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中国における医用画像技術産業の発展について

2010年10月 4日

楊国忠

楊国忠(Yang Guozhong):中国生物医学工学会理事
中国医学科学院医学情報研究所、北京協和医学院研究員

1939年7月生まれ。1962年10月、北京外国語学院ドイツ語科大学本科卒業。1962年10月15日より2004年7月31日までの42年間、一貫して中国医学科学院医学情報研究所に勤務。1985年7月~1992年4月、中国医学科学院北京協和医学科技開発公司総経理。1988年8月~1991年7月、中国医学科学院北京協和医学音像出版社社長。2004年8月1日退職。
20世紀70年代初めより、生物医学工学という新興学科の研究と宣伝を開始し、今は亡き著名な医学科学者、学部委員、中国医学科学院院長の黄家駟教授の指導の下で、生物医学工学科を我が国に確立する事業に直接参加。中国の生物医学工学科の初期の開拓者、中国生物医学工学会の創設者の一人。国家科学技術部、中国工程院、中国医学科学院等の多くのテーマ研究事業に参加し、百余万字の訳書・論文を発表。学科設立から今日に至るまで、終始、生物医学工学情報に関わる収集、整理、総合分析研究の業務に従事し、関連の政策決定部門のために大量の背景資料や分析意見など、マクロ戦略的な情報サービスを提供。国家関係部門の「第6次5か年計画」、「第7次5か年計画」、「第8次5か年計画」、「第9次5か年計画」、「第10次5か年計画」、「第11次5か年計画」、「第12次5か年計画」及び、中長期計画の立案または論証業務に直接、間接的に参加し、各関係部門より委託された重要プロジェクトの審査任務を何度も完遂し、国内外の生物医学工学関連分野の発展状況について、かなり全般的な理解と認識を所有。
中国生物医学工学会理事、介入医学工学分会名誉主任委員、デジタル医療及び医療情報化分会特別顧問、北京生物医学工学会監事長、雑誌『世界医療器械』編集委員、雑誌『中国医療器械情報』編集委員、『国際生物医学工学雑誌』編集委員、『中国医院購入指南』編集委員会主任委員を兼任。

 医用画像技術は現代医学科学の発展の重要な技術基盤である。1895年にレントゲンがX線を発見して以来、医用画像技術は飛躍的な発展を遂げ、医学分野において決定的に重要な位置を占めてきた。なぜなら、今日、診断にせよ、治療(例えば、介入療法、立体定位放射線治療、あるいは画像誘導下ロボット支援外科療法など)にせよ、画像技術が中枢的な役割を果たしていないものはないからである。医用画像は情報量がきわめて大きく、病院の情報量全体の80%前後を占めており、したがってそれは現代医学の重要な構成部分であり、病院の投入資金占有率が最も大きい部分でもある。現在、X線、超音波、磁気共鳴、核医学はすでに四大医用画像技術と呼ばれている。

 特に、1971年にイギリスEMI社が世界で初の頭部X線CTを打ち出して以後、医用画像技術には革命的な変化が起こった。その後、コンピュータの画像再構成を中核としたイメージング技術、例えば、磁気共鳴イメージング(MRI)、単光子放射線コンピュータ断層撮影装置(SPECT)、陽電子放射断層撮影装置(PET)などが相次いで開発、応用されてきた。現在、デジタル医用イメージング技術は、マクロ形態学的イメージングから生理・機能・代謝イメージング、組織・器官イメージングから分子・遺伝子イメージングの方向へと発展しつつある。

 医用画像装置は医療器械の中でも、基盤工業の支えに依存した、技術の複雑な、基準の高い、光メカトロニクスのハイテク製品である。1949年、中華人民共和国の建国時、我が国の基盤工業は非常に薄弱で、医療器械はほとんど空白であった。60年来、中国の医療器械産業はまさにこの一窮二白(訳注:一に経済的貧窮、二に文化的な空白)の状態を踏まえ、一歩一歩、無から有へ、少から多へ、小から大へという発展のプロセスを歩んできた。だが、広く知られている理由により、この間、我々は10年に及ぶ貴重な歳月を失い、一方、この歳月はちょうどまた世界の科学技術がすさまじい勢いで発展した、きわめて重要な10年間でもあった。したがって、この60年のうち、前の30年間は基本的に改革開放以前のいわゆる「計画経済」の時代であり、本当の意味で高スピードの発展を遂げ、今日の中国の医療器械産業の新たな様相が形作られたのは、1978年の改革開放以後の30年間のことであった。ある専門家の総括によれば、中国の医療器械産業の発展は、ほぼ30年にわたる模倣、15年にわたる導入・協力、15年にわたる自主設計・統合イノベーションという三つの段階を経てきたというが[1]、もちろん、この三つの段階の具体的モデルは相互に入り混じっている可能性があり、決してはっきりと分かれているわけではない。そして、中国の医用画像技術産業の発展もまたこの変遷過程をまさに体現している。本論文はX線、超音波、磁気共鳴、核医学の四大画像技術を例として、その中国における発展の軌跡を概説するものである。

1. X線画像技術

 周知のように、四大画像技術のうち、歴史が最も古いのはもちろんX線イメージング技術であり、放射線画像技術とも呼ばれる。これまでのところ、臨床医学画像情報の60%は依然としてX線技術によるものであり、その市場売上額は医用画像設備市場全体の三分の一以上を占めている[2]。

 CTの出現によって、X線画像技術はさらに平面透過イメージングと断層撮影イメージングの二つに大きく枝分かれし、互いに独立して発展しつつ、相互に呼応し合ってきた。その後30年間余り、放射線画像技術は常に放射線損傷の低減と新たな臨床的機能の開拓という二つの方面を軸にして発展してきた。

1.1 平面透過イメージング技術

 中国のX線画像技術産業は1950年代の上海で誕生した。1952年、上海精密医療器械廠は我が国初の200mA医療診断用X線装置を開発した。ただし、それに必要な中枢組立部品、例えば、X線管、高圧整流管等はいずれも輸入に頼っており、産業基盤はきわめて薄弱であった。産学官の共同取り組みの結果、1956年、ついに自ら研究開発したX線管と高圧整流管等を使って、医療診断用X線装置の生産が開始され、1961年にはすでに400mA X線装置が開発された。上海のほか、北京も当時はX線装置の重要な生産基地であり、例えば、北京医用射線機廠(現北京万東医療設備公司の前身)が70年代初めに開発した300mA 125kV ツインデュアルチューブ診断用X線装置は、初めて我が国において二重回転陽極管球配置を採用し、その技術及び品質指標は国内のトップレベルにあった。1970年、上海精密医療器械廠は四川省内江市に移転後、名称を西南医療設備廠と改め、7、80年代には上海医療器械廠、北京医用射線機廠とともに三者鼎立の様相を成していた[3]。こうした成功は主に、ひたすら模倣するという開発モデルによって収めたものだと言わなければならない。

 上に述べたように、医療器械工業は技術の高度に集約した、関連する学科の広い一つの総合的産業であり、その国のハイテクの水準を体現し、また基盤工業の総合的実力を反映している。長年にわたり、我が国の医療器械は、基盤工業が弱く、技術水準が低く、人材・資金が不足していたために、ずっと先進国に後れをとってきた。だが、中国の改革開放にともない、人々は組立部品を輸入するだけでなく、外国の企業と直接、協力を展開することができるようになった。そこで、改革開放の最初の十数年間に、中国の生産メーカーは導入・協力によって発展を求めるという道を歩み始めた。

 例えば、1984年8月、上海医療器械廠は日本の東芝からKXD-850 800mA X線装置ユニットのばら部品を導入し、これを組み立てて国内で販売した。1987年、同廠は上海交通大学と協力し、自分たちの遠隔操作800mAテレビ透視X線装置の試作に成功した[3]。

 X線画像技術の発展過程において、画像増強管の出現は一つの重要なポイントであった。それはX線テレビ技術を作り上げ、X線検査を暗室から明るい室内へと移し、医療従事者と患者に対する放射線損傷を大きく減らしただけでなく、臨床応用の範囲を広げ、X線誘導下での手術を可能にした。

 中国は70年代後期には、X線テレビシステムの開発を開始したが、画像増強管、高感度低騒音テレビ撮影システムなど、中枢組立部品の制約を受けていたため、成功しなかった。1983年、上海はヨウ化セシウム(CsI)画像増強管を自主開発したが、規格に合う専用生産設備がなく、手作業による製法技術だけでは製品品質を確保することができなかったため、大量生産体制を形成することは難しかった。1985年末、上海はアメリカVarian社のX線画像増強管の専用生産設備一式を導入し、ようやく産業の技術アップグレードのテンポが速まった。同様に、早くも1972年に、上海は回転陽極X線管の試作も行ったが、おそらくは性能と品質の問題により頓挫してしまった。1984年末になって、上海医療器械第九廠はユーゴスラビアEI社と契約を結び、低速回転陽極X線管の中枢技術を、生産プロセスと設備を含めて導入し、製品合格率を引き上げ、その品質を国際的レベルにまで高めた[3]。

 また例えば、デジタル減算技術は造影検査において血管系統が明瞭に示されるようにし、ひいてはその後の介入治療分野におけるX線イメージングの主導的地位を築いた。北京医用射線機廠は1976年から1980年にかけ、心血管造影、消化管造影、マルチパス断層診断の行える1250mA心血管造影X線装置の開発に成功したが、中核技術と中枢組立部品の面では、自主イノベーションの要素はまだほとんどなかったと言わなければならない。1990年代初め、同廠は日本の島津製作所と協力して、遠隔操作消化管検査装置を開発した。協力を通じて、同廠は島津製作所の多くの設計理念と技術を吸収し、自己ブランドの新しい遠隔操作X線診断装置を開発した。北京万東公司のHFシリーズ消化管検査ベッドにはうっすらと島津の機器の影が見える、という者がいるのも無理はない[3]。

 デジタル撮影技術の出現(CD/RD)は、X線撮影をいっそう簡便に、保存をいっそう容易にし、しかもX線画像の表現レベルを大幅に向上させ、普通のアナログ放射線画像のデジタル化を実現し、それによってネットワーク化、情報化のための基礎を築いた。1980年代、日本富士フィルムは、コンピュータX線撮影(Computed Radiography, CR)と称するデジタルX線撮影システムを他に先んじて発表した。これはそれまで通り、伝統的な増感紙―スクリーンフィルム(Screen-Film)方式によって画像を撮影するため、既存のアナログX線装置を利用して改善を加えればよく、デジタル化に進むための敷居を大いに下げることになった。とはいえ、その操作フローにX線撮影の全面デジタル化を徹底的に実現させることはできず、依然としてX線フィルムを残すことが必要であったし、その性能と画像の質にもなお多少の欠点があった。1990年代後期に出現したデジタル撮影(Digital Radiography, DR)はX線撮影のフィルムレス化を実現したが、その鍵は様々なタイプのフラットパネルディテクター(Flat Panel Detector, FPD)を開発し、撮影、R/F、血管介入、心臓造影などの臨床応用を一つの新しいレベルにまで引き上げたことにあり、また、この種のディテクターを使用したDRシステムも急速に市場に進出するようになった。DR技術の出現は、医用X線撮影技術のさらなる飛躍であったと言うことができる。

 1997年に誕生した珠海友通科技有限公司は、1999年に国内でいち早くフラットパネルディテクターに基づいたデジタル撮影システムDR-2000を開発し、世界の先進企業とほぼ同時に発売を行った。医用画像技術には大きく分けて、イメージング技術と画像処理技術の二つの部分が含まれる。友通公司のDRが輸入製品と比肩し得るのは、ハードウェアの面で採用しているのがアメリカHologic社のDirectRay 1000 アモルファスセレンディテクターであるほか、さらに重要なのは、それが画像処理とシステム管理/制御ソフトウェアの面で優位性を発揮していることであり、それにより世界の新技術を追いかけて最も速く発展を遂げた国内企業の一つの模範例となっている。現在、そのDRとPACS製品はすでにアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなどの先進国や中東、アフリカなどの地域に進出している。同時に、その専門レベルも国際的に認められ、すでにその他のDRメーカーのためにオペレーションソフトウェアソリューション一式を提供するOEMサプライヤーとなっており、例えば、アメリカVarian社、日本東芝、韓国DR-Teckや、ドイツのDR設備メーカーに関連のシステム処理ソフトウェアを提供している[3]。

 ディテクターはDRにおける中枢組立部品であり、その製造技術も当然ながら中核技術である。1990年代に入って以後の中国は、製造業にすでにかなり強固な基盤ができあがり、知的財産権の意識もより強くなっていた。条件の整ったメーカーは技術を導入すると同時に、自主開発を重視するようになった。現在、我が国が生産しているDRは基本的にすべて、まず輸入に頼り、消化吸収を経た上で自主設計、統合イノベーションを行ったものであり、友通公司のほか、例えば北京万東公司のCCD型ディテクターDR製品、北京航天中興公司の低線量ラインスキャンX線撮影システムなどは、いずれもこの例に属している。聞くところによれば、今はまだ輸入に頼っているフラットパネルディテクターも、まもなく自社の開発製品が世に出るという。現在、我が国ではすでに7、80のメーカー、例えば、瀋陽東軟、深圳安科、邁端、江蘇魚躍、普愛などの企業が続々と自社のデジタルX線撮影製品を発表しており、すでに国際市場への進出を開始している企業もある。

1.2 X線断層撮影技術

 断層撮影の方面では、中国におけるCTの曲折に満ちた研究開発プロセスは、とりわけ典型的な一つの例証である。

 周知のように、前世紀70年代のCTの登場によって、放射線診断には革命的な変化が生じ、すでに臨床における主要な診療手段となり、また技術の進歩と製品イノベーションの面で絶えず変化の起きている、数少ないイメージングモデルの一つともなっている。現在では、すでにローエンドの16層CTシステムから、ハイエンドの320層システムへと発展している。中国は大体1975年頃にCTの臨床応用を開始した。

 1979年、旧国家医薬管理総局の手配の下に、上海医療器械研究所が中心となり、中国科学院上海珪酸塩研究所、北京清華大学等の機関と共同で頭部断層スキャン装置(頭部CT)の研究開発を行った。1982年に開発が完成し、XDN-1と名づけられ、上海華山医院での試用に付されたが、当該モデルのCTは合計4台しか生産されなかった。この装置をベースとして、1987年、上海医療器械廠はいわゆる次世代のJD21型頭部CTを開発した。

 1988年、上海医療器械廠と上海核工程研究設計院、北京核儀器廠など9つの機関は、外国の先進技術を消化吸収し、1990年に我が国初の全身用CT装置を作り上げた。このCT完成機の国産化率は75%以上に達していた。残念だったのは、このような成果が出るのに時間のかかる自主開発は、結局、ノックダウン方式の速効性の誘惑には勝てず、開発したJD21・JD31型CTは、1台ずつ製造されたのみで、お蔵入りになってしまったことである。

 実際のところ、1987年にこのプロジェクトが実施される以前に、すでに「市場と技術を交換する」という願望の下に、いわゆる「技貿結合(訳注:ノックダウン加工のこと)」の形でSiemens社との提携がスタートし、数十組分のSOMATOM CR/CRF全身用CT装置のばら部品を導入して組み立てを行い、その年だけでCT 5台を生産・販売し、その後は、毎年10台を組み立てるというスピードで発展していった。この提携の最終的な結末は、Siemens社がこれをもとに中国のCT市場に進出し、数年間の訓練により実践経験を積んでいた技術者を取り込んで、1992年9月、研究開発・生産・販売を一体化した持ち株合弁会社―上海西門子医療器械有限公司を設立したことであった。同公司はSiemens社の唯一の海外CT研究開発センターとなり、一方、上海医療器械廠はその優秀な人材が外資系持ち株会社に流出してしまったため、これ以降、CT技術分野とは二度と縁がなくなってしまった[3]。

 アメリカGE社も同じように中国のCT市場に進出した。1991年、GE社は中国医療衛生器材進出口公司、航天部二院と共同で北京にGE航衛合資公司を設立。そのCTばら部品を導入して、低ランクの全身用CT装置MAX640を組立生産し、多くのプライマリユーザの最初の応用ニーズに応え、それによってたちまち中国市場に参入した。5年間合弁を行った後、GEもこの公司を自分の単独資本会社に変え、さらに中国最大のCT生産基地へと発展させた。現在、その生産量はすでに1000台に達し、GEの世界におけるCT生産量の三分の一を占めている[3]。

 こうした改革開放のプロセスにおけるすべての経緯は人々に、市場を「手土産」として技術の師につき、「市場と技術を交換する」いわゆる技貿結合案など、通用しはしないのだということを思い知らせた。往々にして、「技術が手に入らぬうちに、市場を先に失い」、「人材と市場の両方がふいになる」という結末を迎えるのである。自分の掌握している技術や自主知的財産権がなければ、たとえ合弁経営であろうと、最終的には市場法則にしたがって放り出されてしまうだけである。もちろん、中国について言えば、これは徐々に頭角を現していく苦難に満ちた過程で、どうしても支払わなければならない代償なのかもしれない。なぜなら、自らが技術と知的財産権を持っていなければ、平等な基礎の上に立って誠実な協力を展開し、友好的競争に参加し、共同発展を追求していくことなどできないからである。

 1997年、CTが世に出てから20余年後、中国ではついに瀋陽東軟数字医療系統股份有限公司の開発した初の自主知的財産権を有する汎用CTスキャン装置CT-C2000が市場に出、2000年に輸出が開始され、国際市場に進出していった。さらに同年3月には、自主知的財産権を具えた初のスパイラルCTスキャン装置も開発され、10月には臨床病院において正式に使用が開始された。これ以降、東軟はさらに相次いで多層CTを開発した。2009年7月、最初のNeuViz 16層スパイラルCTがアメリカの顧客に向けて発送されたが、この出来事は中国の多層スパイラルCT市場の空白を埋めただけでなく、東軟の16層CT製品がすでに世界のハイエンド医療市場への進出に成功したことを示している。今や、東軟の医療用CT製品は国内の同ランク製品の中でトップの市場占有率を占め、さらに遠くアメリカ、イタリア、ロシア、中東など、世界各地の300以上の医療機関に販売されている[4]。東軟のほか、深圳安科公司もスパイラルスキャン、多平面再構成、三次元再構成等の機能を具えた全身用スパイラルCT装置を開発している。中国はすでに世界でも数少ない、スパイラルCTが生産できる国の一つとなり、これによって、外国メーカーが中国のスパイラルCT市場を独占する時代も終わりを告げたのである。

2. 超音波画像技術

 超音波画像技術は放射線損傷がなく、何度も繰り返して使用でき、価格も手ごろであることから、臨床病院の心臓内科、消化器内科、泌尿器科、産婦人科疾患のルーチン検査を行う際に最もよく用いられる方法となっている。中国では、通常、その表示の違いにより、それぞれ白黒超音波、カラー超音波と呼ばれている。

2.1 白黒超音波技術

 中国における超音波画像技術の臨床応用はA型超音波診断装置から始まった。1959年、上海が真っ先にA型超音波診断設備の研究開発に成功した。1965年には、武漢無線電研究所が心臓動態状況の観察できるM型超音波診断装置を開発した。

 1970年代中期になって、四川省錦陽の旧電子工業部第730工場がようやくB型超音波診断装置の開発に成功し、当時の国内における空白を埋めた。長年にわたる発展の結果、錦陽索尼克電子有限責任公司、錦陽美科電子設備有限責任公司など、有名な医用超音波製造企業がそこから相次いで派生し、錦陽は我が国の重要な超音波画像設備生産基地へと発展した。今日、錦陽索尼克公司が開発生産した7万台余りの「華西」ブランド超音波診断製品は中国全土に行き渡り、遠く56の国及び地域に販売され、我が国の医療事業の発展と計画出産の国策実施のために貢献している[5]。

 中国の門戸開放にともない、1983年から、アメリカと日本の大量のB型超音波装置が中国市場にどっと流入し始めた。広東汕東超音波儀器研究所、上海医用電子儀器廠なども同じ時期にいくつかのB型超音波診断装置の開発に成功したが、我が国の自製機器は技術性能、画像品質の面でも、信頼性の面でも、外国製品との間にかなり大きな差があり、輸入B型超音波製品の強大な市場競争力には太刀打ちできず、最終的にいずれも持続的な発展を遂げることができなかった。このような不利な局面に対処するために、上海医用電子儀器廠も外国企業と提携し、ばら部品を導入し模倣して組み立てる方式によって、市場でいくばくかの分け前に与ろうと企図した。

 1983年、上海医用電子儀器廠は日本Aloka社のSSD256型B型超音波ばら部品30組を導入して組み立てを行い、1984年に、さらにアメリカADR社の100組にのぼるSDR-4000B超音波ばら部品を導入して組み立て、CX-851型B型超音波装置を開発した。1988年には、さらにAloka社のポータブルB型超音波SSD-210を導入して組み立てを行い、CX700ポータブルB型超音波装置を模造開発した。だが、これらの努力によっても、結局、より多くの市場を獲得することはできなかった。1992年11月、上海医用電子儀器廠も日本Aloka社との合弁会社設立という道を歩み、自社のすべてのB型超音波製品を合弁企業での生産に転換した。この結末もまた惨敗の運命を免れることができず、合弁企業は全部日本の単独資本会社に変わり、合弁時に育成した技術資本もまた、そっくりそのまま相手にお返しすることになった。

 広東汕東超音波儀器研究所が歩んだのは、別の道であった。1986年に同研究所が導入したのは部品ではなく、日本日立のB型超音波技術と生産ラインであり、消化吸収と国産化を経て、自分たちのブランドによって市場に飛び込んだ。この道は長く険しいものではあったが、最終的には市場において、汕東白黒B型超音波の居場所をわずかながらも獲得することができた。2008年、同研究所は外国の少数の企業が独占的にカラー超音波に用いていた、いわゆる四次元超音波専用プローブと専用イメージングソフトウェア技術を開発するとともに、これを白黒超音波に用いることに成功し、購入コストを大幅に減らし、診断の正確性を高める効果を上げ、この新技術の普及と応用を促した[6]。

 無錫海鷹集団公司も、1980年代末から1990年代初めにかけて、我が国のB型超音波産業のリーダー企業であった。1987年、海鷹の初のリニアアレイB型超音波試作機の開発が成功し、臨床使用に投入された。1992年以降、さらに機械的セクタースキャンB型超音波も開発した。1996年、無錫海鷹企業集団の生産していたB型超音波の一部分が、アメリカGEとの合弁になったが、その結末はご多分にもれず、この合弁会社も同様にGEの単独資本企業に変わり、GEの中国におけるB型超音波生産基地、世界の八大超音波研究開発センターの一つとなってしまった。GEが無錫で生産しているLogiQ100/200/400等の白黒B型超音波とLogiQ Bookカラードップラー超音波は、中国市場において巨大なシェアを占めている。2003年になって、無錫海鷹企業集団はようやくまた自社のHY6000型カラードップラー超音波によって市場へ戻り、「海鷹」は翼に大きな痛手を負いつつも、また新たな旅へと飛び立って行った[3]。

 1990年代に、多くの新設の民営企業が続々と超音波の分野に進出し、現在では外資系企業を含め、すでに数十の企業がB型超音波の開発と生産に従事し、中国はすでに世界最大の白黒B型超音波製造基地となっている。

2.2 カラー超音波技術

 カラードップラー超音波技術は1970年代に登場し、1980年代に広く臨床に用いられた。1990年、我が国の深圳安科公司が中国初のカラー超音波を開発した。だが、その後のかなり長い期間、国産カラー超音波は輸入製品の圧力の下でなかなか局面を打開することができなかった。2004年になって、深圳開立科技有限公司は国内初のSSI-1000型ポータブルカラー超音波の開発をベースとして、さらに一連の開発済みの様々なランクのカラー超音波を相次いで市場に送り出した。2009年11月、世界の有名なコンサルティング会社Frost & Sullivanは、開立公司のS8ポータブルカラー超音波装置が栄えある2009年度「欧州製品品質リーダーシップ賞」(Product Quality Leadership Award)を受賞したことを発表した。同公司は品質の面でこの素晴らしい栄誉を受けた、中国で最初の医療器械メーカーであった。Frost & Sullivan社の上級アナリストKrishanu Bhattacharjee氏は、「開立公司は一貫して製品品質を企業の優先順位第一位に置いてきた」、「開立のカラー超音波は、しだいにグローバル医療器械メーカーのレベルに届きつつある」[3]と評価した。

 2001年に監視システムの生産から事業を興した深圳邁端公司は、最初のオールデジタル白黒超音波診断システムによってB型超音波分野に足を踏み入れて以来、そのシリーズ製品がすでに数千軒の病院に採用され、販売量は3年連続第一位となった。また2006年に発売した自社製の最初のエコノミー型オールデジタルカラードップラー超音波診断装置も、その優れたコストパフォーマンスにより国内市場でトップの座を占め、一方、邁端の超音波は後発企業ながら、中国のB型超音波分野におけるトップブランドとなっている。

 邁端公司と同じく、北京天恵華公司が生産するドップラーカラー超音波イメージングシステムは、128列の高感度マルチビームフォーマーから、完成機システムにいたるまで、すべて完全な自主知的財産権を具えている[1]。中国の企業はしだいに、組み立てしかできず技術がないという苦境を脱し、普及型カラー超音波の生産技術を徐々にマスターするとともに、一定の生産規模を形成している。

3. 磁気共鳴画像技術

 1971年にRaymond Damadianの実験により、それぞれの組織の水分含有量に応じたMRシグナルの変化によって、腫瘍と正常な組織の区別ができることが示され、1973年にPaul Lauterburが最初の原始的なNMR像を得て、磁気共鳴画像(MRI)技術を創出して以来、今日までにすでに40年近くの進展を経てきた。最初に現れたMRIシステムには、その磁性体の違いにより3つのタイプ―すなわち、常伝導型、永久磁石型、超伝導型があった。常伝導型磁性体は電力を使って駆動するもので、電力消費量が非常に大きく、永久磁石型磁性体は希土材料(例えば、Nd-Fe-B)自体の磁性を利用して構成されている。この2種類の磁性体の磁場強度はいずれもその固有の原因によって制限を受けている。超伝導型磁性体は、物体の超伝導現象を利用して、磁場強度を大幅に高めることができるが、技術が非常に複雑で、産業化の難度が大きい。

3.1 永久磁石型MRI

 永久磁石型MRIは磁場強度は低いが、その技術性能と画像品質はすでに臨床ルーチン診断の現実的ニーズを満たすことができる。とくに販売価格が安く、運転コストが低く、磁性体のメンテナンスが不要で、必要とするスペースが少ない等の特色は、通常の臨床病院から広く好評を得ており、将来的にきわめて大きな市場を有している。

 中国は1980年代以降にようやく永久磁石型MRI技術の発展に着手した。1982年及び1983年、筆者は幸運にも招きに応じて、当時の中国国家科学技術委員会が相次いで招集した、MRIの事業化可能性と技術案に関する論証事業に参加したことを覚えている。筆者の考えでは、中国はすでにMRIの研究開発を行う基礎的条件を具えており、鍵はCT開発時の経験と教訓を汲み取ることであり、国が統一的に計画し、産学官が緊密に結びつくことが必要であった。技術案の面では、非常に豊かな希土資源を有しているという我が国の優位性を十分発揮し、臨床応用に供することのできる永久磁石型MRIを開発する必要があり、一方、更なる発展のために、経済力・技術力が一定のレベルに達した適当な時期に、超伝導型MRIの開発事業をスタートさせればよかった。その当時出現した主に電力に依存する、いわゆる常伝導型MRIについては、中国の事情に合わないので排除すべきであると思われた。参加していた専門家諸氏は、この件についていずれも共通の認識を持っていた。

 1984年、国家科学委員会と国家計画委員会は3000万元RMBを投資して、中国科学院が株式を支配する中国科健股份有限公司を設立し、MRIの開発と生産に専ら従事した。1986年末、中国科健股份公司はアメリカAnalogic社との合弁により、深圳安科高技術股份有限公司を設立した。1989年末、中国初の0.15T MRI永久磁石型システムが安科公司において製造されたが、当時、MRIの生産能力を持っていたのは世界でもアメリカ、ドイツ、日本の三か国だけであった。このことは、MRIイメージングシステムの研究開発が中国においてゼロからの飛躍を成し遂げ、我が国が今日のような世界の主要なMRI生産基地となるための基礎が築かれたことを示している。1998年、安科公司はさらに中国初の渦電流のない0.2T二本柱式永久磁石型MRIを開発した[3]。

 1998年4月に設立された浙江省寧波市の鑫高益有限公司は民営ハイテク企業として、主にNd-Fe-B永久磁石材料の生産に従事し、日本日立や我が国のその他のメーカーのMRIシステムのために永久磁石型磁性体を提供しているOEMサプライヤーである。1999年から、鑫高益有限公司はMRI完成機の開発に着手した。2001年、最初のOPER-0.2T MRIシステムがユーザー設置を実現し、2002年、0.3T MRIシステムを発売し、2004年4月には、0.35T MRIシステムを開発した。2006年9月、0.4T MRIシステムが臨床病院に採り入れられ、2008年1月にはさらに世界で最初の0.5T永久磁石型MRIシステムを開発した。わずか10年間の発展を経て、鑫高益公司は永久磁石型MRIシステムの中国最大のサプライヤーとなった。2002年、製品が正式に市場に投入されたその年に、中国の開放型MRI市場で10%以上のシェアを獲得した。2004年、販売数は100台を突破し、2005年には国際市場に進出するようになり、製品はインド、ロシア、レバノン、トルコなどの国々に販売された。これまでにすでに累計200台余りのMRIシステムを販売し、国内の同類製品市場におけるシェアは6年連続第一位となっている[3]。

 21世紀初め、何人かの海外で学んだ中国の学生が帰国し、医用MRIイメージングシステムの研究開発に専門に従事する深圳邁迪特(Mindit)公司を立ち上げた。これに対し、政府は強力な支援を与えて、激励を行った。筆者も大いに感心し、また一つの新たな若い力が医用画像技術の研究開発に身を投じたと考え、筆者が科学技術部中小企業イノベーション基金のプロジェクト審査に参加した折には、同公司の申告したMRIプロジェクトに対し通常を超える額の資金支援を行うよう、科学技術部に積極的に提案も行った。これは、当時資金の不足していた邁迪特公司にとり、確実に一つの強力な後押しとなった。だが、それが少しずつ正常な軌道に乗り、徐々に状況が好転しつつあった時、シーメンス医療グループに気に入られ、その子会社―西門子邁迪特(深圳)磁共振有限公司として再編成されてしまった。2004年7月、シーメンスは同公司内に西門子磁共振園を設立し、それはシーメンス医療グループの世界的な三大磁気共鳴開発・生産・営業販売/技術サービス基地の一つとなった。そして、西門子邁迪特(深圳)公司は、シーメンスのグローバル磁気共鳴産業の重要な戦略的構成部分となったのである。

 20年余りにわたる曲折に満ちた発展を経て、中国のMRI画像技術はついに比較的大きな規模を持つ産業となり、0.2T、0.3T、0.35T、0.4T、0.5T等、さまざまな規格の永久磁石型MRI製品を有するようになった。永久磁石型MRIシステムを生産することのできる企業は、深圳安科と鑫高益の他にも、瀋陽東軟、北京万東、深圳貝斯特、河北新奥博為、北京泰傑など、約7、8社ある。現在では、技術性能がすでに外国の同類製品のレベルに達している上、コストパフォーマンスも高いことから、一定の市場競争優位性を具え、すでに国内の50%以上のシェアを占めている。また、世界の多数の国及び地域に大量に輸出されており、例えば0.5T MRI製品は今や、アメリカFDAに承認された磁場強度の最も高い開放式永久磁石型MRI製品である。現在、中国はすでに永久磁石型MRIの世界最大の生産国となっている。

3.2 超伝導型MRI

 超伝導型MRIイメージングシステムは永久磁石型MRIに比べ、臨床診断と医学研究の面で、いっそう重要な応用価値と応用の将来性を有しているが、価格が非常に高く、1台当たりの販売価格は約1,000万元RMB以上である。超伝導型MRIは価格が永久磁石型MRIよりもはるかに高いとはいえ、その市場シェアは依然としてMRI市場総額の70%前後を占めている。これまでのところ、中国国内の1.5T超伝導型MRI市場は相変わらず、西門子邁迪特(深圳)公司のMAGNETOM ESSENZAシステムが主である。

写真1

Echostar Centauri 1.5T 磁気共鳴装置

 この1、2年、中国も超伝導型MRIの開発と生産を開始している。2010年5月、東軟公司が開発・生産した超伝導型MRIイメージングシステムが、河南省開封市中医院で正式に稼動し、臨床使用に投入された[7]。

 超伝導磁性体は超伝導型MRIの中核技術、中枢部品箇所である。現在、中国はすでに1.5T低温超伝導磁性体の開発に成功している。例えば2002年以降に四川省成都に設立された奥泰集団は数年にわたる努力の結果、2009年、自主開発した超伝導体を用いて生産したEchostar Centauri 1.5T 16チャネル超伝導型MRIをついに世に送り出し、16チャネル一体化の高密度マトリックスコイルRFシステムを新たに開拓し、コイルを交換しない状態のままで、より高い時空間解像度の全身画像が得られるようになった[8]。

 また例えば、2008年に設立された南京豊盛超導技術有限公司は、すでに2010年初めに自身が自主知的財産権を有する1.5T超伝導磁性体の産業化試作機の製作に成功し、2011年初め、1.5T超伝導MRI完成機システムの組み立てに成功した。報道によれば、同公司は年間300組の超伝導磁性体を生産できる見込みであるという。それだけでなく、「3.0T磁性体のラインオフ期日も目前に迫っており、7.0T動物用イメージング磁気共鳴システムの設計もすでに大詰めに近づいている」[9]。

 だが、現在用いられている高磁場低温超伝導磁性体は運転時に冷媒として液体ヘリウムを必要とし、液体ヘリウムの消費はシステムの運転コストを増すだけでなく、システムの製造コストを増やし、システムの利用可能な空間を減らし、同時に環境保全にも悪影響を及ぼす。したがって、MRI技術の発展という角度から見ると、今後は高温超伝導材料が人々の関心を集めるホットな研究対象となるであろう。

 このほか、RFコイル技術の方面で、上海美時医療技術公司は高温超伝導RFコイルを開発し、人体画像の解像度と鮮明度を300%以上も高めた。これを低磁場共鳴イメージングシステムに用いると、その鮮明度を高磁場製品のレベルにまで高めることができるが、コストは高磁場装置のわずか1/3であり、開発途上国の公共医療により適している[10]。

4. 核医学画像技術

 現在、放射性核種マーカーの核医学画像技術においてよく使われる設備は、単光子放射型コンピュータ断層撮影装置(SPECT)と陽電子放射型コンピュータ断層撮影装置(PET)である。

 1973年、Phelps Hoffman とTer Pogossian はいち早くPETプロトタイプの研究開発に成功した。1977年には、最初の全身用PETを正式に発表。1985年に、PETのプログラムシステムを初めて作り上げ、高等数学と物理学を用いて多重画像分解を行う方法を発明した。1986年には、初の自己遮蔽・コンピュータ制御の陰イオン型回旋加速器が製造された。1995年、アメリカADAC社の最初のデュアルプローブ単光子放射型断層撮影装置(SPECT)のコインシデンス検出陽電子造影(coincidence detection)のCDが登場し、設備と造影の費用が大幅に削減され、陽電子造影の広範囲な応用の可能性が生まれた。

 マルチモダリティ画像融合技術の発展にともない、画像学はさらに飛躍を遂げ、まったく新しい医用画像学―分子画像学(解剖―機能画像学)が創設されたが、PET/CTはその代表的設備である。1998年、最初の専用PET/CTプロトタイプがアメリカのピッツバーグ大学医学センターに設置された。このマルチモダリティ画像設備は、高解像度の解剖学的構造画像と減衰校正機能を提供すると同時に、臓器機能及び血液灌流等の機能的画像を提示し、システムの画像検査の感度、特異性、正確性を高めた。PET/CTは決して両者の簡単な組み合わせ、画像の重ね合わせなどではなく、基礎医学と医用画像処理技術の研究に基づいて作り上げられたものである[11]。

 中国では最初1986年に、中国科学院高エネルギー物理研究所が我が国初の単一リングPET実験試作機の開発に成功した。1987年、中国原子エネルギー研究院は放射性標識薬剤Na18Fの開発に成功し、さらに18F-FDGを調製した。その後、中国科学院高エネルギー物理研究所と広東威達医療器械集団公司は2リング及び4リングシステム(PET-BO3)の共同開発に成功した。1995年3月、山東万傑医院はアメリカGE社から1台目のPETスキャン装置と小型回旋加速器を導入し、それによって我が国の陽電子造影の臨床応用期がスタートした。2002年8月、山東省立医院はさらにGE社の発表したPET/CTをいち早く導入した[12]。

 PETは分子画像学設備として、その関連する学科は核物理学、ソフトウェア学、高速エレクトロニクス、機械工学、医学、薬学、分子生物学、分子画像学など、さまざまな分野に渉り、1300種余りの物資、数万個の部品(RC部品を含む)によって構成され、技術基準がかなり高い[13]。臨床の面では、PETは特に腫瘍学、神経学、心臓血管等の分野において、疾患の早期診断、病巣定性、手術、放射線計画治療の定位、小病変の診断と鑑別及び、いまだ解明されていない代謝及び受容体疾患の研究にとって重要な価値を有している。だが、我が国について言えば、PETの臨床応用が直面している最大の問題は、その高額の費用であり、患者の検査一回がRMB数千元から一万元にもついてしまう。

写真2

東軟医療PET

 中国の自国製品をできるだけ早く開発するために、以上に述べた外国企業との協力の経験・教訓をしっかりと踏まえたうえで、2005年9月、瀋陽東軟集団股份有限公司はアメリカPositron社との合弁により、PETの生産開発基地として、「瀋陽東軟派斯通医療系統有限公司」を設立。東軟が90%の株式によって絶対的なコントロール権を持つとともに、中国の現地人材をメインとし、アメリカの人材をサブとした国際的PET研究開発団体を組織した。4年間にわたる取り組みを経て、2009年5月、東軟はNSP-P8、MSP-P6Cの二つのモデルを含むTruesightシリーズPET製品の開発と生産に成功し、さらにアメリカFDAの認証を取得した。これにより、東軟はPETを生産し、国際市場に販売することのできる中国で最初の企業となった。現在、東軟のPET完成機部品の国産化率はすでに90%以上に達し、しかも15項目の国際的ならびに国内の技術イノベーションを達成し、製品は世界の同類製品の先進的レベルに達している。腫瘍、神経系統への臨床応用の条件を満たし、心臓病診断の面でとりわけ世界一流のソフト、ハード技術の優位性を具えているだけでなく、特に優れた画像品質、高い信頼性、省電力、体積の小ささといった特徴を有している。最初のPETはすでに同年7月、アメリカ・ニューヨークに輸出されており、これは中国の医用画像技術の発展過程におけるもう一つのゼロからの飛躍である[12]。2010年7月15日、東軟公司はアメリカ市場から一回限りの6台の発注を得たことを発表したが、これは今までに手にした中で最大のPET単一項目契約であり、中国のハイエンド医療設備がすでにアメリカ等のハイエンド市場の顧客に受け入れられ、好評を博すようになったことを示している[14]。

 もちろん、PET/CT技術は今なお急速に発展している最中である。外国で新しく研究されているいわゆる「タイムオブフライト」技術は、PET/CTスキャン技術分野の画期的意味を持つ重要な技術的進歩と言われており、PET/CTの多くの技術パラメータを高めるだけでなく、患者の検査の安全性と正確性を高めることができ、将来のPET/CT技術の主な発展動向になると考えられている。報道によれば、我が国はすでにこの最新世代のPET/CTを導入し、2010年1月17日、北京腫瘤医院において運転が開始された[15]。

結論

 以上の紹介により、中国における医用画像技術産業の60年間にわたる苦難と曲折に満ちた発展過程のあらましを述べた。今日、我が国は中・低ランクの平面透過イメージングの常用X線設備と断層撮影イメージングのCT及び、デジタル白黒超音波、カラー超音波を生産することができるだけでなく、比較的高ランクのMRI及びPET等画像設備の分野にも足を踏み入れ始め、しかも少数ながら世界各地に輸出し、我が国の医療衛生事業の発展を強力に支えている。

 縦の比較からいえば、中国の医療器械産業は確実に目覚ましい進歩を遂げ、発展スピードは世界の注目を集めており、しかも市場規模も拡大しつつある。専門家は、我が国の医用X線装置市場の年間複合成長率は10%前後に上り、2010年までに、我が国の医用X線装置は9億米ドルの市場規模に達し、また新たな医療改革の推進は、我が国の医用X線装置の発展を後押しする主要な力になるだろうと分析している[16]。2008年、我が国の医用画像取得装置の総設置量は25,000台近くに達し、うちCTは総設置量の27%前後を占める約6,800台に上っている。我が国の2級Aランク病院では、CTの設置量はCTの設置量全体の4割を占め、一方、近年、我が国の医用画像設備市場はずっと15%という年平均増加率を保っている[17]。2008年のアメリカ、日本など先進国のMRI普及率は百万人当たり約30台であったが、我が国はたったの1台であった[9]。統計によれば、2010年の我が国におけるMRI市場の年間売上額は約30億元RMBに達し、うち超伝導型MRIはMRI市場総額の70%前後を占めると見られる[20]。別の資料によれば、2011年には世界のPET設置量は4800台前後に達するという。一方、中国のPET設置量は2010年に152台に達するとみられ、年平均複合成長率は36%である。2008年から2010年までに、我が国の医療機関ではPETシステムが38台増えるとみられ、1台1,400万元として計算すると、5億元RMB余りの市場規模に達することになる。関連データの示すところによれば、アメリカの100万人当たりのPET及びPET-CT保有数は5~6台、日本は3台であるのに対し、我が国はたったの0.1台である[18]。これは、中国の医用画像技術製品市場には非常に大きな発展の余地があることを物語っている。

 ある資料によれば、2010年には中国の医療器械総生産高は1,000億元に達し、世界の医療器械市場におけるシェアが5%に達し、2050年には25%にまで上昇するという[19]。中国市場のこの魅力的な発展の将来性によってこそ、多国籍企業は中国の改革開放という情勢の力を借りて、続々と中国に進出し、北京におけるGE、瀋陽におけるPhilips、上海及び深圳におけるSiemens、大連におけるToshibaのように、生産基地を設けてきたのであるが、真の意味の技術開発とハイエンド器械の生産はいまなお、すべて各企業の本部に置かれているようである。したがって、国際化の進む今日、我々は世界と先進国との横の比較にいっそう目を配ることが必要であり、そうしてこそ初めて「中国製造」と「中国創造」の違いと差を知り、危機感を持ち、覚醒した頭脳を保つことができるのである。

 中国医療器械業種協会元副会長、東軟集団国家デジタル医用画像設備工学技術研究センター主任の鄭全録教授の説明によれば、我が国の医用機械分野では、CT市場の80%、超音波機器市場の90%、MRI装置市場の90%、検査機器市場の85%、心電図計市場の90%、中高ランク監視装置市場の80%、高ランク生理機能等記録装置市場の90%は多国籍企業によって独占されているという。例えば、64層以上のCT、1台1,000万元の1.5T以上のMRI、価格が150万元以上の高ランクカラー超音波、1組700数万元の心血管X線装置、腫瘍の治療に用いる直線加速器は、すべて輸入に依存している[18]。

 大都市の入札募集の状況から見ると、我が国の大型ハイエンド医療器械市場では、外資系企業がすでに80%以上を占め、GEの市場占有率は50%~60%に達している。世界中で、GE、Philipsなど三つの企業だけがPETを生産し、絶対の独占的地位を占め、価格決定の面で絶対的なコントロール権を持っており、我が国の市場価格は1台3,500万元にも達し、スキャン検査を1回するだけで1万元RMBもかかってしまう[18]。

 専門家の推計では、現在、ハイテク製品の方面で、中国の医療器械の全体的レベルは外国の先進的レベルと比べて、約15年間の隔たりがあり、技術は依然として立ち後れ、なお核心的競争力に欠け、まだ国際的ブランドを形成していない[18]。例えば、早くも2001年から、GE、Siemens、Philipsはすでに市場において3.0T超伝導型MRIを提供してきた。GEはすでに、7.0TMRI設備を開発中であると発表している[20]。明らかに、中国はこの分野においてまだ同等に論じられることができない。

 さらに例を挙げると、上に述べてきたように、現代の医療器械産業は基盤工業とハイテクノロジーに依拠している。一国のデジタル制御システムを用いた機械設備の使用比率は、その自動化水準をはかる共通指標の一つである。日本野村証券のデータによれば、2010年3月~5月、中国のこの比率は27%に上昇し、過去2年間に比べ多少高くなったが、しかし日本と比較すれば、1980年代のレベルにしか相当しない。現在、日本の工業のデジタル制御の比率はすでに82%という世界のトップレベルに達している[21]。

 中国の経済は確かに発展したが、それは万里の長征の第一歩を踏み出したにすぎない。一人当たりGDPについて言えば、中国は日本の1/10でしかなく、下層社会集団の基本的生活状態を比較の中心基準として見るならば、我々の言うところの「勃興」とは、まだまだ遠くかけ離れている。将来の使命を思えば、任務は重く、道は遥かである。13億の人口を擁する大国として、我々は自身の力に頼って医療衛生事業を発展させていくしかないのである。それゆえ、13億の国民の健康に関わる医療器械産業の方面では、発展の難度がどんなに大きくとも、競争環境がどんなに厳しくとも、歯を食いしばって勢いよく前進するしかなく、後退すれば活路はないのである。したがって、我々は安定した調和のとれた内外環境を早急に必要としており、各国の誠実な友人、特に一衣帯水の日本が我々と協力し、相互信頼・相互補完・相互収益を通じ、ウィンウィンを勝ち取るべく共に努力していくことを期待している。これは実現可能なすばらしい願望であるはずだと思う。

主要参考文献:

  1. 卜绮成“向高科技产业挺进的中国医疗器械工业--中国医疗器械工业六十年回顾” 《中国医疗器械信息》 2010年16卷(1):5-11
  2. 谢宇峰 “X射线成像技术发展介绍” (内部资料)2010年7月8日 
  3. 唐东生 “中国现代医用X线设备产业发展回顾” 《中国医疗器械信息》 2010年16卷(1):12-25
  4. sophia编辑 “东软医疗16层CT获得FDA准入并销往美国” 科讯网信息中心 2009年07月17日
  5. 梁粤平编辑 “绵阳索尼克电子公司与日本沙波株式会社签订购销合同” 科讯网信息中心 2009年12月08日
  6. “汕头超声—中国超声行业先驱者” 《中国医疗器械信息》2009年 15卷(5):54
  7. “首台国产超导磁共振成像系统开机” 《科学时报》2010年05月12日
  8. 刘红霞 “奥泰Echostar Centauri 1.5T磁共振:自主创新 博采众长” 科讯网信息中心 2009年11月05日
  9. 刘红霞 “丰盛超导—中国医疗超导磁共振领域的又一新星” 《世界医疗器械》2010,16(4):42-43
  10. san编辑 “上海研发磁共振成像技术获突破” 科讯网信息中心 2008年09月18日
  11. 吴文凯“分子影像面临的法规和经济学问题” 《世界医疗器械》2010,16(4):64-67
  12. 董学清 “世界最先进的核医学影像诊断设备在山东投入使用” 新华网 2002年8月13日15:59 
  13. yuky “东软PET研制成功并获得美国FDA认证” 科讯网信息中心 2009年05月27日
  14. Sharon编辑 “东软PET机批量出口美国市场--中国高端医疗设备深受国际客户青睐” 科讯网医疗频道 2010年07月15日
  15. 许欣编辑 “北京首台拥有“飞行时间”的PET/CT落户北京肿瘤医院” 科讯网信息中心 2010年01月18日
  16. Sophia编辑 “郭凡礼:我国医疗器械行业发展现状及未来趋势” 科讯网信息中心 2009年11月12日
  17. Sophia编辑 “新医改加大我国基层医疗机构CT产品需求” 科讯网信息中心 2009年10月21日
  18. sharon编辑 “中国医疗器械产业现状:竞争力低 不容乐观” 科讯网医疗频道 2010年07月28日
  19. Sharon编辑 “我国医疗器械行业2010年市场规模及产销量预测” 来源:中国机电数据网2010年05月12日
  20. venti编辑 “磁共振成像设备的技术进展” 科讯网医疗频道 2010年07月12日
  21. 陈新炎 彭芸 “『世界工厂』的『机器革命』” 《南方周末》 2010年7月29日

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