【18-007】司法の公正は誰が作るのか?
2018年 6月13日
略歴
御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員
2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職
陪審制と参審制
やや唐突ですが、皆さんは陪審制と参審制の違いについてご存知ですか。何となく知っているけれども説明できる自信はないというところでしょうか。
私たちがこれまでに学んできた一般の説明では、刑事裁判に主権者である国民が参加する制度として陪審制や参審制があり、かつ、それぞれの国や地域で国民が裁判に関係する形態は様々である、というものでした。そして、基本的には有罪かどうかの犯罪事実の認定を陪審員のみで行ない、裁判官が条文解釈を含む法律問題と量刑判断を行なう制度を「陪審制」といい、参審員が裁判官と同様に裁判を担う制度を「参審制」といいました。
陪審制(陪審制度) | 有罪無罪を判断する。 | 量刑を判断しない。 | 任期は事件毎。 |
参審制(参審制度) | 〃 | 量刑を判断する。 | 任期制を採用。 |
陪審制と参審制の主な比較
ちなみに、日本で2009年(平成21年)に始まった「裁判員制度」は、陪審制と参審制を組み合わせた制度です。参審制のように裁判官と同様に裁判を担いますが、選ばれる国民の生活への負担などを考慮して任期を事件毎としました。最高裁判所が公表している最新のデータによれば、2016年(平成28年)12月末までに裁判員に選ばれた国民は54,964人(男性55.0%、女性43.4%)で、裁判員裁判によって判決を受けた人数は9,548人だそうです(裁判員制度HP)。
ところで、国家権力の一部である司法権を担う裁判所は、その裁判が公正で中立なものであることを保障するために、高い独立性が必要とされてきた統治機構です。これを「司法の独立」と言います。そんなに独立性の高くなければならない統治機構に対して、なぜ国民が参加する必要があるのでしょうか。
場合によっては被告人として法廷に立つ人間の生殺与奪の権限を担うのが裁判官です。そして、この責任の重さゆえに高い身分保障が確保されなければならないと言われ、その高度な身分保障を肯定してきた歴史を考えると、国民の司法参加の必要性が求められることは、やや不思議に感じられます。
一般に言われているところを整理してみれば、「主権者である国民が刑事裁判に参加することによって裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法権すなわち裁判所に対する国民の信頼の向上につながるために導入したのである」とか、「国民の感覚を適正に反映させるために導入したものである」といったものでしょう(そうであるならば、裁判官に対する高い身分保障を引き下げても良いのではないかと言ってしまうところが私の悪い習癖かもしれません)。
民主主義国家における法の評価
なぜ、国民が裁判に参加する必要があるのでしょうか。「民主主義(民主主義そのものが様々な議論を呼ぶ言葉なのですが、本コラムでは、その社会・地域を構成する人々による多数決で社会問題を解決する考え方をいうものとしておきたいと思います)」社会における法のあり方からすれば、次のように説明できます。人々は日々の生活を営むために四六時中社会問題に取り組むことは難しいです。そのために、自分たちの代表者を選んで問題に取り組ませる制度すなわち、間接民主制を採用することがあります。その一方で、確かに常に自分たちの責任として代表者を選ぶことをせず、自らが取り組む制度として直接民主制を採用することもあります。
このような民主主義社会における法のあり方とは、何をルールとして定めるかという立法プロセス、このプロセスを経て承認した法に基づいて社会統治を行なう行政プロセス、そしてその中で問題が発生した場合に解決を担う司法プロセスのすべてにおいて主権者の意志が反映しているかが重要な指標であると言えます。なお、現代中国における立法プロセスについては以前のコラムで紹介したことがありますので、参照して頂ければ幸いです(コラム「立法過程の透明化」 )。
多数決の原理で重要なことは、少数派は多数派に従うという原則であると同時に、少数派は「多数派の弱み」を取引材料に交渉し、より良い妥協点を得る熟議を展開できるという理論です。多数派の弱みとは、強引な議会運営をして強行採決であるというイメージを人々にもたれると、もしその判断によって多大な損失や失敗を招いた時に、自分たちだけが責任(例えば次の選挙で落選させられるという責任)を糾弾されかねない「恐怖・不安」であると言います。それゆえに議会政治で本来発言力が強いのは少数派であると言われるわけですね。とはいえ、だからと言って「何でも反対党」は無責任であり、幼稚な集団だと思いますが。
脱線しないうちに話を本線に戻しておくと、民主主義社会を目指す国家・地域では、その程度の差はあれども主権者である国民を立法、行政および司法の各プロセスに参加させることが、その国家・地域にとって民主主義を推進していることの証しであり、国際社会におけるその発言がその国家・地域における結論であると言えます。したがって、司法プロセスに民意が反映することは、必ずしも悪いわけではないのです。
中華人民共和国人民陪審員法の意義
さて、そこで現代中国の司法プロセスについてです。本コラムでも主流の教科書類が指摘する「先定後審(まず判決を定めて、後に審理する)」の問題を紹介したことがあります(コラム「裁判官による裁量」 )。とはいえ、この現象は、関連する法令条文と事実との一致性の検証と情状酌量の余地のみを裁定すれば十分であるという現代中国法の描く理想の裁判のあり方に照らせば至極当然のものでした。
全国人民代表大会をはじめとする人民代表大会(以下、各級の人代とします)が権力を一手に担い、そこに主権者の民意が集中する国家体制を現代中国は採用しています。ということは、各級の人代が制定する法令を順守することが、論理的には民主主義を維持し推進することの証しであるということになります。このように考えると、今年立法された中華人民共和国人民陪審員法は各級の人代の役割と競合しかねません。では、私たちは、この中華人民共和国人民陪審員法をどう意義づければ良いのでしょうか。
中華人民共和国人民陪審員法は、2018年4月に全国人代常務委員会が採択した法律です。この法案審議にあたり、最高人民法院の院長である周強が、その立法趣旨を説明しています。周曰く、人民陪審員制度は人々が司法を理解し、司法に参加し、司法を監督する直接的な方法であると同時に、人民法院が民主主義を高揚し、司法の公開を促し、司法の公正を保障することに資するものであり、結果として司法に対する公信力を高めることになる、のだそうです。これを「下からの民主化」であるとか、「形だけの国民の司法参加」であると評価するのはお門違いでしょう。
というのも、周による立法趣旨の説明を読む限りでも、事実認定の問題だけ人民陪審員に担わせるだの、審判長による人民陪審員に対する指導を強化するだの、犯罪歴の有無も確認できる住民名簿から無作為抽選で人民陪審員を選出するだの、5年の任期制で原則再任しないだのということを説明していますから、どうやら人民法院に対する人々の信頼を向上させるところに主な目的がありそうだと見て取れるからです。うがった見方かもしれませんが、どこかの国で起こった司法改革のように、一般の人々の感覚とかけ離れた判決を出すトンデモ裁判官が目につくようになったため、人々の感覚を適切に反映させる仕組みとして人民陪審員を位置づけているように思えなくもありません。
同法が規定したこと
そこで、採択した法律の内容を確認すると、次のとおりです。ここでは3点ほど指摘しておくことにいたします。第1に、「国民が法に基づいて審判活動に参加することを保障するために、司法の公正を促進し、司法の公信(力)を高めるために、本法を制定する」ことを言明しました(同1条)。人民ではなく、国民に人民陪審員の権利および義務を法に基づき担わせることを言明したこと(同2条)。また、不適格者として各級の人代常務委員会の委員などのように、他の国家権力の一部を担う人や弁護士などの専門家集団に属する人、信用失墜者リストに掲載された人などを言明したことは、より広い範囲での民主主義を取り込みたい思惑を見て取れます。
第2に、人民陪審員が、法官(裁判官・審判官)とどのように役割分担をするかについて、3人制の合議廷と7人制の合議廷で大きな違いを設定しました。前者(3人制)の場合は、1人の法官と2人の人民陪審員で構成する一方で、後者(7人制)の場合は、3人の法官と4人の人民陪審員で構成するとしました(同14条)。
中華人民共和国人民陪審法が定める人民陪審員制度のポイントは、3人制の場合は参審制と同じように量刑判断まで人民陪審員の権限として認めます(同21条)。しかし、7人制の場合は陪審制と同じように量刑判断はさせず、さらに有罪無罪の判断もさせません。できることは、事実認定や意見を独立して発表できるだけです(同22条)。この点については、陪審制に近い仕組みになります。なお、いずれにせよ人民陪審員制度は任期制を採っています。
このように3人制と7人制で人民陪審員の権限に大小を設けた意義を探求するならば、80年代以降の改革開放という名の規制緩和で試みてきたように、権力を下位組織に分与しても、それは質的な分与ではないということ。すなわち量的なポストの分与であることを承継しているように思えてなりません。「仮に権力を分担させるとしても、その分担させる権力そのものの個数を増やすことはない」という不文律が見え隠れすると感じるのは私だけでしょうか。
第3に、人民陪審員に対する身分保障について。草案段階では「固定収入のない人民陪審員が審判活動に参加する機関は、人民法院が現地の職員労働者の上半期の平均貨幣賃金水準を参照して実際の業務日に基づいて手当てを支給する」という新たな就職口?の拡大となり得る規定(さらには傷害保険への強制加入、保険料を人民法院の経費で賄うという規定)を置いていました。が、この画期的な新規就職口規定は、採択した法律では見事に削除されました。
ただし、人民陪審員として審判活動に参加する期間について、所属組織がそれを賃金やボーナスなどから控除することを禁止する(同29条)としたほか、政府財政からの持ち出しで人民法院が実際の業務日に基づいて手当てを支給し、そして交通費や食費なども手当てするとしました。一部では二重払いや兼職を容認したものと言えるかもしれません(同30条、31条)。
ちなみに、人民陪審員への選出プロセスについては、管轄区内の居住者リストからランダム抽出[随机抽选]し、人民陪審員定数の5倍以上の候補者リストを作成したうえで、この候補者に対して資格審査を行ない、候補者に意見を求める(同9条)としていますから、固定収入のない候補者は資格審査上で除外されるか、仮に人民陪審員になったら本業が疎かになり生活できないといった意見を提出した時点で除外するなどの対応が予想されます。広く薄く広範な民主主義を取り込みたいけれども、厄介な人民陪審員を招き入れたくもないといったところでしょうか。
人民陪審員による宣誓と彼らが手を付ける紛争の範囲について
さて、この人民陪審員制度は2004年から始まったもので、時を経るごとに大仰なパフォーマンスを示すことで司法の公正を高めようと試行錯誤してきた1つの結論でもあります。その結実として、人民陪審員宣誓規定を各地で制定し、実施してきました。代表例が、最高人民法院と司法部が連名で2015年に公布した「中華人民共和国人民陪審員宣誓規定(試行)」です。この法令は行政法規です。
人民陪審員による宣誓は、掲揚された国旗に向かって「人民陪審員が職務を履行するという使命感」や「責任感」、「栄誉感」を高めることにつながるとし、(社会に向けて)公開で宣誓させられます。宣誓式は担当する人民法院で行ない、右手拳を挙げた状態で「私は中華人民共和国の人民陪審員であり、私は宣誓します、国家に忠誠を尽くし、人民に忠誠を尽くし、憲法及び法律に忠誠を尽くし、法に基づき審判活動に参加し、陪審員の職責を忠実に履行し、品行方正、公平に判断し、社会の公平正義を維持します!」と述べるようです(国民に忠誠を尽くすのではなく、人民に忠誠を尽くすというあたりが中華人民共和国らしいところです)。なお、同法を施行した後の初めての就任宣誓式でも、上記の文言が述べられたようです(参照記事)。
なぜ、このように大仰な内容を社会に向かって宣言しなければならないのでしょうか。それは、現代中国の人民陪審員制度が、私たちの理解する陪審制や参審制が刑事裁判に対する国民の司法参加であるというイメージとは異なるからです。中華人民共和国人民陪審員法15条は、第一審の刑事裁判、民事裁判および行政裁判において、大衆の利益や公衆の利益に係る事件であったり、人々の注目を広く集めている事件や社会的に影響が大きな事件であったりなどについては3人制の合議廷を(同15条)、10年以上の有期懲役となる刑事事件や公益訴訟事件のほか、移転を伴う土地収用事件や食品安全事件などの社会的に影響が重大な事件については7人制の合議廷を(同16条)開くことを言明しています。さらに、刑事被告人や行政裁判の原告、民事裁判の原告・被告が人民陪審員を含む合議廷での審議を要求できるとしています(同17条)。
要するに、社会問題となった事件について、中国社会全体としてどう考えるかを対外的に示すパフォーマンスとしての人民陪審制度なのではないでしょうか。そうすると、「司法の公正は誰が作るのか」という問いも、それは結局、現時点の社会を支持する人々をより広く招集する中でしか作れないという答えを導くための「民主主義」的手続きであるという評価から、人民と人民を支持する国民が作るのだと言えるでしょう。
以上
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