【17-012】法人分類の再編
2017年 8月24日
略歴
御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員
2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職
自然人と「法人」の意義
前回のコラム において自然人(民法総則第二章)の分類について紹介しました。論の全体としては身分から権利へという流れで論じました。その中で、一読された読者の方であればやや座りの悪い「自然人」がいたことを記憶されているのではないかと思います。それは、個人事業者[個人工商戸]と農村請負経営者[農村承包経営戸]の二者です。
前回のコラムにおいては、民法総則が、その権利主体の形態すなわち人の属性に注目して自然人の分類を維持したために、座りの悪い個人事業者と農村請負経営者も自然人に分類せざるを得なかったと解釈しておきました。本コラムで後述するように、民事責任の大小に注目する視点が弱いのです。そして、この一見すると理不尽に感じる点が政治的決断の結果という評価を一部の言動で誘ってしまっています。ただ法学・法律学を学んだうえで外国法研究としての現代中国法に接すると、この言動はまさに歪んでいます。この歪みを矯正するところから、今回はお話を始めたいと思います。
そもそも法人格を与えて法令上の法人であると承認することは、何らかの事情により巨額の負債を弁済できなくなった場合の責任の取り方を、有限にすると法令が認めることです。例えば、会社が倒産した場合、その会社に対して債権を有する人々が集まって債権者集会を開催します。そこでは倒産時の会社の財産の残部を均等分配するよう話し合います(本来は労働債権など優先債権の設定がありますけれども、ここでは省略します)。この場合において重要なことは、無い袖は振れぬという状態をどうやって皆に納得させるかです。
本来であれば、債権者全ての債権額を負債者が1円残らず弁済すべきです(借りたものは必ず返すことが道理ですから)。しかし、無い袖は振れない。そこで法人格という概念を組み込み、有限の責任を履行すれば弁済した=それで良いことにする修正した道理(法的論理)で関係者全員を納得させるわけです。口悪く言えば、本来の道理を引っ込めさせて騙しているわけです。しかし、これが法人という権利主体を承認する理由です。
この論理を理解すると、次のような説明が歪んでいることは明らかです。例えば、まず、彼らが法人(一般の会社)とされないのは、彼らが経営難による破産という憂き目にあってもその負債額が一般の会社ほどではないことを想定できるからであるという説明です。法人を一般に承認する理由からは導けません。確かに一般の会社程度に重視する必要はないかもしれませんが、それでも純粋な個人の破産と比べて巨額になることは間違いありません。無い袖は振れない状態は同じですから、自然人の分類に個人事業者と農村請負経営者を組み込むことは、彼らに1円残らず弁済せよと言っているに等しいですね。窮鼠猫を嚙むという諺が同じ人間社会である中国で通用しないはずはないでしょう。
但し、私たちの法的論理だけでは上記の立法趣旨を解釈し、その論理整合性を確保できません。そのために一部の言動は政治的判断があったと「作る」わけです。政治的決断それは現代中国に法はあってもないようなものだから道理を曲げてもまかり通る。あるいは、この政治的判断は都市と農村の二元統治の残影であり、農村、農民、農業を搾取してきた歴史を繰り返すものである等という扇動が、その例です。
これらの言動は本来の法人の成り立ちを理解していれば導けません。また、日本の外国法研究の枠を超えています。民法総則は人の属性に注目して分類したにすぎませんし、法人(第三章)と非法人組織(第四章)は、この前提の上に法人の論理を組み込んだだけです。すなわち、法人は自然人と異なる属性の権利主体として民法総則が規定したのです。なお、個人的には個人破産に関する理論・法制度を確立した後に(時期が合えば民法典として再編成する際に)、もう一度は修正するだろうと感じています。
「法人」類の全容について――大分類
自然人と区別するために、本コラムでは、法人と非法人組織を「『法人』類」と総称しておくことにします。そうすると、次のように整理できます。
まず民法総則は大分類として「法人」と「非法人組織」と定めました。両者はいずれも登記する必要がある点で共通しますが、法人格[法人資格]の有無により区別されています(民法総則102条、103条)。つまり、「法人」類は必ず何らかの「登記制度」が支えるのです(自然人は戸籍制度が支えます)。それゆえに、「法人」類の実際と登記簿の内容が一致しない場合、「善意者(このことを知らない権利主体)」に対抗できないとし(民法総則65条)、登記内容を信用した者は保護されます。
次に「法人」類の基本形を「法人」としました。法人に、自己の名称、組織機構、財産・経費を要求する点は旧法(民法通則37条)と同じです。民法総則は、以上に加えて住所のほか、法人成立に関する具体的な要件・手続を別途定める法令に従うことを要求しています。要するに、関係機関の承認・許可を経ることが不可欠となったわけです(民法総則58条)。
ちなみに、旧法と比較しての特徴は、「法人」類の法定代表者に対する責任の追及可能性を言明した点です。一般に、その法定代表者が職務遂行を原因として他人に損害を与えた場合、法定代表者は民事責任を負担しません。法定代表者が「法人」類を代表しているわけですから、その過失は「法人」類の過失だというわけです。しかし、「法人」類が民事責任を負担した後に、法律や所内規則等の規定に照らして法定代表者に過失があれば(有過失)、その法定代表者に民事責任を追及できることを言明しました(民法総則62条2項)。
もちろん過失がなく、かつ規定違反もなければ、その法定代表者に民事責任を負担させられないと解釈すべきです。また、条文の文言上は民法総則が法定代表者に全部負担させることも可能であるように解釈できます。これらは法人の意義を喪失させかねませんから、民法総則62条2項の運用について、司法解釈等によって早急に具体化した立法を用意する必要がありそうです。
「法人」類の全容について――小分類
「法人」類の小分類についても把握しておきましょう。旧法である民法通則は「企業法人」「機関、事業組織及び社会団体法人」「連営(Joint Ownership Enterprises、共同所有企業)」という分類形式を採用していました。このうち「連営」とは、複数の企業法人等が共同投資して組織化した経済組織を指します。中国的権利論すなわち身分制・身分的要素を色濃く反映する思考に基づけば解り難くもないです。が、企業を法人として一般に捉える私たちの思考に基づけば、確かに解り難かったですね。
民法総則は私たちの思考における法人の論理を組み込んだことで解り易くなりました。それが「法人」類の小分類です。営利性の有無という視点から「営利法人」と「非営利法人」を、そしてこの両者に組み込めない法人を「特別法人」と規定しました。営利法人は、有限責任公司、株式有限公司およびその他の企業法人からなります(民法総則76条)。旧法では全人民所有制企業、中外合資経営企業、外資企業等のように名称毎に言明していましたが、営利性のある法人をすべて営利法人として整理しました。
その一方で、非営利法人は、事業組織、社会団体のほか、基金会や社会サービス機構からなります(民法総則87条)。営利性がない、すなわち「公益性」が基準となります。この点については、どうやら特許の論理を前提とした運用を想定しているようです。要するに、国家・政府が、特定の個人・法人に対して、本来であれば私人が有しない権利等を付与するか、または包括的な法律関係を設定するかを統治機構側が判断する運用になりそうです。
そして、特別法人です。特別法人とは、機関法人、農村集団経済組織法人、都市部農村の合作経済組織法人および基層の大衆自治組織法人です(民法総則96条)。機関法人とは、独立経費を有し、かつ行政職能を担う法定機関です(民法総則97条)。一般の法人と異なる点は、職務と関係のない民事活動について制約を受ける点です。農村集団経済組織法人については民法総則99条が、合作経済組織法人については都市部農村という条件付きで民法総則100条が言明しています。
個人的には基層の大衆自治組織法人に関心があります。この法人には、住民委員会[居民委員会]と村民委員会があります(民法総則101条)。農村集団経済組織法人が存在しない場合には村民委員会がその職能を担うことを予定していますが、それ以上に詳細な規定を民法総則は置いていません。これは大きな研究課題です(村民委員会は各地方各地域各村で様々な形態があるということを先行研究や調査報告等が明らかにしています)。
最後に非法人組織です。非法人組織は法人格を有しません。ですから、名称の上では法人とされていますが、その実質は個人の名義で民事活動に従事する権利主体です。愚直に規定するからこんな奇怪な法文をもつようになるのだと思った方はご注意を。日本法でも「法人格なき社団」のように法人格のない組織体を法主体の一つとして承認しています。
自然人と異なる点は、非法人組織は関連法令に基づいて登記しなければならないところです(民法総則103条)。法人資格を有さないにせよ、法人に関する一般規定は適用されます。ただし、このこと以上に留意すべき特徴は、無限責任の権利主体として言明している点です(民法総則104条)。一般に非法人組織が行なった行為に伴う損失で、非法人組織の資産で清算しきれなかった債務については、その出資者・設立者がその債務の残額を引き受けることになります。普及しないように見えて日本法でも法人格なき社団は各所で散見できますから、意外と中国社会でも各所で散見できるかもしれません。
以上の小分類を整理すると下の図表を得ることができます。民法通則の内容と比べると、かなり形式化できていることを見て取れます。
登記の要否 | 法人格 | 営利性 | 責任 | 例 | ||
法人 | 営利法人 | 要 | 〇 | 〇 | 有限 | 有限責任公司、株式有限責任公司など |
非営利法人 | 要 | 〇 | × | 有限 | 事業組織、社会団体、基金会など | |
特別法人 | 要 | 〇 | △ | 有限 | 合作経済組織法人、住民委員会など | |
非法人組織 | 要 | × | △ | 無限 | 駐在代表処、企業年金理事会など |
「法人」類の特徴は同86条にあり?
例によって、「中国的権利論」の機微に触れる部分を指摘して今回のコラムを終えることにしましょう。「法人」類におけるそれは民法総則86条です。同条は「営利法人が経済活動に従事するには、商業道徳を遵守し、取引の安全を維持し、政府及び社会の監督を受け入れ、社会的責任を担わなければならない。」と言明します。この文言は、中国会社法(中華人民共和国公司法)5条1項を参照したものと言われています。
中国会社法5条は、法律や行政法規すなわち法令の遵守、公衆道徳や商業道徳の遵守、忠実正直かつ信頼を守ること、政府や社会の監督を受け入れること、および企業の社会的責任(いわゆるCSR)の負担を言明しています。したがって、民法総則86条がその大部分を踏襲したという指摘は正しいでしょう。民法総則86条は①商業道徳の遵守、②取引の安全の維持、③政府・社会監督の受け入れ、④CSRを法人に要求しています。
少しだけ踏み込んだ体系解釈を行なうならば、民法総則86条の精確な解釈は次のような思考を伴うものになります。民法総則は、既に同6条で公平原則を、同7条で誠実信用を、そして同8条で法令遵守を、さらに同10条で法令の規定がない場合に慣習や公序良俗に反しないこと(法律適用原則)を要求していますから、同条は、公平原則の中でも①を、誠実信用の中でも②を、そして法律適用原則の中でも③④を再び言明していると読めます(但し、会社法5条との関係で言えば、法令遵守という形で再び言明してはいないとも読めます)。その一方で、同じ内容を重複して規定することは愚の骨頂ですから、民法総則86条は営利法人の、かつ経済活動に限定した特別の規律であると解釈するのが整合的です。
要するに、民法総則86条は、営利法人の経済活動という行動(法律行為)について特に規定したものなのです。ゆえに、民法総則が言明する基本規定を土台にして、個々の法律行為において特化すべき義務ないし責任を明らかにしたものであると解釈する必要が生じます。そうすると、商業道徳とは何か(①)、取引の安全とは何か(②)、政府・社会監督の受け入れとは何か(③)、CSRとは何か(④)をさらに確認しておく必要があります。
中国的権利論の習癖が顔を出す?
このうちCSRについては過去、国務院国有資産監督管理員会が「中央企業の社会的責任の履行に関する指導意見」(2007年)を公布したところから、その内実を確認できます。
上記の指導意見において列挙された内容とは、法に基づき忠実正直かつ信頼を守ること、持続的営利能力を向上すること、製品の質・サービスの水準を真摯に高めること、資源節約・環境保護を強化すること、イノベーション・技術進歩を推進すること、生産環境の安全を確保すること、従業員の合法的権利利益を維持すること、および公共事業に参加することでした。日本で一般に言われるところの企業が倫理的観点から事業を通じて自主的に社会に対して貢献する責任であるという範囲を超えるものではないと言えます。
また、政府監督の受け入れとは法令(特に行政法規)に基づく政府部門の監督を拒否しないことを言います。党の指導という規律の下、党組織ないし同部門を設置する等の物理的な措置を求められることもあるかもしれません。一方、社会監督の受け入れとは、世論による監督やメディアによる監督のほか、信訪制度を通じた監督を想定しています。総じて「お上の言うことには従え」的なメッセージと言えば、その半分は合っています(信訪制度を通じた監督の受け入れを除く)。言い換えれば、お上の言うことに従わない態度に映れば、反社会的、反国家的のレッテルを貼ってやるということですね。ここまでは比較的解り易い(法的リスクをどこまで最小限化するかは要検討ですが)。
解り難いのは、商業道徳と取引の安全です。商業道徳については、自由平等、公平および誠実信用原則を内容とするもので主要なもの、かつ、人々に公知され、法文化されたものの総称であると説明されます。中華人民共和国パートナー企業法などの実定法の中でも、この文言を確認できますし、意見募集中の中華人民共和国外国投資法でも商業道徳なる文言が言明されています(具体的に何を言っているのかが曖昧で、本当に解り難いと思うのですが、実務家ならば感覚で解ることだそうです)。
百歩譲って分かったとして、取引の安全については、どうでしょうか。何をもって「安全」と評価するかで千差万別の解釈が成り立ちます。締結した契約に基づいてその債務・義務を相互に履行することを安全と評価するのが一般だろうと思います。が、手前勝手な契約の申込みの内容で契約を締結することを安全であると評価する論理も展開できないわけではありません。そして、そんな場面に私たちはこれまでも出くわすことがありましたし、今後はさらに増えてゆくかもしれません。
例えば、皆さんは、(長々と続きますが御容赦ください)WIN-WINの発展に資するためにはプランAしか採用する余地がなく、それは中国にとっては誠実に自社の利益だけでなく社会・国家の利益でもあり、世論も支持している。そして、このプランAによって持続的営利能力を強化できるし、イノベーション・技術進歩の進歩も期待でき、生産環境の安全の確保も従業員の合法的権利も維持できるうえ、(国家の)公共事業に参加することにもなるため、プランAしかないことになる。他方、このプランAでも貴方達は十分な見返りを得られるはずだから、双方にとってWIN-WINの関係が築ける。取引の安全を完全に害さない…。こんな御高説を見聞されたことはありませんか。