和牛の遺伝性疾患と遺伝子診断法の確立
2011年 2月28日
国枝 哲夫(くにえだ てつお):
岡山大学大学院自然科学研究科教授
1955年 3月生まれ。1981年東京大学農学部卒業。農学博士。財団法人動物繁殖研究所研究員、岡山大学農学部助教授を経て2000年より現職。ここに紹介した産業動物の遺伝性疾患に関わる研究とともに、マウス、ラット等をモデル動物として用いたほ乳類の配偶子形成に関わる分子機構の解明に関する研究に取り組んでいる。和牛知的財産取得・活用推進協議会共同研究推進委員長、優良後継牛確保体制整備支援事業に関わる肉用牛遺伝性疾患専門委員会委員等の農林水産省関連の委員会を通して、和牛の育種事業にも関わっている。
1.和牛は我が国の貴重な遺伝資源
黒毛和種牛を中心とする和牛は、脂肪交雑(霜降り肉)に代表される優れた肉質により、国内市場だけでなく国際的にも”Wagyu”の名前で高級食材として高い評価を受け、国際競争力のある我が国固有の農畜産物としても注目されている。このような優れた形質を持つ和牛は、明治以降に、それまで主に農耕および輸送用として飼育されていた日本の在来牛にいくつかの外国の肉用牛の品種を交配した後に肉質を中心にした選抜育種により確立されている。これらの選抜育種は、生産者や国、地方公共団体の関係者が長い年月をかけて実施されたものであり、したがって和牛は我が国が生み出した世界に誇れる貴重な食料遺伝資源であるということができる。
2.家畜の育種と遺伝性疾患
ところで、家畜の育種においては、肉質などの優れた生産形質を選抜することが重要であることは言うまでもないが、一方で生産上の不利な形質を除去することも重要な課題である。すなわち、家畜の生産集団中に存在する遺伝性疾患や繁殖障害などの生産上不利となる形質引き起こす遺伝的要因を、集団中から除去することで、生産集団の遺伝的能力を向上させることが家畜の生産性向上のためには必要と考えられる[1]。特に特定の遺伝子の突然変異に起因する遺伝性疾患は家畜生産上多くの損失を与える可能性があるため、その原因の除去は家畜の生産にとって重要な課題である。これまでにも、乳牛の白血球粘着不全症(BLAD)や[2]、ブタのストレス症候群(PSS)[3]等、集団中にかなり広範に疾患の遺伝子が拡散し、多大な被害を与えた家畜の遺伝性疾患が知られているが、和牛においても遺伝性疾患の発生が報告され、これらのうちいくつかは和牛の生産上も深刻な影響を与えている。表1に近年我が国で報告されている牛の遺伝性疾患の一覧を示した。もちろん、遺伝性疾患の発生は和牛以外の品種でもこれまでに数多く報告されており、和牛において遺伝性疾患の発生が他品種と比べて特に多いというわけではない。
疾患 | 臨床症状 | 品種 | 遺伝子 |
血液凝固第XIII因子欠乏症 | 臍帯出血、血腫、止血不良 | 黒毛和種 | F13 |
バンド3欠損症 | 溶血性貧血 | 黒毛和種 | EPB3 |
モリブデン補酵素欠損症 | 腎不全 | 黒毛和種 | MCSU |
チェディアック・ヒガシ症候群 | 出血傾向、淡色化 | 黒毛和種 | LYST |
尿細管形成不全症(CL16欠損症) | 腎不全、過長蹄 | 黒毛和種 | CL16/PCLN1 |
軟骨異形成性矮小体躯症 | 四肢短小、関節異常 | 褐毛和種 | LIMBIN |
眼球形成異常症 | 小眼球、眼球形成異常 | 黒毛和種 | WFDC1 |
血液凝固第XI因子欠乏症 | 血液凝固遅延 | 黒毛和種 | F11 |
血友病A(第VIII因子欠乏症) | 血腫、止血不良 | 褐毛和種 | F8 |
前肢体筋異常 | 肩部外貌異常、振戦 | 黒毛和種 | ? |
下顎短小・腎低形成症 | 腎形成異常、新生児死 | 黒毛和種 | ? |
これらのうち尿細管形成不全症(クローディン16欠損症)はPCLN1/CL16遺伝子の欠損によって引き起こされる、腎不全による成長不良を主な症状とする遺伝性疾患であり[4、5]、非常に能力の高い種雄牛がこの疾患の遺伝子を持つキャリアであったためにこの疾患の遺伝子は和牛の集団中に広く拡散し、多くの発症個体が出現し、多くの経済的被害を与えた疾患として知られている。そのほかにも、新生仔の溶血性貧血を呈するバンド3欠損症[6]や、血液凝固第XIII因子欠乏症、また褐毛和種の軟骨異形成性矮小体躯症[7]などがこれまでに、和牛の生産に大きな影響をおよぼしている。一方、血液凝固第XI因子欠乏症は、血液凝固の遅延を引き起こすものの顕著な出血傾向は示さない[8]。
これらの遺伝性疾患の多くは常染色体劣性の遺伝様式をとる。一般には常染色体劣性の遺伝性疾患の発症個体が現れた時には、その集団の中にはかなりの数のキャリア個体、すなわち外見上は正常であるが疾患の遺伝子を保有している個体、が蔓延していると考えられるため、キャリア個体を効率良く同定しない限り、集団よりの原因遺伝子の効率的除去や発生の予防は非常に困難である。従来は、子供にホモの発症個体が出現した時に初めて、その両親がキャリアであることが判明していたが、近年では、多くの遺伝性疾患では、その原因となる遺伝子とその遺伝子上の変異が同定され、キャリア個体を同定する遺伝子診断法が可能となっている。
3.疾患原因遺伝子同定のための解析方法
遺伝性疾患では、その原因となる突然変異を同定することで、直接この突然変異を検出することにより、各個体が突然変異を持っているかどうか、すなわちキャリアであるかどうかが判別できることになる。これが遺伝子診断(あるいは遺伝子型検査)であり、したがって、遺伝子診断法を確立するためには、まず疾患の原因となる遺伝子の突然変異を明らかにする必要がある。
図1 チェディアック・ヒガシ症候群
(左)本疾患を発症した仔牛は銀灰色の毛色を呈し、軽度の止血不良を呈する。
(右)発症個体の好酸球の再部内には異常顆粒が認められる。[文献9]
遺伝性疾患の病因遺伝子を同定するには、機能的な解析方法と遺伝的な解析方法の2つの方法がある。機能的な解析方法は、疾患の病態の解析から原因となる遺伝子を予測し、変異を同定する方法である。たとえばチェディアック・ヒガシ症候群(CHS)という、体色の淡色化と出血傾向を示す遺伝子性疾患では、病理的な検査の結果、図1に示すように白血球などの全身の細胞内に特徴的な異常顆粒が出現することが明らかとなった[9]。このような、体色の淡色化、止血不全、異常顆粒の出現等の本疾患の病態は、ヒトの遺伝性疾患であるチェディアック・ヒガシ症候群ときわめて類似していることから、同一の遺伝子の異常により生じている可能性が示唆された。ヒトのCHSではLYSTという細胞内の物質輸送に関わる遺伝子の突然変異が原因であることが明らかとなっているため、ウシにおいてもLYST遺伝子を調べたところ、発症個体のLYST遺伝子には、正常個体と比べて1つの塩基がGからAへ変化し、タンパク質では2015番目のアミノ酸がヒスチジンからアルギニンへの変化を引き起こすミスセンス変異が存在することがわかり(図2)、これが疾患の原因となる突然変異であることが明らかとされた[10]。
図2 チェデアックヒガシ症候群(CHS)における突然変異と遺伝子診断法
(A)本疾患ではLYST遺伝子の6044番目の塩基がAからGに置換することで、2015番目のアミノ酸がヒスチジンからアルギニンに変化するミスセンス変異を生じている。このヒスチジンは多くの動物のLYST遺伝子で保存されていることから、本タンパク質の機能にとって重要なアミノ酸残基であると考えられている。
(B)LYST遺伝子における塩基置換は制限酵素FokIの認識部位にあることから、この部位を含む範囲をPCR法で増幅しFokIで消化すると、正常型の遺伝子では切断された2本の断片となるが、変異型ではFokI認識部位が消失するため、PCR断片は切断されない。
(C)この断片の長さの違いを電気泳動法により検出すると、写真のように正常個体(N)では切断された短い2本の断片が、発症個体(A)では切断されない長い1本の断片が、キャリア(C)では両方の3本の断片が検出される。
一方、遺伝学的な方法は、機能的な解析から疾患の原因遺伝子が特定されない場合に、疾患を持つ家系の解析から病因遺伝子の染色体上での位置を特定し、そこから病因遺伝子を同定する方法である。ウシは性染色体を含めて30対60本の染色体を持っている。親から仔への遺伝子の伝達に際しては、同じ染色体上に存在する遺伝子が一組のセットとなって、より正確には染色体の間で組換えが起こるため、同一染色体上でも近接した範囲だけがセットとなって伝達する。したがって、遺伝性疾患では原因遺伝子と染色体で近接した遺伝子は、病因遺伝子とともに親から仔へ伝わることになる。そこで色体上の位置がすでに明らかとさている遺伝子の親から仔への伝達と、病因遺伝子の親から仔への伝達を比べた時に一致するものがあれば、病因遺伝子はこの遺伝子と染色体上で近くに存在すると推測される。現在では、ウシの各染色体に多数の遺伝子が位置づけられているため、これらを用いることにより、病因遺伝子の染色体の位置を明らかとすることが可能となる。これを染色体マッピングという。例えば眼球形成異常症(MOD)と呼ばれる、眼球の形態形成の異常により、小眼球、盲目を呈する疾患[11](図3)では、キャリアである種雄牛の仔で約30個体の発症牛について調べたところ、原因遺伝子はウシ第18染色体の約1Mbの領域に存在することが明らかとなった[12]。
図3 眼球形成異常症
(左)発症個体では、肉眼上顕著な眼球の形成異常が認められる。眼窩は脂肪組織等で充満し、その中に通常の半分以下の眼球が存在する。完全に盲目であるが、眼球以外には顕著な異常は認められない。
(右)発症個体の眼球では、水晶体等の構造が明確には認められず、網膜も剥離している。また、特徴的な索状構造が眼球の中央部に認められる。[文献11]
すでにウシのゲノムDNAのうちの大部分の塩基配列が明らかにされていることから、原因遺伝子の染色体上位置が明らかとされた後は、ウシ第18染色体の当該領域に、どのような遺伝子があるかをウシゲノム配列のデータベースより明らかにすることができる。すると、この領域にはWFDC1という眼球形成に関与する可能性ある遺伝子が存在することがわかり、発症個体においてこのWFDC1遺伝子を調べたところ、基配列に一箇所の違いが認められた。図4に示すように、発症個体では本遺伝子の第2エキソンにCが一つ挿入され、その結果タンパク質のアミノ酸配列が全く異なったものとなっていることから、これが眼球形成異常症の原因となる突然変異であることが明らかとなった[13]。このような塩基の挿入あるいは欠失による突然変異はフレームシフト変異といわれ、前述の塩基置換とともに遺伝性疾患ではよく見られる変異である。
図4 眼球形成異常症(MOD)における突然変異
眼球形成異常症はウシの第18染色体上に存在するWFDC1遺伝子における突然変異に起因している。WFDC1遺伝子の第2エキソンにCの一塩基が挿入され、その結果、それより下流のアミノ酸への読み枠がずれることでアミノ酸配列は全く異なったものとなり、このタンパク質の機能は完全に失われていると考えられている。
4.遺伝子診断法の確立
以上のようにして、遺伝性疾患の原因となる遺伝子が明らかとなり、さらにその遺伝子上に存在する変異が同定されたなら、次に行うことは遺伝子診断(遺伝子型検査)法の確立である。すなわち、遺伝性疾患の原因となる変異を直接検出することにより、ある個体がキャリアであるかどうかは正確に判定できる。例えば、CHSでは、前述のようにLYST遺伝子におけるAからGへ1塩基置換が原因であることから、この塩基置換を正確に判別できれば遺伝子診断は可能となる。一般にこのような塩基置換はPCR-RFLP法という方法により検出されることが多い。すなわち塩基置換を含む領域の配列をPCR法で増幅の後、増幅されたDNA断片を適当な制限酵素を用いて切断することで、塩基配列の違いをDNA断片の長さの違いとして検出する方法である。CHSでは図2のようにCATCCという制限酵素FokIの認識配列に塩基置換が生じている。したがって、正常固体ではDNA断片はFokIにより切断されて短い2本の断片に分けられるが、発症個体では突然変異により認識配列が消失しているため、切断されず長い断片のままである。また、キャリアは長い断片と、短い2本の断片の3種類のDNA断片存在することになる。このようなPCR-RFLP法は遺伝病の遺伝子診断法として最も一般的に行われている方法であり、バンド3欠損症、第XIII因子欠乏症、眼球形成異常症の遺伝子診断でもそれぞれの塩基置換部位に対応した制限酵素を用いた方法が採用されている。
5.和牛の遺伝性疾患に対する対応
以上のように、これまでの我々あるいは他の研究グループの取り組みにより、和牛の多くの遺伝性疾患で遺伝子診断法が確立され、キャリア個体の同定が可能となった。このような遺伝子診断法は、実際に和牛の生産および育種に以下の2点で貢献している。一つは、当然遺伝性疾患の発生を直接に予防することである。現在では主な遺伝子疾患については、(社)家畜改良事業団において遺伝子検査が実施され、全国の種雄牛についてはどの個体がキャリアであるかが公開されている。したがって、キャリア個体同士の交配を避けることで、発症個体の出現を予防することが可能となっている。すなわち、発症個体の出現を予防するということに限れば、雌の遺伝子型に関係なく、交配相手にキャリアでない種雄牛を用いることにより、発症個体の出現を防ぐことは可能となる。一方、和牛の集団を遺伝的に改良し、より優れたものとしていくという育種の観点からも貢献している。前述のように、家畜の育種においては、優れた生産形質を選抜するともに生産上の不利な形質を除去することが重要である。したがって、育種という観点に立てば、遺伝疾患の病因遺伝子は速やかに和牛の集団より除去されることが必要である。キャリアが交配に用いられている限り、たとえ発症個体は出現しなくても、集団の中での遺伝子頻度の大幅な減少は見込めない。このような状況が続く限り、和牛の生産は常に遺伝性疾患発生の一定のリスクを背負うことになる。過去には、遺伝性疾患の遺伝子を集団中よりのぞくためにかなり大規模な淘汰も行われたようであるが、遺伝子診断によるキャリアの同定が可能となった現在は、キャリアの種雄牛を次世代の生産に用いない等の交配のコントロールにより、集団中の病因遺伝子の遺伝子頻度を効果的に減少させることも可能となっている。
以上のように、和牛においてはこれまでに遺伝性疾患の発生が報告されてきたが、その多くでは原因遺伝子が同定され、遺伝子診断法が確立されることで疾患の発生はほぼ完全に予防可能となり、集団中の遺伝子頻度も大きく減少している。このように家畜の集団中に発生した遺伝性疾患についてその原因遺伝子を同定することは、疾患の発生を予防するとともに家畜の生産に負の影響を与える遺伝的要因を集団から除去することで、家畜生産性の向上のための集団の遺伝的な改良に大きく貢献するものと考えられる。なお、本稿では遺伝性疾患の遺伝子診断法に限って紹介したが、現在、和牛では脂肪交雑、脂肪酸組成等の和牛特有の肉質に関連する遺伝子もいくつか同定され遺伝子検査も実施されている。それらは遺伝性疾患における原因遺伝子の同定と遺伝子診断法の確立と同様の方法で実施され、やはり和牛の育種改良に大きく貢献している。
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