【16-03】90後がオリンピックを変える!
2016年 9月 5日
青樹 明子(あおき あきこ)氏: ノンフィクション作家、
中国ラジオ番組プロデューサー、日中友好会館理事
略歴
早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中
近著に『中国人の頭の中』(新潮新書)
主な著作
「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」
北京に住んでいた間に、オリンピックは4回ほど経験した。日本人も相当オリンピック好きだが、中国人も負けてはいない。初の自国開催だった北京オリンピックは当然のことながら、オリンピックが来るたびに、ゴールドメダルラッシュに、国中がおおいに沸いていた。
そんな中国で、オリンピック期間中にタクシーなどに乗ると、必ず聞かれたのは、「日本はメダルいくつ取った?」である。
残念ながら、アメリカや中国に比べると、日本のメダル獲得数はそれほど多くない。今年のリオが史上最多である。中国人は、そんなメダル数が納得できない様子だった。
「そんなに少ないのかい? 韓国より下? それはおかしい。日本と韓国だったら、日本のほうが多くて当然だろう? 日本は韓国より発展しているんだから」
はぁ…?
つまりはこういうことである。
メダルの数は、国力に比例するはずだ。
メダルは国力である!
日本のメダルはもっと多くてもいいはずだ!
そして、中国の人々は絶対的に「金メダル至上主義」だった。
銀や銅には興味がない。金をとらなくては、勝ったことにならないのである。
このような考え方でいえば、リオデジャネイロ五輪の中国選手のメダル獲得ペースは、これまでの「スポーツ大国・中国」の勢いが見られない。
金メダル激減に、中国人はどのように反応しているのだろう。もちろん、嘆く声も多いが、それより注目すべきは、選手たちの人生観、そしてそれに共感する中国人のオリンピック観が、確実に変化していることである。
オリンピックは数々の名言を生むもので、日本でも、「今まで生きてきたなかで一番幸せ」「チョー気持ちいい」「手ぶらで帰せない」等々があるが、ついに中国でも、メガ級の流行語がリオで生まれた。「洪荒之力」である。
この言葉が出現したのは、リオ五輪・競泳女子100メートル背泳ぎ準決勝後のインタビューだった。準決勝3位につけたのは、20歳の傅園慧さんである。
中国メディアの取材でのやりとり。
記者「58秒95という結果でしたが…」
傅選手「えっ? 58秒95? 59秒かと思った。私ってそんなに速かったの?」
記者「まだまだ余裕があったのではないですか?」
傅選手「余裕なんてないわ!私は力を出し切ったの。大満足よ!」
記者「決勝に向けて自信のほどは?」
傅選手「自信なんてないわ。今は力を尽くして、満足しているの」
この時、傅選手が使った言葉が、「洪荒之力」である。洪荒というのは神話の時代、太古の時代という意味で、古典から来ている言葉だが、洪荒之力は、大ヒットしたテレビドラマ「花千骨」で使われていたようだ。意味は、神がかりのような力と言っていいだろうか、自分の力を超越して、神がかりの力を発揮したということである。つまりは、持てる力は出し切ったという意味だ。
傅選手のキャラクターもあって、これがおおいに支持された。みんな判で押したように決まりきった受け答えをするステレオタイプの中国人アスリートとは違い、生身の側面を見せたとして、一躍五輪のスターとなったのである。
洪荒之力が話題となったほぼ同時期、中国のネットにはこんな書き込みが出回った。「中国のアスリートたちは、アスリートらしくなったが、中国のメディアの記者たちは相変わらず“中国式”である」
2015年世界選手権で優勝し、中国で大ブレイクした「超イケメン」の寧沢涛選手、リオ五輪では思うような結果が、なかなか出せなかった。
競泳の花形、男子100㍍自由形予選。寧沢涛選手は上位で突破と目されていたが、成績は人々が期待していた数値に届かなかったのである。
その、試合直後のインタビュー。
記者「(タイムがのびなかったが)今日は緊張していたんですか?」
寧選手「緊張はなかったですよ。これが今の実力です」
記者「リオの地にまだ慣れてないのでは?」
寧選手「それもない。これが今の実力です」
記者「胃腸の具合でも悪かったんじゃないですか?」
寧選手「体調に問題はありません」
記者「…」
思うような答えが引き出せなかったのは記者のほうだ、とネット民は揶揄している。
バタフライに出場した李朱濠選手。フルマラソンを終えたかのように、息絶え絶えの様子で記者の前に登場した。
記者「ものすごく疲れているようですね」
李選手「ほんとに疲れた!死にそうだ!少し休ませてほしいよ!」
記者「…、試合はかなり苦しかったんですか?」
李選手「200のバタフライって、僕はほんとに苦手なんだ!」
アスリートたちは90後(90年代生まれ)が多い。大人たちをして「宇宙人のよう」と形容される新世代たちは、中国のオリンピックを確実に変えている。リオで中国のメダル獲得数が激減したことを、国家のスポーツ政策が弱体化したのではないかという声もあるが、90後の若者パワーが、新しい「中国的オリンピック」を作り上げているというのが現実だと思う。
一方で日本はどうなのだろう。
マラソン女子で惨敗した福士加代子選手は、ゴール直後に「金メダル獲れなかった~!頑張った~!本当にしんどかった~!」と目じりに涙をにじませながらも笑顔で絶叫した。そんな彼女に対し、「あまりに脳天気」と手厳しい声があがった。
また卓球男子シングルスで銅メダルを獲得した水谷隼選手に、「あんな派手なガッツポーズはよろしくない」などと注文をつけた有名人もいる。
最も胸が痛んだのは、日本選手団の主将で、レスリング女子金メダル四連覇を期待された吉田沙保里選手である。吉田選手は、決勝で敗れ、金メダルを逃した直後、「ごめんなさい、ごめんなさい」と号泣した。
「たくさんの方に応援していただいたのに銀メダルに終わってしまって申し訳ないです。日本選手の主将として金メダル取らないといけないと思ったのに…ごめんなさい…」
多くの日本人が感じたのは、お願いだからそんなにあやまらないで、ということだったと思う。見ているだけで辛くなる吉田選手の姿である。
相対し、準決勝で敗退した寧沢涛選手のコメントは、非常に冷静だった。彼もまた、国民から金メダルを期待された五輪のスターである。
「僕はベストを尽くしました。これが今の自分の実力です」
準決勝は真夜中に行われたが、それが影響したのではないかと尋ねる記者に対しても、彼はこう答えている。
「試合のスケジュールは全選手同じ条件ですから」
寧沢涛選手はインタビューをこう結んだ。
「僕は今、とても嬉しいし、十分満足している。僕にとって、ここまでの道のりは本当に苦しいものだった。こうしてオリンピックという場に立てているだけで、ものすごく嬉しい。非常に名誉なことだし、誇りに思っている」
五輪という、普通では考えられないほどのプレッシャーから、徐々に放たれていく中国の選手たち。そんな彼らを受け入れていく中国人に比べ、ますます選手たちを縛っていくような日本。4年後が心配になってくる。
新時代の到来を実感した中国人のオリンピックだったが、改めて思ったのは、オリンピックは若者たちが繋いでいくものなんだ、という当たり前のことだった。もちろんそこに、国境はない。
象徴的なのは、卓球の福原愛選手と中国選手とのワンシーンだった。
卓球女子団体は、中国が金メダル、そして日本は銅メダルである。表彰式では、メダルの授与が終わったあと、選手たちが集まり、記念撮影をする。福原愛選手は、中国チームの劉詩雯選手と肩を並べていた。
中国メディアの報道を見ると、この時二人にはこんなやりとりがあったという。
福原愛「うわぁ、狭いね」
劉詩雯「あなたが太っているからよ」
福原愛「もうっ…!」
福原選手は、笑いながら肩で劉選手の肩をこづいた。愛ちゃんが頬をふくらませる表情がとても可愛いと、中国人ファンの間で評判になった。
ちなみに、卓球女子団体の表彰式にのぼった選手合計9人のうち、7人が中国語を話せるという。
2020年は東京オリンピック、そして2022年は北京・冬季オリンピックと続く。日本も中国も、選手たちは90後が主役となる。日中の若者たちが織りなすスポーツの世界には、いくつもの感動があるはずだ。新たな歴史を作りあげていく若者たちに対し、両国のメディアを含む我々大人たちも、一緒に変わっていくことが必要である。