文化の交差点
トップ  > コラム&リポート 文化の交差点 >  【17-05】大学が所蔵する史資料の公開と共有化―華北交通写真資料を手掛かりとして―

【17-05】大学が所蔵する史資料の公開と共有化―華北交通写真資料を手掛かりとして―

2017年 2月 16日

貴志俊彦

貴志俊彦(きし としひこ):京都大学東南アジア地域研究研究所 教授

略歴

兵庫県出身。島根県立大学教授、神奈川大学教授、京都大学地域研究統合情報センター教授などを経て、2017年1月現職。日本学術会議連携会員等を兼任。研究分野は、日中文化交流史、東アジア情報・通信・メディア史研究、トランスナショナリティ研究など。

 戦前に中国大陸で撮影された3万5千点あまりの弘報用写真およびネガフィルムが、戦後、直後のGHQによる接収を逃れて、京都大学人文科学研究所に委託・寄贈された。この膨大な写真資料は戦後70年の間封印されてきたが、およそ6年の歳月をかけて、2016年にようやく公開されるにいたった。華北交通写真資料の整理、デジタル化、分析の過程で、これまでいわれてきたように、華北の石炭など鉱物資源の対日輸送の状況、愛路運動や宣撫(せんぶ)工作など治安維持の現場、華北交通会社における人材育成の様子、民族工作の取り組みなどを可視化できたことは意味があった。しかし、もとより私たちが意図したことは、この資料群にとどまらず、大学が所蔵する史資料の公開、共有化をいかに進めるかという点にあった。

写真

京都大学人文科学研究所図書室に所蔵されている華北交通写真資料。台紙に密着写真などをはり、分類、タイトル、撮影された場所・時期・撮影者、備考などが書き込まれている。これを台紙のままデジタル化した。

写真資料公開の意義 

 大学には、公開を待っている数多くの多様な史資料群が存在する。しかし、研究者は、教育や研究、大学行政、地域貢献に時間をとられ、目前にある貴重な資料群の整理という業務から目をそらしがちである。論文の執筆や国際会議の発表などと違って、こうした史資料の整理・公開することの学術的な評価指標が成立していないことが、そうした状況をうむ理由のひとつにある。しかし、世界の学術の動向は、かならずしもそうした潮流にはない。むしろ、貴重な史資料の所蔵こそ研究所としての品位や格としての証左であるとして誇り、その公開に意欲的な研究機関こそ世界トップレベルの研究機関として評価される傾向にある。今日、人文社会科学分野においても、デジタル・ヒューマニティーズ(Digital Humanities)の重要性が認識されるようになりつつあるのは、あらたな資料の公開や利用が望まれているからであるが、日本は相当に取り残された感がある。

*コンピューター・サイエンスや情報学と、歴史、哲学、文学、宗教学などの人文科学との融合、連携、協働により、紙媒体以外の資料利用の可能性について調査、研究を進める分野。

 むろん、史資料には多様な形態と内容があり、デジタル化が必要なもの、そうでないものがあり、実際には従来型の紙媒体やマイクロフィルムというアナログ形式でも、保存という点では十分に機能を発揮できることの意義を、もっと自覚されてよいように思う。これまで私たちも、デジタルかアナログかという選択に悩むことがあったが、オープンにするかしないかという点こそが重要であると考えるようになってきた。

 こうした問題意識のもと、私たちは、戦後70年あまり京都大学人文科学研究所で公開に踏み切れなかった華北交通写真という資料群に注目し、それらを公開する計画をたてた。いまから6年前、2011年のことである。この種の資料は、1944年末からの米軍による東アジア各地における空襲や終戦直前のドタバタのなかで焼けたり、戦争犯罪の証拠になるかもしれないということで意図的に焼却されたり、埋めるなどした。日本の植民地や外地、満洲国、中国占領地で運用されていた史資料が日本国内に残されることは少なく、いまも系統的にそろっていないものもある。映像フィルムや写真のネガなどは容易に劣化するメディアであり、いまもそうした危機を抱えている。華北交通写真は、ある意味例外的かつ奇跡的に残った資料群であったといえる。幸い、所蔵機関であった京都大学人文科学研究所の歴代所長の理解と、同研究所の石川禎浩、菊地暁両氏の協力を得て、資料の保存、公開がスタートした。

写真資料公開の反響 

 華北交通写真資料のような劣弱なメディアを、どのように保存し、公開することが適切であろうか。私たちは、この劣化が進む資料をまず大学という空間から解き放つためにデジタル化に着手し、ウェブアーカイブの構築、出版物の刊行、展覧会や報告会の開催という多様な形で世に問うこととした。実際、70年あまり前の古い写真資料が、保守化が進む東アジア社会にどのように受け止められるかに慎重であったこともある。

 ウェブアーカイブの構築は、さまざまな理由から予定どおりには進まなかったが、出版計画は比較的スムーズに進んだ。膨大な写真群から1%程度にあたる点数を選び出して写真集を作成すると同時に、研究メンバーとデジタル化した全データを共有して協議を重ねた。こうして、2016年11月に『京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真資料集成』を刊行し、その月の末から約1カ月間日本カメラ博物館の白山眞理氏の全面的な協力を得て写真展「秘蔵写真 伝えたかった中国・華北―京都大学人文学研究所所蔵 華北交通写真―」を開催した。この展覧会場では、人文学オープンデータ共同利用センター準備室の北本朝展氏ら構築の「華北交通アーカイブ」プロト版も公開した**

**この状況については、科学技術振興機構中国総合研究交流センターが、ウェブサイト「サイエンスポータルチャイナ」と「客観日本」で、「華北地方の戦前・戦中伝える秘蔵写真公開」として紹介している。

 さらに、展覧会と連動する形で12月に「華北交通写真資料シンポジウム」を開催した。私たちの当初の予想をはるかに上まわり、このシンポジウムには会場いっぱいの聴衆が集まった。このことは、この資料群の価値が歴史学にとどまらず、現代においても重要な意味をもつことを私たちに示唆することになった。実際、シンポジウム終了後には、一連の活動に関する共同通信社の記事が多数の地方紙に掲載され、華北交通写真資料の全面的な公開を求める声も寄せられている。ともあれ、戦前や戦後直後の日本やアジアの歴史の断面を写しだすビジュアル資料の「発掘」と公開は、これほどまでに大きな反響を及ぼすとは思いもよらなかった。その声にこたえるためにも、「華北交通アーカイブ」のプロト版を完成させ、全データの公開を進める必要があると考えている。

写真

華北交通写真資料シンポジウム(2016年12月18日、JCIIフォトサロン)

華北交通写真資料への期待

 華北交通写真資料は、国策会社の弘報用写真としての性格上、時事報道を中心とする新聞社の報道写真とは質を異にする写真群であることを明らかにすることはできた。

①しかし、撮影者のこうした作為的な意図を勘案してもあまりあるだけの地域実態、つまり華北、蒙疆の景観、民俗、風俗、生活模様などが描かれている。『華北交通写真資料集成』の執筆者のひとりである釧路公立大学の萩原充氏などからも、この写真群からさらに多様な社会実相を浮上させることが必要だとの声があがっている。

②また、現在の劇的な環境の変化のなかにある中国と70年あまり前の写真とを照合させたとき、華北交通写真資料に写されているのは消えた・消された風景や風俗であり、こうした環境や生態、社会風俗がどのように変化を知る手がかりとなる重要な資料群だと認識している。一方で、東洋大学の西村陽子氏からは、旧北京城内の風景のように、予想以上に変化していない施設も少なからずあることも指摘されている。こうした変化の多様性の問題は、今後、中国の環境問題を分析するうえで重要な論点になってくるであろうと考えている。

③さらに、華北交通写真の多くには、検閲スタンプが押されており、上掲の『華北交通写真資料集成』の写真編にも一部掲載している。これまで、写真などビジュアルメディアの検閲については、文字資料の検閲とは異なるシステムが機能していたことは予想される。昨今の検閲研究に資する内容も少なからずあり、これらについての検証も、今後の課題であろう。

写真

龍煙鉄鋼の写真。軍報道部による検閲印が押印され、写真が利用された展覧会、雑誌、書籍についてメモ書きされている。

 冒頭にあげたとおり、私たちの挑戦は華北交通写真に限定されるものではない。小さな試みを多くの大学人に知ってもらい、大学から多様な資料群が解き放たれることを願ってやまない。

参考文献:

  • 松本ますみ「モンゴル人と『回民』像を写真で記録するということ:『華北交通写真』からみる日本占領地の『近代』」(『アジア研究』別冊3、2015年2月)
  • 貴志俊彦「グラフ誌が描かなかった死――日中戦争下の華北」(貴志俊彦他編『記憶と忘却のアジア』青弓社、2015年3月)
  • 貴志俊彦・白山眞理編『京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真資料集成』国書刊行会、2016年11月