potential candidate for a gene causative of X-linked dominant mental retardation. Am J Med Genet A.146A:2145-51, 2008