【19-03】人間文化のありか―庭園とランドスケープ
2019年2月15日 棚橋篁峰(中国泡茶道篁峰会会長)/竹田武史(写真)
松岡 格(まつおか ただす): 獨協大学国際教養学部准教授/学術博士(東京大学)
1977年生まれ。エスニック・マイノリティ研究会代表幹事。専門は地域研究(中国語圏)、文化人類学、マイノリティ研究。著書に『中国56民族手帖』『台湾原住民社会の地方化―マイノリティの20世紀』な ど、論文多数。
日本庭園
昨年は、都内でも素晴らしい秋景色を見ることができた。日本式庭園というものに行く機会は、ふだんなかなかないのだが、紅葉〔こうよう〕の季節だからというので行ってみたのである。庭 の中心に位置する池には飛び石が配置してあって、そこから景色を見渡すと、色とりどりの、紅葉した木々が池を取り囲んでいる。灯籠や東屋、松の大木(これ自体が大型の盆栽のようにも見える)も配置してある。池 の水面には快晴の空と、池を取り囲む木々が映っている。足下の石のあたりを見ると、落葉した紅葉〔もみじ〕が水に浮かんで、カラフルな池の周りの木々とは違う色合いの、セピア色の光景を造り出している。
こうした庭園は京都などでよく見られるものであり、庭園が造り出す風景・景観(ランドスケープ)は日本文化の重要な構成要素になっている。秋の紅葉の季節になると、多 くの人が京都まで足をのばしてその日本文化を堪能することになる。最近では外国からの観光客もその「日本文化」をもとめて京都あたりに押し寄せるようになっている。
皇家園林
こうした日本の文化にも影響を与えたと思われる庭園文化が、中国に存在している。1つの代表は北京の観光地となっている、いわゆる「皇家園林」である。
北京の北西部に位置する頤和園が代表的である。清朝時代につくられた頤和園の景色は、さきほどの日本庭園とは違って、決して一目で見渡せるようなものではなくて、広大な敷地に、い くつもの異なるテーマのエリアが配置してある。なにしろ東京ドーム何十個分の大きさである。じっくり見れば、一日かけても回りきれない。
北京の中心部に位置しているのは北海公園である。ここは大きさでは頤和園に負けるが、それでも1つのテーマパークのような広大な敷地内に、池あり、山あり、寺あり、宮廷料理のレストランまである。半 日は楽しめる、さまざまなエリアが配置されている。
こうした皇帝や皇族が造った大規模な庭園が映し出す景観はまさに壮大で、王朝の広大な領土を象徴するような、そんなイメージを造り出していると言えるかもしれない。こ れがいまの中国や中国文化のイメージを形作っているところもあるのではないか。
私家園林
それに対して、上海にほど近い蘇州や杭州などの庭園は対照的で、規模的には日本庭園のような、つまり日本人が「お庭」と思えるような庭園が多く存在している。確 かに西湖のあたりの観光スポットなどは全体として見れば広大であるし、拙政園〔せっせいえん〕のような大きな庭もある。しかし、多くはコンパクトにまとまっている。
北京の壮大な庭園が皇族が作ったもの(「皇家園林」)であれば、こうした地域に作られた庭園は商人や地方役人のもちものであった(「私家園林」)場合が多いとされる。このあたりの地域は長江下流域の、い わゆる江南地方で、水が豊富で肥沃な土地柄でこうした庭園文化が発達した。江南地域は庭園文化の本場と言ってよいかもしれない。江南庭園の多くが世界遺産など文化財に指定されている。
上海の庭園
最近、久しぶりに上海を訪問する機会があった。もしかしたらもう10年ぶりくらいかもしれない。この際に二つの庭園を訪れることになった。
1つは豫園〔よえん〕である。上海で最も有名な庭園、中国全体でも最も名前を知られた庭園の1つであろう。ここは北京の頤和園などと違って、大規模な庭園とは言えない。
実は今回訪問した際に入口がわからずに周りをぐるぐると回ってしまったのだが、それでも一周しても20分くらいしかかかっていない。中に入って見ても、単に一周するだけだったら15分くらいしかかからないだろう。だがそれほど大きくない敷地の中に、多くの趣向が詰め込まれた庭園である。当然多くの観光客で賑わっている。外国人観光客も多い。こ の日はフランス人と韓国人の団体をみかけた。
庭園の設計者は敷地の中をいくつかに区切って、印象や趣向が違う空間を創り出している。入園者は、そのいくつかの空間を渡り歩くことで回遊式に楽しむ仕掛けとなっている。そ うした空間を造り上げているのは、江南地方の庭園の特徴である漏窓や換景・障景・添景・借景などの技巧である。
漏窓というのは、仕切りとなっている壁につけられた窓である。この「窓」は庭園を散策している人の目線の高さに配置されている。ガラスも張っていないし、扉などがあるわけではないので、窓 というのはわかりにくい表現かもしれない。壁のそのあたりが丸形だったり角形だったりの形にくりぬかれていると言ったらよいのだろうか。といってもそういった形にまるごと壁がくりぬかれているわけではなくて、壁 の一部がくりぬかれて、残った部分が花の形、葡萄、石榴、梅の木などの模様として残るようになっている。そのようなある種の装飾品、あるいは彫刻作品であると言ってもよいだろう。模 様を構成しているところ以外は隙間としてくりぬかれているので、ここから隣のエリアの景色を覗くことができる。しかしフレームまるごとがくりぬかれているわけではないので、む こうがわの景色ははっきりと見えるわけではない。
タイトルバックの写真は豫園のエントランスを入ってすぐのところで撮影したものである。この右側の壁に漏窓が配置されている。近寄って撮ったのが写真1である。日差しの方向によっては、向 こうの空間から日の光が漏れ出てくる場合もある。このように穴や隙間の側面もあることから、「花墻洞」という言い方もある。
写真1 漏窓
「換景」の手法は、やはり仕切りとなっている壁が、例えば逆U字形にくりぬかれている(写真2参照)。「漏窓」とは違って、目の高さの位置だけではなく、足の位置まで、つ まり壁の底部の位置までくりぬかれているので人が通ることができる。機能としては、壁の仕切るこちら側とあちら側をつなぐ通路となっているのであるが、そこを通して、壁 のむこうがわの空間の一部を見ることができる。庭の提供する風景を演出する道具立てになっているのである。見方によっては、壁を額として、むこうがわの風景を絵画のように切り取っているようにも見える。つ まりこちらは向こうがわの景色を完全にフレーミングするような働きをしている。続く二枚の壁に換景が用いられると、さらなる効果が生まれる。合わせ鏡のような、奥行きのある光景が生まれるのである(写真3参照)。
写真2 換景(秋霞圃)
写真3 換景(豫園)
もう1つ訪れたのが、上海郊外の嘉定にある秋霞圃である。今回気がついたのが、豫園と秋霞圃は似たタイプの庭園であるということである。漏窓や換景などの技法を多用しているところ、樹 木や草の緑を生かした落ち着いた空間構成など、よく似ている。
庭の外
こうした上海の庭園を訪問してみて感心したのが、庭の外である。秋霞圃は庭園の中も石畳が敷かれているのであるが、その石畳は道路まで続いていて、そ こだけ見ているとヨーロッパの中世都市の景観のようにも見える(写真4参照)。その石畳の道を歩いていくと、旧市街(「老街」)につながる。その街並みがなかなかいい。石 畳の道の両側には白壁に灰色レンガ屋根の家並みが並んでおり、一階には服飾店や飲食店などの店舗が入っている。道の脇には水路が流れている。五重塔のようなものまである。そのような街並みが東西に広がっていて、こ のあたりをゆっくり散策するのも楽しそうであった。
写真4 秋霞圃外の石畳
この嘉定の旧市街ではあまり外国人を見かけない。道行く人も中国人ばかりで、売っているものも日常感溢れるものばかりである。それに対して豫園は、それ自体が「豫園老街」の一部になっている。少 なくとも今はそのように見える。近年の再開発でだいぶ整備されたらしく、老舗店とともに外国のブランドショップなども立ち並んでいる。外国人もよくみかける。しかし、再 開発の際に伝統的建築様式を生かした景観デザインをしたのであろう、全体としてバランスのとれた街並みにしあがっている。嘉定の旧市街とはまた違った、これはこれで楽しめる空間が創出されている。
※本稿は『中國紀行CKRM』Vol.14(2019年1月)より転載したものである。