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中国の大気汚染と肺がんの関係に関する疫学研究の歴史

2012年 4月 23日

林 峰

闞 海東(Kan Haidong):
復旦大学公衆衛生学院 公衆衛生安全教育部 重点実験室 教授、博士課程指導教員

1992年9月~1997年7月、上海医科大学公衆衛生学院予防医学専攻(学士)。1997年9月~2000年7月、復旦大学公衆衛生学院環境衛生学専攻(修士)。2000年9月~2003年7月、復 旦大学公衆衛生学院環境衛生学専攻(博士)。Environmental Health Perspectives誌のエリア主編、国家環境・健康専門家コンサルティング委員会委員。米国の中華医学基金会( CMB)で優秀教授賞、アメリカ胸部疾患学会 (ATS) David Bates賞、教育部新世紀優秀人材、上海市科学技術進歩2等賞(うち序列第1位)等を受賞。主な研究対象は、大 気汚染及び気候変動による住民の健康に対する影響及び機序。

共著者:陳仁傑、張金良

 1970年代以降、中国の肺がんは明らかな増加傾向を呈し、今では多くの地域(特に都市部)住民の主な死因の一つとなっている。これまでに3回実施された中国の全死因遡及的調査(1973~1975年、1 990~1992年、2004~2005年)のデータによれば、肺がん死亡率は1970年代の7.17/10万(都市住民は12.61/10万)から1990年代初頭には15.19/10万に、2 006年には30.84/10万と上昇を止められず、肝臓がんに代わり中国の悪性腫瘍による死因のトップとなった。都市部の肺がん発生率及び死亡率は農村をはるかに上回った。

 ここ20年余り、多くの疫学研究により、大気汚染とヒトの肺がん発生/死亡率の増加には有意な関係があることが証明されている。米 国がん学会が1982~1998年に50万人もを対象に実施したコホート研究によれば、微小粒子(PM2.5)の年平均濃度が10μg/m3増加するごとにヒトの肺がん死亡率は8%(RR=1.08,9 5%CI:1.01~1.16)上昇した。しかし、海外に比べ中国では、大気汚染と肺がんとの関係について厳密にデザインされた疫学研究がほとんど見られず、研 究の大部分は大気汚染物質と肺がんの発生/死亡率について相関/回帰分析または単純な比較分析を行っているに過ぎない。本稿では、中国の大気汚染と肺がんの関係に関する疫学研究を系統的に回顧し、今 後の更なる研究に向け若干の根拠を提供する。

1 中国の大気汚染レベル

 中国は世界でも大気汚染の最も深刻な国の一つである。環境保護の専門家たちの努力により、この30年間で中国では、主な大気汚染物質の濃度は窒素酸化物(NOX)を除き明らかに減少した。2 008年における中国各地の省都31都市における呼吸域粉塵(PM10)及び二酸化硫黄(SO2)の平均レベルは、2001年に比べそれぞれ19.46%及び20.73%減少したが、二 酸化窒素(NO2)レベルは1.32%しか減少せず、やや増加した年さえあった。図1は環境保護重点都市113ヶ所における2008年の平均汚染レベルと中国の国家標準、WHOの基準、米 国の国家基準との比較である。図によれば、都市の空気品質はこの時点では中国の環境空気品質2級標準を基本的に満たしているが、国際基準と比べれば、特にPM10に大きな差があることが分かる。

図1

図1 中国の大気汚染レベルと国家/国際標準との比較
グラフ縦軸:年平均濃度(µg/㎥)
グラフ横軸:全国平均(2008年)、中国の環境空気品質2級標準、
WHO空気品質ガイドライン値、米国の環境空気品質基準

2 さまざまな大気汚染物質と肺がんとの関係

 2.1 総合的な大気汚染

 中国では現在、大気汚染と肺がんとの関係に関する研究のかなりの部分は具体的な汚染物質を対象とせず、全体的な汚染レベルに基づき、各地域を汚染地域と非汚染地域に分けて研究を行っている。大 気汚染と肺がんの発生リスクに関する定量分析は非常に少ない。瀋陽、鞍山における10年研究(1980~1989年)によれば、喫煙エリアのある都市住民の肺がん発生リスクは非汚染地域に比べて30%増加し、冶 金等の重工業工場や炭鉱付近の住民のOR値は居住年数の長さに比例して上昇した。遼寧省の複数の都市の大気汚染と住民の健康に関する横断的研究の結果、汚 染地域と非汚染地域を比べると肺がん発生のOR値は1.0~1.5の間にあることがわかった。一方、瀋陽での別の研究では、肺がんは汚染の深刻化と比例して増加傾向にあることがわかったが、症例数が少なく、統 計的有意性を見出すまでに至っていない。広州市、成都市、南寧市、上海市の研究結果でも、大気汚染の深刻な地域ほど肺がん死亡率が高いことが分かったが、統計的有意性に関する検証はまだ行われていない。

 また、一部の研究では大気品質指数と肺がんの発生/死亡率との相関関係を推算している。青島市の研究によれば、1981~1988年の大気汚染総合指数(すなわち、SO2、浮遊粉じん、降下ばいじん、N OX、COの分数指数平均値)と4年後、すなわち1985~1992年の肺がん発生率及び死亡率は顕著な相関を示しており、相関係数(r)はそれぞれ0.976及び0.970にも達した。別の研究によれば、青 島市における1980~1984年の大気品質指数(SO2、NOX、TSP、降下ばいじん)は5年後の肺がん死亡率と顕著な相関を示した(r=0.852)。西安市、銅川市、宝鶏市等の研究でも、大 気汚染総合指数(SO2、NOX、浮遊粉じん、B[a]P的分数指数平均値)と肺がん発生率は有意な正相関を示した(r=0.972)。厳密に言えば、肺がんの影響因子は不確定な灰色システムである。灰色分析( Grey relation analysis)を運用した結果、杭州市の大気品質指数とタイムラグ4年後の肺がん死亡率との相関性が最も強かった(r=0.980)。エ アロゾルはさまざまな大気汚染物質と関連性がある。1954~2005年の広州市の地表でのスモッグに対するモニタリングデータを分析した結果、タイムラグを7年とした場合、エ アロゾル消散係数と肺がん死亡率のrは0.970であった。

 2.2 粒子状物質

 大気粒子状物質(PM)の発生源は複雑だが、中国の最も重要な大気汚染物質である。粒子径が小さいほど、健康リスクに対する効果は顕著である。中国では2000年6月以降、P M10(すなわち空気動力学径が10μmより小さい粒子状物質)が浮遊粒子状物質総量(TSP)に代わり大気中の法定モニタリング物質となった。1 985~1990年における重慶市中心部の大気汚染モニタリングデータ及び1988~1990年の肺がん死亡率について段階的回帰分析を行った結果、TSP、SO2、NOXの3つの変量のうち、T SPだけが肺がん死亡率の増加と有意な相関を示し、郊外の4つのモニタリングポイントに比べ、市中心部住民の肺がん死亡率はRR=5.6であった。青島市の研究でも、こ れら市街地と郊外との間には有意な差があった。さらに、他のいくつかの研究では存在しうる相関性について分析を行った。1 984~1993年における福州市市街地のTSP年平均濃度と肺がん死亡率のrは0.603(P<0.05)であった。1 990~1992年における合肥市の肺がん死亡率と1985~1992年における大気汚染物質レベルのrは0.938(P<0.01)に達した。大気汚染物質相互間には往々にして強い関係性があり、リ ッジ回帰モデルを運用した結果、1980~1991年における徐州市の大気汚染物質中のTSPと肺がん死亡率との相関関係が最も強いことがわかった。天津市の灰色分析の結果、1 984~1988年の大気中のTSPの年平均濃度は、タイムラグ12年後の肺がん発生率との時系列での相関が最も大きかった。厦門市の毎年の肺がん標準化罹患比(SMR)と 大気汚染データを重複測定データと見なし、かつ、一般化推定方程式に基づきシミュレーションした結果、TSPによる有意な作用が見出された。

 2.3 二酸化硫黄

 大気中の二酸化硫黄(SO2)は、主に化石燃料燃焼による汚染に由来し、粒子状物質とは別の主な大気汚染物質であり、補助的発がん性物質でもある。1976~1981年に計測した、撫 順市のモニタリングポイント12ヶ所におけるSO2濃度及び同市内の街道(コミュニティ)における1987年の肺がん標準化罹患比のrは0.858で統計的有意性があり、S O2と肺がん発生との間には相関関係があるだろうことを示している。灰色分析による天津市の相関研究によれば、1996~2000年の肺がん発生率は13年前の大気中のSO2年平均濃度との関連性が最も強い。厦 門市の一般化推定方程式に基づくシミュレーション研究によれば、SO2と肺がん発生率は有意に関係し、かつ、関係性はTSPより大きい。別の研究では、1 978~1989年に山東省の13都市の肺がん死亡データと例年の大気汚染モニタリングデータを分析したところ、大気汚染物質のうちSO2だけが段階的重回帰分析に帰すことができ、肺 がん死亡率とのrは0.823で、統計的有意性があった。合肥市で行われた分析でも、大気汚染物質のうちSO2だけが回帰分析に帰すことができ、かつ、肺 がん死亡率とのrは0.938(P<0.01)にも達した。ウルムチ市の住民を対象に1979~1992年に行われた肺がん死亡率の分析によれば、SO2は段階的重回帰分析にも帰すことができ、r =0.715(P<0.05)であった。広州市及び浙江省海寧市のいずれでも、肺がんの標準化死亡比とSO2は顕著な相関関係を示した。E viewsソフトウェアに1982~2006年における北京市内の大気汚染データと住民の肺がん死亡データの分布ラグモデルをフィッティングさせたところ、S O2レベルはタイムラグ7年後の肺がん死亡率との相関関係が最も強かった。SO2は大気中に排出された後、一連の化学反応を経て硫酸塩を生成し得る。北 京市の1980~1992年における硫酸塩濃度(SO2-4)と1992年の肺がん死亡率について相関性分析を行ったところ、男性のrは0.620で統計的有意性はなかったが、女 性ではrは0.800(P<0.05)にも達した。

 2.4 窒素酸化物

 さまざまな鉱物燃料の燃焼、特に自動車の排気ガスは大気中の窒素酸化物(NOx)の重要な源である。中国では2000年6月以降、N OX中毒性の比較的高い二酸化窒素(NO2)を大気中の法定モニタリング物質に定めている。研究者たちは地理情報システム(GIS)の空間予測機能を利用し、江 蘇省における肺がん由来の死亡と大気汚染の空間地理分布図との相関性を分析した結果、大気汚染物質のうち、NOx濃度と肺がんの標準化死亡比との相関性にのみ統計的有意性(P<0.01)があり、r は0.454であった。陝西省西安市等の研究でも、NOX濃度と肺がんの標準化死亡比の間には有意な正の相関関係があり(r=0.611)、肺がん発生の主要因子の一つであることを示した。江 蘇省徐州市で1980~1991年に行われたリッジ回帰分析でも、住民の肺がん死亡率と大気中のNOXには有意な正の相関関係があることが示されたが、相関性はTSPより弱かった。このほか、ウ ルムチ市の研究においても、NOXと肺がん死亡率との相関性はさまざまな汚染物質の中で最も強い(r=0.921)ことが示されたが、そ の後の多因子分析及び段階的重回帰分析のいずれでもモデルに当てはまらなかったことから、NOXは他の汚染物質と比較的強い相互作用があるかもしれない。研究者たちは灰色分析の結果、ウ ルムチ市の肺がん死亡率とNOXの関係が最も近いことを見出した。武漢市における灰色分析も、NOXは肺がんの損失生存年数との関連性が最も強いことを示した。

 2.5 多環芳香族炭化水素

 ベンゾ(a)ピレン[B(a)P]は、多環芳香族炭化水素類化合物(PAHs)のうち発がん性が最も強く、粒子状物質の発がん毒性の主な成分の一つと考えられている。研究に基づけば、1 985~1989年の山東省済南市、青島市、淄博市の3市における肺がん死亡率と大気中のB(a)P含有量の変化傾向は基本的に平行であったことから、両者には一定の相関関係があるかもしれない。別の研究では、長 沙市の市街地について、郊外を対照群として1976~1979年の大気汚染レベルと肺がん死亡率の関係を比較したところ、B(a)P濃度だけが肺がん死亡率との間に有意な相関関係(r=0.900)を示した。遼 寧省撫順市や陝西省西安市等の研究でも、大気中B(a)P濃度は肺がん死亡率と有意な関係を示し、相関係数はそれぞれ0.685及び0.738であった。研究者たちはEuler大気伝播モデルを用い、中 国の地表レベルの多環芳香族炭化水素濃度レベルを推算し、さらにヒトの暴露レベル、呼吸率及び感受性等の因子を調整した結果、多環芳香族炭化水素の吸入暴露による肺がんの人口寄与割合(Population Attributable Fraction, PAF)は1.6%で、2003年に中国住民の肺がん発生率の0.65/10万上昇を導いたことにほぼ相当する結果となった。

3 まとめ及び展望

 ここ20年余りで、中国では多くの疫学研究により大気汚染と肺がん発生/死亡率との相関関係が報告されているが、相関性の強さと統計的有意性にはばらつきがあり、同 じ汚染物質と肺がんとの関係も研究により大きな差がある。これは、各地の大気汚染レベル及び物質の構成、汚染及び健康データの正確さ、研 究方法の統一性並びに潜伏期間の存在やその長さ等との関係を検討しているか否か等に関係する。ただし、ほとんどの研究では大気汚染と肺がんの相関関係に基本的に陽性の結論を出している。研究デザインから言えば、中 国におけるこの種の研究はいずれも生態学的研究に属すことから、生態学的に固有のバイアスを回避することはできず、交絡因子のかなり多くは充分に制御されていない。その上、上 述した研究の大部分は1980~90年代に実施されたもので、モニタリング対象となっている汚染物質の種類、構成、毒性、並びにヒトの社会経済的地位等、いずれも現代社会とは大きくかけ離れている。このため、こ れら研究結果を利用し、評価する上では慎重な態度をとる必要がある。大気汚染物質の種類は多く、毒性はそれぞれ異なり、肺がんに対する影響もさまざまだが、すべて同じ大気システム中に存在する。現 在の研究のほとんどは単体の汚染物質に基づいたもので、各汚染物質間及び汚染物質と気象等の因子間との相互関係を無視しているため、研究結果には大きな偏りがある。例えば、ある研究によれば、中 国の多環芳香族炭化水素による肺がん発生群の人口寄与割合(PAF)は1.6%であるが、多環芳香族炭化水素は大気粒子状物質の主な毒性成分の一つに過ぎないため、大気汚染がどの程度、中 国の住民の肺がん発生に影響しているかは依然として未解決の問題である。組織病理学的に見れば、肺がんは小細胞がんと非小細胞がんに分類されるが、臨床学的に見れば、肺がんはさらに肺扁平上皮がん、肺腺がん、未 分化がん、気管支肺胞上皮肺がん(BAC)に分類される。肺がんはさまざまな分化又は分類により、大気汚染との関係でいくぶんの差があり、これらの差が肺がんの病因学、臨床治療、予 後等の面で持ちうる意義は未だはっきりしない。住民の健康をより合理的に守るためには、大気汚染と肺がんの間のさらなる確証的な研究が必要である。例えば、典 型的な地域を選んで大規模な前向きコホート研究を行うことで、中国の大気汚染物質と肺がんとの暴露反応関係を算出する。また、地理情報システム等の最新の研究ツールと組み合わせることで、典 型的な地域で大気汚染モデル研究を実施し、全国を対象に主な大気汚染物質のヒトにおける暴露濃度を明確にすることである。


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