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【08-01】中国の科学技術の特徴と課題

寺岡 伸章(中国総合研究センター シニアフェロー)  2008年2月20日

1.指標に見る現状

1)研究費

 中国全体の研究費は、OECDの発表によると、購買力平価で換算した場合、06年に日本を上回り、米国に次ぐ世界2番目の規模にまで成長してい る。このニュースを中国の政府関係者や研究者に提起すると、購買力平価での比較は意味がないと一蹴されてしまった。中国国内の関係者は、研究費の比較は為 替換算で行うのが妥当との意見で一致しているようだ。

 一方、米シンクタンク「カーネギー国際平和基金」は、07年11月、中国の実質経済は直近の公式統計よりも40%小規模であるとの見方を示していること から、仮にこのデータに沿って、中国の研究費を購買力平価で換算すると、06年はおろか、07年においてさえ、日本を上回っていないことになる。 

 購買力平価は日常生活必需品の各国の物価を基準に割り出したものであるので、この換算式を研究費に適応するのは確かに無理がある。実際の中国の研究現場 を見ると、NMR等の研究機器・機材はほとんど海外から購入しているため、国際価格と大差はない。また、日本で高い比率を占める研究者の人件費は、中国で は概ね5分の1から10分の1程度と考えられる。さらに、研究棟等の建設費は、筆者の印象では凡そ10分の1程度というところだ。これらを総合的に換算し 直感的に日本と比較する場合、中国の研究費は為替レートの2倍から3倍程度と推測される。中国の研究費の伸び率は20%から25%であるので、実質的に日 本に追いつくのは、5年後から8年後くらいと筆者は予想している。

2)論文数

 中国科学技術部科学技術情報研究所の発表データでは、国際雑誌及び国際学会での発表論文数の国際比較をすると、06年に中国は、前年比8.4%増 加で17.2万件となり、日本を上回り米国に次ぐ世界2位となっている。だが、過去10年の被引用論文数は、前年同の世界13位となっており、質の面での 発展は遅れている。

3)研究者数及び学生数

 中国人研究者数は、産学官合わせると、日本の2倍近くなっている。一方、広義の学生数は、06年2500万人で進学率が20%を突破している が、政府は2010年までに3000万人を目指すとしている。大学では現在でも大学卒の就職率は70%程度であるが、今後就職率は益々厳しくなると予想さ れる。いずれにしても、数年前までは中国の大学生はエリートと見なされていたが、急速に大衆化へと変貌していると言える。

2.主な政策

1)「自主創新」

 中国政府は、国家中長期科学技術発展計画(06年から20年)において、「自主創新」を国家目標に掲げ、海外技術導入依存体質からの脱皮を目指す としている。そのなかで、国全体の研究費を2020年までにGDP費で、06年の1.4%から先進国レベルの2.5%を目標とし増加させる方針である。ま た、2010年の目標はGDP比で2.0%であるが、毎年0.1%増加すれば概ね実現できる見通しだ。政治と経済の安定が前提であることは言うまでもな い。

2)重点プロジェクト

 選択と集中は中国政府の得意とすることころである。国家中長期科学技術発展計画では、短期的に突破する技術としてエネルギー等重点11分野、中期 的に技術の空白を埋めるものとして中核電子部品、月面探査等16のビッグプロジェクト、長期的に世界最先端の課題に取り組むとしてバイオ、IT等先端8分 野及び量子制御、ナノ等基礎研究4分野を明示している。国家の意思を明確に示したものであり、日本や米国を超越するハイテク国家の実現を高らかに提唱した ものとも指摘することができる。

3)世界水準の研究室の設置

 中国科学技術部は、世界水準の研究室を実現すべく、国家重点実験室(中国版COE)を全国の大学や研究所に200ヵ所以上設置し、集中的な研究費 の投下を行っている。また、新設を行う一方で、5年に1度既存の重点実験室の評価を行い、継続及び廃止を決めている。筆者はこれらの重点実験室を訪問した が、個人的印象では、研究活動水準の格差が大きいように思われた。最近、科学技術部は、国家重点実験室よりもハイランクの国家実験室を設置している。既存 のものや許可を受けたものの合計は約20ヵ所設置である。国家実験室のいくつかは、優秀な国家重点実験室を合併させて設置したものであり、海外の視点に立 ち中国の現在の研究レベルを評価すると、これら国家実験室が世界水準のCOEを目指すに相応しい研究室であるとも言えよう。

4)エリート大学の育成

 中国教育部は、資金を重点的に投入し、21世紀初頭に約100校の世界水準の大学を育成するとし、 211工程を実施中である。さらに、当時の江沢民主席は、98年5月人民大会堂で開催された「北京大学100周年記念式典」において、211工程の大学を 更に約40校に絞るという985工程を始めると宣言した。国家重点実験室を絞り込んで国家実験室を設立するという手法は、211工程の大学を40校程度ま で絞り込むという手法と類似のものである。最初から意図して絞り込むことで競争を激化させようとしているのか、それとも新しい政策を打ち出したのか判断す ることは困難であるが、注目すべき現象と言える。

5)海外の先端技術や知見の吸収

 海外の先端技術や知見を早急に吸収するための政策は、海外で活躍している中国人研究者の帰国奨励である。教育部、科学院、人事 部等は、90年代から研究 ポストや多額の研究費を保証するという帰国奨励策を打ち出している。長江学者、百人計画等の優遇策で帰国した中国人研究者は大学や研究所で重要な役割を 担っている。ただ、最近はアカデミックなポストが埋まったために、相当優秀でなければ帰国できないという現象が生じてきている。一方では、地方政府や科学 院は、地方にサイエンスパークを設置し、海外で活躍している中国人研究者の帰国を盛んに呼びかけている。 

 さらに、昨年より教育部は、大学院学生を毎年5000人、海外の一流の大学や研究所に派遣するプログラムを開始した。海外に優秀な人材を流出させること なく、中国人留学生を確実に帰国させるという政策に重点が置かれるようになったためと考えられる。初年度は約4000人の派遣に留まり、内数は米国約 2000人に対して日本は約200人という大差が付いた。使用言語、生活費毎月1000ドル、受入れ機関の即断等が原因と考えられている。 

 一方、中国政府は、100の世界一流研究機関から1000人の科学者を国内大学に招聘し、特定の大学学科内に100のCOEを育成しようという、所謂 「111工程」を2006年より始めている。08年までに約100の学科が指定される予定。各学科には、5年に亘り、毎年180万元を助成する計画。筆者 が何ヶ所か見学した範囲内では、招聘者は主に自分の留学先の指導教授が中心であったり、招聘期間も毎年1ヶ月以上とされているが実際には1週間以内が大多 数を占めているように感じられた。いい制度であるので、運用面での工夫が必要であろう。

6)若い学長の誕生

 近年、40歳代の若い学長や研究所長が続々と誕生している。上海交通大学天津大学南開大学、中国農 業大学、大連理工大学、科学院生物物理研究所、武漢ウイルス研究所等である。なかには、30歳代の研究所長も活躍しているので、日本と比べて人事制度が随 分と異なる。このような事態の主な原因は、文化大革命のために50歳代の人材が育っていないことが挙げられるが、適材適所に思い切った人材配置を行えるの は中国の特徴と言えよう。

3.主なビッグプロジェクト

 次に宇宙、原子力等のビッグプロジェクトを見てみよう。

1)宇宙開発

 中国は既に有人宇宙飛行を実現し、更に衛星破壊実験に成功するなど米国が警戒する段階まで実力をつけてきている。嫦娥衛星1号の月面探査は、日本の「かぐ や」とともに、中国国内で大々的に宣伝された。将来、有人月探査プロジェクトに大胆に挑戦しようという姿勢を示している。

2)原子力

 北京市郊外の原子力エネルギー研究機構では、ロシアからの技術導入により出力65MW、電気出力20MW規模の高速増殖実験炉を建設中で、09年 に臨界、10年に発電の予定。また、合肥の科学院プラズマ物理研究所では、将来の核融合に向けて、国産技術のみで超伝導トカマク型プラズマ装置の通電実験 に成功。後発のメリットを生かし、超伝導技術では世界初となったが、容量は日本のJT-60の8分の1。

3)大型加速器

 北京の科学院高能物理研究所では、電子陽電子衝突加速器を使用した国際共同研究で新しい素粒子を発見したという研究成果を発表している。また、科 学院上海応用物理研究所では、世界4位の規模のシンクロトロン放射光施設を建設中で、09年から使用開始予定。さらに、研究所はこの施設内に自由電子レー ザーを建設しようという計画を政府に提出しているが、まだ承認されていない。

4)海洋開発

 ロシアの技術導入により、7000メートル級の深海探査船を開発中と伝えられている。

5)南極観測

 南極に二つの基地を設置し、気象観測を行っている、最近、三番目の基地を設置し、過去数十万年の気候を留めている雪氷コアの掘削を開始する。観測項目を高度化し、先進国の仲間入りへ。一方、北極海地域にも基地建設を計画中。

4.国際組織での人的ネットワーク構築

 人的ネットワークの形成は中国人の得意とするところ。発言権を確保するために、国際機関の積極的なポスト獲得競争では、既に35の国際組織で 206の幹部ポストを確保。また、62の在外機関に131名の科学アタッシェを派遣している。ちなみに、日本の大使館や領事館には、合わせて5〜6名のア タシェを派遣している。

5.海外研究機関の誘致

 世界の工場から世界の研究所に脱皮するためには、世界一流の大学や研究所が中国国内に誘致される必要がある。フランスのパスツール研究所は科学院と共同で上海に研究所を設置。ドイツのマックスプランク研究所は、科学院上海生命科学院の中に共同ラボを設置している。 

 ドイツのフンボルト財団と自然科学基金委員会は共同で、中独科学センター(4階建て)を自然科学基金委員会の敷地内に設置し、フェローシップ支援、ワークショップ開催等を行っている。 

 民間部門では、マイクロソフトが最大のアジア研究センターを中国国内に設置する他、日系企業も工場設置のみならず研究センターの設置を徐々に行っている。

6.課題

 中国の科学技術政策上の課題を考えてみたい。

1) 弱い先端基礎研究

 論文数では日本を追い抜いた中国だが、では論文の質はどうであろうか。世界一流雑誌へのファーストオーサーの論文投稿数で、理研と中国大陸(台湾、香港等を除く)を比較してみると以下のとおりである。ちなみに理研は05年、中国大陸は06年のデータである。

  Nature 関連 Science Cell関連 PNAS PRL JACS
理研 40報 6報 35報 24報 45報 16報
中国大陸 13報 10報 15報 22報 71報 109報

 物理の一流雑誌(PRL)及び化学雑誌(JACS)では、中国大陸の方が多いが、その他の雑誌ではほぼ拮抗している。ここにはデータを示していないが、中 国大陸のこれら雑誌への掲載数は伸びてはいるが、その伸び率は研究費の伸び率を下回っている。従って、本格的な増加はこれからだと考えられる。

2) 自主的研究開発を行う民間企業が少ない

 統計によると、中国国内の研究費のうち7割は民間企業が担っていると言われる。しかし、中国の民間企業のうち研究開発を行っているのは4分の1に しか過ぎない。研究所を自ら有し、目立った研究活動を展開している企業も多くはない。その代わり、大学への委託研究は多く、大学側から見ると、3分の1以 上の研究費が企業から支出されている。他の先進国と比較して民間企業の成長が遅れた分、大学がその役割を担わされているという構図が垣間見える。

 技術革新には、マーケットのニーズを把握している民間企業の自主的研究開発が不可欠と思われる。しかし、多くの分野において企業による自主的技術開発の進 展が少ないと指摘されている。この停滞が資本の蓄積がまだ不十分であることに主な原因があるのか、それとも他に原因があるのかは今後の分析を待つ必要があ る。

3) 人材の海外流出

 改革開放以来、中国から海外に出国した留学生数は107万人に対して、帰国した留学生数は27万人と言われている。80万人もの人材が米国を始 め、先進国で活躍している。人材流出である。大学院生5000人派遣計画は、海外の最新の技術や知識を習得し、確実に帰国させようという政府の意図の表れ ともみることができよう。

4) 研究費の濫用、論文の捏造や盗作

 研究費が目的以外に使用されたり、論文の捏造や盗作の問題が後を絶たないと指摘され、その遠因の一つは、定量化しすぎる評価と言われている。毎年 一定量の論文の掲載を求めたり、インパクト・ファクターにより研究者にボーナスを支払ったりする制度は、研究者を鼓舞するのではなく、不要な圧力をかけ、 不正に走らせているとも言われている。また、厳しすぎる評価は、流行している研究に目を向けさせ、長期的な優れた基礎科学の成長を妨げるものと心配されて いる。

5) 研究課題選定の不透明感、不公平感

 中国の研究開発は、他の先進国と同様に学者のアイデアで獲得する競争的資金と政府が重点的に投資するトップダウンのプロジェクトから成り立ってい る。研究費を確保しなければ、研究ができないという状況に研究者が置かれているのはどの国も同じである。研究課題の選定には、中国の場合、院士が大きな影 響力を及ぼしており、課題選定の権限を握っている。各大学や研究所は何人の院士を輩出しているかが、研究費獲得に即関係してくる仕組みになっている。課題 選定の不透明感や不公平感を抱く研究者が多いと言われる。

6) 学問上の権威主義

 中国は、目上の者や権威に対する従属の束縛が強いと言われる。西欧で科学が発展した理由の一つは、権威との戦いであり、学問の自由の尊重であった。中国における権威主義の克服が科学の更なる発展を導く上で重要と考えられる。

7) 暗記重視の教育

 中国は社会全体が急速に競争社会に突入している。貧困からの脱出には高学歴がものを言うと考える人が多い。小学生低学年から学業競争であったり、暗記中心の教育であるため、創造性の欠如を助長していると指摘されている。

7.まとめ

1. 中国は「自主創新」を国家目標に掲げているが、大学等の基礎科学や民間企業の技術革新に一層力を入れ、研究開発システムの確立が急務である。

2. ビッグプロジェクトについては、国威発揚の宇宙開発は強いが、その他、原子力、加速器等分野はこれから世界先進レベルに追い上げてくる。

3. 現在、海外の先端技術や知見を吸収するために、帰国奨励、大学院生の大量海外派遣、海外一流学者の積極的な国内招聘、海外研究機関の誘致、海外企業買収のための国家ファンドの創設等に重点を置いている段階にある。

 ただし、中国の将来の科学技術力を判断する上で、以下のような点に留意していく必要があると考えられる。

  1. 「自主創新」の実現は資本と知見の蓄積にどれほど依存しているか。
  2. 軍事研究のレベルをどう評価するか。スピンアウトしてくる革新技術はないのか。
  3. 7割を占める民間企業の研究費の使途をどう評価するか。独自の技術開発が今後どのように展開されるか。