【16-13】日本茶の源流は中国のお寺にあった
2016年10月13日
須賀 努:コラムニスト/アジアンウォッチャー
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆。お茶をキーワードにした「 茶旅」も敢行。
お茶をキーワードにして旅をする『茶旅』を本格的にはじめて5年になるが、その最初の茶旅先は、中国浙江省杭州であった。龍井茶は中国を代表する緑茶であり、日本人にも好まれる中国茶、あ る意味で憧れの地に行く思いであった。西湖のほとりでお茶を味わい、茶畑を訪問する中、お茶とゆかりのあるお寺も合わせて訪ねると、何とそこには製茶道具があり、茶畑も管理していたので、とても驚いた。中 にはお坊さんが茶摘みをするというところもあり、日本で言う茶摘み娘をお坊さんがするのか、とちょっと不思議に思ったものだ。今ではある意味でイベント化しているのだが、そこには長い歴史があった。
写真1 龍井村の茶畑
龍井茶を売っている茶荘の主人は実は龍井茶を飲んではいなかった、という事実を知ったのはちょうどその頃だった。彼らは高価な値段の付く龍井はお客に売り、自分たちは安い緑茶を飲んでいたのだが、そ のお茶を分けてもらうと、実に美味しかった。茶の名前を尋ねると、しぶしぶ答えたのが『径山茶』。何としてもその茶畑を訪ねてみたいと思い、杭州からバスを乗り継ぎ1時間半。その昔、南 宋五山の一つとして栄えた径山寺が山の中にひっそり佇んでいた。その裏庭に回ると見事な竹林があり、そこには『聖一国師の碑』が建てられていた。まるで日本の寺のような風景であり、その裏山の斜面には、見 事な茶畑も広がっていた。
写真2 径山寺 裏庭の竹林
聖一国師は鎌倉時代初期、宋に渡り、この寺に4年ほど滞在して修行したと言われている。寺社内にはやはり製茶道具が置かれている製茶室があった。現 代でもこの寺では春の茶摘みと製茶は仏教修行の一環として、実際に行われているという。聖一国師の時代も同じことが行われていたとすれば、彼には4回の茶作りのチャンスがあったということになるのだが。
写真3 径山寺 製茶室
筆者が常に疑問に思っていることがある。それは日本茶の起源が空海や栄西などの僧侶により、留学先の中国から茶の種がもたらされ、日本に植えられたという話だが、ではどうやって、製 茶するための技術を持ち込んだのかということだ。インドのダージリンに茶を植えたイギリス人は福建省から茶師と呼ばれる職人も連れていったと言われている。お茶には茶樹を育てる農業の部分と、茶 葉を加工する工業的部分があることが、他の農作物と大きく異なっている点である。
写真4 径山寺 聖一国師記念碑
聖一国師は径山寺から戻ると、出身地である静岡に茶を植え、これが静岡茶の始まりとされている。僧侶は貴重な茶の種を持ち帰っただけでなく、その製茶技術を学び、運んできた。実 は僧侶は優れた茶園管理人であり、茶師だった、と考えれば、辻褄が合うような気がするがどうだろうか。勿論当時のお茶は誰もが飲むものではなく、仏教修行の眠気覚まし、また薬であったということだが、そ れもまた寺にあって不思議はない。
日中には長きに渡り、様々な文化交流の歴史があるが、お茶もその重要なアイテムではなかろうか。今や日本一の生産量を誇る静岡茶。その源流にもっと着目して、その後の発展の歴史を眺めてみる、中 国との関連性を考えてみることは重要かと思う。同時に、抹茶や煎茶など、現代では中国人も知らない、そして実に興味深い茶の歴史がきっと日本各地に眠っているはずだ。それを1つ1つ掘り起こすことは、決 して無駄ではなく、むしろ日中双方の新たな発展に繋がっていくと感じている。
※出典:「日本茶の源流は中国のお寺にあった」『和華』第10号(2016年4月),pp.30-31,アジア太平洋観光社。