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赤外線カメラと簡牘資料の日中共同研究

2014年 3月 5日

工藤元男

工藤 元男(くどう もとお):
早稲田大学文学学術院 教授、長江流域文化研究所 所長

略歴

1974年早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。
1982年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程史学(東洋史)専攻退学。博士(文学)。
専門は中国古代史。竹簡などの出土文字資料を活用した中国古代の社会史研究に従事している。中国出土資料学会会長(1998年3月~2000年3月)、日本秦漢史学会副会長(2013年11月~)。 

主著

『馬王堆帛書 戦国縦横家書』(共訳注、朋友書店、1993年)
『睡虎地秦簡よりみた秦代の国家と社会』(単著、創文社、1998年)
『東アジア古代出土文字資料の研究』(共編、アジア研究機構叢書人文学篇第1巻、雄山閣、2009年)
『占いと中国古代の社会―発掘された古文献が語る―』(単著、東方書店、2011年)

相次ぐ秦簡の発見

 東アジア世界で最初の中華帝国を形成した秦の法治主義を検討する上で、 睡虎地秦簡 すいこちしんかん の発見は画期的だった。すなわち、1975末、湖北省う 雲夢 うんぼう 県で発見された睡虎地11号秦墓から、戦国時代末期(前3世紀末)の秦国の秦律(秦の法律条文)を主とする竹簡が出土した。そ れは六国統一過程における秦の法治主義の実態をしめす資料である。早 稲田大学アジア研究機構・長江流域文化研究所では、これまで武漢大学 簡帛 かんぱく 研究センター」(主任・陳偉教授)とそのような出土文字資料に関する共同研究を展開してきた。以下、その経緯と成果の一端を紹介しよう。

 私がはじめて睡虎地秦簡の実物をみたのは、1994年に東京の世田谷美術館で開催された「秦の始皇帝とその時代展」である。会場には4簡が展示されていた。長さ23~24センチ、幅5ミリ、厚 さ1ミリの黒ずんだ竹札である。会場の売店でそのレプリカが1万円で売られていた。その後、湖北省博物館の売店で同じレプリカがきわめて廉価で売られているのを目撃した。

 1999年、現存最古の「老子」(戦国中頃)の発見で知られる 郭店楚簡 かくてんそかん のシンポジウムが武漢大学で行われた。会場で細長いガラス板で上下に挟まれた多数の睡虎地秦簡を実見した。簡の色は東京でみたときよりも全体的に白っぽい感じで、そ の後の保存技術が進んだのかも知れない。

 睡虎地秦簡の発見につづいて、1993年に湖北省荊州市郢城鎮郢北村で発見された王家台15号秦墓から、また秦律の一部が出土した。年代はおなじく戦国末である。睡虎地秦簡や王家台秦簡の出土地は、秦 が前278年に長江中流域を中心領域とする楚の都の えい (紀南城)を抜き、この地一帯に開置した 南郡 なんぐん に含まれる地である。その中心地である紀南城の故地から秦の法制資料がしばしば出土するのは、まさに秦の占領地支配を反映しているといえよう。やや時代が下り、1 989年に六国統一後の秦代に属する法制資料が、睡虎地秦簡出土地のすぐ東南で発見された。これを 龍崗秦簡 りゅうこうしんかん という。その主な内容は禁苑に関する法規である。

 2002年には湖南省龍山県の 里耶 りや 古城の1号井戸から、秦代の大量の行政文書が発見された。これを 里耶秦牘 りやしんとく という。里耶古城は、 洞庭湖 どうていこ から 沅水 げんすい をさかのぼった支流の 酉水 ゆうすい の北岸に位置し、秦代では洞庭郡に属する遷陵県の城址だった。年代は秦の六国統一の前年の始皇帝25年(前222)~二世皇帝2年(前208)であり、秦 代の文書行政の実態を具体的にしめす資料として注目されている。最近では、2007年末、湖南大学 嶽麓書院 がくろくしよいん が香港の骨董市場から2000余枚の秦簡を入手した。翌年、香港の収蔵家からみずから購入した76簡が嶽麓書院に寄贈された。両者は同一墓葬の出土物とみなされ、こ れをあわせて「嶽麓書院蔵秦簡」と よんでいる。これは睡虎地秦簡に次ぐ重要な秦簡の発見である。

現地での秦簡の調査

 長江流域文化研究所は、2002年にこれらの秦簡の出土地を現地調査した。 孝感市 こうかんし 博物館館長の案内で、睡虎地秦簡の出土地、楚王城址、龍崗秦簡出土地の順で現場を調査した。睡虎地秦簡の出土地である雲夢県は、武漢からほぼ10キロ西北の地点にあり、 溳水 いんすい の東方に市街地がひろがっている。この市街地をその西半にふくむ「楚王城」が試掘され、ここは戦国時代の楚の「安陸故城」と同定されている。そ の市街地の西側を漢丹鉄道が縦断し、睡 虎地はその雲夢駅のすぐ北方に位置する。ここで12基の秦漢墓が発見され、その11秦墓から竹簡が出土したのである。秦簡研究の原点といえよう。

 龍崗秦簡の出土地はこの楚王城の東南である。しかしその場所には後に刑務所が建てられ、残念ながら詳しい調査はできなかった。2006年、11号秦墓のすぐ東南で睡虎地77号漢墓が発見され、そ の中から前漢初期の 簡牘 かんとく (竹簡・木簡)が出土した。年代は文帝末年~景帝時期で、その内容は法制資料を中心とする。2007年の調査で湖北省博物館を訪問したとき、そ の地下室で清理中の実物をみることができたが、ま だ未公開である。

武漢大学「簡帛研究センター」との共同研究

 簡牘資料を駆使した中国古代史の研究は、中国史研究の最尖端分野の一つである。陳偉教授が設立した武漢大学「簡帛研究センター」は、この分野の世界的研究拠点である。その研究成果や簡帛(簡牘・ 帛書 はくしょ )の発見に関する情報は、同センターのwebサイト「簡帛網」( http://www.bsm.org.cn/)に随時アップされる。簡 帛資料に関する論文を書くときは、こ の専門サイトにアクセスして関連論文を検索するのが常態となっている。

 これまで武漢大学では、中国教育部(日本の文科省に相当)の国家プログラムの①「戦国時期楚系簡牘資料の綜合研究」(1999年~2003年)、②「楚簡の綜合整理と研究」(2004年~2008年)、③ 「秦簡牘の綜合整理と研究」(2008年~2011年)を獲得してきたが、陳偉教授は①の主持人、②③の首席専家として、この分野の研究をリードしてきた。長江流域文化研究所では、2001年以来、陳 偉教授を客員教授に招聘し、私も武漢大学の兼職教授・客座教授に招聘され、このようにそれぞれ相互の研究組織の中に参加して連係を構築した。

 とりわけ②のプログラムでは、早稲田大学文学研究科が2002年度に採択された21世紀COEプログラム「アジア地域文化エンハンシング研究センター」(拠点代表・大橋一章教授)と連係し、楚 の故地から出土した前漢初期の法制資料、すなわち張家山漢簡の「二年律令」(高祖劉邦の妻呂后2年時期の漢律集)と裁判資料「 讞奏書 そうげつしよ 」の釈文(原簡の字形を現在の通行字体に直す作業)・注釈の共同作成にとりくんだ。

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写真1 張家山漢簡出土地

 じつは1983年に発掘されたこの資料は、2001年にテクストが刊行されている。しかしその写真版はフィルムカメラで撮影されたものである。そこでより精度の高い写真版テクストを作成するため、私 は簡帛研究センターに「赤外線リフレクトグラフィ用カメラシステム」を送った。これは肉眼では視ることのできない絵画の下絵や下書き、ま た筆跡が薄くなり判読困難になっている木簡や竹簡の文字を赤外線カメラで撮影し、その画像をデジタルデータとしてコンピュータに取りこみ解析するシステムである。その電子データを日中間で共有し、分担して釈文・注 釈の作業をすすめた。この作業では日中双方の院生など若手研究者が貢献してくれた。その成果を彭浩・陳偉・工藤元男主編『二年律令與奏讞書』(上海古籍出版社、2007年)として刊行した。こ れはテクストレベルにおける初めての日中共同研究の成果として評価されている。

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写真2 赤外線カメラを操作する陳偉教授

 また①のプログラムでは、陳偉教授からの要請で日本における秦簡研究の研究動向をまとめた。この作業でも研究室の若手研究者が貢献し、その成果は工藤元男編「日本秦簡研究現状」(『簡帛』第6輯、2 011年、上海古籍出版社)として刊行された。本稿の刊行後、その増補版を作成したが、それは中国教育部に提出される③プログラムの研究報告書の中に収められるという。

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写真3 モニターに映し出された竹簡の画像データ


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