2011年08月08日-08月12日
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イタリアの学者:マルコ・ポーロは中国に行っていなかった

2011年08月12日

 大探険家のマルコ・ポーロは実は中国に行っておらず、『東方見聞録』は伝聞の寄せ集めだとのイタリアの学者の研究が発表された。英紙デイリー・メール(9日付)は「この説が正しいと証明されれば、人類史上最も偉大な探険家の1人であるマルコ・ポーロは『ペテン師』だったことになる」と報じた。人民日報傘下の国際情報紙「環球時報」が11日付で伝えた。

 英紙デイリー・テレグラフ(9日付)はマルコ・ポーロはペルシャ商人から中国、日本、モンゴル帝国に関する「間接的な物語」を聞いた可能性が高いとの考古学者の見解を報じた。こうした物語と他の雑多な情報を寄せ集めたのが、ベストセラー『東方見聞録』だというのだ。考古学者は『東方見聞録』にあるフビライ・ハーンによる1274年と1281年の日本遠征に関する記述に矛盾や不正確な点があることを指摘する。マルコ・ポーロはフビライの宮廷で使者を務めたと主張しているが、現存のモンゴルや中国の古文書にその名は見えない。

 今回の研究以前にも、英国の学者がマルコ・ポーロの中国到達に疑問を投げかけている。英国の歴史学者フランシス・ウッドは、当時中国で一般的だった四大発明、箸、纏足、長城などに関する記述がないことを指摘し、マルコ・ポーロは黒海近辺までしか行っていないとの説を唱えた。ウッドは最近、ベネチアの古文書にマルコ・ポーロ一家と中国との直接的な接触を示す記述が全くないことも指摘した。

 マルコ・ポーロは13世紀イタリアの旅行家、商人。17歳から世界を巡り、中国に17年滞在して多くの都市を訪問し、南西部の雲南や南東地区にまで行ったと述べている。マルコ・ポーロの『東方見聞録』は当時の豊かな中国の様子を描いて、欧州人の間に東方への強烈な憧憬をかきたて、その後の新航路開拓に非常に大きな影響を与えた。

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