第22号:中国環境と日中協力を考える
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未来志向の思考−唯物論の克服−

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( 2008年7月20日発行)

未来志向の思考
−唯物論の克服−

寺岡 伸章(中国総合研究センター フェロー)

ジャック・モノーの「偶然と必然」

  筆者は1956年の生まれで、学生時代には理工系大学で生物化学を専攻していた。世代的には団塊の世代の直後の世代であり、残念ながらその影響 を受け続けている。学生時代に読んだ本のなかで、内容はともかくとして題名を覚えているのは。ジャック・モノーの「偶然と必然」、デズモンド・モリスの 「裸のサル」、山本七平ことイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」、カール・マルクスの「共産党宣言」、デカルト、ニーチェ、キルケゴール、サルトル などの著作である。デカルトの「理性」、ニーチェの「神は死んだ」の意味を筆者が当時的確に理解していたとは思えない、半分ファッション気分で読んでいた のであろう。でも、キャンパスには哲学書を読む雰囲気がまだ残っており、楽しかった。

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  今にして見ると、「共産党宣言」を読んだのは、団塊の世代に対するコンプレックスが原因であったと思われる。「日本人とユダヤ人」は、当時流行していた日 本人論を大いに湧かせた本であるが、日本人の特異性を賛美するものとして、左翼知識人に批判された著作だ。「裸のサル」は人間理性主義に一石を投げるもの で、人間は結局のところ根本のところでは性的欲望で動かされているという発想を人類動物学のもとで展開したものである。そして、「偶然と必然」は、今でも 生命科学を専攻する学生によく読まれている本である。著者のジャック・モノーは、ノーベル賞受賞分子生物学者であり、パスツール研究所長も務めている。科 学者の立場から、生気説や物活説を退け、理性中心主義や科学万能主義ともいうべき立場を明確に示している。本書の結びはこう書かれている。

 

 

「旧 約は破られた。人間はついに、自分がかつてそのなかから偶然によって出現してきた<宇宙>という無関心な果てしない広がりのなかでひとりで生きているのを 知っている。彼の運命も彼の義務もどこにも書かれていない。彼は独力で<王国>と暗黒の奈落とのいずれかを選ばなければならない。」

 つまり、宇宙にはそもそも目的も神も存在しておらず、その事実を認めることにより人類は自らの未来を切りひらく英知と勇気を持てるようになると、ジャック・モノーは主張しているのだ。
このような言説は現代の才気あふれる若い生命科学系学生をも奮起させるであろう。自然や生物の神秘を明かすのはあなたであり、その知識の上に新たな倫理 を築くことができるというのである。旧来の宗教や伝統からの解放であり、人類の未来を決めるのは科学者であると宣言しているようなものである。1970年 代に出版されたこの本は、当時流行していた社会主義運動に影響を与えたと想像するにかたくない。「偶然と必然」の根本思想は唯物史観だからである。

  しかし、歴史は必ずしも「科学的」には展開しない。1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソビエト連邦の崩壊以降、社会主義を信奉する者は激減し た。知識人の言論界は左から右に大きく揺れた。日本では、「朝日ジャーナル」や「世界」は若者から敬遠され、「サピオ」や「正論」が売れるようになった。 ただ、面白いのは、社会主義は人気を失ったが、進歩的歴史観、労働価値説、弁証法的概念をそのまま信じ込み、世界や歴史の認識方法に使用している者はまだ 多い。野党議員のみならず、日本のマスコミ、学会、官僚の多くがまだこのような発想法から抜け出していないように見受けられる。自由よりも平等を重視する 発想はその例である。自民党内ですら、戦前の体制を暗いとみるか、評価すべきと見るかで随分意見の隔たりがあるように思われる。「戦後民主主義」の総決算 と呼ばれるのは、唯物史観からの脱却と同意義であると言っても過言ではない。

 

科学者は唯物論者

  では、単純な質問である。科学者は唯物論者であろうか。「偶然と必然」がまだ生物学や医学を志す学生の間で人気を誇っているのであるから、科学者も唯物論 に傾斜していることはまちがいなさそうである。だからと言って、彼らを社会主義者や左派と指摘する意図は全くない。彼らの自然観や発想は、政治思想とは別 のところにあると思われる。科学が得意でない普通の国民は、どのように発想しているのであろうか。

  「彼の運命も彼の義務もどこにも書かれていない。彼は独力で<王国>と暗黒の奈落とのいずれかを選ばなければならない」と言われて、そうだと賛成できる普 通の国民がどれほどいるのであろうか。心や精神は脳のなかで生起する電気的シグナルの幻影でしかないと言われて、素直に納得できるひとは何人いるのであろ うか。個人にとっては、自己は絶対の存在である。他方、人類の歴史も大きく転換している。冷戦体制の崩壊後の世界は、民族自決、宗教興隆、文明衝突へと対 立軸が変わった。

 「宇宙にはそもそも目的も神も存在しておらず、それを 認めることにより人類は自らの未来を切りひらく英知と勇気を持てるようになる」と楽観的に述べられる状況に人類は生きていない。抑圧されていた自己や民族 や国家や文明のアイデンティティーが過去から蘇ってきているし、地球規模の環境破壊は人類を生存の危機に陥れている。科学的視点で事物を解き、その上に新 しい倫理を構築することは出来ないのである。人間は伝統や文化から完全に自由になれない。人間は、ジャック・モノーが唱えるように「理性的存在」ではない のである。彼には悪いけれど。

 ジャック・モノーの発想が否定されたから と言って、科学者が価値のない社会の片隅においやられる訳ではない。人類が抱える環境、エネルギー、食料問題などの解決に、科学者や技術者の役割は不可欠 なのである。それは否定しようがない。21世紀は人類の生存が左右される時代である。しかしながら、科学者と一般人の間には認識の深い差があるように思え てならない。科学者はあらゆる現象を物質の相互作用に還元して理解し、そのメカニズムを利用して技術に転換し人類の幸福に役立てようとする。だが、一般人 は宗教を信じ、自我の尊厳を信じ、自然を愛し、不自然なものを嫌う傾向にある。心は脳に宿っていると科学者が主張しても、国民のほとんどは心は心臓にもあ ると答える。それを科学者が笑うことができるであろうか。人間の死の定義を巡って、日本で、科学者と人文学者の意見が衝突したことがある。脳死を死と認定 できるかどうかを巡り激しい議論が闘わされた。人間の根源はどこにあるのか。脳が司る自己認識か、それとも心=心臓にも自己又はその一部が潜んでいるの か。

 日本は他の国(特に、西洋キリスト教社会)と異なる価値観を抱いて いては、彼らが支配する国際社会で生き残れないのではないか。いや、日本は特有の文化と伝統があり、それを安易に変えることは国の弱体化ひいては滅亡へと つながる。極論すれば、死の定義は唯物論と唯心論の議論であった。結局は脳死論者が勝ち、心臓移植への道が開かれたのである。命は惜しいと思いつつ、釈然 としない日本国民が多かったと思われる。

 遺伝子操作技術の恩恵を受け、 収穫量の高いトウモロコシが栽培されるようになった。その勢いは止まらない。米国では国民に受け入れられているが、日本やタイなどでは遺伝子操作食物は不 人気である。科学者は、国民の科学リテラシーが低いからその安全性が理解されないのだと言うであろう。実際、日本の大人の科学リテラシーはOECD諸国で 最低レベルである。ウイルスと細菌の違いや放射線と放射能の差を答えられる国民はほとんどいない。しかし、科学者が国民にどんなに上手に説明しても、説得 はできないであろう。論理の問題ではないのだ。日本人は、「腑に落ちる」ものでなければ、受け付けないからである。腑は脳ではない。身体でも日本人は考え るのである。これを後進性と指弾することはできない。逆に、「腑に落ちる」とはいったいどういうことなのかを科学的に説明できるのであろうか。おそらくど こまで科学が進歩しても、説明できないのではないかという気もするし、また、科学者の労力をそんなことに使うのは無駄である。

  科学は以前に人間が将来に希望を抱いていた時に比較して、人間活動の全てを解き明かすことはできないのではなかろうか。例えば、ヘーゲルの「絶対理性」、 プラトンの「イデア」、日本の武士道精神が物質レベルの解釈で説明できるようになるとは到底思えない。科学の領域には限界がある。科学者と国民の意識の差 が厳然として存在すると認めざるを得ない。

 

中国も唯物史観国家か

  中国は共産党が前衛政党である社会主義国家を標榜している。毛沢東が内戦に勝利し、中国を治めるために利用したイデオロギーはマルクスレーニン主義であっ た。1949年の新中国設立以降の、共産党の指導原理は、マルクスレーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表、科学的発展観と次第に変質してきて おり、明らかにマルクス離れが見られる。経済は資本主義化したが、リーダーの政治思想も変容してきている。この脱イデオロギーが将来何をもたらすかを予測 することは難しい。

  一方、中国人の庶民に伝わる思想は中庸である。陰と陽のバランスが大切と考えている。極端を嫌い、穏健な態度を 好む。さらに、庶民の生活習慣や態度のなかに儒教が生きている。しかし、政治体制の選択になると、政権奪取のために農民を組織化する必要があり、誰にも分 かりやすい単純なイデオロギーが提唱される。国家理念と庶民では相当の距離があり、庶民が国家を認識することは相当距離があり、困難である。中国において も、指導者と庶民の価値観の差は大きく、これを縮めるのは容易ではない。

 国民のなかの潜在的な文化エネルギーの解放が必要である。中 国政府は中国人のひとを思いやる心、家庭や社会を大切にする心、親や先生を尊敬する心を育みつつ、国民の信ずる迷信などの前近代的な慣習を是正していかな ければならない。政府自らが西洋文明由来の思想である共産主義を克服し、古代から受け継がれてきた思想に目覚め、国民とともに歩む政府に変貌する必要があ ろう。それが真の意味での“中華の復興”のその時である。

 

冷戦終結と理化学研究所の再生

  1991年のソビエト連邦の崩壊は、世界の人文社会学者の勢力図を大きく変えることになった。ただそれだけに留まらない。各国の科学技術政策にもインパク トを与える。クリントン大統領は、冷戦の勝利を確認すると、国際競争力の復活に向けて米国の再生に取りかかる。冷戦時代は、ソ連との戦いに勝つために、原 子爆弾、ミサイル、スパイ衛星などを支える「物理」が重視され、多額の研究費が投資された時代であった。クリントン大統領は、次代は「生命科学」の時代と 認識し、生命科学予算を急増させる政策を打ち出す。国家保健研究所(NIH)や全米科学財団(NSF)の予算は1990年代に急速に拡大する。

  米国政府の生命科学への急激なシフトをみた、日本政府(科学技術庁)は危機感を抱くとともに、当時原子力関連施設の事故で予算拡大の行き場を探していた が、タイミングよく生命科学への予算の重点化を目指すことになる。その推進母体に指定されたのが、理化学研究所である。理化学研究所には、脳科学総合研究 所、ゲノム研究センター、植物科学センター、発生・再生研究センターなど次々と生命科学関連のセンターが設立されることになる。その結果、10年間で予算 も人員も4倍に膨れ上がる。現在の予算の半分以上は生命科学に投入され、プレス発表される研究成果の三分の二は生命科学が占めるようになった。理化学研究 所は、ブームの前は産業技術総合研究所傘下の一つの研究所程度の規模であったが、現在では産業技術総合研究所全体と同じ規模にまで成長した。生命科学重点 政策が、理化学研究所を復活させたといえる。もし、クリントン大統領が科学技術政策の転換を打ち出さなければ、今のような理化学研究所は誕生していなかっ たと想像するに難くない。

 国際政治でのイデオロギーの転換は、研究所の運命を大きく変えるという事例である。