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第3回中国研究サロン「習近平政権下の政治情勢」/講師:宮本 雄二(2013年10月9日開催)

演題:「習近平政権下の政治情勢」

開催日時・場所

2013年10月 9日(水)16:00-17:40

独立行政法人科学技術振興機構(JST)東京本部別館1Fホール

講演資料

習近平政権下の政治情勢」( PDFファイル 12.3KB )

習政権に戦争の選択肢はない 宮本雄二元大使が分析

小岩井忠道(中国総合研究交流センター

 宮本雄二・元駐中国大使(日本日中関係学会会長)は10月9日、アジア平和貢献センター共催の研究会で講演し、「習近平政権にとって最大の課題は経済発展。戦争をする選択肢はない」と語った。尖閣諸島をめぐる中国の対応を「実際に起きたことに比べ、対抗措置が大きすぎる」と評し、政権移行時の中国政権内の事情が大きく影響しているとの見方を示した。同時に、習政権が最近になって関係改善に向けてのメッセージを発していることにも注意を喚起している。

 宮本氏によると、胡錦濤氏から習近平氏への権限委譲は、これまでのナンバーワン交代に比べ不安定な面もあった。しかし、政権を正式に引き継ぐ前に人民解放軍の人事を長老たちに任せられた、という胡錦濤氏やその前の江沢民氏にもなかった恵まれた環境にある。一方、最優先課題となっている経済発展を促すための改革開放政策によって指導層の腐敗がまん延し、加えて、共産党統治の正当性を維持するために打ち出した愛国主義を鼓舞する政策のマイナス面も出てきた、といった難題も抱える。

 習氏は、党総書記に選出された昨年11月の第18回中国共産党大会以前から、日本問題を直轄していた可能性が高い。中国の外交も他の多くの国と同様、内政の延長という性格が強まり、国民世論の影響を大きく受けるようになっている。不安定な権限委譲という面もある中で、国民の支持を得るために不可欠な経済発展を推し進めるには「中国の次の指導者は強い」ということを示すことが必要。そのために尖閣問題が使われた可能性がある…と宮本氏は分析している。

 尖閣問題で中国が強硬な対応をしたことの解釈として、氏は、鄧小平氏(当時副首相)が改革開放政策を打ち出した直後の1979年にベトナム侵攻を行った例を引いた。この時の鄧氏と同様、国民の支持取り付けという狙いに加え、習氏が人民解放軍に足がかりをつくっていた事実を指摘している。「権力を自身の手にする過渡期において、強い指導者像を人民解放軍の力を背景に演出しなければならなかったのだろう」という見方を示した。

 習政権の今後について氏は、「危機を乗り切った後は、再び普通の国家指導者に戻るはずだ。戻ったなら、最初の任務は経済発展しかない」と予測している。楊潔篪・国務委員(前外交部長)や王毅・外交部長といった要人が、軸足を国際協調に移していることを示す論文を最近、中国共産党機関誌などに続けて公表していることを根拠の一つとして紹介している。

 習近平政権が既得権益層の抵抗を抑えて各種改革を成し遂げ、日中関係についても良いきっかけをつかんで改善することを期待するとともに、中国指導部から最近発せられているいろいろな形のメッセージに対して日本が積極的に応えることを宮本氏は提言した。

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宮本雄二(みやもと ゆうじ)氏氏

宮本雄二(みやもと ゆうじ)氏:
宮本アジア研究所代表、元駐中国特命全権大使

略歴

 1946年福岡県生まれ。69年京都大学法学部卒業後、外務省入省。78年国際連合日本政府代表部一等書記官、81年在中華人民共和国日本国大使館一等書記官、83年欧亜局ソヴィエト連邦課首席事務官、85年国際連合局軍縮課長、87年大臣官房外務大臣秘書官。89 年情報調査局企画課長、90年アジア局中国課長、91年英国国際戦略問題研究所(IISS)研究員、92年外務省研修所副所長、94年在アトランタ日本国総領事館総領事。97年在中華人民共和国日本国大使館特命全権公使、01年軍備管理・科学審議官(大使)、02年在ミャンマー連邦日本国大使館特命全権大使、04年特命全権大使(沖縄担当)、2006年在中華人民共和国日本国大使館特命全権大使。2010年退官。現在、宮本アジア研究所代表、日中友好会館副会長、日本日中関係学会会長。著書に『これから、中国とどう付き合うか』(日本経済新聞出版社)、『激変ミャンマーを読み解く』(東京書籍)。

宮本雄二氏の講演内容

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 中国を分析する上で一番大事なことは、中国共産党とりわけ指導部がどう考えているかを知ること。現状を一番よく知っているのは、中国共産党だからだ。国を運営するには国民の協力が不可欠になっている。ああしろこうしろと命令するだけで、やっていけるはずはない。「こういう政策を何年くらいでやろうとしている。そうすることでこういう利益がある」と説得、誘導しないと国民の協力は得られないから、とりわけ経済については詳細に国民に伝えている。

 もう一つは、統治の正当性だ。「あなたたちはなぜ私たちを統治しているのか」。こうした国民の問いに共産党は答えなければならない。それを共産主義の理念と愛国主義に委ねた、ということだ。

 「共産主義は1989年の天安門事件で死んだ」という指摘がある。私は、実質的には1977年まで続いた文化大革命で共産主義は死んでおり、天安門事件でとどめを刺されたと見ている。1978年に鄧小平が改革開放政策を打ち出したのは、このままでは中国共産党は国民から見放されるという強迫観念からだったと考えている。「中国を統治できるのは共産党以外にない」というのは、鄧小平にとって自明の理であり信念でもあった。党が国民に見放されないためには、経済発展により中国を強国にし、国民の生活水準を上げ、自尊心を満足させなければならない。改革開放政策は、国民の支持を取り付け、共産党が統治し続けるために考え出された政策といえる。

 これはうまくいったのだが、マイナスの面も出てきた。腐敗のまん延だ。

 一方、愛国主義に関しては、1990年代の愛国主義教育は、狭い愛国主義が相当紛れ込んでいる。弱いとばかにされるから、強くならないといけないという…。

 習近平体制は、きわめて難しい課題を抱えている。改革開放政策は見事に成功したものの、これからの中国の社会、経済、外交はいずれも容易ではない。鄧小平の改革開放政策のスキームに納まらなくなっている。改革開放政策を超えた新たな言葉が必要ということで、「中国の夢」を付け加えた。しかし、中身はない。循環不能ではなく循環可能な経済に大転換を迫られており、輸出主導の経済から消費経済に変えることが求められている。農村から都市への人口大移動が必要だが、すでに労働力に限界が見えている。そうした中で生産性をどのように上げるか…。一つ一つが大きな課題だ。習近平は、かなり大きな使命を課されて、これからの10年間をやっていかなければならない。

 ただし、習近平は前任の胡錦濤、前々任の江沢民より恵まれているところがある。共産党が割れてしまうことを何よりも恐れる長老たちが、政権安定のための仕掛けを事前に施した。昨年10月、次期国家主席、中央軍事委員会主席に内定していただけの習に人民解放軍の人事を長老たちが任せたのだ。人民解放軍の人事も他の人事同様、このポストの後任はこれこれのポストからといった慣例のようなものがある。しかし、こうした慣例に基づいて私がたてた予測が外れた人物が3人いた。習近平の意向が通った結果と考えられる。つまり、習近平は最初から人民解放軍に仲間を持つことができた、ということだ。胡錦濤も江沢民もできなかったことである。

 なぜ、こうしたことが可能だったのか。共産党高級幹部の子供たちのグループを指す太子党に属していたから、ということになる。よく知られているように習近平の父は習仲勲だ。毛沢東ら人民解放軍が長征、と言っても実態は蒋介石の国民党にやられやられて陝西省延安に逃げ込んだとき、毛たちのために地元組が解放区をつくってやった。この地元組の実力者が習仲勲である。毛沢東らは、ここで人員を補強することができた。習仲勲は人民解放軍第1野戦軍兼西北軍区の政治委員となり、第1野戦軍(兼西北軍区)には陝西省出身者が多い。何人かは将軍にもなっただろう。習政権が誕生する際には「習近平は習仲勲の息子だから面倒みろ」といったやりとりが(人民解放軍OBと現役の間で)あったに違いない。

 1978年の改革開放政策の後で、権力の中枢に入った人たちは、長征に参加したことと、文化大革命で批判されたという二つの勲章を持つ人たちだった。デスクワークではなく、銃を持って一緒に戦っていたわけだ。仲間意識が強い。またこれら高級幹部は大体、同じところに住んでいたことから、子供たちも同じ小学校、中学校に通った仲だ。子供たちの仲間意識も強く、この中には人民解放軍の幹部になった人間も多い。習近平の人民解放軍との関係は相当深いと言える。政治局常務委員を見ても、習近平がやりたいということに反対する人はなく、習近平の力は相当強いということが言える。

 しかし、表だって反対する人はいないと言っても、習近平の力が確実だとまで言うのは時期尚早だろう。大半は模様眺めという面もある。中国共産党は、国民との関係では自信がないというか、弱くなっている。尖閣諸島など外交問題となると、国民の一番、強硬な主張に合わせて、まずは党の立場を安全にするという対応に出る。時間の経過とともに世の中が静かになると、報道官の発言や、新聞記事などを利用して、国民の考え方を変えていく工作をやり、徐々に元に戻していく…。これが最近のパターンだ。共産党に公然と楯突く個人に対しては容赦なく抑えるが、国民全体に対しては非常に弱くなっている。

 「2020年に国民所得を2010年の倍にする」というのが、胡錦濤政権最後の約束になっている。習近平政権もこれを引き継いでおり、李克強首相が進めようとしている改革路線も当たり前ということだ。しかし、2011年の第12次5カ年計画の中でも、「国民所得倍増」という約束は、計画で示された改革を全て実行して初めて達成できる数字であることが明記されている。その改革を実行しようとすると既得権益とぶつかる。それが生半可なものではない。

 親しい弁護士に聞いて驚いたことがある。「1億元(約16億円)あるから、海外に移民できるよう何とかしてくれ」。中国のある村長に相談されたという。そういう状況がある。「こういう状況を変えることができるのは、孔子の教えしかない」。中国の友人に言ったことがある。孔子は全ての人々を教育して、それから立派な政治をやらせるのでは間に合わない。上の人間を立派にして、その立派な人間に政治をやらせようということで「論語」を書かれた。まず7人の政治局常務委員から徹底的にやったらどうか。次に25人の政治局委員、続いて300人弱の中央委員をその親族を含め例外なく教育する。16億の国民全部は無理というのは分かるが、これくらいはできるだろう。習近平さんも決意してはそのくらいやらないと、腐敗はなくならない…とその友人に言ったのだが。

 こうしたことを考えると、尖閣問題も違う形で見えて来るのではないだろうか。外交のプロが手練手管を使ってやっていたような古きよき時代の外交はすでにない。外交はほぼ内政の延長、国民世論が影響を及ぼす外交になっている。昨年11月の第18回中国共産党大会は、ナンバーワンが次を指名しないという異例の形となった。この不安定な権限の移り変わりが、尖閣諸島の処理に大きな影響を及ぼしていると推測できる。第18回中国共産党大会で次のナンバーワンに指名されなかったものの、この大会以前から習近平が日本問題を直轄していた可能性は高いと考えられる。中国の次の指導者が強い、ということを示すために尖閣問題が使われた可能性がある、と私は推測している。

 そうでないと、実際に起こった出来事と、中国の対抗措置がバランスしない。対抗措置の方が大きすぎるのだ。日本が尖閣諸島を国有化した。従って現状を変更したので、われわれも公船を入れた、と中国側は主張している。その主張の前提は、日本はそれまで尖閣諸島を領土としていなかった、ということになる。民間の人が持っていたら日本の領土ではないのか。政府が持ったから初めて領土になるのだろうか。そんなものではないだろう。

 普通の中国の人たちは、日本がそれまで実効支配をして、いろいろ手を打ってきた事実は教えられていなかった。教えられていなかった国民が世論をつくり上げる。その世論を前提に対応しないと自分の足元が崩れていく、と政府は恐れる。それが、日本が現状を変えたから、われわれも断固とした措置をとるという一連の行動になったのではないか。こういう姿勢をとらないと「習近平はなんだ」と言われるから、ということだろう。

 このことは、1979年2月に中国がベトナムに侵攻したことを思い起こさせる。前年の 1978年12月、中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で鄧小平は改革開放政策を認めさせた。当時の中国の人たちにとっては、それまでと180度異なる路線変更だ。1976年に文化大革命が終わったばかりで、共産党員も一般国民も改革開放がいかなるものか分かるはずはない。徹底的に毛沢東思想を教え込まれていた人たちに改革開放といっても実施に著しい困難が伴うのは明らか。そういう時に鄧小平はベトナムに教訓を与えるという名目で侵攻した。

 あの時、ベトナムは中国の友邦国であるカンボジアを侵攻した。ベトナムが米国と戦争をしていた時、中国にしてみると自分たちは食べるものも食べずに苦労して支援したという思いがある。当時、私はニューヨークにいたけれど、中国人と名のつく人は皆、怒り心頭だった。ベトナムを攻めることは、中国国内では百パーセントの支持を得ることができることだった。これだけのことをやれる、と国民に示すことで、改革開放政策の円滑な進展を期した、というのが定説になっている。

 尖閣でも同じようなことをしたのではないかと考えられる。習近平にしてみると、権力を自身の手にする過渡期において、強い指導者像を人民解放軍の力を背景に演出しなければならなかったのだろう。

 文化大革命で共産党が割れるのをまとめたのは人民解放軍だった。4人組逮捕、ベトナム侵攻、天安門事件の時も同様、中国共産党が著しい困難に直面した場合、とりわけ党が分裂するような可能性がある局面では、必ず人民解放軍が重し役として登場してくる。だから習近平は、まず人民解放軍に手を付け、それを背景に権力移行の時期を乗り切った。そして、危機を乗り切った後は、再び普通の国家指導者に戻るはずだ。戻ったなら、最初の任務は経済発展しかない。中国には問題は嫌になるほどある。経済を成長させて、その中で解決していくしかないのだ。これだけグローバル化した経済の中で、他国とけんかして経済がうまくいくだろうか。

 中国共産党の文献を読んでみてほしい。その中に世界の現状認識が書いてある。「グローバル経済はますます深まり、相互依存はさらに深化、科学技術の発展は日進月歩…」。われわれと同じ認識が全て書かれているのだ。そうであれば、そういう経済を守って、育てていける国際環境でなければならない。そうでないと成長できなくなるのだから。戦争という選択肢はない。もちろん指導者になれば国民感情もあり、人民解放軍もいるから軍の問題は出てくる。しかし、今のこの時点を取れば、中国の指導者にとっては経済成長が一番大事な問題だ。うまくいかなかったら(中国共産党は)明日倒れてもおかしくない。軍事費が1年減ったからといって倒れるだろうか。

 8月16日に 楊潔篪氏(国務委員、前外交部長)が、「習近平時代の創新外交」という論文を雑誌に発表している。「主権、領土など革新的利益は断固守る」ということは書いている。しかし、軸足は確実に国際協調に移していることが分かる内容だ。続いて9月に王毅・外交部長が人民日報に意見を載せ、 楊氏の言っていることをさらに発展させている。こちらには「主権」とか「核心的利益」といった言葉は一切出てこない。この2人は周辺国外交、対開発途上国外交においては、「義利観に基づいた対外政策をやらなければならない」と言い出した。利益を考える時には、必ず義に合っているかどうかを考えなければならない。私義ではなく公義、すなわち中国の利益ではなく、東アジアなら東アジア全体の公義こそがわれわれが追求すべき義…ということだ。こうした方向に中国は軸足を切った。

 ところが、日本との関係はなかなかそこまで動けない。そのくらい中国国内での扱いは難しいということだ。習政権はメッセージを出している。楊、王両氏の論文が最たるものだが、その前の毒入りギョーザの判決も、判決があることを事前に日本のマスコミに知らせるなど、明らかに日本に対する積極的なメッセージだ。習氏自身もメッセージを発している。習氏は8月に日本企業との関係が深い大連のソフトウエア会社「東軟集団」を訪ねた。そこで、同社の開発した遠隔医療システムのコミュニケーションソフトを使って、習氏が北京の中日友好医院の院長と話しているのだ。一部の記者は分かったようで、日経新聞が報道していた。こうしたいろいろな形のメッセージに対して、日本も積極的に応えるべきではないだろうか。

 習近平政権の出だしは、かなりうまくいっているといえるだろう。立ちふさがっているのが既得権益層だ。この既得権益層が例外なく太子党だから、容易ではない。権力を固め、既得権益層を打破し、どうしてもやらなければならない各種改革を残り9年の任期中に成し遂げるよう期待する。日中関係に関しては、ちょっと時間はかかりそうだが、長いこと待つわけにはいかない。いずれ良いきっかけをつかんで、改善してほしい。

講演資料

「習近平政権と日中関係」( PDFファイル 12.3KB )