第92号
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鳥インフルエンザA(H7N9)について

2014年 7月11日 押谷 仁(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野)

 中国において新たな鳥インフルエンザA(H7N9)のヒトでの感染が相次いで報告されており、このウイルスがパンデミック(世界規模の流行)を起こすことが懸念されている。このウイルスにどのような危険性があり、どんなことが懸念されているのかを整理してきたい。

1.鳥インフルエンザとインフルエンザパンデミック

 まず、A型インフルエンザウイルスは本来、カモなどの水鳥を自然宿主とするウイルスであるが、水鳥以外にも多くの鳥類・動物に感染する。それぞれの宿主において固有の感染サイクルが成立していて、鳥やブタのウイルスがヒトに感染することは通常はほとんどない。これはそれぞれの種に固有のウイルスがあり、種の壁を越えて他の種に感染することは起こりにくいためである。しかし、まれに鳥やブタのウイルスがヒトに感染する事例が報告されてきている。鳥インフルエンザウイルスのヒトへの感染としてはこれまでA(H5N1)、A(H9N2)、A(H7N7)などのウイルスで報告されてきている。このような種の壁を越えたヒトへの感染事例は、その都度大きな注目を集めてきた。その理由は、このような事例はヒトでのインフルエンザパンデミックの起きるきっかけになり得るからである。インフルエンザパンデミックは、それまでヒトで流行を繰り返してきた季節性インフルエンザのウイルスとは大きく異なる鳥や動物のウイルスがヒトでの感染性を獲得することによって起こる。そのようなウイルスが出現すると人類の多くは、新たなウイルスに免疫を持っていないために一気に世界規模の大流行となり、大きな被害をもたらすことになる。このようなインフルエンザパンデミックは数十年に一度の割合で繰り返し起きてきており、2009年にはブタインフルエンザ由来のA(H1N1)がパンデミックを起こしている。しかし、鳥インフルエンザウイルスが鳥からヒトへの感染を起こしているだけではパンデミックにはならない。また限定的なヒトからヒトへの感染が起きても、それが直ちにパンデミックにはなるわけでもない。パンデミックの起きる条件としては、ヒトからヒトへの感染が効率よくかつ持続的に起こることが必要である。しかし、鳥インフルエンザウイルスのヒトへの散発的な感染、さらには限定的なヒトからヒトへの感染は、ウイルスのヒトへの適応過程で起きてくる可能性がある。そのため鳥インフルエンザウイルスのヒトへの感染事例は、インフルエンザパンデミックにつながる可能性があるということで世界的な注目を集めてきたということになる。

 鳥インフルエンザウイルスの中でも最も大きな注目を集めてきたのが、高病原性鳥インフルエンザA(H5N1)である。このウイルスのヒトの感染は1997年に香港で確認されたのが最初である。この香港の流行では18人の感染が確認され、そのうち6人が死亡している。このウイルスは2003年以降、家禽類で世界的な流行を起こし、アジアから中東・ヨーロッパ、さらにはアフリカにまで流行が広がっている。また家禽での流行域の拡大とともに、ヒトでの感染もアジア各国やエジプトなどで600例以上が確認されている。高病原性かどうかはニワトリに対しての病原性で規定されるが、A(H5N1)はニワトリに対して高い病原性を持つだけはなく、ヒトに対しても高い病原性を持つことが知られていて、これまでに感染が確認された600例以上の感染者の60%近くが死亡している。A(H5N1)は2003年以降ヒトでの感染が継続的に起きていること、さらにヒトに対しても高い病原性を持つことから、このウイルスがインフルエンザパンデミックを起こすことが懸念されてきた。しかし、いまだにこのウイルスはヒトへの適応を示す兆候はなく、持続的なヒトからヒトへの感染は確認されていない。

2.インフルエンザA(H7N9)の中国での出現

 2013年3月に中国から新たに鳥インフルエンザウイルスA(H7N9)のヒトでの感染事例が報告された。このウイルスは高病原性のウイルスではなく、ニワトリに対しては高い病原性を持たないウイルスである。そのために流行の検出が難しいということはあるが、中国国内で広くこのウイルスが広がっていると考えられている。2013年の3月から4月にかけて130例を超えるヒトの感染者が中国から報告されているが、2013年5月以降にいったん流行は収束することになる。これは中国において家禽市場の閉鎖など積極的な対策がとられたこともあるが、それとともに季節の影響、すなわち夏を迎え気温の上昇とともにウイルスの活動も鎮静化したと考えられている。実際に2013年10月以降感染者が再度増加するようになり、2013年10月から2014年4月までの間に200例を超える感染者が報告されている。また、A(H7N9)でもA(H5N1)と同様に一部の感染者ではウイルス性肺炎を起こし重症化することが報告されている。2013年に報告された症例における致死率は30%を超えているが、A(H5N1)とは異なり軽症例も相当存在する可能性が高く、報告されていない症例を含む実際の致死率はそれほどには高くないと考えられる。これまでの感染者のほとんどは家禽類から感染が起きたと考えられているが、一部にヒトからヒトへの感染が考えられるような症例も報告されている。しかし、現段階では少なくてもヒトからヒトへの持続的な感染は見られていない。したがって、直ちにパンデミックにつながるような状況ではないということになる。

3.インフルエンザA(H7N9)のリスクをどう考えるべきか

 まずこのウイルスのリスクを考える上で2つの異なるリスクを評価する必要がある。1つは、このウイルスがパンデミックを起こすリスクがどのくらいあるかということであり、もう1つはこのウイルスがもしパンデミックを起こした場合にどのくらいの被害が起こり得るかということである。

 前述のように現時点で直ちにパンデミックが起こるというような状況ではないが、近い将来にパンデミックを起こすリスクはどの程度あるのであろうか。このリスクを正確に評価することは困難であるが、パンデミックが起こるリスクは存在すると考えるべきである。今回のウイルスについては、詳細な解析を中国だけではなく多くの国の研究者が行ってきている。それらの解析の結果、このウイルスはすでにヒトに対してある程度適応してきていることがわかっている。まず、ウイルスは宿主に感染する際に、細胞表面のレセプター(ウイルスと結合し、その侵入を導くもの)に結合する必要がある。ヒトのインフルエンザウイルスと鳥のインフルエンザウイルスではその認識するレセプターが異なることがわかっているが、今回見つかったウイルスはすでにヒトのレセプターを認識しやすいように変異している。また鳥はヒトに比べて体温が高く、鳥のインフルエンザウイルスはより高い温度で増殖するが、遺伝子の解析からは、今回のウイルスはすでにヒトの体温で増殖しやすいように変異を起こしていることもわかっている。ヒトでの感染が相次いで報告されている背景には、このウイルスがすでにヒトにかなり適応しているということがあるものと考えられる。感染者が散発的に確認されているA(H5N1)は、10年間で600例程度の感染者が報告されているが、それに比べるとA(H7N9)の感染者数ははるかに急増している。これはA(H5N1)には今回のA(H7N9)に見られたようなヒトへの適応を示すような遺伝子の変異は見られず、ヒトへの感染は例外的にのみ起きていると考えられているのに対して、A(H7N9)ではヒトへの感染がより容易に起こることを示すものだと考えられる。この時点でヒトにより適応していることが直ちにパンデミックを起こすことを示すわけではないが、パンデミックを起こすリスクはA(H5N1)に比べても高いと考えるべきである。

 現時点ではA(H7N9)がパンデミックを起こすことが確実なわけではないが、仮にこのウイルスがパンデミックを起こした場合にどんなことが想定され、どのような対応が必要であるかを今のうちに考えておくことは、危機管理上不可欠なことであると考えられる。このような事態が起きた場合に、問題になるのは病原性と感染性である。このウイルスがヒトからヒトへ感染するように変化した場合、病原性や感染性が大きく変わることもあり得るが、現時点でわかっているこのウイルスの特徴から、パンデミックが発生した場合に起こりうることについて考えていきたい。病原性については、すでに軽症例や無症候性感染例(感染しているが症状のない例)も見つかってきており、ヒトに対する病原性はA(H5N1)のように著しく高いということはないだろうと考えられる。しかし、病原性のそれほど高くないウイルスによるパンデミックであっても相当の被害が起きることはあり得る。たとえば、致死率が0.1%のパンデミックであっても、2000万人が罹患すると2万人が死亡する計算になる。わずかな病原性の違いが最終的な被害の程度を大きく左右するので、病原性の見極めは慎重に行う必要がある。ヒトからヒトに感染するように変化した場合の感染性についても現時点では未知数であるが、大きな懸念材料としてこのウイルスに対しては人類の大半がまったく免疫を持っていない可能性が高いということがある。少なくとも我々が知っている限り、このウイルスと同じH7という型のウイルスがヒトの間で大流行を起こしたことはなく、おそらく人類の大半はこのウイルスに対して免疫をほとんど持っていないと考えられる。2009年に起きたA(H1N1)のパンデミックでは高齢者を中心に成人の多くが何らかの免疫を持っていたと考えられており、そのことがこのパンデミックがそれほど大きな被害にならなかった大きな理由だと考えられている。A(H7N9)がパンデミックを起こした場合、ほとんどのヒトが免疫を持たないことは、このウイルスの感染性や病原性に大きく影響する可能性がある。

まとめ

 現時点では中国に相次いで報告されている鳥インフルエンザウイルスA(H7N9)が直ちにパンデミックを起こす状況ではない。しかし、パンデミックを起こす可能性のあるウイルスではあるため、今後の動向を注意深くみていく必要がある。実際にパンデミックを起こすかどうかも現段階ではわからないが、危機管理の観点からパンデミックを起こした場合を想定してどのような被害が起こり得るのか、それに対してどのような対応が必要かということは考えておく必要がある。