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糖鎖研究と創薬:バイオマーカーとしての糖鎖とその可能性

2010年 9月21日

西村紳一郎

西村紳一郎(にしむら しんいちろう):
北海道大学 大学院先端生命科学研究院
先端融合科学研究部門新薬探索研究分野 教授

昭和34年4月生まれ。1987年 北海道大学大学院理学研究科高分子学専攻、博士課程修了(理学博士)。JST産学イノベーション加速事業【先端計測分析技術・機器開発】で開発している全自動糖鎖分析装置をグローバルスタンダードにしたいと考えております。

1.はじめに

 人類が自らの全遺伝子配列(ヒトゲノム)情報を手にした2003年から既に約7年が経過した。当時の驚きとインパクトはかなり大きなものだったが、今考えてみてもこの前代未聞の偉業がとてつもないスピードで成し遂げられたことにあらためて感服してしまう。1953年にワトソン、クリックらによって「遺伝子の本体であるDNAは二重らせん構造のポリデオキシリボ核酸という高分子である」ということが明らかにされてから50年という短期間でヒトの全ゲノム情報を解読してしまったのである。この偉業はマリス博士によって発明された「Polymerase Chain Reaction (PCR法、ポリメラーゼ連鎖反応法)」という画期的な遺伝子増幅技術に大きく依存している。この方法論は1980年代後半にデファクトスタンダードとして世界中で一気にブレイクしたことで、あらゆる生物の小さな遺伝子断片からの広範にわたる大規模高速ゲノム解析が実現したのである。

 このPCR法という一つの革新的技術は21世紀の医療と創薬に関連する領域においても大きなパラダイムシフトをもたらしている。すなわち、単一塩基多型(SNPs)やmRNAの発現プロファイルなどの大規模解析によって得られる「ひとりひとりのゲノム情報と多様な臨床情報を比較解析すれば各個人に合った疾患治療法を速やかに予想できるだろう。」あるいは、「病気に関連する遺伝子が同定されればその疾患の早期発見や予防も可能になるのではないか?」など診断技術や新しい分子標的薬の開発などが期待されている。

2.ゲノミクス(Genomics),プロテオミクス(Proteomics),そしてグライコミクス(Glycomics)への展開

 ゲノミクスやプロテオミクスに代表されるオミックス(OMICS)という概念は全ゲノム・全タンパク質解析データから疾患関連遺伝子あるいは疾患関連タンパク質を見つけ出すことを目的とした研究領域に発展している。いかに早くそしていかに効率良く理想的な新しいバイオマーカーを選定できるかが診断技術のみならず新しい創薬ターゲット分子の探索、すなわち新薬開発の成否を握っているということは自明でありそのために患者検体を用いたDNAマイクロアレイ解析やMALDI-TOFMSあるいはLC-ESIMSといった質量分析法による大規模網羅的な疾患関連ゲノム・タンパク質データベース構築を目指した研究プロジェクトが進められてきた。

 しかし、残念なことに莫大な研究資源の投入に反してゲノミクスとプロテオミクスを基本とした探索研究から実用化にとって有効といえる新規マーカー開発は極めて困難であり、当初期待したほどの成果を挙げていないのが現状である。その理由として考えられるのは、第一にバイオマーカー探索の対象は遺伝子、タンパク質、自己抗体、さらに関連する低分子代謝物におよぶ多様かつ膨大な種類の生体分子であることによるとされている。また、第二に疾患マーカー分子として遺伝子やタンパク質の変動を指標とする場合、当然それらの「質(構造の変化)よりはむしろ量(発現量の増減)」に着目しなければならないことが問題となっている。つまり、それらの膨大な分子は広いダイナミックレンジ(たとえばヒトの血液中には数千種類のタンパク質が10-3~10-10 M程度の濃度範囲に広く存在すると推定されている)に分布しているのでこれらの分子を定量的にモニターすることで臨床情報との相関を議論するのは難しいと考えられるのである。

 一方、ヒト遺伝情報の翻訳後修飾(posttranslational modifications)のひとつである糖鎖によるタンパク質修飾(protein glycosylation)というプロセスは細胞の分化、臓器形成、老化、免疫さらに疾患(病態)を含む様々な生命現象において観察される「多様な分子構造の不連続かつ大きな変化の過程」とみなすことができる。糖鎖の生合成プロセス(図1)はゲノムによる1対1の直接支配を受けない(テンプレートドリブンではない)。しかも多くの環境要因に敏感に影響されることから「いつ、どこで、どのように」糖鎖構造が変化しているのかを知ることができなければそれらの生物学的意義はなかなか見えてこない。つまり、グライコミクスとはタンパク質や脂質など生物にとって最も基本的で重要な多くの生体分子の機能をダイナミックに変貌することでコントロールしている糖鎖構造の質的および量的変化の関係を議論する全く新しいOMICSなのである。遺伝子やタンパク質マーカーとの大きな違いは「その構造自体が短時間のうちに変化すること」、つまり「同じタンパク質であっても修飾される糖鎖構造に違いがある」ということである。しかし、「糖鎖はPCR法で直接増幅できない」ため血清、尿、組織や細胞などから直接、今そこにある糖鎖を失うことなく精製できなければ構造解析も定量もできないという大きな障害が長い間研究者を悩ませてきた。

図1 糖タンパク質の生合成プロセスと糖鎖による翻訳後修飾

図1 糖タンパク質の生合成プロセスと糖鎖による翻訳後修飾

3.グライコブロッティング法(Glycoblotting method)1-3

 我々は最近「グライコブロッティング(Glycoblotting)法」という新技術を開発した。この方法はおもな生体物質のうちでアルデヒド(=ヘミアセタール)を持つ分子はほぼ遊離の糖鎖だけなので、生体試料中のアルデヒド化合物を選択的に捕捉することで糖鎖が特異的に回収できるという原理に基づいている(図2(A))。この原理に基づいて血清や尿、培養細胞などを用いる大規模糖鎖解析が世界で初めて可能となり、一度に数十人分の血清を用いた糖鎖発現プロファイルが短時間で達成できる自動化装置のプロトタイプが完成した(http://www.jst.go.jp/seika/01/sentan.html、先端機器開発プログラム「疾患早期診断のための糖鎖自動分析装置開発」)。

 具体的には、アミノオキシ基やヒドラジド基などのアルデヒド基に速やかに求核付加する官能基を表面に持つビーズを作製し、酵素処理によってタンパク質から切断した糖鎖を含む試料溶液と反応させ糖鎖のみを担体に共有結合させることで夾雑物を完全に洗浄して糖鎖のみを精製する。捕まえた糖鎖はビーズから切り離し、質量分析に供する。糖鎖を切り出す効率の最適化、ブロッティング担体の改良、シアル酸の脱離を防ぐためのビーズ上でのメチル化、MALDI-TOFMS測定の感度を向上させるため、オキシム交換反応等でタグを導入する方法なども考案した。このプロトコルにより、ヒト血清約5~10μl(マイクロリットル)を用いて定量的グライコミクスを半日以内で完了できた。グライコミクスプロトコルとしては世界最速である。さらにこの方法では96穴プ

図2 グライコブロッティング法の基本原理(A)と大規模解析用前処理ロボットSweetBlot(B)

図2-(A) 図2-(B)

 レートを用いた並列処理が可能であり、処理速度が飛躍的に向上している(図2(B))。この方法は一部の工程を変更すれば、N-グリカンのみならずO-グリカンやスフィンゴ糖脂質の捕捉と解析にも応用できる4。

 このプロトコルを使って健常人20人と肝細胞癌患者83人の血清を対象として網羅的グライコミクスを行った5。図3(A)に103人分の生データ(質量分析スペクトルデータ)を示すが、ここでは内部標準糖鎖を用いていないので、任意のふたつの糖鎖の観測イオン強度の比をデータとして統計解析を行っている。分類機としてk-nearest neighbor法 (k=3)を用い、sequential forward selectionアルゴリズムで特徴選択を行った結果、3つのデータ(糖鎖の組み合わせ)を使うことで健常群と疾患群を100%クラス分けできることがわかった(図3(B))。また、このような多変量解析によらない2つの糖鎖の発現量の単純な比較を基本とする方法であっても図3(C)、有望なマーカー糖鎖候補が見つかる場合がある。この例の場合2つの糖鎖の発現量の比は、一体何を意味するのだろうか?実は分子と分母にくるものが、生合成経路上、原料(糖転移酵素の受容体基質)と産物の関係に相当するか複数の競合する酵素反応の産物の関係である場合には、疾患による生合成系の偏りがみえてくる場合もあり得るだろう。図3(C)の場合、分子に置いた糖鎖構造と分母の糖鎖構造は同一の前駆体から別々の酵素によって合成される可能性がある。つまり、この疾患において、血清糖タンパク質全体としてみた場合、分子に置いた構造を優先する反応が著しく進行しているということが示唆される。このような、生合成経路における個々の糖鎖の関係を考慮したグライコミクスは、疾患メカニズムや分子標的医薬を開発する上で、今後、欠かせないツールとなることが大いに期待されている。このように我々は肝細胞癌によるグライコフォーム全体像のダイナミックな変化を初めて明らかにして有効なマーカー候補を数種類見出した。肝細胞癌に限らず、膵癌、肺癌、腎癌、卵巣癌、子宮体癌などについてもグライコブロッティング法により有望なバイオマーカー候補が発見されている。この方法は血清のみならず、尿、さらに培養細胞抽出物やホルマリン固定パラフィン包埋(FFPE)組織サンプルなどにも応用できることが示されている6。

図3 臨床検体の大規模グライコミクスの例。

図3-(A)

(A)肝細胞癌患者83人と健常者20人の血清からグライコブロッティング法により捕捉された全糖鎖プロファイル(生スペクトル)

図3-(B)

(B)多変量解析による患者と健常者の差別化の例

図3-(C)

(C)生合成経路上関係のあることが推測される2つの糖鎖構造についての発現変動解析から見出されたマーカー糖鎖候補の組み合わせの例

4.リバースグライコブロッティング法(Reverse glycoblotting method)7、8

 グライコブロッティング法により、バイオマーカー候補としての糖鎖を発見してもその糖鎖がどのような血清タンパク質に結合していたのかを同定する必要がある。そこで我々はそれらのマーカー糖鎖構造を一種のタグとみなして、血清中の総(糖)タンパク質のトリプシン消化物中から該当する糖ペプチド(群)ごとに選り分けて糖タンパク質を同定する手法を考案した。この方法は非還元末端側の糖鎖に着目して捕捉しているので著者らはリバースグライコブロッティング法(Reverse glycoblotting method)と名付けた。特に、末端にシアル酸をキャリアする糖タンパク質の同定法については、MRM(Multiple Reaction Monitoring)法を用いるターゲット糖ペプチドの定量解析が可能な段階にまで方法論を確立している(図4)。シアル酸は、通常、糖鎖の非還元末端に存在しているが、これを特異的に過ヨウ素酸酸化(限定酸化反応)することで、アルデヒド基をシアル酸選択的に付与する。このアルデヒド基をヒドラジドビーズに捕捉することで、シアル酸を有する糖ペプチド混合物を選択的にエンリッチし夾雑物、特にペプチド片やシアル酸を含まない糖ペプチドを徹底的に洗浄して除去する。さらに、ヒドラゾン結合を酸性条件で選択的に切断後再遊離したアルデヒド体を2-アミノピリジンとの還元アミノ化により蛍光標識する。これにより、その糖ペプチドのグライコミクス(グライコームの決定)に加えてLC-ESI/MSによるペプチドの配列決定さらには親タンパク質の同定と定量解析を行うことが可能となった。

図7

図4 リバースグライコブロッティング法によるマウス血清からの
シアロ糖ペプチドのエンリッチメントとMRM法による定量的糖タンパク質解析の概要

 リバースグライコブロッティング法により同定した糖タンパク質については、それ自身や、その発現制御に関わる遺伝子情報に遡る、いわばセントラルドグマを逆方向に辿ることにより、転写メカニズムや翻訳制御の解析を行う多様なアプローチも考えられるであろう。これが、著者らの提唱するグライコフォームフォーカストリバースジェノミクス(GFRG)の概念である(http://www.gfrg.org/)。GFRGの展開により、さまざまな-omicsから提供される情報を横断的に意味づけしたり、関連づけて議論することが可能となるであろう。

5.おわりに

 このようにグライコブロッティング法の発見によって広い意味で糖鎖研究が一気に加速されることが予想される。特に、疾患の予防や早期診断技術への展開を目標とするプロジェクト(http://www.jst.go.jp/sentan/saitaku/H21p.html、プロトタイプ実証・実用化プログラム「全自動糖鎖プロファイル解析診断システムの開発」)では生体試料からの糖鎖捕捉と質量分析までの一連の工程を全自動で行うことが可能な第2世代の装置開発が進行中である。疾患マーカー候補としての糖鎖の有効性が証明されるにはまだ多くの臨床データが必要な段階であるが、これらの研究成果から新たな創薬ターゲットが見出されることも大いに期待されている。また、グライコブロッティング法は抗体医薬や糖タンパク質製剤の糖鎖構造評価(品質管理)においても威力を発揮している。「その糖鎖はPCRで増幅できない。」ことを今一度強調したい。

主要参考文献:

  1. Nishimura, S. –I. et al. Angew. Chem., Int. Ed. Engl. 44, 91-96 (2004).
  2. Miura, Y. et al. Chem. Eur. J. 13, 4797-4804 (2007).
  3. Furukawa, J. et al. Anal. Chem. 80, 1094-1101 (2008).
  4. Nagahori, N. et al. Biochemistry 48, 583-594 (2009).
  5. Miura, Y. et. al. Mol. Cell. Proteomics 7, 370-377 (2008).
  6. Amano M. et al. Mol. Cell. Proteomics 9, 523-537 (2010).
  7. Kurogochi, M. et al. Angew. Chem. Int. Engl. Ed. 46, 8808-8813 (2007).
  8. Kurogochi M. et al. Mol. Cell. Proteomics 9, (2010) in press.

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