2014年08月11日-08月15日
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寧夏・固原市、初唐の墓が発見

2014年08月20日

 「この頭蓋骨にはヨーロッパ人の特徴がある。固原市でヨーロッパ人の遺骨が発見されたのは、一度にとどまらない。これは外来民族の移動や融合の状況を十分に反映しており、隋・唐の時代に東西の交流が非常に頻繁であったこと、寧夏および固原地区がシルクロードの中で重要な地位を占めていたことを意味する」――。寧夏回族自治区固原市南ゲン(ゲンは土に原)に位置する、発掘作業中の墓地で、人骨鑑定専門家、吉林大学辺境考古研究センター教授の張全超氏は出土したばかりの頭蓋骨を持ち、記者と国内外の専門家に対して、今回の発見の意義について説明した。光明日報が伝えた。
 墓の所在地は固原市南ゲンで、固原市の市街地から5キロしか離れていない。これまで発掘されていた9基の隋・唐の墓のうち、6基がソグド人の史一家の墓だった。また同地からほど近い所で、北周の高官の墓が3基見つかっている。そのうち李賢夫妻の合葬墓の発掘、中国と西洋の交流の物証である金・銀メッキの壺の発見は、世界に衝撃を与えた。
 記者が発掘現場を取材したところ、墓全体は盛り土、墓道、トンネル、天井、棚、通路、墓室によって形成されていた。坂になっている墓道の傾斜は15度、長さは28メートルで、トンネルと天井が5カ所で確認された。墓室は地下12メートルに位置し、立派で大きな墓となっている。墓誌は見つかっていないが、3枚の文字がはっきり見て取れる、まったく同じ「開元通宝(銅銭)」が出土したことから、初唐の時代の墓であることが分かる。
 専門家は、「固原地区でヨーロッパ人の遺骨が何度も発見されているが、これは固原がかつて中央アジアのソグド人が頻繁に活動していた地域であったこと、また固原が中国と西洋の文化交流、経済・貿易交流の中で非常に重要な地位を占めていたことを裏付けている」と述べた。固原博物館の関係者は記者に対して、「固原地区にはそもそも、史という姓を名乗る人はいなかった。今の史を苗字とする人は、ソグド人の末裔かもしれない」と指摘した。
 発掘調査隊の隊長である朱存世氏は、「今回の発掘調査はまだ終わっていない。さらなる発掘と研究により、新たな、より重要な発見があることを願っている」と語った。

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