青樹明子の中国ヒューマンウォッチ
トップ  > コラム&リポート 青樹明子の中国ヒューマンウォッチ >  【17-03】若者たちは何故“达康书记”が好きなのか―“达康书记”が“愛される理由(わけ)”

【17-03】若者たちは何故“达康书记”が好きなのか―“达康书记”が“愛される理由(わけ)”

2017年 8月29日

青樹 明子

青樹 明子(あおき あきこ)氏: ノンフィクション作家、
中国ラジオ番組プロデューサー、日中友好会館理事

略歴

早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中
近著に『中国人の頭の中』(新潮新書)

主な著作

「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、「中国人の財布の中身」(詩想社新書)、「中国人の頭の中」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」 

 2か月か3か月で大きく変わる中国で、4月の話題はいささか旧聞に属するかもしれない。しかし、やはり無視できないのがテレビドラマ<人民的名義>《人民的名义》である。社会現象化したこのドラマの背後を探ると、中国社会の断片が見えてくるから面白い。

 <人民的名義>日本語に訳すと、<人民の名のもとに>だろうか。

 2017年3月28日に第一回目が放送されたが、その日の視聴率は、同じ日に放送されたサッカー・ワールドカップ・予選中継の2倍を記録したという。

 放送開始後初の週末は、清明節の三連休である。

 三連休の間、インターネット動画サイト(中国の人々は、番組の録画機能よりも動画サイトでドラマを視聴することが多い)において、<人民的名義>のアクセス数は5,5億回に達し、59,8%の人が最高評価の五つ星を進呈し、中国版ツイッターと言われる微博の<人民的名義>に関するスレッドでは、43.7万人が討論に参加したと言う。

 この後、視聴率は回を追うごとに上昇、新聞雑誌、ネットでの話題も独占状態になった。

 番組が終盤に差し掛かった4月中旬では、視聴率は8%を突破。ここ十年では最高の数字となり、日本的感覚で言えば視聴率50%以上と言っても過言ではない。この時点ですでに「21世紀ドラマ王」の地位を獲得したとされている。

 いったい何故ここまで人気が高まったのだろうか。

 ドラマのテーマは「反腐敗」で、架空の都市を舞台に、官僚たちの間ではびこる腐敗の現状を、事実に近い形で描き出している。

 ストーリーは、政界にはびこる腐敗と闘う検察官たちの活躍を軸に進行していく。ドラマの端々に、「人民のため」「党に恥じないよう」などと言うセリフが散りばめられていて、一見、宣伝のための国策ドラマのようだが、ここまで人々に支持されたのは、ちゃんとした理由がある。

 腐敗というテーマから見ると、ドラマの視聴者は、年齢層が高く、政治にも関心の深い、知識階級の人々だろうと思いがちである。もちろん、そういった層も、ドラマの視聴者として核にはなっているが、「神劇」と言われるほどになったのは、若者たちの圧倒的な支持を得たからだった。某調査によると、80年代生まれ(80後)90年代生まれ(90後)という若者世代が、視聴者全体の6割を占めているのだそうだ。

 政治色の濃いドラマが、何故ここまで、若者の心を掴んだのだろうか。

 主なる要因を推測していくと、中国・若者層の等身大が浮かんでくる。

 若者たちに支持された理由。まずは、この作品が放送されたチャンネルが、CCTV中国中央テレビではなかったことが挙げられる。国家が推薦する政治劇ならばCCTV、という既成概念に反し、<人民的名義>は若者たちが好む湖南テレビで放送された。湖南テレビは、若者たちに根強い人気を誇るバラエティ番組を多く送り出している局で、彼らにとって、非常に身近なチャンネルだったとも言えるだろう。

 また、最近の中国のテレビドラマといえば、抗日ドラマ・後宮(大奥のようなもの)闘争ドラマ・都市系恋愛ドラマ(かつてのトレンディードラマか)が主流だった。このローテーションで、おびただしい数のドラマが制作され、500局ほどあると言われるテレビ局で繰り返し放送されてきた。若者たちがそんなラインナップに、かなり飽きてきていたところに<人民的名義>が登場したのである。

 出演者に関しても、既成概念を打ち破っている。

 昨今、中国のテレビドラマで人気を集めていたのが、「小鮮肉」と呼ばれる若いスターたちである。年齢は25歳以下、イケメンであることはもちろん、たくましい肉体の持ち主が条件である。「小鮮肉」が出演しないドラマはヒットしないと考えられていたなか、<人民的名義>は、平均年齢50歳以上、すべて舞台などで演技力を磨いてきた実力派俳優たちである。

 若いネット民たちは、彼らを“劇骨天団”(演技頂上集団とでも訳せばいいか)と敬い崇めているが、放送開始直後、視聴者を圧倒したのは、腐敗に染まった“小役人”を演じた俳優・侯勇さんだった。ネット民をして“演技派核兵器”と呼ばれ、1話2話のみと、出番は少ないが、視聴者に強烈な印象を残すこととなった。

 侯勇さんが演じる公務員は、某国家級プロジェクトの責任者である。自転車で通勤し、公務員宿舎に住み、食事は質素なジャージャー麺、老母への仕送りは月に300元(約5,000円)という、一見腐敗とは無縁そうな役人である。

 しかし彼は、裏で豪華な別宅を隠し持ち、冷蔵庫に、ベッドの下に、壁一面に、おびただしい現金を隠匿していて、その総額2億から3億元以上(約50億円ほど)という設定である。

 主人公の検察官に逮捕された後、彼は泣き崩れながら、このセリフを腹の底から絞り出すように言う。

 「これらの金は、一銭たりとも使っていない。怖くて使えなかったんだ」。

 侯勇さんのこの演技で、<人民的名義>はその後の高視聴率を決定づけることなった。

 お化け番組と化した<人民的名義>の登場人物のなかで、若者視聴者の絶大なる支持を集めた意外なキャラクターがある。

 主役は中国ドラマ界のスター、陸毅さん演じる検察官・侯亮平である。反腐敗の舵取りをする反腐敗局局長である彼は、公務員たちの腐敗を憎み、“人民の名のもとに”次々と巨悪を摘発する。正義感が強く、清廉潔白、高身長で逞しく、もちろん超イケメンである。また妻子を愛し、友情にも厚く、何より中国人女性が好む料理が得意な“厨房男子”でもある。

 こんなスーパースター的キャラクターの主人公をさしおいて、若者たちに圧倒的な人気を誇ったのは、“达康书记”(達康書記)である。

 これは不思議な現象だった。

 ドラマ中盤のハイライトは、腐敗の疑惑を持つ某銀行の女性幹部がアメリカに脱出しようとする情報を掴んだ侯亮平たち検察官が、空港へ向かう彼女の車を止め、ぎりぎりのところで連行するシーンである。詳細を知らされていなかった上司をして「まるでアメリカ映画のように、派手に連行した」と激怒させたように、十台近い検察車輌を動員させての逮捕劇で、視聴者は勇気ある検察官たちに拍手喝さいを送るシーンである。

 ところが、このシーンでおおいなる喝采を受けたのは、主人公ではない。

 連行された銀行の女性幹部とは、市のトップである書記、达康书记の元妻(空港へと向かう直前、彼女の希望で二人は離婚した)だった。达康书记は、妻への最後の情として、彼の公用車で空港へ送って行ったのだが、その車から腐敗疑惑の銀行幹部である达康书记の元妻を、検察が連行した、ということになる。

 中国の政治体制を考えると、ほとんどあり得ないようなシチュエーションである。クビを覚悟で職務を全うした主人公たちをスタンディングオベーションで迎えるべきシーンであるが、視聴者は検察官よりも、目の前で(職制でいえば自分より格下に当たる検察に)妻を連行された达康书记を褒めたたえたのである。

 この時点で主役を凌ぐスターとなった达康书记だが、その人気の度合いを見てみると、かなりすごい。

 ネット民は、达康书记の中国語読み、ダーカンシュージイをもじって、“.com(ダッカム)”というニックネームを進呈した。

 中国版LINEと言われる微信では、达康书记のスタンプが大人気である。スタンプに添えられているコピーを見ると、「きみの持つ権力は、いったい誰が与えたものなんだ?(人民だろう)」「黙りたまえ!聞きたくない!」「私はGDP のための代弁者だ」(达康书记の言うGDPとは環境にやさしいGDPなのだそうだ)「何が言いたいんだ、言いたまえ!」」…等々である。若者たちは、シチュエーションに合わせて、スタンプを楽しみつつ使っている。

 「書記」というキャラクターが、ここまで人気になったのは、新中国建国以来初めてのことかもしれない。

 超人気者となった达康书记は、これまでの常識で言えばスーパースターのキャラではない。仕事以外に趣味のない仕事人間で、年齢も50代頭くらいの設定である。もちろん出世には関心があるし、上司との関係でも気をもむ様子もある。容貌は普通で、ファッションも開襟シャツにウールのベストという昔ながらの公務員ファッションである。あまりの融通のきかなさに、妻のほうから、三下り半を突き付けられたかっこうである。

 しかし若者たちは、彼の武骨なまでの人間くささ、そして原則を曲げない正義感を愛した。主人公の超人的なキャラクターよりも、より身近な「人間味のある役人」に、リーダーの理想の姿を見たのである。なかには、「达康书记、私はあなたのところにお嫁に行きたい」というメッセージを残す若い女性もいるほどだ。

 国民的番組となったドラマでブレイクするということは、十億人以上の人々から愛されるということでもある。

 腐敗というのは贈収賄である。言ってみれば世界各国どこにでも起きている悪習だが、権力を持たない一般庶民には無縁である。

 しかし中国社会には、小規模であっても、何かしてもらったら「お返し」つまりキックバックをするという習慣が、根付いている。そんな習慣に最も飽き飽きしているのは、権力を持たない側の庶民である。

 友人の出版社代表・段躍中さんから教わった話題。

 2015年、「誰かかわりに会計しておくれ」という短文がネットをめぐった。現代中国社会の「仕組み」がよくわかるとして、「これこそ本年最優秀賞だ」と絶賛されている。書き手は30代後半くらいの女性かと推測される。

 以下、要約でご紹介したい。

 ある地方都市のレストランでクラス会が開かれていた。

 かつてのクラスメートの軍くんは派出所の所長で、この宴席の主人のようにふるまっている。

 「さあみんな食べてくれ」「ほらたくさん食べろよ」

 さて、時も過ぎ、そろそろ宴会もお開きの時間が近づいた。

 会計はいったい誰がするのだろう。誰一人として自分の財布を取りだそうとする者はいない。

 やがて軍くんが携帯を取り出し、誰かに電話をかけている。

 「俺だよ。今晩ポルノ関係で捕まえたやつはいるかい? たった今捕まえた? よし、すぐに天安酒店に来て、会計するように言いなさい」

 それから15分ほどすると、ひとりの中年男が部屋に入ってきた。彼は会計表を見ると、眉根を寄せて言う。

 「こんなにたくさん飲み食いしたのか。これじゃあ、手持ちの現金が足りないよ」

 その中年男は携帯を取り出し、ある番号を押している。

 「ああ、校長の馬だがね、息子さんの中学の件だが、今日僕は処理したよ。いやいや、礼には及ばない。

 ところで今、友達たちと食事をしているところなんだがね、きみ、今からこっちに来て、僕のかわりに会計をしてくれないかい? 天安酒店の203号室なんだがね」

 それから20分ほどすると、校長に呼ばれた男がやってきた。

 203号室の精算をしようとしたとき、金額に驚いた。

 「こんなにたくさん飲み食いしたのか。カードなんて持ってないし、現金だって持ってない。どうすりゃいいんだ」

 そのとき、若い女性が彼に声をかけた。姪の李小姐である。

 「叔父さんじゃないの!何してるの?」

 「友達たちを食事に招いたのはいいが、お金が足りなくて焦っているんだよ」

 「そんなはした金で困っているの?しようがないわね!」

 李小姐は携帯を取り出し、番号を押した。

 「今、友達と食事をしているんだけど、お金の持ち合わせがないの。すぐに来て。天安酒店203よ」

 李小姐はその後、こうひと言付け加えた。

 「来てくれないなら、オフィスに押し掛けるわよ!」

 呉公安局長は、愛人である李小姐の電話を受けると、しようがない、というように会議室を出て、派出所長の軍に電話をかけた。

 「軍くんか?僕は今、客人を天安酒店で接待しているんだが、きみ、すぐに行って精算してくれたまえ。203号室だよ」

 中国だけではない。何かをしてもらったら「お返し」をするのは、日本も同じである。少額であれば「ほんの気持ち」だが、高額になると「腐敗」へと変わる。

 「気持ち」か「腐敗」か。世界中の人々が、常にこの境界線上に立っているのである。

 中国の腐敗幹部の話題が、日本のメディアに登場しない日はない。

 そんななか、あらゆる誘惑に負けず、「人民のため」という原則を守る达康书记は、中国社会において「こうあってほしいリーダー」の姿なのかもしれない。