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【17-04】南宋の禅院茶礼の復元(浙江省)―中国茶の舞台を訪ねる

2017年 2月 6日  棚橋篁峰(中国泡茶道篁峰会会長) 写真/竹田武史

日本茶道の淵源の地~南宋五山の一・径山万寿寺

 浙江省杭州市から北へ約1時間、天目山系の山並みを背に、径山茶の産地としても有名な、名刹径山万寿寺があります。この寺は創建されたのが唐の玄宗天宝元年(742)で、南宋の時代には名僧が輩出し、南宋五山の一として隆盛を誇りました。

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写真1 万寿寺から望む天目山系の山並み

 径山万寿寺の寺域を表す門をくぐって山に入ると、道は幾重にも湾曲し、谷間をわたる涼やかな風が竹林をかき分けるように流れる細い山道を登ります。大都会杭州をわずかに離れて別天地が広がり、800年前に禅を求めて山を登った求道僧の思いが静寂のなかに凛とした緊張感を感じさせるのです。

 栄西禅師が日本に茶を伝えてから約40年を経て、円爾弁円(聖一国師)は鎌倉の寿福寺で栄西の法を嗣ぎ、1235年に宋に入り、径山万寿寺の無準師範のもとで禅の教えを学んだ後、1243年に帰国。当時の南宋禅院茶礼など禅宗の規則書ともいえる『禅苑清規』一巻を持ち帰り、京都東福寺の開山となります。さらに南浦紹明(大応国師)は建長寺の蘭渓道隆に禅の教えを受け、1259年に宋に入り、径山万寿寺の虚堂智愚のもとで禅の教えを学び、1267年に帰国。南宋禅院茶礼を伝え、七冊のお茶の書籍と茶道の茶道具である台子も日本に持ち帰り、京都大徳寺の開山になります。こうして、当時の茶礼が日本に伝わり、禅宗の茶から発展して日本の茶道は生まれるのです。ですからこの寺こそは、日本茶道の淵源の地なのです。

 伝わった茶礼が、いずれも宋代の抹茶法(点茶法)によるものであることは分かっているのですが、茶を伝えた人による所作や茶のいれ方についての資料は現存していません。ですから南宋末期の径山万寿寺における茶礼もその様式や所作は不明のままで、日本の茶道関係者がその源を求めて径山万寿寺を訪ねても、日本人が初めて学んだ頃の茶礼を見ることは出来なかったのです。

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写真2 抹茶を入れた茶碗を運ぶ

 径山万寿寺が復興されてから、南宋の抹茶法の再現は長い間の課題でしたが、その復元は残念ながら今日まで不可能でした。私、棚橋篁峰は、2012年、径山万寿寺の戒興和尚の依頼を受けて、日本で発見された南宋の絵をもとに宋代江南地区の飲茶習慣の変遷と禅宗の清規を参考にして復元にたどり着きました。

 2015年11月3日、径山禅茶会で約800年ぶりに南宋の抹茶法を再現しました。日本茶道の祖先ともいうべき抹茶法は、日本の茶道とどの様な違いがあるのでしょうか。

800年の時空を超えて蘇った南宋禅院茶礼

  1. 畳に座るのでは無く、椅子席で行います。中国に畳はあるのですが、畳に正座する習慣はありません。
  2. 茶器は南宋のものを復元します。特に茶筅は日本のものより荒いです。
  3. 茶を点てるのは、南宋では寺僮と呼ばれる寺男がしたのですが、今回は修行僧がしました。
  4. 茶碗は、日本では南宋伝来の茶碗を天目茶碗といいますが、天目山では茶碗は作られていませんので、中国では福建省の建窯の建盞といいます。
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写真3 客の差し出す茶碗に湯を注ぎ、茶を点てる

 当日は、日本の京都東福寺の四頭茶会と南宋禅院茶礼が行われたのですが、目に見えて違うのはこのようなことです。細かい点はいろいろあるのですが、中国から伝わった抹茶法ですから茶を点てる所作には大きな違いはありません。

 中国での飲茶法は大きく分けると唐代の煮茶法(煎茶法)と宋代の抹茶法(点茶法)そして明代以降の泡茶法です。ですから現在、抹茶法はありません。今日、中国で飲まれるお茶は泡茶法といい、その意味はお湯で茶葉を包むことなのです。中国人が抹茶法を行って茶を入れることは径山万寿寺の僧侶にとっても初めての体験でした。

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写真4 南宋時代の絵図から復元された茶器

 800年の時空を超えて、南宋禅院茶礼は蘇りましたが、今後、径山万寿寺、浙江工商大学の宋代禅茶研究会などと協力してより精緻なものにしていかなければならないと思います。

 今回、南宋禅院茶礼を復元して、鎌倉時代に禅の修行のために南宋に渡った偉大な先人の努力によって、後世日本茶道が日本人の精神文化の中核になっていくことを考えると、私と共に自らの祖先の茶礼復元に挑んだ径山万寿寺の僧侶と惜しみない協力をしていただいた在家の人々の真摯な思いに感動せざるを得ませんでした。それは円爾弁円や南浦紹明が命がけで求法の道に出たことと同じように、中国茶文化を復元する誇りを感じたからです。径山万寿寺からの帰途、竹林のささやきは「私たちの茶礼を学んだ日本人が、私たちの国に茶礼を復元してくれました。ありがとうございます」と聞こえたように思うのです。

 中国茶の旅は、有名な茶山の景色を楽しみながら茶を飲み心癒される旅も良いのですが、日中の悠久の文化交流の中に私たちが伝統習慣として育んだ茶道の源にたどり着くときにこそ、本当に素晴らしい瞬間に出会えるものなのです。

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写真5 禅堂で催された茶会(2015年11月3日撮影)

*清規=禅宗で、修行僧の日常生活について定めた規則のこと。


※出典:「中国茶の舞台を訪ねる 第二回 南宋の禅院茶礼の復元(浙江省)」『CKRM』Vol.02(2016年1月),pp.124-129,アジア太平洋観光社。