【18-10】山東省赤山―日、韓と歴史の絆で結ばれる景勝地―
2018年11月22日
阿南ヴァージニア史代
米国生まれ。東アジア歴史・地理学でハワイ大学修士号。台湾に留学。70年日本国籍取得。1983年以来、3度にわたって計12年間、中国に滞在。夫は、元駐中国日本大使。現在、テ ンプル大学ジャパンで中国史を教えている。著書に『円仁慈覚大師の足跡を訪ねて』、『古き北京との出会い:樹と石と水の物語』 、『樹の声--北京の古樹と名木』など。
赤山風景区は山東半島の栄成市の南に位置している。
青島から高速に乗って東へ約3時間半、途中、車窓から道教の聖地として有名な崂山の雄姿が望まれる。
赤山には唐代に建立された赤山法華院がある。
① 赤山風景区全景
② 赤山法華院
新羅の海将、張保皋の寄進になるこの寺院は、新羅僧の寺として地元の中国人信徒を受け入れ、そして、839年にこの地にやって来た日本僧慈覚大師円仁と弟子たちの避難所となった。円 仁一行は中国国内を旅する許可証を入手するまで8ヵ月間、寺内で待機していた。再建された現在の法華院は、花をつけた果樹と花壇が美しい公園の一部となっている。
円仁記念館の所在は近くにそびえる高い塔が教えてくれる。五つの部屋からなる展示館には、〝入唐求法巡礼行記〟に書かれている円仁の旅の物語―約 10年間に及ぶ中国滞在と赤山の麓の石島湾から帰国するまで―が絵画と精巧な蝋人形によって描かれている。実に見事な展示品は見る者の眼を惹きつけてやまない。
③ 円仁記念館内:円仁と弟子達の蝋人形
④ 円仁記念館内:839年、円仁と弟子達の赤山法華院到着
⑤ 法華院前:2008年の日中子供太鼓交流
法華院の傍らには、この風景区最大の目玉である〝音と水〟の観音菩薩像がある。この青銅造りの優雅な菩薩像は高さ25メートル、そして1時間ごとに15分間の噴水のショーが遊客の眼を楽しませてくれる。噴 水が高く菩薩像の上まで昇るにつれて、読経の声が力強く鳴り響く。突然、正面の扉が開き、供え物を捧げた小さい童子像が現れて、観音像の周囲を回り始める。圧 巻は金剛力士が大きく開いた口から炎を噴くという衝撃的なフィナーレが待っている。
⑥ 観音菩薩像の大噴水
⑦ 大噴水の童子像
当然のことながら、張保皋記念館も立派に造られている。唐時代に渤海と黄海の海運と貿易を支配していた将軍の勇壮な立像が中央広場に安置されている。海上貿易の恵みを受けて、数 多くの新羅人居住区が中国の沿海地域に出現したのである。
⑧ 新羅の海将、張保皋(チャンボコ)
栄成民俗館には、この地方の風俗の説明や漁民たちの手工芸品が展示されている。この地に特有の伝統として家屋の屋根は乾燥した海草で葺かれており、風 景区への山道を辿って行くとそのような珍しい屋根を見ることが出来る。一つの屋根を造るのに500キロの海草が必要とのことである。
⑨ 農家の海草の屋根
赤山で際立って目立つのは、丘の上に鎮座する高さ58.8メートルの赤山大明神の巨大な銅像である。赤山明神は海の守り神であり、また、中国北部のこの地方の守護神として崇められて来た。円仁日記には、海 上で暴風雨に遭った時、赤山明神に祈りを捧げ無事、海岸に辿り着くことが出来たとの記載がある。明神像の一番眺めの良いところからは石島湾の港と、さらに遥かに黄海を望むことが出来る。
⑩ 「赤山大明神」の巨大な銅像
日本の最後の遣唐使一行が839年、帰国の途についたのは正にこの石島湾からであった。そして、円仁と弟子たちも847年、この地を最後に中国を離れたのである。慈覚大師円仁は中国(唐)か ら数多くの経文や仏像を持ち帰ったが、それらと共に赤山明神信仰をも日本に招来した。京都の赤山禅院から北は男鹿半島の赤神神社に至るまで日本各地に多くの赤山明神を祭る神社が存在する。
⑪ 石島湾の港
以上のような歴史的経緯もあり、日本と韓国からの観光客が多いのも自然なことと言える。私自身、円仁の中国の旅を研究する仲間たちと共に6回、赤山を訪問した。今年は、円 仁の物語に見られるような日本と赤山地域の絆を想い、加えて、日中平和友好条約締結40周年を記念して二本の樹を植えてきた。
⑫ 日中友好円仁記念植樹、2018.4
※本稿は『中國紀行CKRM』Vol.13(2018年11月)より転載したものである。