第88号
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日本の経験を活かした環境保全型農業の可能性

2014年 2月18日

名前

松永光平:
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特任講師

略歴

1978年生まれ
2001年 慶應義塾大学環境情報学部卒業、学士(環境情報学)
2003年 東京大学大学院新領域創成科学研究科修士課程修了、 修士(環境学)
2006年 中国陝西師範大学旅游与環境学院高級進修生修了、
高級進修生(自然地理)(平成17年度国際交流基金アジア次世代リーダーフェ ローシップ)
2007年 立命館大学文学部人文学科地理学専攻 実習助手
2008年 東京大学大学院新領域創成科学研究科博士後期課程修了、博士(環境学)
2009年 大学共同利用機関法人人間文化研究機構地域研究推進センター 研究員
2009年 総合地球環境学研究所中国環境問題研究拠点 拠点研究員
2010年 中国陝西師範大学旅游与環境学院 高級訪問学者
(平成21年度日本学術振興会優秀若手研究者海外派遣事業)
2012年 現職

1.洛川のサクセスストーリー

中国のリンゴの里、洛川

 中国内陸部、陝西省洛川県(図1)は中国の「リンゴの里」である。ここで栽培されるリンゴの多くは、日本原産の「ふじ」である。

 洛川では最近、農薬をできるだけ少なくしてリンゴを栽培しようという試みが広がりつつある(図2)。洛川にとどまらず、減農薬など環境保全型農業は、中国全体で拡大している。後述のように日本は、こ のような環境保全型農業の経験が蓄積しており、中国でビジネスチャンスをつかめる可能性がある。

 本稿では、日本との縁が深い、洛川のリンゴを事例として、どのように日本の経験を中国に活かせるのか、考えてみたい。

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図1.陝西省洛川県の位置

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図2.洛川県にある「陝西省リンゴ環境保全型病虫害防除モデル地区」(2010年4月松永撮影)

リンゴ産業の急成長

  洛川のリンゴ産業の伸びは著しい。リンゴの実質GDPは、2001年に29,645元だったが、2008年には149,028元となった(図3)。7年間に約5倍伸びたことになる。この伸びは、高 収入が得られるため中国で作付けが広がっているトウモロコシよりも速い(図3)。

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図3.洛川のリンゴ産業の急成長(2001~2008年)(出所:「延安統計年鑑」各年版)

成長の秘訣

 リンゴ産業の成長の秘訣はなんだろうか?一つは「ヒト」である。リンゴを初めて導入したのは洛川県阿寺村の農民、李新安だった(洛川県地方志編纂委員会編、1994)。1947年、彼 は河南省の霊宝県からリンゴの苗を200株もって帰り、6.7ムー(約65アール)の果樹園をつくった。1951年にはさらに何名かの農民がリンゴを4か所に植えわけて、合計49ムー(約327アール)の 果樹園がつくられた。彼らの先進的な取り組みにより、洛川にリンゴ産業が根付いたのである。以来、洛川のリンゴ産業はこうした積極性ある「ヒト」たちに恵まれ、衰退の危機を乗り越えて、総じて拡大の一途をたどる保つことができたのである。

 二つ目は「自然」である。洛川県の平均気温は9.2℃(唐建軍主編、2001)。平均気温10℃前後の日本の青森や長野に似た、冷涼な気候の土地柄である。降水量も年間621ミリメートル、適 度な雨にも恵まれている(唐建軍主編、2001)。

農民の声

 いま、現地の「ヒト」はどのような取り組みをしているのか?リンゴ産業新規参入者の声を、ここで紹介したい。Zさん(仮名)(図4)は、中国政府の緑化政策(詳しくは、松永、2013a、関ほか、2009などを参照)に より1999年、斜面の畑(図4)を手放したが、代わりに平らな造成地でリンゴ畑を営むことになった(図5)。リンゴ栽培を始めて約10年のZさんだが、技術力は高い。枯 死した幹を迂回して養分や水分を上の幹に送り込むための挿し木の技術を周りの農民から教わり、すでに実践している(図6)。Zさんは、「もとの収入は年間800元だったけど、い まは一家で年間40,000元かせげる。斜面の畑がまた使えるようになっても、もうあそこは耕さないよ。」と言った。リンゴ栽培が相当によい収入源となっていることがうかがわれる。

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図4.Zさんがかつて耕していた斜面の畑 / 図5.Zさんのリンゴ畑(2010年4月松永撮影)

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図6.Zさんが枯死から救ったリンゴの木(松永、2013b)

 このように、「ヒト」は、リンゴ産業の成長の原動力となっている。「自然」の条件は短期的にはあまり変わらないけれど、「ヒト」は違う。日々、意思決定と行動とをもって、洛 川のリンゴ産業の行方を左右している。

伊天果汁(陝西)有限公司

 実は日本「人」も、洛川のリンゴ産業の陰の立役者である。2002年に伊藤忠商事が洛川県で設立した伊天果汁(陝西)有限公司は、伊藤忠商事の在中国リンゴ果汁工場である。2 010年に中国海昇果汁控股有限公司に買収されてからも、洛川のリンゴから濃縮果汁を製造し、日本をはじめ各国に輸出しつづけている。日本で最近話題になっている六次産業化が、洛川ですでに実現した背景には、日 本「人」の働きもあったのである。

2.さらなる可能性

環境保全型農業

 洛川でこれから成長の可能性が期待されるのが、環境保全型のリンゴ栽培である。リンゴは虫がつきやすく、農薬なしでの栽培は困難とされてきた。しかし、食品安全性への関心の高まりから、で きるだけ農薬を使わないリンゴを栽培することが新たなビジネスチャンスとなってきた(たとえば、山田、2007)。そこで、洛川では殺虫灯を使った害虫駆除などの試みが始まっている(図7)。この他、害虫捕殺粘着板(中国語で粘虫板)、誘 虫シート(誘虫帯)、ダニによるバイオコントロール(捕食蟎)など、多くの技術を導入して、環境保全型のリンゴ産業の実現に向けた取り組みをしている。

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図7.リンゴ畑の中に設置された殺虫灯(2010年4月松永撮影))

日本との連携の可能性

 洛川のリンゴ産業にとどまらず、中国では、農産物の生産現場で低農薬化など環境保全型に移行するトレンドがある(たとえば、原、2005)。そこで、今後期待されるのが、日本との連携である。環境保全型農業について、日 本では栽培から、加工・流通・販売に至るまで、さまざまな組織が経験を積んでいる。栽培面はもちろんのこと、日本の消費者団体とのつながりを基盤とした、加工・流通・販売面での協力も、中 国にとって魅力的なはずだ。新たな商品開発も視野に入れながら、日中協同での環境保全型農業を展開する効果は大きいものと思われる。

 こうした新たなビジネスの起点として着目していただきたいのが、今回ご紹介した洛川である。洛川の「ふじ」は1983年、日本から導入された(洛川県地方志編纂委員会編、1994)。この「ふじ」が、伊 藤忠商事が設立した伊天果汁(陝西)有限公司でジュースとして加工され、日本で販売されてきた。このような互恵関係が、洛川と日本との歴史的背景にある。したがって、洛川には、今 後も日本のさまざまな組織と協力関係を結ぶ素地がすでにあると言える。

 多くの日本の方々が洛川を訪れ、中国の環境保全型農業の先駆けとなってくださることを期待している。

 なお、本稿にかかわる調査はJSPS科学研究費補助金21810037、80548214、JSPS優秀若手研究者海外派遣事業の助成を受けました。ここに記して感謝申し上げます。

参考文献

  1. 洛川県地方志編纂委員会編『洛川県志』陝西人民出版社、1994.
  2. 唐建軍主編『陝西省地図帳』中国地図出版社、2001.
  3. 松永光平『中国の水土流失―史的展開と現代中国における転換点』勁草書房、2013a.
  4. 関良基・向虎・吉川成美『中国の森林再生―社会主義と市場主義を超えて』御茶の水書房、2009.
  5. 松永光平「農林業政策からみた中国社会の持続可能性」 厳網林・田島英一編『アジアの持続可能な発展に向けて―環境・経済・社会の視点から』慶應義塾大学出版会、2013b.
  6. 山田七絵「中国沿海部におけるリンゴ輸出の拡大と農家経済」 重冨真一編『グローバル化と途上国の小農』研究双書No.560、アジア経済研究所、2007.
  7. 原剛編『中国は持続可能な社会か―農業と環境問題から検証する』同友館、2005.