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テラヘルツデバイス開発とその生体センシング応用

2010年10月20日

尾内 敏彦

尾内 敏彦(おうち としひこ):
キヤノン株式会社 総合R&D本部 技術フロンティア研究センター
不可視領域イメージング第二研究室 室長 博士(工学)

1962年09月生
1988年 東京工業大学理工学研究科電子物理工学専攻修士課程 修了
1988年 キヤノン株式会社入社中央研究所にて半導体レーザデバイス、光通信技術の研究に従事
2002年 東京工業大学総合理工学研究科より博士(工学)学位取得
2004年 同社先端融合研究所においてテラヘルツイメージングの研究開発のテーマリーダー
独立行政法人理化学研究所 テラヘルツ生体センシング研究 チーム チームリーダー兼務
2010年現在、同社総合R&D本部にてテラヘルツイメージングの研究開発に従事
主な研究: 光半導体デバイス、テラヘルツイメージング

1.はじめに

 テラヘルツ(THz)波技術は、禁止薬物や危険物の未開封検査などのセキュリティ分野や、生体分子・高分子の分光やイメージングなど医学および薬学研究のさまざまな分野への応用が期待されている。特に、DNA、RNAおよびタンパク質などの生体分子では、分子構造全体にわたる集団的な振動モードやわずかな分子修飾の違いによる振動モード変化などがTHz領域に存在し、生体分子の構造形成および機能発現に関連していると予想されており、THz分光を用いた構造分析や臨床診断に対する期待が高まっている。

 このような生体分子は多くの場合溶液の状態で供給されるが、THz分光では分子の構造を保ったまま破壊せずにサンプルを準備し、かつ水の影響を低減して高感度に測定することが課題となっている。これまでに、このような溶液状態または溶液を乾燥させた生体分子を測定する方法として、1)プレート上に滴下もしくはセルに注入するもの1)、2)全反射光学系を用いるもの2)、3)高周波伝送線路を用いるもの3)などが報告されている。我々は、それ以外の新しい分析手法として、バイオテクノロジーによく利用され、分子構造を保ったまま塗布できるマイクロフィルタメンブレンを用いた測定デバイスを開発した4)。このデバイスを用いて溶液で準備される様々な生体分子に対してTHz波領域での分光スペクトルデータを蓄積している。また、このスペクトルデータを用いてさらに高感度な診断装置を開発するために、3)の高周波伝送線路を用いた集積センサーチップの検討を行っている5)。本報告ではこのような我々の開発した2種類のデバイスと、それらを利用した生体分子におけるTHzセンシング技術について述べる。

2.メンブレンデバイス

2.1 デバイスの構造

 生体分子等の溶液サンプルを用いてTHz波の透過センシングにより精度の高い分光データを取得するためには、面内均一性の高い分子の塗布が必須となる。我々が新たに開発した測定デバイスは、Fig. 1に示すように生体分子溶液を滴下するための9個のウェルが形成され、ウェル内部に分子吸着用のマイクロフィルタメンブレンが装着されている。バイオテクノロジーでは一般的なマイクロフィルタメンブレン(以後単にメンブレンと呼ぶ)は、単に生体分子の濾過や保存のみではなく、生体分子の構造や性能などの維持に役立つものが開発されてきている。われわれは何十種類におよぶこれらメンブレンについて、そのTHz波の透過性を調べ、その中から 85-98%以上のTHz波透過率を持つものを選抜してメンブレンデバイスに使用した。選択されたメンブレンは、ポリエーテルスルホンまたはポリプロピレンを主原料とし、平均開口径が0.45μm~0.8μmで厚さが114μm~145μmである。

図1

図1

 一般的に、生体分子のほとんどは一定の生理水溶液が存在する状況でしか活性を持たない。使用したメンブレンでは、サンプル調整時に常温および常圧下で生体分子に結合している生理水溶液を保てると思われ、生体分子センシングには好都合である。また、水溶状態の生体分子をメンブレンに滴下すると素早く滲入するので、サンプルの準備も容易である。さらに、参考文献1)のようにシリコン、サファイアなどの基板上にサンプル溶液を滴下する場合は、表面張力と対流により析出した分子が不均一に分布するが、メンブレンに滴下したサンプルでは分子の不均一分布が起きにくいとともに、屈折率が1に近いため基板内のTHz波多重反射の影響を受け難いというメリットがある。

 THz波の透過測定は一般的なTHz時間領域分光システム(TDS)6)を構築して行った。THz波の発生検出は、LT(低温成長)-GaAsにダイポールアンテナを形成した光伝導素子にフェムト秒レーザ(パルス幅80fsec、波長800nm)を照射することで行う。測定においてTHz波の伝播経路中にメンブレンデバイスを2次元スキャンできるステージに搭載し、自動でウェル位置を変えながら透過測定を行えるシステムとなっている。遅延系を走査することでTHzパルス波形を観測し、フーリエ変換することで分光スペクトルを得る。同一ウェルのデータを120回積算して求めることで精度を高めており、0.2~2.5THzの範囲で再現性の高いメンブレンデバイス透過測定を行うことができた。

2.2 核酸塩基類の評価

 DNAは四種類の塩基(A、G、C、T)に糖やリン酸基を付加したヌクレオチドが連なった長大な二本鎖からなる分子である。生体中ではDNAの塩基は必要に応じてメチル化やアセチル化などの修飾を受けることがよく知られている。DNAの塩基修飾がTHz領域で検出できれば、遺伝子検査や癌の診断に有用なツールを提供できると期待される。Fig. 2は4種のヌクレオシド、すなわち糖鎖や塩酸塩、およびメチル基をそれぞれ付加された塩基シトシンの水溶液をメンブレンデバイスに滴下し、乾燥させたそれぞれの2μmolの試料を測定した結果である。

図2

図2

 測定結果より、糖鎖が付加されたシトシン(dC)では特徴的なスペクトルは観測されていないが、塩酸塩のみを付加されているシトシン(C・HCl)、および糖鎖、塩酸塩両方を付加されたシトシン(dC・HCl)、さらにメチル基、塩酸塩両方が付加されたシトシン(MC・HCl)では特徴的な指紋スペクトルが観測された7)。このように溶液サンプルを乾燥させて指紋スペクトルを観測することができたが、これらは分子の構造を反映した吸収であると考えられる。このような指紋スペクトルを用いれば、わずかな修飾状態の違いを高感度で検出することができる。

2.3 タンパク質の評価

 タンパク質である仔牛血清アルブミン(BSA)を用いて、正常および変性タンパク質分子を測定しその透過率スペクトルを比較することによって、タンパク質構造の識別を試みた8)。濃度としては10mg/mlに調整し、変性タンパク質分子は75℃で3分加熱することで用意した。それぞれ30μlを滴下して乾燥させたところ、図3に示すように周波数0.2-2.5 THz領域において正常および変性タンパク質の比較では透過率の周波数依存性に顕著な差が見られた。赤外分光を用いた15THzまでの広範囲での測定では6THzを中心としたブロードな吸収スペクトルが確認されており、変性タンパク質では立体構造(コンフォメーション)の変化によりこの帯域での吸収量が減少したと考えられる。異なるタンパク質であるアビジンを用いて測定した結果でも、同様に熱変性したサンプルのTHz波透過率向上が確認されており、その他のタンパク質の立体構造診断にも応用できると考えている。

図3

図3

 よく知られているように、タンパク質はビタミンやホルモンなどのようなリガンド分子との結合によって、その主な機能を果たす。タンパク質の立体構造の変化は、これらのリガンド分子との結合に大きな影響を与えるので、その構造が正常であるか変性であるかの診断は非常に重要である。

  これまでの結果から、メンブレンデバイスを用いたTHz透過率測定システムは、簡便かつ有効な生体関連分子判別法を提供することが示された。現在は、ホルモン等の生理活性物質、食品添加物、医薬品等のデータ蓄積にも取り組んでおり、新しい検査システムなどへの適用有効性を検討したいと考えている。

3.集積センサーチップ

3.1 高周波伝送線路デバイスの特徴と特性

 2節で述べたフィルタメンブレンを用いた方式では、検体をバルク体として扱うこと、THz波を集光して照射させるために1mmφ以上の領域に塗布する必要があることなどから、生体関連材料としては比較的大量の検体を必要とする。実際の臨床診断装置で使用できる検体の量は微量であることが多いので、より高感度な分析手段の開発が重要である。

 高周波伝送線路はマイクロ波領域で一般的に用いられているデバイスであり、波長に比べて十分小さな領域を電磁波が伝播する。信号ライン近傍のわずかな誘電率変化で大きな伝播状態の変化が現れ、THz波の高感度センサーとして利用することができる3)。

 Fig. 4に示すものは、マイクロストリップ線路を用いたときの高周波伝送線路デバイスの構造図である。Si基板上に形成した金属グランドプレーン(Au/Au-Sn)の上に、誘電体としてBCB(ベンゾシクロブテン)3μm を形成し、さらに信号ラインとして5μm幅の金属薄膜(Ti/Au)を形成している。THz波の発生、検出のためにTHz-TDS測定でも用いているLT-GaAsで構成した光伝導スイッチ素子をSi基板上に集積させている。これは、LT-GaAsの 2μmのエピタキシャル層だけをGaAs基板から転写して集積化させたものである。Fig. 4のように光伝導スイッチ素子には金属ギャップ部が設けられており、その領域にフェムト秒レーザ光を照射することでTHzの発生、検出を行う。信号ラインの長さはおよそ0.6mmであり、信号ラインの部分に検体を塗布すればそのTHz波との相互作用について観測できる。実際にはこのライン上に400μmφの円形で高さ約6μmの液だめをポリマーで形成して、安定的に液体サンプルを供給できるようにした。

図4

図4

図5

図5

 発生側に2.4mW、検出側に2.0mWのフェムト秒レーザ光(約80fsecパルス幅)を照射した場合に、0.6mm長のマイクロストリップ線路を伝播して検出されたTHz波の時間波形をFig. 5に示す。この波形には伝送線路構造に由来する反射エコーパルスが観測されるが1つめのパルスは半値全幅が約3psecであり、フーリエスペクトル上ではおよそ2THzまでの帯域で観測可能であることがわかった。発生側のバイアス電圧を0~20V、照射平均パワーを0~8mWまで変化させたときに1つ目のパルスのピーク値の大きさは線形に変化させることができた。これらは測定サンプルに応じて最適な 条件に調整することができる。塗布した検体をエタノールや水の浸漬を繰り返して除去して乾燥させることで、このセンサーデバイスを再利用することができる。

3.2 生体関連分子の評価

 生体関連分子としてDNAを用いた実験例を紹介する。Fig.6は作製したデバイスの伝送線路上にDNA検体を塗布し、THz波の伝搬特性の測定を行っている様子である。DNA検体を塗布するにあたっては、Fig. 6のように10μmオーダーの管径をもつガラスキャピラリおよびナノリットルオーダーで制御可能なピペッタを用いている。

図6

図6

図7

図7

 DNA検体としてはvector pcDNA3 5.4kbを0.5μg/μlに調整たものを用い、1回につき12nlとして複数回塗布を繰り返した。そのときの時間波形のピーク位置の変化を表したものがFig.7である。塗布量に応じてパルスピークがシフトしており、DNA検体の複素誘電率を反映していると考えられる。DNAセンサーを考える場合には、1本鎖か2本鎖かを判別することが重要である。そこで、通常用意された2本鎖(ds)DNAと、同じ検体を95℃ 5分で熱変性させ1本鎖(ss)としたDNAでの比較実験を行なった。Fig. 7より、ss-DNAの方がDNA検体量に対するシフト量が大きく、複素誘電率の実部が大きいことがわかる。この結果は、光を用いたDNAセンサーのような蛍光マーカーを用いることなくDNA構造の判別が可能であることを示唆している。今回の測定ではこの判別をおよそ24 nl(3.4 fmolに相当)で行うことができ、市販の光学式DNAセンサーに迫る感度が得られた。このように伝送線路デバイスによるTHzセンサーでは2項で述べたフィルタメンブレンを用いた方法に比べて塗布量に対する感度を大きく向上させることができる。

 さらに同じセンサーデバイスで粉体の分光スペクトル取得を試みた。糖類のサンプルでペレットを作製して通常のTHz-TDSで予め透過スペクトルを求めておき、粉体をガラスプレートで伝送線路部分に押し付けて分子識別を試みた。その例としてマルトース水和物の結果をFig.8に示したが、分光スペクトルのピーク位置はほぼ一致しており、集積センサーチップで物質同定が可能であることを示唆している。このとき用いた検体量は7μgであり、通常の測定でペレット作製で典型的に必要な量10mg(100mgの10%)のおよそ1/1000の量で分析できることがわかった。

図8

図8

4.まとめ

 微量な生体関連分子の溶液を扱ってTHz波で簡便に測定する方法を開発した。フィルタメンブレンを用いて分子を吸着する手法では、塩基類の修飾を受けることによる指紋スペクトルの発現、タンパク質の変性状態による透過率変化を観測することができた。高周波伝送線路を用いたセンサーでは、DNA検体の2本鎖/1本鎖の構造の違いをマーカーフリーで3fmol程度の少ない量で判別できること、糖類粉体サンプルを10μg以下の量で物質同定できることを示した。

 今後は、メンブレンデバイスを用いた生体分子データベースを構築することで、新しい診断手法/装置の検討していきたいと考えている。さらに、このデータベースを利用した高感度の診断装置として高周波伝送線路をベースとした集積センサーチップを高度化していきたい。


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