第23号:スポーツ科学、中国の挑戦~北京五輪によせて~
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スポーツテクノロジーの現状と将来展望

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( 2008年8月20日発行)

スポーツテクノロジーの現状と将来展望

宮地 力
(国立スポーツ科学センタースポーツ情報研究部副主任研究員)

1.はじめに

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今は、ちょうど北京オリンピックが開催されている。このオリンピック開催前に、スピード社のレーザーレーサー水着が話題になった事は、記憶に新しい。こ のような、道具の進歩によって記録が塗り替えられ、また、技術が変わって来ることは、よく知られた事実である。テクノロジーは、スポーツのさまざまな面に 影響をおよぼしている。筆者は、ロケット科学者と話す機会があった時、「ロケットでは、なかなか新素材を使うことはできない。というのは、耐久性、さまざ まな試験を経ていないものは、宇宙では利用できないからだ。それにひきかえ、スポーツの場面では、カーボン素材しかり、さまざまな新素材が利用できること はうらやましい」という話をきいた。超ハイテクのロケットの世界が、新素材を利用出来ないのは意外であった。スポーツであれば、耐久性、安全性も含めて、 ロケットや医学とは基準が違うので、実験的にも新しいものを受け入れられる素地があるということも、スポーツの特徴としてあるのだと思った。そういう意味 でも、スポーツは新しいテクノロジーが利用される場といえる。

 テクノロジーの発展は、スポーツに様々な影響を与えているが、中でも、

  • 映像テクノロジーの進歩
  • コンピュータの進歩
  • センサー技術の進歩

の3点が、ここ15年位、長足の進歩を遂げ、スポーツへの影響の大きな部分では ないだろうか。この3つの影響は、スポーツ科学の方法論的な部分への影響、トレーニングに対しての影響、スポーツの試合などへの影響、一般スポーツへの影 響等、さまざまな面がある。本稿でも、この3点について、スポーツテクノロジーの面から述べて行きたい。

 

2.映像テクノロジーの進歩

  ダゲレオカメラが開発されたわずかその数十年後の1877年、マイブリッジは、馬や種々の動物の動きを彼の高速連続撮影カメラで撮影した。その後、マイブ リッジは、スポーツ選手のいろいろな運動もそのカメラで撮影している。そういう意味では、映像とスポーツは大きなつながりが初期からあったといえる。そし て、現在では、試合があれば、ビデオカメラで撮影して、そこから、相手の得意技を研究して、次の試合に臨むというようなことは、一般的な試合のための準備 活動である。

  映像は、運動を伝えるための重要な道具である。より強調すれば、運動を記録し伝えることの出来るメディアは、映像しかないとも言える。とりわけ静止画でな い動く映像は、時間軸をもった位置の変化の情報を与えてくれ、その情報をつかえば、速度、加速度、力の情報が得られる。つまり、映像は、運動の原因である 力の情報を与えてくれるメディアなのである。五輪の書で宮本武蔵の武道に対する心構えや哲学を知る事はできても、どのように宮本武蔵が剣を扱ったかという ことはわからない。また、スキーの教則本で、ウェーデルンをいかにきれいに分解写真で構成しても、初めての人がその運動のイメージをもつことは難しい。こ れらの問題は、その運動を伝えるメディアが、時間軸の情報がない文章や静止画であることにある。スポーツの経験のある人であれば、動く映像から、その運動 のイメージを理解し、そのリズムの感じをつかむことができるのである。

  映像というメディアが生まれ、スポーツで利用されるようになったのは、ここ数十年のことである。まして、その映像がデジタル化されて、簡単に取り扱われる ようになったのは、デジタルビデオカメラ普及の後の数年でしかない。しかし、今や映像は、簡単にパソコンに取り込むことができ、再生やランダムアクセスが 出来るようになり、ノンリニア編集ソフトも種々存在する。まさに自由に映像を取り扱えるところまで来たのである。

  しかし、スポーツ映像は、ビデオカメラがあれば、それで撮影できるというものではない。カメラ撮影で問題になるのは、撮影方法というより、撮影する人がい ないという事である。コーチは、選手を見ることに忙しく、また、他のスタッフもそれぞれの役割があるため、カメラを撮影する人手がないのである。まして、 選手だけが練習しているだけの環境では、いちいちカメラを撮影してくれる人はいない。そして、あるスポーツの運動を撮影したいとき、その運動のチェックポ イントが複数あった場合、それを撮影するには、一人のカメラマンでは足りないし、撮影したい場所が水中や高いバーの上であれば、人間では不可能である。

  これは、テクノロジーが利用出来る場面でもある。複数のカメラの自動撮影である。カメラは、「必要なところに、どんどんとりつけて、それを撮影してしまえ ばいい」という発想にたてば、カメラ選択の可能性も広がり、また、自動化の目処も立ちやすい。この方法であれば、カメラは、固定でズームや自動追尾の機能 は必要ないことがわかるだろう。そうなれば、監視カメラ等の、やや安価なカメラ、ネットワークカメラ等も、スポーツ映像のカメラとしての候補になる。複数 のカメラをどのようにスタートし、ストップするかという問題に対しては、センサー利用が答えになる。光センサーを利用して、ある場所を人が横切れば、ある カメラをスタート等、さまざまな応用が可能である。どのようなセンサーを利用するかという点は、それぞれのスポーツ、練習環境、練習の器具などによって異 なる。適切なセンサーを設置すれば、カメラを適切なタイミングでスタートすることは難しいことではない。

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  この図-1は、筆者のグループが、モーグルの夏の練習で行うウォータージャンプの練習のための、自動化システムである。センサー、カメラ、即時で映像を見 るソフトウェアがパソコンと無線ネットワークでつながり、独自のネットワーク通信システムによって自動化を行っている。このようなシステムを洗練させてい くことで、スポーツのための映像テクノロジーの像がはっきりしてくるものと考えている。

 

3.コンピュータの進歩とスポーツ

  10年間、毎日2時間練習をすると7300時間になる映像は、1Mbpsに圧縮すれば、2.6TBのディスクスペースがあれば保存出来る。スポーツで必要 としている映像は、自分の映像だけではないので、個人がその映像を持つ事は大変だが、サーバー上に置く事を考えれば、それだけのスペースを作ることは難し いことではない。「スポーツ映像のユビキタス」、個人がスポーツの練習をした映像は、すべて記録が残るようにすることは可能なのである。このように、コン ピュータの計算速度、メモリ容量、外部記憶容量の増大は、新しい視点をスポーツ映像にもたらすようになってきた。

  問題は、大量に保存された映像から、必要なシーンをいかに検索するかという点である。これには、映像にメタデータを付加して、そこから検索をするという方 法が必要である。また、大量な映像に対しては、タグの自動作成も、もう1つの重要な課題である。映像やその他のデータから、情報を自動的に抽出してタグと することで、映像を検索する別の視点を与えることができる。例えば、映像と同時に記録したフォースプレートのデータから、ある分類の基準で映像に情報を付 加することは、新しい観点を提供できる可能性もある。これは、まさにスポーツ科学の取り組むべき問題と言えるであろう。

  筆者らのグループは、SMART-systemというストリーミングベースの映像配信をする、メタデータによる映像検索のシステムを構築してきた。このシ ステムは、すでにJISSから競技団体に提供され、現在では、10の競技団体や、スポーツ系の大学が利用をはじめている。登録されている映像のファイル は、2万ファイル近く、メタデータは、20万件ほどである。映像は、各競技団体の利用のニーズによって異なり、世界大会レベルの試合映像や、練習映像であ る。このシステムは、図-2に示すSMART-viewerとよばれるクライアントソフトウェアで、映像を検索して閲覧する。検索は、各競技団体の検索の ニーズに合わせて検索文があり、そこから検索する。検索は、数種類のプルダウンから、自分の望むシーンを選択して決定する。

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 スポーツ映像の閲覧ソフトウェアは、単に映像を再生するだけではない、コマ送り、スローモーション、2つの映像の比較を助ける機能、複数カメラを効率よ く表示する機能、分解写真を作る機能等々、さまざまな機能が必要になり、また、それに加えて、コーチングアノテーションの機能やデータの同期表示などもあ る。すべてを満足するソフトウェアがあるわけではなく、いろいろな機能を補完しながら映像の理解を深める応用ソフトウェアを、模索していく必要があるだろ う。これは、映像の応用という面からも、興味深いものを生む可能性があると思われる。

  コンピュータは、スポーツ映像を取り扱うだけでなく、運動のシミュレーション、そのグラフィカルな表示にも、活用されている。特に、シミュレーションにつ いては、多くの可能性があり、現在、研究として行われている面がおおきい。それが、練習の場や、一般の人達のスポーツに影響を与える事も、遠い将来の事で はないであろう。

4.センサーの進歩とスポーツ

 映像は、スポーツ技術の向上のために有効なツールであるが、映像の見方を知らなければ、有益な情報を引き出せない。例えば、織田幹雄が「形からは いるべからず」と言っているのは、まさにその事をあらわしている。映像にあらわれている形と、実際にその動きを作り出した力には、時間差があり、力は、形 の変化のもっと前に出現しているからである。また、位置の情報には、より細かい力の動きは、あらわれない。しかし、こまかい力の制御が運動には重要である ことも多い。

  そこで、力や加速度、速度など、運動のパフォーマンスにダイレクトに影響する値を知る事は、練習の時のフィードバックに役立ち、より、精度の高い練習がで きる可能性がある。それらのデータを得るものがセンサーである。特に、最近は、マイクロマシンの技術等から、センサーの超小型化が進んだ事、無線の技術が 進歩したことにより、センサーデータを練習の場で、即得る事も、可能になってきている。筆者が大学生として、実験を行っていた頃は、加速度計1つが、大き なサイコロ程度もあり、それにアンプ、記録器もあわせると、非常におおがかりなものであった。それが、自動車のエアバッグのためのセンサーとしての必要性 から、超小型化され、また、1/100程度に安価になったため、スポーツの練習の場面でも利用できるようになってきたのである。

  例えば、筆者のグループで取り組んでいるハンマー投げでのセンサー技術の応用を紹介する。miya3ハ ンマー投げでは、ハンマーに加わる人からみて、横向きの成分が、ハンマーの回転を加速する。その加速、減速は、助走の回転中に変化し、ハンマー投げの最終 的な距離に影響する。その値をダイレクトに見るために、ハンマーのワイヤーに複数の加速度計をとりつけ、それらの演算から、横方向の加速度を得た。このセ ンサーは、下図のように、小さいため、練習の場面で利用できる。これによって、回転中の加速、減速を知り、それと、足、体の動きを対応して、運動の評価を することができる。これは、まだ、実験段階であるが、同様な考え方で、さまざまなスポーツでの応用が考えられる。

 また、このようなセンサーデータと映像と同時に記録することで、センサーデータから運動のパターンの自動分類にも応用していくことも考えられる。これは、日々の練習映像が膨大な量になったときに、似た動きを検索することにも利用できると考えられる。

 

5.まとめ

  テクノロジーは、さまざまな面で、スポーツに影響を及ぼし、また、逆にスポーツは、テクノロジーの良い面をとらえて、多いに活用していかなければならないだろう。それは、これからスポーツが生き残るためにも必要であり、新たな産業を生むチャンスでもある。