日本のスポーツ科学について

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( 2008年8月20日発行)

日本のスポーツ科学について

阿江 通良
(筑波大学人間総合科学研究科体育科学系教授)

21世紀はスポーツの世紀

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 今、スポーツにおける最大のイベントであるオリンピックが北京で開かれている。大気汚染、テロなどの心配は尽きないが、日本選手のみならず、各国の選手がベストの条件で競え、成功裏に終わることを祈りたいものである。

  我が国のスポーツの原点である体操伝習所が明治11年(1978)に設立されてから今年で130年になるが、この間に人々のスポーツに対する考え方、さら に体育・スポーツを取り巻く環境は著しく変化した。そして、力や技を競うことの素晴らしさ、スポーツから得られる健康や楽しさに加えて、人や環境とのコ ミュニケーションの獲得、社会の活性化など、これまで多くの人にはあまり知られていなかったスポーツのもつ、計り知れない価値が認識されるようになった。 またスポーツを知っていることは、教養の1つであると考えられるようになっており、今はスポーツの時代であるといっても過言ではない。 21世紀にはスポーツが人間らしい生活を送るには不可欠なものの1つになるであろう。

 

体育? スポーツ?

 わが国におけるスポーツの発展形態は、 ヨーロッパとは大きく異なる。ヨーロッパでは神事、貴族の遊び、労働者の賭けごとから発展してきたスポーツであるが、わが国では明治時代に外国人教師が持 ち込んだこともあって、学校を中心に教育の一手段として広まった。スポーツとよく並び称されるものにわが国独特の「体育」というものがある。わが国では、 一般には、「体育」は学校で教えられる科目の1つで、教育として捉えることが多い。しかし、学会や専門家の間では「体育」を狭義と広義の2つのとらえ方を することが多い。狭義の「体育」とは、「体育教育」(身体運動を通しての、あるいは身体運動についての教育)の意味で、体育教育のねらいを達成するための 手段の1つとしてスポーツを用いるものである。一方、広義の「体育」とは、スポーツを含む各種の身体運動を効果的に使って人生を豊かにする、人間の能力を 高める、維持する、低下を防止する(Human performanceを高める)ことであると考えるものである。このような広義の「体育」は必ずしも教 育とは言えないので、知育・徳育・体育の1つでもなく、英語でphysical educationやsportsと呼ばれているものとも異なる。体育科 学をsport scienceと英訳するが、Taiiku scienceと称してもよいくらい、諸外国にはないわが国独特のものであるといえる。

  このように、体育とスポーツは区別がつけにくく、まだ定説はない。ちなみに、ユネスコではPhysical Education and Sportsと いう表現を用いている。いずれにしろ、ここでは体育・スポーツに関する現象や人間の振る舞いを研究する分野を最近の呼称に従って「スポーツ科学」と呼ぶこ とにする。

スポーツ科学における3つの問いかけ

 ス ポーツ科学の歴史は古くて、新しい。古くはギリシャ時代には都市国家の代表選手のトレーニング法や動き方の研究が行われた。新しくは、ヨーロッパで約 150年前に行なわれた医学的研究が最初であり、わが国では体育の手段として用いられていた体操、スポーツ、舞踊やその指導方法の科学的根拠を確立するた めの研究を推進することを目的に日本体育学会が設立され、1950年に第1回大会が開催された。その後、スポーツ科学はオリンピックや国際競技会、学校教 育、健康や楽しみなど、様々な目的に対応する形で急速に発展してきている。

  スポーツ科学は、人間を扱う実践の学であるが、スポーツ科学の体系には様々なものがある。例えば、日本体育学会(会員数約6000名)には、体育哲学、体 育史、体育社会学、体育心理学、スポーツ人類学、運動生理学、バイオメカニクス、体育経営管理、発育発達、測定評価、体育方法、保健、体育科教育学、アダ プテッド・スポーツ科学、介護福祉・健康づくりという15の分科会がある。著者は、図1に示すように、スポーツ科学を基礎スポーツ科学、実践スポーツ科 学、その中間に位置する実践的基礎スポーツ科学の3つに分けて考えている。基礎スポーツ科学には、スポーツ哲学、スポーツ社会学、スポーツ心理学、スポー ツ教育学などの人文社会学的分野とスポーツ生理学、スポーツバイオメカニクス、スポーツ生化学などの自然科学的分野が含まれる。実践的基礎スポーツ科学に は、体力学、スポーツ経営学、スポーツ医学、スポーツ栄養学などが、実践スポーツ科学には各種スポーツのトレーニング学、方法学、コーチング学、各年代に 対応したスポーツ学(例:高齢者スポーツ学など)などが含まれる。このようにスポーツ科学は自然科学的分野に留まらず、非常に広範な領域をカバーしてい る。

 ae1 通常、科学とは「どうなっているか」と「なぜそうなるのか」を問うものである。しかし、実践の学であるスポーツ科学に関してはこれだけでは不十分である。 例えば、学校において子どもにどのような運動やスポーツを、いつごろ、どのように教えればよいかを明らかにするには、発育発達学、方法学、体育科教育学な どが貢献するであろう。また、オリンピック選手の活躍をサポートするには、スポーツ生理学、スポーツバイオメカニクス、スポーツ心理学、スポーツ栄養学、 スポーツ医学、そして各種目のコーチング学が不可欠である。これらの例で分かるように、スポーツ科学は実践の場を考えることして成立しないので、上述した 科学の問いかけにもう一つ、「どうしたらよくなるか、うまくなるか」という問いかけが不可欠になる。この第3の問いかけがスポーツ科学の独自性を示すもの である。

  日本のスポーツ科学には、先述したように独特の考え方があり、諸外国のものと比べても非常に水準が高い。特に、学校体育に関する研究および実践では世界の トップにあるといわれている。また、明らかに体格や体力に劣る日本選手が国際大会で大きな成果を収めているのは、選手やコーチの能力と努力が第1の要因で あるが、我が国の競技スポーツに関する科学的研究が優れていることの表れでもある。

 

スポーツを10倍楽しむ方法

 オリンピックやスポーツを楽しむ方法(?)を聞かれることが多い。その答えは、「そのスポーツをよく知った、できれば経験と科学的知識を兼ね備え た人に解説してもらいながら、スポーツを観ること」である。幸い、著者はスポーツ科学の多くの分野をカバーできる豊富なスタッフを擁する筑波大学体育科学 系に籍を置いているので、その恩恵を受けようと思えば、受けることができる。しかし、このようなことは多くの読者には恐らく不可能であろう。ならば、少な くとも自分の好きなスポーツに関する知識をもつ、選手に関する情報を仕入れておくという対策を講じるしかない。最近では、スポーツに関する情報はテレビ、 ラジオ、新聞の報道、さらにインターネットを利用すれば比較的容易に手に入れることができる。しかし、これらの情報の多くは、量はともかくとして、取材の 制限、取材者の能力的限界などのためか、質や確度の面で決して満足できるものではない。このようなスポーツを取り巻く状況を考えると、最終的には、自分で スポーツを見て、自分で考えるほかないのである。そのためには、スポーツを実践した経験をもち、スポーツに関する科学的知識があり、情報を正しく解釈で き、スポーツを楽しめる能力(スポーツリテラシー)を身につけておく必要がある。21世紀を豊かにたくましく生きるために、学校や大学においてスポーツリ テラシーを育成する時代が来たのである。

  この小論が、スポーツを理解し楽しむために、また成功した選手だけでなく、精一杯戦って敗れた選手を暖かく迎え入れ、見守れる真のスポーツ愛好家を増やすのに役立てば幸いである。

 


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