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網膜再生医療研究の動向

2010年12月17日

高橋政代

高橋政代(たかはしまさよ):
理化学研究所 発生再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チームチームリーダー

1961年6月 生まれ
S61年 京都大学医学部卒業
S61年—S62年京都大学付属病院眼科勤務
S63年—H4年京都大学大学院医学研究科博士課程卒業(眼科学)
H4年—H13年京都大学医学部眼科助手(H7年—H8年
H13年—H18年京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授
H18年10月-現職
網膜再生医療研究とともに網膜変性疾患の診療をしている。再生医療研究を進め、臨床応用に近づくにつれ、初期の再生医療の効果がわずかであることを考えると研究とともに患者ケア(ロービジョンケア)が重要であることを感じている。

1.はじめに

 過去には再生しないとかんがえられてきた成体哺乳類の中枢神経においても部位によっては新たな神経細胞が生み出されていることが1990年代に明らかになって以来、新しい神経細胞を生み出す幹細胞という概念を用いて、障害された中枢神経を修復しようとする研究が盛んにおこなわれるようになった。この稿では、中枢神経の一部であり、やはり過去には再生しないとされてきた網膜に焦点をあてる。

2.網膜の構造

 網膜は眼球の奥に位置し、視神経で脳とつながっている。光は透明な角膜、水晶体、硝子体を通過し、透明な網膜も通過して網膜色素上皮層ではねかえされ、すぐ内側(神経網膜の最外層)にならぶ視細胞に受け取られる。視細胞は外節で光を受け取り、光刺激を神経シグナルに変換する特殊な神経(感覚受容器)である。視細胞からのシグナルは内顆粒層に存在する双極細胞を経て、最内層の網膜神経節細胞にうけとられ神経節細胞の軸索の束である視神経を通って脳の外側膝状体でシナプス伝達する。過去に神経軸索の再生研究として視神経の再生は盛んに研究された。しかし、疾患における実際の視神経再生治療では、神経節細胞体を再生した後に軸索を脳までの長い距離を伸ばし、正しくシナプスを形成するという高いハードルがあるためにまだ実際的でない。それに対し、視細胞の再生は2次ニューロンまで数十ミクロンという距離にあり、位置情報も保ちやすい。よって視細胞は神経網膜の再生の中では最もアプローチしやすい細胞と言える。また、視細胞のみが障害され視細胞の再生を必要とする疾患も網膜色素変性をはじめとして数多くある。

3.内在性幹細胞からの網膜神経細胞再生

 魚類や両生類では網膜が障害されると網膜色素上皮や網膜に内在する幹細胞から網膜細胞が再生し、もとどおりに修復されることが知られてきた。鳥類でもミュラーグリア細胞から網膜神経細胞が生み出されることが報告されている(1)が、哺乳類ではこの現象はおこらないと考えられてきた。我々は2001年に網膜を生体内から取り出して器官培養することによって成体のラットでもミュラー細胞から網膜神経細胞が生み出されることを示した(2)。

 網膜が障害されるとミュラー細胞が分裂を開始し、Pax6やChx10、nestinなどのマーカー蛋白を発現するようになり、脱分化して神経前駆細胞のような状態となったと考えられた。分裂したミュラー細胞はその後、本来ミュラー細胞の細胞体が位置する内顆粒層から徐々に他の層へと移動する。特に視細胞が障害されるモデルでは視細胞の存在する外顆粒層へと多数の分裂後の細胞が移動する。そして、その後レチノイン酸などの分化誘導因子を添加すると、一部の細胞は視細胞のマーカー蛋白であるロドプシンやCrxを発現するようになった(2)。つまり、網膜の障害時のミュラー細胞は内在性幹細胞の役割を持ち、分裂増殖したミュラー細胞が移動し、新たな視細胞を生み出す可能性が示されたのである。さらには常に光を浴びて酸化ストレスなどにさらされている視細胞が障害されると、我々の網膜でもわずかには内在性幹細胞からの視細胞再生によって修復しているのではないかという期待を持たせる結果である。

 ただし、視細胞のマーカーを発現する細胞はごく一部であり、とても視機能を回復するには足りないと考えられた。そこで、我々は同じ器官培養に神経幹細胞の分裂を促進するWnt3a蛋白を添加し、神経前駆細胞様に変化したミュラー細胞の分裂を促進できるかどうかを検討したところ、Wnt3aの添加なしと比べて20倍程度増殖細胞が増加することがわかった(3)。前の実験と同様に分化誘導因子によってこれらの一部の細胞はロドプシン陽性細胞となるが、増殖細胞の増加にともないロドプシン陽性細胞も増加した。すなわち、Wnt3aによって視細胞の再生(新生)を促進できるということである。

4.内在性幹細胞による網膜再生の今後

 これらの結果は成体ラット網膜の器官培養での結果であり、同じことがヒトの網膜でもおこるのかどうかは不明である。サルなどを用いて検討する必要があるが、筆者らはヒトでも同様に視細胞は再生されているのではないかと考えている。視覚という生存にも重要な感覚を生み出す視細胞は強い光に弱く変性しやすい。そのような細胞において生れてから一生の間80年近くも同じ細胞を使い続けるということが実際的でないように思うからである。また、臨床的にも網膜手術後など網膜の障害からの視機能の回復は非常にゆっくりで手術後最高視力に達するまでに1年以上もかかる場合も多く、ミクロの世界で視機能再生のために長い時間を要する現象がおこっていることがわかる。我々ヒトの網膜でも視細胞が再生する能力を持っているとすれば内在性幹細胞による再生をWnt蛋白によって促進し、治療として用いることができる可能性がある。

 Wnt3a蛋白によるミュラー細胞の分裂促進作用はWntのカノニカル経路によることが実験で判明している。カノニカル経路の中でGSK3β産生が抑制されてβカテニンが核に移行する必要があるが、このWntの作用は完璧にではないにしろ低分子のGSK3β阻害剤によって置き換えることができる。よって、Wnt3a蛋白あるいは低分子GSK3β阻害剤を眼局所に投与することにより、網膜神経細胞を促すことが考えられる。

 ただし、In vivoでのミュラー細胞増殖効果はin vitroの器官培養より低く、また分裂したミュラー細胞をグリア瘢痕の方向ではなく、網膜神経細胞へと分化誘導する方法の検討が必要である。

5.細胞移植による網膜神経細胞の再生

 前期の内在性幹細胞による網膜神経細胞の再生は我々ヒトの網膜でも起こっているかもしれない。しかし、その修復能力はさほど大きいものではなく、網膜に対する障害が大きい場合は修復しきれないことが予想される。また、炎症性ケモカインの一部は神経細胞への分化誘導を阻止することが知られており、修復のために分裂したミュラー細胞が炎症ケモカインによってグリア瘢痕の方向へと強く誘導されてしまうことも考えられる。その場合には幹/前駆細胞あるいはそこから誘導した神経細胞を外から移植によって補う必要がある。

 過去には網膜神経細胞移植の研究には胎仔網膜細胞が使われていた。成体の網膜細胞は移植しても生存しないので、なるべく若い細胞を移植して宿主網膜内で分化させるという戦略である。しかし、2006年の報告(4)でAliらのグループは、どの時期の細胞が移植に適しているかを細かく検討し、胎仔細胞よりも生後5日目前後の細胞が最も生着率が高いことを示した。マウス網膜では胎生期に神経節細胞、アマクリン細胞、水平細胞、錐体細胞は完成し、出生前後に双極細胞、ミュラー細胞、そして桿体細胞が完成するが、生後5日前後の時期はすでに細胞が最終分裂を終えて視細胞が成熟する直前である。つまり、未熟な細胞を移植するよりも完成間近あるいは完成直後の細胞を移植する方がよいのである。これは網膜など再生が盛んに起こっていない組織では細胞の分化を促す因子があまり産生されていない可能性があり、何より神経細胞はシナプスを形成してシグナル伝達をしていないと生存できないが、未熟な細胞よりも完成に近い神経細胞の方がシナプスを形成しやすいということから十分理解できる結果である。

6.視細胞移植の動向

 1980年代からマウスやラットの胎仔細胞を用いて網膜細胞移植研究がおこなわれていた。しかし、胎児細胞では供給は不足し倫理的問題もある。我々はそれを解決する方法としてES細胞から網膜細胞を分化誘導する方法を開発した(5,6)。それによって、ドナー細胞の質と量は確保することができた。残るは移植細胞のin vivoでの機能の確認である。過去の胎仔細胞を用いた移植では、移植細胞は網膜下(神経網膜と網膜色素上皮の間)でかたまって存在し、外節などの視細胞特有の形態を呈すことなく丸い細胞として存在する報告ばかりであった。しかし、2006年の報告(4)では、移植された視細胞が内節、外節を備えた完璧な形態で宿主網膜の中に生着する像が示された。これらの細胞は突起を双極細胞の方向にのばし、シナプスの膨らみらしい形態、シナプスマーカー蛋白を発現していた。初めて真に移植視細胞が生着し、機能するであろうことを予想させる形態をみることができた。その後、多くの研究室で視細胞移植実験が行われ、最近では、ヒトES細胞由来網膜細胞を移植することによって、網膜変性モデルマウスにおいて網膜機能が回復するという報告もある(7)。ただし、網膜機能の回復に関しては本当に移植細胞による効果かどうかを明らかにする手法をもって、さらに精密に検討する必要がある。

7.宿主網膜の環境

 視細胞移植はある条件下では有効であり、網膜機能の回復にも寄与する可能性が示されている。では、すぐに網膜疾患の治療になるかというと否である。これまでの報告はすべて特殊な網膜変性モデルを使っている。というのは、移植細胞が完璧な視細胞の形態を示して網膜神経回路に組み込まれるためには、周囲に視細胞層が残存している必要があるのである。そこで、数ある視細胞変性モデルマウスの中でも、視細胞の遺伝子異常によって、視細胞自体は存在するものの機能が障害されているマウスが選択されている。しかし、実際の網膜変性、特に最初に視細胞移植の対象となると考えられる網膜色素変性の大部分はこのようなタイプではなく、視細胞が徐々に変性消失してしまうタイプである。視細胞が変性消失する過程にはマイクログリアが強く関わっており、この活性化マイクログリアにより移植細胞も影響されてしまうのである。したがって、今後視細胞移植を治療につなげるためには、網膜変性疾患の宿主環境を詳細に検討し、移植細胞の生存、神経回路への組み込みに適した条件に整える必要がある。ここで問題となるのは、ミュラー細胞による線維性瘢痕、炎症、マイクログリアであろう。

 ただし、治療としては網膜を完璧に修復する必要はなく、視細胞も完全な形でなくとも少しでも光を神経シグナルに変換して双極細胞に伝えてくれればよいのである。網膜変性疾患で光を失おうとしている人たちにとっては、それでも物の形が見えるだけでも十分治療となり、喜んでもらえる。

8.おわりに

 1990年代半ばに神経幹細胞という新しい概念に触れてから、その概念が網膜細胞再生に使えると考え研究を進めてきた。ドナー細胞を確保することに10年近くを費やしたが、2000年半ばになり視細胞移植ということが可能であること、治療になり得るであろうという確信を得ることができた。やはりどのような治療も基礎研究のアイデアから20年近くの年月とその間の他分野の研究の進歩が必要なのであろう。らせん階段を上るように、いきつもどりつしているようでも確実に前進してきたことがわかる。後一息、本当に網膜視細胞移植が治療となる日を見届けたい。

主要参考文献:

  1. Lamba D, Karl M, Reh T.Neural regeneration and cell replacement: a view from the eye. Cell Stem Cell. 2008 Jun 5;2(6):538-49. Review.
  2. Ooto S, Haruta M, Honda Y, Kawasaki H, Sasai Y, Takahashi M. Induction of the differentiation of lentoids from primate embryonic stem cells. Invest Ophthalmol Vis Sci. 2003 Jun;44(6):2689-93.
  3. Osakada F, Ooto S, Akagi T, Mandai M, Akaike A, Takahashi M. Wnt signaling promotes regeneration in the retina of adult mammals.  J Neurosci. 2007 Apr 11;27(15):4210-9.
  4. MacLaren RE, Pearson RA, MacNeil A, Douglas RH, Salt TE, Akimoto M, Swaroop A, Sowden JC, Ali RR. Retinal repair by transplantation of photoreceptor precursors. Nature. 2006 Nov 9;444(7116):203-7.
  5. Ikeda H, Osakada F, Watanabe K, Mizuseki K, Haraguchi T, Miyoshi H, Kamiya D, Honda Y, Sasai N, Yoshimura N, Takahashi M, Sasai Y. Generation of Rx+/Pax6+ neural retinal precursors from embryonic stem cells. Proc Natl Acad Sci U S A. 2005 Aug 9;102(32):11331-6.
  6. Osakada F, Ikeda H, Mandai M, Wataya T, Watanabe K, Yoshimura N, Akaike A, Sasai Y, Takahashi M. Toward the generation of rod and cone photoreceptors from mouse, monkey and human embryonic stem cells. Nat Biotechnol. 2008 Feb;26(2):215-24
  7. Lamba DA, Gust J, Reh TA. Transplantation of human embryonic stem cell-derived photoreceptors restores some visual function in Crx-deficient mice. Cell Stem Cell. 2009 Jan 9;4(1):73-9.

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