第74号
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現地調査報告・中国の世界トップレベル研究開発施設(その7)ゲノム科学

2012年11月19日

佐藤 真輔(さとう しんすけ):文部科学省研究振興局ライフサイエンス研究振興分析官

 1985年科学技術庁入庁後、広範な科学技術分野の政策の企画立案等に携わる。現在はライフサイエンス分野の海外動向等の調査・分析業務を実施。

1.はじめに

 BGI(華大基因)は中国の一民間機関であるが、多数のシーケンサー(塩基配列解析装置)を用いて大量のゲノム解読を行い、世界最大のゲノム情報生産拠点となっている。世界各国との共同研究も進め、そ の成果を次々と有名誌に掲載している。一方、かかるBGIの活動については、単に大型のシーケンサーを並べて機械的に読み取るだけの工場ではないか、という意見もある。

 このため、BGIの実態を知り、今後の展開を予測するとともに、我が国の対応について検討するため、2012年2月、BGI(深圳本部、香港支部)を訪問し、関係者から意見聴取するとともに、施 設の視察調査を行った。以下、その調査状況も踏まえつつ考察を行う。

2.BGIの発展経緯

 BGIは1999年9月に北京に設立された。現理事長の楊煥明博士は、中国政府に働きかけて当時進行中のヒトゲノム計画に中国を途中参入させ、同 計画での中国への割り当てとなったヒトゲノムの1%分の解読をBGIで請け負った。

 その後、2002年にイネゲノムの解読を発表、中国政府からニワトリ、カイコ、パンダ等のゲノム解読のための資金拠出を受けた。さらに2003年2月の重症急性呼吸器症候群(SARS)発 生時に原因ウイルスのゲノム解読を行い、また2004年のスマトラ沖地震発生時にはDNA解析を用いて身元確認に大きく貢献した。

 このような活動が認められ、2003年末、BGIは中国科学院(CAS)の研究機関となったが、CASのガバナンスと相容れず、すぐに離脱した。その後、国からの拠出の見込みがほとんどなかったため、B GIは増えつつあったスタッフを抱え、窮地に陥った。

 これを救ったのが深圳市で、BGIに資金を拠出、靴工場の跡地を提供して2007年4月、本部を移転させた。その後、BGIはアジア人初のゲノム解読を行ったほか、1,000人ゲノム計画への参加、国 際協力等を通じて次々に各種のゲノムの解読を進めた。

 2010年、中国開発銀行が100億人民元の信用供与枠をBGIに設定すると、BGIはそれを用いて販売開始直後のイルミナ社の超高速シーケンサーHiSeq2000を128台も大量購入し、そ のゲノム解読・解析能力を大幅に増強させるとともに、存在を全世界に知らしめた。

3.BGIでのゲノム解読・解析の流れ

 海外からの試料は、まず香港支部に送られる。そこで荷物の引き取り、梱包解体、ゲノム状態の検査、前処理等が行われる。

 その後、シーケンサーが整然と並んだ部屋(図1)で一挙に、大量にゲノム解読のための作業が行われる。いったん試料を装填したらあとは全て自動化工程となる。

図1 大量のシーケンサーが並ぶ

写真1

 シーケンサで読み取られた生データはサーバ室(図2)の巨大容量を持つサーバに蓄えられるが、通常、その並べ替え等による解読や解析は深圳本部で行われる。

 同本部には、研究者やバイオインフォマティシャンが集中しており(図3)、高速回線を通じ、遠隔で解読・解析ができるため、距離感を全く感じさせずに一体化した対応が図られる。香 港支部ではこうして得られたゲノム解読・解析データを発注者に届ける。

図2 大容量のサーバ室

写真2

図3 研究者や研究補助員がフロアに集まる

写真3

 日本支所では土日以外はゲノム解読の発注を受けるが、月曜に試料を受けると、その日のうちに香港に試料が送付され、週末に発注者の手元に解読・解析結果を届けることも可能とのことだ。

4.BGIの特色と最近の業務状況

(1)迅速な意思決定

 BGIの幹部は、先述の楊理事長と、院長の汪建博士、執行院長の王俊博士で、この3人で基本方針を決めており、その決断は速い。また、二重らせん構造のワトソン博士、米国ブロード研所長のランダー博士、最 初の直接ゲノム配列決定法を開発したチャーチ博士等、著名な研究者が顧問に並び、貴重なアドバイスとともにBGIの国際信頼性を高めている。

(2)若手中心の膨大なスタッフ

 BGIのスタッフは合計3,500人、うち研究者は約700人、バイオインフォマティシャン約450人、テクニシャンは1,000人弱になっている。本分野では英国サンガー研が900人、米国国立衛生研( NIH)のヒトゲノム研は100人以下、日本最大の産業技術総合研究所臨海副都心センターも100人以下であることを考えると、圧倒的に多い。また、スタッフの平均年齢は25~26歳と若く、学 位を持たない大卒者や高卒者を採用し、その教育訓練を自ら行っている。

(3)最近の業務の進展

 最近では1,000動植物プロジェクト、1,000微生物ゲノムプロジェクト、1,000植物de novoトランスクリプトームプロジェクト等の国際協力において中心的役割を果たしている。また、ゲ ノム解読・解析だけでなく、RNA解析やエピジェネティック解析等のシーケンサー利用業務、さらに深圳本部を中心としてタンパク質関連業務にも進出している。また、膨大なゲノム情報の保管を求める顧客のため、ク ラウド型コンピューティングサービスも開始した。

 国内外にも多くの支所を設立し続けており、日本にも2011年9月、神戸医療産業都市内にBGI JAPANがオープンした。

 さらに、オープンアクセスジャーナルを発行するほか、深圳市の認可を得て、ゲノム関連に特化した大学を設立しようとしており、その活動をさらに拡張している。

5.BGIの成功要因

 これまでのところ、BGIの事業拡大は成功しているように思われる。要因はいくつかある。

 まずライフサイエンスの研究手法の変化やシーケンサーの重要性を早くから見抜き、特にシーケンシングとバイオインフォマティクスに焦点を絞って活動してきたこと、ま た機器購入のタイミングを誤らなかったことである。(BGIが大量購入した機器はその後長く業界標準となった。)

 集積によるスケールメリットも大きい。香港支部にはメーカのスタッフも常駐し、故障等に迅速に対応でき、人も集積するため研修等をシステマティックに行える。

 また、BGIにいればシーケンシング技術をはじめゲノム解読に関する知識が身につき、しかも論文にも名前が掲載されることで、安い給料にもかかわらず多くの若手が集まってくる。

 さらに、先述のようにイネゲノム、アジア人初のゲノム、パンダゲノム等特徴的なゲノムの解読や、災害時の国際貢献、各種シンポジウムの開催等、効 果的な広報戦略により注目を集めてきたことも成功要因となっている。

6.BGIに対する批判と今後の課題

 BGIは工場であって創造性がない、という批判があるが、ヒトゲノムプロジェクト以来、今やライフサイエンスの手法自体が大幅に変わり、ま ず情報を大量に集めてその中から利用できるものを探っていくという方法に転換してきた現在、BGIのやり方はひとつの合理的手法であろう。

 また、BGIは自らシーケンサー開発は行っていないが、楊理事長によると、空港ビジネスと同じで、安く装置を買い込んで世界のハブになればそれでよいとのことで、合理的な考えが見て取れる。

 また、解読精度やアフターケアにおいて劣るという批判もあったが、最新鋭の機器を用い、システマティックな訓練を受けた人々が解読を行い、さらに日本支部が顧客サービスを行っており、む しろ他よりも精度や丁寧さにおいて上回っている。

 さらに、ゲノム解読以降の高度な解析においてBGIは劣るという批判もあるが、基本的な解析技術は十分有しており、多数いる研究者やバイオインフォマティシャンが切磋琢磨し、世 界各国との連携により解析手法のノウハウを磨いており、ポテンシャルは高い。

 ただ、今後、ローンの返済を行いつつ多数のスタッフを養っていくには、政府からのグラント獲得や各国との協力、ゲノム解読・解析の受託等で走り続ける必要がある。そ のためには今後一層の業務の効率化とスピードアップ、さらにゲノム解読で培ったノウハウを活かして新たな分野への拡張することも必要だろう。そのため4の(3)で記した方向性は間違ってはいないだろう。

7.我が国のとるべき方策

 我が国としては、たとえシーケンサーを大量購入し、大規模な装置を設置しても、BGIのように低廉な施設費や人件費は望めないため、ビジネスとして対抗するのは難しく、む しろ顧客としてBGIを効果的に利用する方が得策だろう。定型的な作業を任せる秘書としての活用である。

 我が国においてもシーケンサーの集中そのものは、スケールメリットや人材育成等を図る上で有用である。特にBGIには委託できない、国外と厳しく競争しているテーマや、極 めて迅速に結果を得なければならない試料については国内対応が必要である。(その場合、個別の解析自体は、ノウハウを有する個々の研究室等でバイオインフォマティシャンと研究者が一緒に行うことが望ましい。)ま た、BGIでは行っていないような、たとえば理研で開発中の1分子DNAシーケンサー(1細胞シーケンサー)等は大いに推進していくべきだろう。

 いずれにしても、今後、BGIの動向も見極めつつ、我が国の方向性を探っていく必要があるだろう。

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[編集部注]
本稿は、科学技術振興機構研究開発戦略センター(CRDS)の海外動向報告書「 中国の科学技術力について~世界トップレベル研究開発施設~」( 2012年6月刊)にまとめられた成果を基に、< 執筆者にリライトを依頼し、掲 載したものである。( 中国総合研究センター 鈴木暁彦)