第146号
トップ  > 科学技術トピック>  第146号 >  科学技術を活用し、目指す少数民族地区の脱貧困

科学技術を活用し、目指す少数民族地区の脱貧困

2018年11月1日 葉娟、保旭(『中国新聞週刊』記者)、李明子/吉田祥子(翻訳)

住民の約8割が少数民族という雲南省瀾滄県で科学技術による貧困扶助がおこなわれている。豊かな自然環境を活かし「意識」と「知識」の 両面からサポートする壮大な取り組みは始まったばかりだ。

 6月の瀾滄(ランツァン。正式名称、瀾滄〈ラフ〉族自治県)はすでに雨季に入っていた。雲南省の南部に位置し、熱帯に属する同県は98%が山地で、森林被覆率60%以上。「天養の地」と呼ばれる。 

 恵み豊かな自然環境のおかげで、人々は気楽にのんびりと暮らしている。瀾滄県の東側はメコン川(中国名、瀾滄江)に臨み、南側はミャンマーと国境を接する。雲南省で2番目に大きな県で、県 内常住人口の約8割が少数民族である。伝統的なラフ族にとっては、歌や踊りで自然の恵みに感謝することのほうが、朝から晩まであくせく働くよりも、ごく当たり前の日常なのだ。

「少数民族の自然崇拝、大きな山河による外界との隔絶、開発の立ち遅れが、現地の原始的な生態環境を保護してきました。しかし、それはこうした地域が閉鎖的になり、取り残され、貧 困化する原因でもあるのです」。雲南省普洱(プーアル)市共産党委員会書記の衛星(ウェイ・シン)氏はこう語る。

 農村住民1人当たりの年間最低生活保障額を基準に計算すると、瀾滄県には国の貧困扶助対象に認定される貧困者がいまなお12万人余り存在する。これは、同県の総人口のほぼ4分の1に相当し、省 内でも重度の貧困県の一つに数えられる。

 その一方で、開発の遅れゆえに保たれている手つかずの自然生態系は、瀾滄県の飛躍的な発展という後発性の利益を実現する原動力でもある。同県は、山奥の密林の間に農民1人あたり内地(漢民族中心の地域)農 民の4~5倍の耕地を保有し、県内には大小153本の河川が流れ、水資源にも恵まれている。また、プーアル茶の里として、野生の茶樹が広く分布する。

科学技術と貧困扶助

 科学技術による貧困扶助は、国家科学技術委員会が1986年に打ち出した農村の貧困対策措置であり、その主な目的は、科学技術の適正な活用、貧困地区の閉鎖的な小農(家族経営の小規模農業)経 済モデルの改革、農民の科学的・文化的資質の向上、労働生産性の向上、商品経済の発展の促進、農民の貧困脱却と富裕化の加速である。

 2015年、中国共産党第18期五中全会(中央委員会第5回全体会議)は「2020年までに中国の現行基準における農村貧困人口の貧困脱却を実現し、貧困県を根絶する」という方針を打ち出し、貧 困扶助を進める方法を、大量の開発資金を地域に投入する湛水灌漑型から各村・各戸の状況に応じてきめ細かく対応する点滴灌漑型に改めるよう求めた。中国工程院の定点連携支援対象の一つが瀾滄県であり、同 院のオフィシャルサイトによると、「科学技術」「教育」「情報化」の3方面から瀾滄県に対し精度の高い支援活動を展開することに重点を置くとしている。

 古くから瀾滄県に暮らす8つの少数民族のなかで、ラフ族・ワ族・プーラン族の居住地はいずれも原始社会からそのまま社会主義社会に移行した「直接移行区」である。

 こうした地区の人々は、他者と自分たちを横並びで比較する機会がないため、昔の生活と比べて、いまは肉も酒も手に入るので、それでもう十分豊かになったと思っている。彼らの「 少し豊かになればすぐに安心し満足する」という考え方は貧困脱却にとって最大の障害だ。また、直接移行区はおしなべて教育水準が低く、瀾滄県民はおおむね小学校卒業程度の教育しか受けていない。大 部分の村人が標準語を話せず、外界との交流が難しいうえ、交通インフラが未整備なのも外部からの投資や事業開発を阻む壁になっている。

 2015年11月、中国工程院中国科学院と合同で7名の院士(両院の研究者に与えられる最高位の称号)からなる視察団を瀾滄県へ派遣した。工程院の院士で雲南農業大学名誉学長の朱有勇(ジュー・ヨ ウヨン)氏が定点的な貧困脱却支援任務を担当し、2カ月に及ぶ実地調査の結果、竹塘郷の大塘子村と蒿枝壩村をモデル地点に選定した。

「どちらも原始社会から直接移行したラフ族の村です。一方は伐採が禁止されている林地にあり、もう一方の村は山地にある田畑が冬場は遊休状態になっているため、貧困レベルがかなり深刻でした」。朱 氏はこのように述べ、大塘子村は思茅松の林を漫然と保全しているだけで、経済的利益がなく、蒿枝壩村は雨季には水稲とトウモロコシを栽培しているが、乾季になると農地はほとんど荒れ果てていると話した。

「村人たちは資源があっても技術と産業がなく、商業的な視点も持ち合わせていませんでした」。朱氏は2つの村でそれぞれ「林下三七(林木の下で漢方薬材の三七人参〈サンシチニンジン〉を有機栽培する)」と「 冬作ジャガイモ」の科学技術研究成果を試験的に運用し、遊休状態の林地と農地を活用して収益を生み出すことで貧困脱却を試みることにした。

image

写真1:5月23日、雲南省普洱市瀾滄県竹塘郷蒿枝壩村にて、病気が発生した三七人参の株を取り除くようラフ族の人々に指導する技術担当者。 撮影/『 中国新聞週刊』記者 劉冉陽

村に誕生した「院士指導クラス」

 昨年3月、大塘子村で3カ月余り試験栽培された1ムー(約667㎡)の三七人参が発芽し、思茅松の林間に続々と移植された。

 高さが十数mから数十mになるこのマツは、「退耕還林(耕地を森林に戻す)」政策と生態保護政策により保護され、大塘子村の7,000ムー余りの山地に広く分布する。思茅松は90%の日照を遮るため、地 面にはほとんど草が生えない。しかし、このような「劣悪な条件」に現地の海抜・傾斜度・方角(北向き)・土壌の有機物含量といった要素が組み合わさり、三七人参などの貴重な薬材の生育にちょうど適していたのだ。 

「マツの木の下には500種余りの微生物がいて、そのうち100種余りが病原菌を抑制する拮抗微生物です」。雲南大学植物保護学院院生の龔加壽(ゴン・ジアショウ)さんはこう説明する。龔 さんは昨年5月から半年間、このモデル地点に駐在していた。「雲南の地場産三七人参は遮光棚で外側を覆い、内部は松葉を敷き詰めるという伝統的方法で数百年前から栽培されていたのですが、私 たちはその原理を科学で解明したのです」

 三七人参栽培の最大の敵は病害である。なかでもよく発生するのが眼紋病だ。「小難しい理屈は抜きにして、現地の農民にはこのような病気があることを知ってもらい、見つけ次第病変のある葉を摘み取って、そ の周りに生石灰を撒いて消毒するように教えています。それで十分ですから」と龔さんは言う。

image

写真2:病変のある葉を摘み取ってから消毒用の生石灰を撒くというミニ科学技術院で受けた指導を実践する。撮影/『中国新聞週刊』記 者 劉冉陽

 蒿枝壩村では、村民委員会が朱有勇氏をはじめとする科学研究チームのためにミニ科学技術院を建てた。2階が住居で1階が教室になっている。20余りの郷鎮から240人の農民受講生を朱氏が面接で選び、昨 年9月より4コースの「院士指導クラス」を開設した。

 朱氏はこう語る。「県全体が貧困から脱却するには、科学技術モデル地点をいくつか設けるだけでは不十分。技術を農民に教え、農民自身にそれを実践させなければなりません」。科 学研究チーム総出で農民に作物・栽培・病害虫防除の知識を手取り足取り伝授し、最後は生産物の仕分け・箱詰めに至るまで農業の産業モデル一式を指導した。

 受講生の必須条件は、標準語が聞き取れること、コミュニケーション能力が高いことに加え、一定の影響力を持ち、親戚や友人を巻き込んで一緒に栽培ができることだ。朱氏は「 こうした条件はすべて技術を広めるための下地でした」と述べ、「林下三七」に取り組んできた大塘子村が今年貧困から脱却したことを告げた。

 昨年10月、三七人参の1ムーの試験圃場の成功を受けて、近くの2つの山で畑を350ムーに拡大した。「院士指導クラス」で技術を学んだ農民受講生がその畑で種苗を1人1ムーずつ試験栽培し、試 験栽培が成功すると、さらに各自の林地に広げていった。

 今年4月、「院士指導クラス」第1期生が全員順調に卒業し、それと同時に、技術を習得した卒業生が「林下三七」を郷全体に普及させ、累計1,000ムーに達した。瀾滄県林業部門の調査によると、県 全体には50万ムー余りの思茅松の林があり、そのうち三七人参の生育に適した林は40万ムー余りで、林下栽培を全面的に展開すれば生産額は20億元に達する計算になる。

「そう簡単に計算通りにはいかないものです」と言って、龔さんが次のように補足した。三七人参の栽培には「連作障害」が存在するので、三七人参を育てた場所で同種の作物を再び栽培すると、病 害の発生率が増加し、収量や品質が低下してしまう。

 目下の解決方法は、三七人参の収穫後に異なる種類の薬材植物を栽培して連作障害を緩和するか、もしくは、バイオテクノロジーを使って土壌微生物群を改良するというものだが、ど ちらの方法もまだ研究中だという。

image

写真3:三七人参のためにビニールで雨除けの棚をつける。撮影/『中国新聞週刊』記者 劉冉陽

意識と知識の両面で支援

 外部からのさまざまな働きかけや経済面の魅力により、竹塘郷では半数の農家が「林下三七」の栽培に参加した。今年3月、全 国人民代表大会と政治協商会議の場で瀾滄県の冬作ジャガイモが全国の野菜卸売業者に向けて披露されたが、竹塘郷の全村民が取り組むまでには至っていない。

「最も難しいのは現地の人たちの意識変革です」。前出の衛星氏はこのように述べ、「貧困扶助は、まず"志"(ジー)(意識)と"智"(ジー)(知識)の両面をサポートすることです。普 洱市は多民族が暮らす辺境地区。先進地区と比べ、ここの農村は、とりわけ中央から遠く離れた少数民族の村では教育水準が低く、市場に対する意識が希薄です。村人が『傍観者』から『当事者』になり、科 学技術で生産方法を変え、経済効果を高めるためには、まず彼らの考え方を変えることで内在的活力を奮い立たせなければならないのです」と語る。

 こうしたトップダウン型産業プロジェクトは、持続可能な発展の実現が最大の課題だ。「トップダウンでもボトムアップでも、どちらにもリスクは存在します」と衛氏は指摘し、ボ トムアップ型は人々が外部の市場をあまり理解していない可能性があるため、市場情報の調査研究に力を注ぐのであれば、トップダウン型のほうが有利だと主張する。

「科学技術を利用したグリーン(環境配慮型)産業の発展で解決するのは、一時的な収入の問題ではなく、長期的な産業振興計画と人々の経済的保障です。こ れは普洱市が現地の状況に適した方法で堅実に絶対的貧困から脱却し、二度と後戻りしないための鍵でもあるのです」(衛氏)

 普洱市は初の国家グリーン経済試験モデル区を建設中だ。グリーン発展は同市のテーマであり、地域の産業振興計画の核心でもある。衛氏は「一つ一つのグリーン産業は、普 洱市が一つの少数民族も決して置き去りにすることなく貧困から脱却する手段であるだけでなく、普洱市党委員会と市政府がしっかりと各民族の人民を導いてこの堅塁攻略戦に勝利し、共に『小康』( いくらかゆとりのある生活)に向かって邁進する基礎でもあるのです」と言って、こう付け加えた。

「庶民の貧困解消に成功しても、科学技術の遺伝子が埋め込まれたグリーン産業が終了するわけではありません」


※本稿は『月刊中国ニュース』2018年12月号(Vol.82)より転載したものである。