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現地調査報告・中国の世界トップレベル研究開発施設(その8)iPS細胞研究

2013年2月 4日

渡辺 泰司(わたなべ やすし):
(独)科学技術振興機構社会技術研究開発センター企画運営室長

1986年科学技術庁(現文部科学省)入庁。タイ国家科学技術開発庁(NSTDA)長官科学技術政策アドバイザー(JICA専門家)、東京大学医科学研究所教授、内閣府日本学術会議事務局参事官、(独)科学技術振興機構北京事務所(2009年12月~2012年9月)などを経て現職。

1.中国における幹細胞研究の歴史

 iPS細胞研究は、2006年に京都大学の山中伸弥教授が、四つの遺伝子(転写因子)を発現させることで、体細胞を多能性幹細胞に誘導できる画期的な方法を発表して以来、生命の源である人の胚を滅して作成するES細胞のような倫理的問題が少なく、患者自身の細胞を使った再生医療にも繋がる技術として、世界中で研究開発が進められている。同成果に関し、山中教授は、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 2006年の山中教授の論文発表当初から、中国においても、iPS細胞研究は非常に注目され、多くの研究者が関心を持って研究を進め、非常に早い段階から関連する研究成果を挙げている。中国は、幹細胞に関する研究について長い歴史を有しており、発生学者の堂第周博士(Dr. Dizhou Tong 中国科学院院士、元副院長)が1963年、世界で初めて、クローン魚(フナ)の作成に成功して以来、大型家畜(牛、羊等)のクローン作成等、伝統的な発生学等の研究を継続して実施している。

 また、マウスやヒトのES細胞樹立等の世界的な成果に対しても、素早くキャッチアップし、多くの研究室でES細胞樹立に成功しており、これらを基に複数の幹細胞バンク等の研究基盤が整備されている。

2.研究所の訪問

 今回の調査に当たっては、事前に、中国の大型予算である、科学技術部(MOST)、国家自然科学基金委員会(NSFC)の資金等を獲得した研究者、「Nature」クラスの学術雑誌に論文を発表する等により中国国内外で表彰を受けたり報道されたりしたことのある研究者等のピックアップを行った。

 その上で、日本のiPS細胞の研究者等を訪問し、中国の現状に対する評価、今後の研究ポテンシャル、日中の連携等の可能性等についてヒアリングを行うとともに、他の事前調査資料も参考にして、中国における本分野の中心的な研究者、注目される研究者を挙げてもらった。その中から、調査期間を勘案したうえで、北京市内にある中国科学院(CAS)動物研究所、北京大学生命科学学院、北京生命科学研究所の3機関の研究者を2012年2月に訪問した。各研究者からは、以下のような研究成果の紹介等があった。

 2008年、中国はiPS研究で画期的な成果を生み出した。それは、今回訪問した中国科学院動物研究所の周琪研究員(Dr. Qi ZHOU)と北京生命科学研究所の高紹栄研究員(Dr. Shaorong GAO)の成果であり、それぞれiPS細胞に由来するマウスを作製し、iPS細胞が多能性を持つことを初めて証明した。なお、周研究員の成果は、上海交通大学附属児童病院の曾凡一副院長(Dr. Fanyi ZENG)との共同研究によるものである。

 両研究者の成果は世界的に高く評価され、「Nature」や「Cell Stem Cell」というトップジャーナルに論文が掲載された。また、米国の週刊誌「TIME」は、「2009年の医学分野におけるブレークスルー トップ10」の記事で、中国人研究者による「iPS細胞誘発によるマウス育成の研究」を第5位に選んだ[1]

 両研究者は元々、動物クローン(核移植)の研究者であり、医療応用における安全性等に関する基礎的な研究を続けていくことが重要と考えており、現在、iPS細胞やES細胞の初期化(リプログラミング)のプロセスを改善することにより、がん化を防ぐ等、将来の実用化に向けた研究に重点を置いているとのことであった。

写真1

写真左 CAS動物研の周琪研究員と細胞核移植実験室。左側中央の顕微鏡でiPSマウスの「小小」を誕生させた
写真中央 世界初のiPSマウス「小小」(CASのウェブサイトより)
写真右 北京生命科学研究所の高紹栄研究員(写真中央)

 北京大学生命科学学院の鄧宏魁教授(Dr. Hongkui DENG)は、中国で最初にES細胞、iPS細胞等の幹細胞研究を始めた一人である。鄧教授は、iPS細胞の樹立方法において、P53(がん抑制遺伝子)経路の制御により、iPS細胞の品質と樹立効率を約100倍に高めた研究(2008年、Cell Stem Cell)等、細胞の初期化や、ヒトES細胞の肝細胞への分化誘導等の研究で、新たな手法を確立し、同手法は世界中で活用されているとの話であった。鄧教授からは、北京大学の特長について、以下のような話も伺った。

写真2

写真4 北京大学生命科学学院の鄧宏魁教授

北京大学は、中国最高といわれる医学部、附属病院(既存の8病院に加えて新病院を建設中)を持つことから、ヒト幹細胞に関連する臨床研究が行いやすいこと。

②医学、生物、材料等の異分野の横断的な研究ができる環境が整っていること。

③マウスや豚等の実験動物センターが共同利用施設として、自由に使えること。

 なお、鄧教授は、現在、これらの特長を活かし、政府の大型資金や、ビル&メリンダ・ゲイツ財団等からの支援を受け、ヒトの膵臓のβ細胞や神経細胞への分化メカニズム研究、疾患モデル動物の開発等の研究を行っているとのことであった。

 また、周研究員等からは、中国政府の支援について、以下のような話を伺った。

 中国科学技術部(MOST)の大型基礎研究支援予算である「973計画」やハイテク研究を支援する「863計画」において、発生再生研究が2001年以降、主要プログラムに選ばれて以来、この分野に国の予算が大規模に投じられ、政府の支援が強化されてきた。

 人材面では、若手研究者が欧米等に留学し、論文が「Nature」「Science」などに掲載されるようになり、海外で活躍する人材に対する帰国促進政策等により、優秀な人材が中国の主要大学や中国科学院(CAS)等の研究所に戻り、拠点整備が進むとともに、成果が生まれるようになったとのことであった。

3.中国におけるiPS細胞研究等の特徴

 今回の訪問先は、北京市内のみであったため、広州や上海等の研究拠点、6カ所あると言われる幹細胞バンク等、全体像をつかむことができて初めて、正確な分析ができると考える。しかし、今回の訪問先は、いずれも、「Nature」「Cell Stem Cell」クラスの雑誌に成果が掲載されるような世界的に注目されるラボであり、面談した研究者の話から、中国のiPS細胞研究等の特徴として、以下のようなことが指摘できると考える。

(1)世界トップレベルに並ぶ研究の出現

 今回インタビューを行った研究者は、iPS細胞由来の個体を作製し、iPS細胞の多能性が世界で初めて確認した。また、ヒトiPS細胞の樹立効率と品質を約100倍に高める方法を世界で初めて発見するなど、中国において世界トップレベルに並ぶ研究成果が出現している。

(2)移植・再生医療応用

 医学系に強い有力大学等(北京大学上海交通大学中山大学同済大学、解放軍病院等)では、ヒトのiPS細胞やES細胞等を分化誘導し、それを再生医療等の臨床研究につなげる研究拠点の整備が進められている。

(3)予算支援や拠点整備等

 中国の国家計画である「第12次5カ年計画」で、5年間に30億元を幹細胞研究に投入するとともに、CASにおいても北京、上海、広州、昆明の四つの核となる研究センター、18研究所(84実験室、研究者約2,000人)を中心に研究プラットフォームを整備し、5年間に9億4000万元を投入する計画である。大学においても北京周辺で約20カ所、上海周辺で約50カ所、広州、天津等でも多くの研究者がすそ野の広い研究を実施している。

(4)共通基盤等

 iPS細胞を含む幹細胞バンクを全土で6カ所整備するとともに、トランスレーショナルリサーチ(橋渡し研究)の拠点として、医学系に強い大学を中心に、全国で約100の国家レベルの臨床医学センターを整備するとともに、幹細胞を利用した臨床研究に関するガイドラインを2003年に策定するなど共通基盤等の整備にも極めて熱心に取り組んでいる。

4.日本側から見た中国のiPS細胞研究等の特徴

 日本のiPS細胞研究の拠点となっている京都大学iPS細胞研究所(CiRA)、慶応大学医学部、東京大学医科学研究所幹細胞治療研究センター、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの研究者等を2012年1月に訪問し、中国におけるiPS細胞研究等の実力、注目される中国のアクティブな研究者(研究機関・大学等)、将来の日中協力の可能性等について、ヒアリングを実施した。その概要は以下の通りである(訪問者リストは報告書[2]を参照)。

(1)注目される中国の研究者

 今回訪問した研究者のほか、CAS広州生物医薬・健康研究院の裴端卿院長(Dr. Duanqing PEI)、中国科学院上海生命科学研究院生物化学・細胞生物学研究所の王綱所長助理(Dr. Gang WANG、中国細胞生物学学会副秘書長)、同済大学の裴鋼学長(Dr. Gang PEI、CAS上海生命科学研究院前院長)等の研究者、研究機関に注目している。

(2)中国における研究の現状

 数年前までは、オリジナリティがなく、研究のクオリティも低いとの印象があり、注目していなかったが、2年ほど前から、論文のレベルも、クオリティの面でも、トップあるいはスタンダードレベルのものが出てくるようになり、注目するようになった。複数の研究者から、この1、2年の勢いは際立っている印象があるとの話があった。

(3)中国におけるiPS細胞研究の発展の可能性

 欧米等に留学した優秀な研究者が帰国して立ち上げた大学等の拠点で、ポスドク等次世代の研究者を自前で育てられるようになる3~4年後には、オリジナルの成果が出てくるのではないか。臨床研究等では、清華大学北京大学等で、数千床のベッド数を持つ大規模な病院等の整備が進んでいる。臨床用の臍帯血移植バンク、ヒト幹細胞バンク等は、全国にそれぞれ6か所以上整備されるなど、規模の面で日本を凌駕してきている。創薬は2010年より、欧米並みのGMP(非臨床試験)基準を満たすことが義務付けられるなど質も向上してきており、欧米の大学や日本企業等との間でも、臨床研究や治験等の国際協力が進んできている。

5.日中協力の可能性

 今後の日中協力の可能性について、インタビューを実施した日本側研究者から以下のような発言があった。

(1)人材交流

 最も重要なことは、優秀な人材の育成・交流である。欧米や日本に留学し、中国に戻って活躍できる場が整備されたことが中国の伸びてきた要因であり、医療分野等の帰国研究者等を中心に、大学や病院等とMOUを締結するなど協力を推進している。優秀な人材の日本留学を促進するために、日本の研究者が中国のトップ大学等で講演して宣伝したり、中国人研究者を対象としたサマースクール等の体験の機会を設けたり、中国人研究者が日本に来て研究者等として活躍できる場を設けること等が必要である。

(2)国際会議

 中国では、国際幹細胞研究シンポシウムを開催したり、米国のコールド・スプリング・ハーバー研究所(CSHL)と連携して蘇州に「CSH Asia」を設立し、CSHLと共同で国際会議を誘致したりするなど、世界の研究者が集まる場を整備してきており、このような場を活用し、交流を増やすべきである。

(3)臨床研究等の連携

 中国から日本に留学した後、帰国して中国の病院等で活躍している研究者等との間で、臨床研究等での連携を進めることや、前臨床研究、治験等での連携、iPS細胞バンク等の構築にかかわる日中韓等アジアの連携を促進することが重要である。

(4)規制・ガイドラインの共有

 安全性や倫理に関する規制等について、国際的な交流が進んでいる。細胞バンクの構築のためインフォームドコンセント等、国際的な共通基盤となる方法等に関する意見交換、臨床研究等に向けた許認可等のルール整備等、ステップ・バイ・ステップで協力することを考えている。

(5)知財関係

 中国においてiPS細胞の作製・利用等に関する知財の使用許諾(ライセンシング)等に関心があり、情報収集、普及等に向けた活動をしている。中国は大学や研究機関が治験を実施している場合もあり、日本と異なる可能性がある点に留意が必要である。

(6)協力の際の課題、問題点等

 知財等の問題、共同研究に関する考え方の違い等を踏まえた戦略的な交流、アジア地域に特化した人材育成、協力等の新たな仕組み作りなどに取り組むことが重要である。

6.中国のiPS細胞研究の将来性と課題

(1)将来性

 中国では、研究者の殆どは欧米等に留学し、中国政府の帰国促進政策(百人計画、長江学者、千人計画等)によって多くの人材が帰国している。これらの政策によって、短期間のうちに北京、上海、広州等に大規模な拠点が整備され、政府の予算も大幅に増加したこと等から、論文数が増え、質が大きく向上している。中国政府はNSFC内に、中国版NIH(米国国立衛生研究所)とも称される医学科学部を2009年に整備し、予算の約三分の一を投入する目標を設定している。また、北京大学清華大学等の有力大学においては、2013年を目途に、2~3千床規模の病院が建設中であり、全国でトランスレーショナルリサーチ拠点の整備が進められている。

 国際協力についても、NSFCと米国NIHが2010年に協定(MOU)を締結し、医学科学分野の共同研究支援を開始するなど、中国は、国際的な知的人材の集まる拠点(ハブ)を目指していると考えられる。

(2)課題

 今後の課題として次のような点が指摘できる。

  • 中国が若手人材を自前で育てられるようになるには時間を要する。
  • iPS細胞の臨床研究のガイドラインが未整備であり、安全性や倫理面での制度設計が必要である。
  • 民間企業等との連携は、広州等で始まったばかりであり、未知数なところがある。

 いずれにせよ、中国政府は、少子高齢化社会を向かえる中で、健康・医療分野の政策に特に力を入れており、今後の展開が注目される。


[1] TIME」のウェブサイト参照。2009年12月8日付。http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1945379_1944376_1944400,00.html

[2]科学技術振興機構研究開発戦略センター(CRDS)報告書「中国の科学技術力について~世界トップレベル研究開発施設~」(2012年6月)http://crds.jst.go.jp/singh/wp-content/uploads/12or01.pdf

参考文献:

  1.  W Yuan, D Sipp, Z Wang, H Deng, D Pei, Q Zhou, T Cheng, Stem Cell Science On the Rise in China, Jan 6,2012, Cell Stem Cell 10, 12-15,

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