第134号
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脳型知能研究の回顧および展望(その1)

2017年11月8日

曽 毅:中国科学院自動化研究所脳型知能研究センター、中国科学院脳科学・知能技術卓越創新センター

博士、研究員。主な研究分野は、脳型知能、認知脳計算モデリング、言語理解、知識表現および推論。

劉 成林:中国科学院自動化研究所脳型知能研究センター、中国科学院自動化研究所パターン認識国家重点実験室、中国科学院脳科学・知能技術卓越創新センター

博士、研究員。主な研究分野はパターン認識、脳型情報処理。

譚 鉄牛:中国科学院自動化研究所パターン認識国家重点実験室、中国科学院自動化研究所知的認識・計算研究センター、中国科学院脳科学・知能技術卓越創新センター

博士、研究員。中国科学院院士、英国王立工学アカデミー外国人会員。主な研究分野は人工知能、パターン認識、コンピュータビジョン、バイオメトリック認証、ネットワークデータの理解および安全。

概要:

 人工知能(AI)という学問分野の誕生以降、人間レベルの知的システムの実現がこの学問分野の長期目標となった。しかしながら、およそ60年にわたる発展を経た現在に至っても、人間の水準に迫ることができ、多種多様な認知能力を連携させ、複雑な環境に対する強靭な自己適応能力を持ち、新たな事物や環境に対する自律学習能力を持つような汎用知的システムはまだ一つも開発されていない。脳科学や神経科学、認知科学の発展に伴い、さまざまな尺度から多様な認知課題を行う際の脳の神経回路の活動を部分的に観察し、かつ、関連データを取得することが可能となった。このため、脳の作業メカニズムによるインスピレーションから、近年では脳型知能の発展が人工知能および計算科学分野における研究の関心事となっている。脳型知能とは、計算モデリングを手段とし、脳神経メカニズムと認知行為メカニズムによりインスピレーションを受け、かつ、ソフトウェアとハードウェアの連携により構築される知能機械のことである。脳型知能システムは情報処理メカニズムにおいて脳に近似し、認知行為および知能レベルにおいてヒトに近似し、機械によってヒトの持つ多様な認知能力とその連携メカニズムを実現し、最終的にヒトの知能レベルに到達し、またはそれを超越することを目標としている。本稿では、脳科学、認知科学および人工知能研究による学際的視野から脳型知能研究の歴史、現状および研究テーマを回顧し、かつ、この研究分野の今後の方向性と応用分野の可能性、ならびにその深遠な影響の潜在性について展望する。

キーワード:脳型知能、人工知能、認知計算、脳認知計算モデル、脳型情報処理、知能ロボット工学

1 はじめに

 知能機械の模索に関する歴史はチューリング[1]まで遡ることができ、それ以前にはパスカルやライプニッツ[2-4]の存在もある。この学問分野の萌芽期においては、チューリングが知能科学に関して高い要求と長期的ビジョンを打ち出している。それは、未来の知的システムではヒトと同じレベルの思考を期待するというものだ[1]。その後、1956年に人工知能という学問分野が確立された際に、当時の研究者たちは、人工知能とは「人間の知能のシミュレーション、延長および拡張」であり、「知能機械の製造に関する科学とエンジニアリング」であるという基本定義と長期目標を提示している[5]

 それからおよそ60年にわたる発展を経て、人工知能の学問分野ではすでにいくつかの重要な理論的基礎が築かれ、多くの進展も見られている。その具体例は、機械認識やパターン認識の原理と方法、知識表現・推論理論システムの確立、機械学習に関連する理論や一連のアルゴリズム等である。知的システムの実用面では、IBMの開発したシステム、「ディープ・ブルー」(Deep Blue)がチェスの世界チャンピオンのカスパロフを倒し、同じくIBMが開発した質問応答システム「ワトソン」(Watson)がアメリカのクイズ番組「ジョパディ!」に挑戦者として出演して人間の解答者に勝ち、Siri等の自動マン・マシン対話ならびにサービスシステムが登場し、Google自動車による自動運転が登場する等、いずれもさまざまな観点からこの分野の発展を示すものである。しかし、これらのブレイクスルーはいずれも、知的システムが特定の視点から、または特定の分野において人間の知能に到達し、またはそれを上回っただけに過ぎず、その関連理論やアルゴリズム、システムのいずれにおいても、他の分野に普及させ、他のタイプの問題解決に用いるのは難しかった。さまざまな認知機能の連携や汎用的知能の面においては、機械はまだ人間とは明らかな差がある。既存の人工知能システムが汎用性において隔たりがあるのは、その計算理論の基礎やシステム設計の原理と不可分の関係がある。

 計算理論の基礎から見れば、チューリングマシンとジョン・フォン・ノイマンによるコンピュータのシステム構造の考案により、計算の本質と構造のそれぞれの面において、近代的情報処理と計算技術という二つの大きな基礎が築かれたが、それらに共通の問題は自己適応性の欠如であった。チューリングマシンの本質は、あらかじめ定義されたルールによって一組の入力記号を処理することにあり、ルールは限定的で、入力もあらかじめ定義された形式により制限を受ける。チューリングマシンのモデルは、物理世界に対する人間の認知レベルによって決定されるため、マシンによる問題記述や問題解決のレベルは人間により規定される。一方、ジョン・フォン・ノイマンによるシステムの構造はプログラム内蔵方式による計算であり、そのプログラムもあらかじめ設定されたもので、外界の変化や要求の変化によって自ら進化することはできない[6-7]。この二つの基礎によって、現代の情報処理と計算技術のおよそ60年にわたる発展が支えられてきたが、チューリングマシンとジョン・フォン・ノイマンによるシステム構造の制約を受けて、現在の知的システムは感知、認知、制御等の多くの面で大きなボトルネックに直面している。その例としては、大量かつ多重な情報の選択的感知およびチェックが難しいことや、パターン認識や言語理解に関しては処理メカニズムや効率等の面で人間の脳にはるかに及ばないこと、人間の手による知識入力や訓練サンプルの提供に多く依存すること、新たな環境や新たな問題に対してはシステム上で異なるアルゴリズムを構築する必要があること、自己適応能力に劣ること等がある。今後は、これらの入力や処理形式で比較的固定的な計算方式のブレイクスルーによって、よりフレキシブルで人間的な知能による情報処理と計算モデルに取って代わることが急務である。

 求解原理の面で言えば、現在のほとんど全ての人工知能システムにおいては、あらかじめ人間の手による形式化モデリングを行ってから、ある種特定の計算問題(例えば検索、自動推論、機械学習等)に転化させて処理を行う必要がある。かつて人工知能の歴史においては、汎用的な求解システム開発の努力がなされたことがあるが、やはり人の手によって問題が一連の整論理式またはホーン節に帰納される必要があった[8]。そうとはいえ、人間の脳は同一の情報処理システムを採用して自動認識や問題分析、求解、意思決定・制御等を行っている。このため、未来の人工知能システムが汎用性のある知能レベルに到達する上で解決すべき核心的な問題の一つは、問題の自動形式化モデリングである。

 現在では、ビッグデータの登場とディープラーニングというアルゴリズムの開発とその応用により、多くの特定分野における知能機械レベルの急速な発展が促され(例えば、音声認識や画像分類の急速な向上は、ディープニューラルネットワークと大量のデータによる訓練のたまものである)、知能技術研究とイノベーションの新たなブームがもたらされた。しかしながら、ディープラーニングの優位性は依然として特定の分野に限定され、その実現には大量のサンプルデータが必要な上に、主にオフライン学習であることから、環境移動と自己適応能力に劣る。

 また、ビッグデータ、クラウドコンピューティング、モバイル端末、モノのインターネット(IoT)等の技術の出現と普及によって、情報技術と知能技術のイノベーションと発展に無限の可能性が提供された。これらの応用において解決すべき核心的問題とはデータ分析、理解および有効利用である。その出所が自然環境であるか、双方向の認知データであるか、あるいはユーザーによる合成データであるかを問わず、そのほとんどは画像や動画、音声、自然言語等の非構造化データである。このようなデータに対する機械の理解能力は人間と大きな隔たりがあり、まさにこの種の能力不足によってビッグデータの充分かつ有効な利用が阻まれている。つまり、ビッグデータは知能技術に大きなチャンスをもたらすとともに、多くの新たな課題を突きつけていると言えよう。

 人間の脳は汎用的な知的システムであり、一を聞いて十を知り、さまざまな知識や道理を融合して全面的に理解することができ、視覚、聴覚、言語、学習、推論、意思決定、計画等のさまざまな問題を処理できることから、まさに「万能」と言える。また、人間の知的認識と思考能力は成長と学習のプロセスにおいて自然に形成されて進化し続けるものであり、その自律学習能力と適応能力は現在のコンピュータでは遠く及ぶことができない。このため、人工知能の発展目標は、人間の脳と同じ様に自律学習と進化が可能で、人間と同様の汎用的な知能レベルを持つ知的システムの構築である。

 文献[9]によれば、「新たな環境や新たな課題への自己適応能力を持ち、新たな情報や新たな技能に対して自発的な獲得能力を持ち、複雑な環境下で効果的な意思決定を行い、かつ、数十年にわたり安定的に働く能力を持つような自然システムまたは人工システムは、人間の脳以外に一つも存在しない。また多くの損傷を受けた状況下でも人間の脳と同様のロバスト性を維持できるシステムは一つも存在せず、同じ様に複雑なタスクを処理する際も、人間の脳ほど低燃費な人工システムは一つも存在しない」。このため、情報処理と知能という本質的な観点から人間の脳の行う情報処理を観察し、その原理を参考として脳型知能による計算技術を進展させることこそ、人工知能におけるイノベーションの重要な源泉となる。

 近年の脳科学、神経科学、認知科学の発展に伴い、脳の部位や神経群、微小神経回路、ニューロン等のさまざまな尺度から多様な認知タスクを行う際の脳組織の部分的な活動を観察し、かつ、関連データを獲得することが可能になった。人間の脳の情報処理プロセスはもはや推測のみに頼るのではなく、学際的研究や実験によって得られた脳のメカニズムのほうがより信頼性が高い。このため、脳の情報処理メカニズムからインスピレーションを得て、脳神経メカニズムと認知行為メカニズムを参考に脳型知能を発展させることが、近年の人工知能と計算科学分野における研究の関心事となっている。

 このような背景と理解をベースに、本稿では脳型知能について以下のように定義する。すなわち、脳型知能とは計算モデリングを手段として、脳神経メカニズムと認知行為メカニズムからインスピレーションを受け、かつ、ソフトウェアとハードウェアの連携により実現した知能機械である。脳型知能システムは、情報処理メカニズムにおいては脳に近似し、認知行為と知能レベルにおいては人間に類似しており、その目標は、脳に近似した方式によって人間の持つ認知能力と連携メカニズムを機械に実現させ、最終的に人類の知能レベルに到達し、またはそれを超越することである。脳型知能の採る手段は、主にメカニズムにおいて脳を参考としているが、脳を完全に模倣するものではないため、対応する英語の専門用語は「Brain-inspired Intelligence」が最適であろう。

 本稿では、脳科学と神経科学、認知科学、人工知能研究による学際的な視座から脳型知能研究に関する歴史、研究の現状と焦点を回顧し、かつ、この分野の将来的な方向性および可能性のある応用分野やチャンス、さらには未来の知能科学と人類社会に対する潜在的かつ深遠な影響について展望する。

その2へつづく)


①   McCarthy J. What is artificial intelligence? http://wwwformal.stanford.edu/jmc/whatisai/

参考文献:

[1]. Turing A M. Computing machinery and intelligence. Mind, 1950, 49: 433-460

[2]. Hofstadter D R. Gödel, Escher, Bach: An Eternal Golden Braid. New York, USA: Basic Books, 1979

[3]. Chrisley R. Artificial Intelligence: Critical Concepts, Volume 1. London, UK: Taylor & Francis Group, 2000

[4]. Lungarella M, Iida F, Bongard J, Pfeifer R. 50 Years of Artificial Intelligence: Essays Dedicated to the 50th Anniversary of Artificial Intelligence. New York, USA: Springer, 2008

[5]. Nilsson N J. The Quest for Artificial Intelligence: A History of Ideas and Achievements. New York, USA: Cambridge University Press, 2009

[6]. Turing A M. On computable numbers, with an application to the entscheidungs problem. Proceedings of the London Mathematical Society, 1936, s2-42(1): 230-265

[7]. von Neumann J. The Computer and the Brain. New Haven, USA: Yale University Press, 1958

[8]. Newell A, Shaw C, Simon H. Report on a general problem-solving program // Proceedings of the International Conference on Information Processing. Paris, France, 1959: 256-264

[9]. Markram H, Meier K, et al. The Human Brain Project: A Report to the European Commission. Technical Report, 2012

※本稿は曽毅,劉成林,譚鉄牛「類脳智能研究的回顧与展望」(『計算機学報』2016年第39巻第1期、pp.212-222)を『計算機学報』編集部の許可を得て日本語訳・転載したものである。記事提供:同方知網(北京)技術有限公司