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【07-03】特別寄稿:現代中国の中国伝統医学

2007年5月21日

名前

酒谷 薫:
日本大学医学部 脳神経外科学講座 教授

昭和30年5月18日生まれ。

学位

医学博士(大阪医科大学大学院医学研究科、昭和62年修了)
工学博士(北海道大学大学院工学研究科、平成10年修了)

略歴

昭和56年 大阪医科大学卒業、同年大阪医科大学大学院入学
昭和62年 同大学院修了、New York大学医学部脳神経外科、フェロー
平成 1年  同Assistant Professor
平成 2年  Yale大学医学部神経内科 Visiting Assistant Professor(兼任)
平成 7年  北京日中友好病院脳神経外科 JICA専門家
平成14年  日本大学医学部脳神経外科 助教授
平成15年より現職

所属学会

日本脳神経外科学会 (評議員)
日本脳卒中学会 (評議員)
日本脳循環代謝学界 (評議員)
日本脳代謝モニタリング研究会 (世話人)
日本脳機能光イメージング研究会 (世話人、事務局長)
酸素ダイナミックス研究会 (世話人)
日本生体医工学学会 専門部会「医療福祉におけるヒューマンインターフェイス」(会長)

著書

「なぜ中国医学は難病に効くのか?脳神経外科医が見た不思議な効果」
PHP研究所、2002年

 

演題名

Brain Attackにおける光学的計測法の有用性

1. はじめに

 私は北京市にある日中友好病院に国際協力事業団(JICA)の長期派遣専門家として、1995年から6年余り勤務していた。この病院は日本の政府開発援助(ODA)により建設された病院で、1984年に開院して以来、多くの日本人専門家が技術指導を行ってきた。私は脳神経外科の専門家の一人として派遣されたが、赴任した当初は全くと言って良いほど中国伝統医学(以下、中医学)には興味がなかったのである。ところが院内の中医と呼ばれる漢方医と一緒に研究や診察をする機会があり、彼らから中医学の診断治療法や基礎理論の教えを受けているうちに、それまで漠然と抱いていた中医学に対するイメージが大きく変わっていった。そして、中医学の治療によりさまざまな病気が改善していくのを目の当たりにすると、中医学に対して大いなる魅力を感じ始めたのである。

 現代中国で行われている中医学の実体は、これまでベールに被われたように見えてこなかった。マスコミも中医学を報道することはあったが、エキセントリックなものが多かったきらいがある。また日本や中国の医学会も現代の中医学を積極的に伝えようとしてこなかったように思う。本稿では、日中友好病院で中医と診察した経験をもとに現代中国の中医学とはどのようなものか解説していく。

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2.中医学と日本漢方に違い

 中日友好病院で中医と働き始めた時に、「中医学は日本漢方と違うのか?」という素朴な疑問があった。結論から言うと、両者には幾つかの大きな違いがある。まず、漢方薬の違いである。中国で使用される生薬の種類は日本よりもはるかに多い。日本で保険診療が認められている生薬は約130種類に過ぎないが、中国の一般的な中医病院で使用する生薬の種類は400種類以上にのぼる。これらの中には日本では認可されていない鹿の角など動物性の生薬や石膏などの鉱物なども多く含まれている。さらに、生薬から抽出した注射薬も一般臨床で使用されているのである。

 もう一つの大きな相違点は、中医学が古代自然哲学である陰陽五行学説を基礎としているのに対して、日本漢方は中医学の傷寒雑病論を基礎としている点である。この差異は診断治療法に端的に現れている。患者の診察は中医学も日本漢方も「四診」と呼ばれる診察方法を用いるが、診断と治療のプロセスが大きく異なっているのである。まず日本漢方では、患者の体質(虚実、陰陽、寒熱など)、病気の表れ方、体内での病気の位置(表裏内外)、病気の進行状況(六病位)に基づいて診断が行われるが、診断名に『方剤(決まった処方内容、例えば小紫胡湯)+証』という言い方をする。証とは症候群(幾つかの特徴的な症状・所見)のことで、『この処方(小紫胡湯)が効く症候群』という意味になる。つまり診断と処方が直結しており、診断イコール治療(生薬の処方)ということになる。日本漢方の基礎である「傷寒雑病論」には病気の症状・所見(証)とそれに適した方剤が一対一に対応して記述されており(「方証相対」と言う)、これをもとに診断名に方剤を入れるのである。

 一方、中医学では、四診の所見より臓器機能がどのように障害されて症状(証)があらわれているか分析・分類する。これを「弁証」と言い、臓器機能という視点から診断する「臓腑弁証」の他にも、体内の気・血・水のバランスという視点から診断する「気血水弁証」、さらに病気の進行状況から診断する「六経弁証」など多方面から病態を分析することができる。次に「治則」と呼ばれる治療原則により治療方針を決める。「治則」は陰陽五行説に基づいたシンプルな原則で成り立っている。そして最後にどのような処方にするかを考えるわけであるが、この処方内容の考察を「論治」と言う。先の「弁証」と合わせて「弁証論治」と言い、中医学の大きな特徴とされている。

 ここで重要な点は、中医学の「弁証論治」で処方内容を考える時、日本漢方と比較して自由度が大きくなるということである。つまり「傷寒雑病論」などに記載されている決まった処方(方剤)だけでなく、患者の状態に合わせて細かく生薬を配合していくことができるのである。このため中医学では処方内容をダイナミックに変えながら治療を進める。例えば、初診の場合、漢方薬は一週間分しか処方しない。そして再診の時には症状の変化あるいは副作用の有無から処方内容を細かく変更していくのである。

 日本漢方は実地臨床で便利な反面、患者の症状が「傷寒雑病論」と一致しないケースでは適切な治療を行えないことが起こり得る。日本漢方では、患者と処方の関係は「鍵と鍵穴」の関係、つまり鍵が鍵穴に合えば薬が効き、合わなければ効かないと考える。これが「漢方薬がからだに合えば効く」という言い方の由来である。江戸時代の漢方医は方剤を中心に処方していたが、配合されている生薬の量を「加減」することで、患者の証に合わせることができた。ところが、現代日本の漢方治療では主にエキス剤を使用するので、処方の「加減」が全くできない。さらに、医者も西洋医学の診断をもとに漢方薬を投与することが多いのである。現代の漢方治療とは、暗闇の中で手探りで鍵を鍵穴に差し込むような治療と言えるかもしれない。

3.陰陽五行学説と複雑系

 中医と診察を始めてまず驚いたのは、彼らが分析的に診断を行い、論理的に患者の病態を考えて治療を進めている点であった。中医学の基礎理論は古代自然哲学(陰陽五行学説)だが、それに基づいた診断治療のプロセス自体は実に論理的なのである。経験と直感だけに頼る非論理的な医学と考えていたが、これは全くの誤解であった。そして、私は陰陽五行学説による人体機能が複雑系理論をベースとした生体モデルに酷似していることに気が付いて驚いた。中医学は現代西洋医学が未だ取り入れていない斬新な考え方を含んでいるのである。本項では、フラクタルやカオスなどの複雑系の概念を取り入れながら陰陽五行学説の意味するところを解説する。

 陰陽五行学説は陰陽学説と五行学説に分けられる。まず陰陽学説であるが、太極図の中にその意味することが全て示されている(図1)。黒と白はそれぞれ陰と陽という二つの対立した要素を示しており、この世の全ての事物や現象は陰と陽の2つに分類できる。そして、陰陽の対立と依存、消長(一方が増えれば他方が衰える)と転化(相手に変化する)により全体のバランスが保たれていると言う。太極図で重要な点は、白(陽)と黒(陰)の中に反対要素である極化点が存在することである。これにより人間を含めた世界というものは無限に陰陽に分割され、その全ての部分が太極図と同じ構造を持つことになる。すなわち、部分が全体を示すというフラクタルな世界観を示しているのである。

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 陰陽の分類は、自然界だけでなく人体にも応用されている。例えば、体内と体外はそれぞれ陰と陽に、腹部と胸部も陰陽に、さらに五臓と六腑も同じく陰陽に分類される。このような陰陽の分類を繰り返すことにより、人体のどの部分も太極図の構造を示すことになり、人体もフラクタルな構造を持つことになる。実は、この考え方は中医学の診断治療にも幅広く応用されている。例えば舌診では、舌の先端部は心肺、中央部は脾胃、外側は胆肝の状態を反映していると考えられている。また最近の足裏をマッサージするリフレクソロジーも足裏に全身の状態が反映されているという中医学のフラクタルな概念に基づいているのである。われわれ西洋医はこのような治療法を簡単に受け入れることができないが、もし人体がフラクタルな構造を持つと仮定するとこの考え方も理解できる。

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 一方の五行学説では、世界は木・火・土・金・水の5種類の基本物質で構成されていると考える。そして、これらの要素は互いに影響を及ぼし合いながら全体のバランスが保たれている。図2Aに示すように、中医学の臓器(五臓)も五行学説に従って木・火・土・金・水に分類される。そして五臓の間には相生(=促進作用)と相克(=抑制作用)という言わば力学的関係に基づいて他臓器の機能を制御し、その相互作用により人体の機能バランスが保たれていると考える。そして興味深いことに、この五行学説による人体機能の考え方は最近のカオス理論をベースとした生物モデルに酷似しているのである。図2Bはカオス理論による生物モデルの一例である。入力信号が入ると幾つかの部分系と呼ばれる数式により信号が処理され出力されるが、部分系のパラメータを変えることにより様々なパターンの信号が出力される。入力を外邪(体外から入る邪気)、出力を証、そして部分系を五臓とすると、五行学説に基づいた人体機能の考え方(A)とよく似ているのが分かる。つまり中医学では人体機能を数学モデルのように理解しているのである。数千年前の中医が現代科学に通じる概念を導入していたことは驚くべきことではないか。日本漢方は中医学から陰陽五行学説を排して診断治療法の簡略化を行い実用的な医学になったが、このようなユニークな考え方までなくしてしまったのは残念なことである。

4.西洋医学と異なる中医学の臓器

 中医学が理解され難い理由の一つに、中医学の臓器機能が西洋医学と異なることが挙げられる。私も中医から臓器機能を教えられて戸惑った覚えがある。中医学の臓器(臓腑と呼ばれる)は五臓(肝、心、脾、肺、腎)と六腑(胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦)に分類され、一見して西洋医学の臓器と同じような名前がつけられているが、両者はずいぶんと異なるのである(表1)。例えば、中医学の肝の機能には西洋医学の肝臓機能(代謝、解毒)の他にも脳機能が含まれているのである。さらに、水の代謝に関係する三焦は架空の臓器であり解剖学的に存在しない。

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 なぜ中医学の臓腑は西洋医学の臓器と異なるのか?私は前項で述べた中医学の人体機能に対する考え方と関連しているように思う。つまり、古代の中医は解剖よりも機能を重視して人体機能を理解しようとしたのではないか。病気がどのような生薬で改善するのか、その治癒はどのようなプロセスで改善するのか、これらをつぶさに観察しながら臓腑機能を帰納的に推定したのではないだろうか。事実、白芍という生薬は肝臓を保護する作用と鎮静作用を合わせて持っており、もし古代の中医が白芍の効果から肝の機能を推定すると脳機能を含めてもおかしくないのである。

 西洋医学は解剖学を基にして演繹的に人体機能を解明してきたが、中医学は患者の症状などから帰納的に人体機能を理解していった。このような全く異なった方法で理解された臓器の機能に差異が認められるのは当然のことかもしれない。臓腑と西洋医学の臓器を区別して考えると中医学も理解し易くなると思う。

5. 中医学における脳とこころ

 現代の中医は脳の病気をどのように治療しているのか?これは興味深い問題である。なぜならば現代であっても未だに脳は五臓六腑の中に含まれていないからである。その答えは五臓機能(表1)の中にある。つまり、肝、心、腎の臓腑機能に脳と関連した機能が含まれているのである。さらに五臓は感情も生み出すと考えられている。心、脾、肺、腎、肝がそれぞれ喜、思、憂、恐、怒という感情を生み出すのである。このように中医学では、脳機能は臓腑に分配されているのである。そして臓腑の異常がさまざまな脳の病気を引き起こすと考える。このため中医学では脳疾患はからだの異常として捉えられ、またからだの異常を治療することが脳疾患に対する治療となるのである。このことこそ「心身一如」の意味するところであろう。

 最近、脳の活性化が話題になっているが、中医学にも養生法と呼ばれる脳を活性化する方法がある。養生法には、薬膳、鍼灸、マッサージ、気功、あるいは香療法など様々な方法があり、これらは前述の中医学の脳機能の考え方に基づいて身体に対して治療(刺激)を行い、間接的に脳の活性化を図るものである。脳の活性化ブームの火付け役となった「大人の計算ドリル」は、脳に直接作用するという意味で西洋医学的な脳の活性法と言えるかもしれない。どちらが優れているかは別として、中医学の多彩な養生法を脳の活性化や健康増進に役立てることは大切と思うのである。

6. 中医学の鍼治療

 鍼というと鍼麻酔を思い浮かべる方が多いのではないか。中国が文化大革命中に世界に向けて大々的に報道したあの鍼麻酔である。鍼麻酔を受けた患者が手術を受けている最中に会話する光景がテレビで放映され、世界中の人々が度肝を抜かれた。私は鍼麻酔とはどんなものか一度見てみたいと思ったが、中日友好病院はもとより、視察に行ったどんな地方の病院でも鍼麻酔ではなく一般的な痲酔剤が使用されていたのである。現代では、鍼は歯科領域の麻酔に使われることはあるが、心臓外科などの全身麻酔には全く使用されていないのである。では、鍼は現代中国では使用されていないのかと言うと全く逆である。鍼治療は生薬治療とともに中医治療の双璧をなしているのである。

 中国と日本の鍼治療の違いは、よく知られている針のサイズの他にも幾つかある。まず、日本では漢方薬による治療は医師が行い、鍼治療は鍼灸師が行うが、中国ではともに医師(中医)が行っている。鍼専門医も生薬専門医と同じ(中医学系)医科大学を卒業しているのである。次に、中国では生薬治療と平行して鍼治療を行うケースが少なくない点である。日本では鍼灸師と医師が連携して独りの患者の治療に当たることは極めて稀である。日中の医療制度の違いからだけではなく、鍼治療が生薬治療と同様に弁証論知に従って行われるからである。つまり生薬治療と鍼治療はその治療手段が異なるだけで、両者の根底にある考え方は同一のものなのである。西洋医学の内科治療と外科治療のようなものかもしれない。

7. おわりに

 本稿は従来の中医学の解説書と異なり、西洋医である私が中医とともに診察した時の対話をもとにして書いたものである。私は中医たちに様々な疑問を投げかけたが、彼らは熱心に答えてくれた。彼らの説明を私なりに咀嚼し、そしてもう一度討論をする、これを何度も繰り返しながら中医学というものを理解してきた。その時に記したノートをもとにして本稿を執筆した。本稿が「中医学の壁」を少しでも取り除き、より多くの人が中医学に興味を持っていただくのに役立てば幸いである。