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【18-009】労災認定の日中比較

2018年 7月20日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

第18回指導性裁判例群の公表から

 先月(2018年6月)、最高人民法院から18回目となる指導性裁判例群が公布されました。第1回指導性裁判例群が2011年12月に公表されてから、今回で指導性裁判例の数が96件となりました。この指導性裁判例は、年に2、3回のペースで、指導性裁判例群として公表されていますから、次回あたりで100件におそらく到達するでしょう(ちょうど100件にして1冊の書籍にして欲しいと個人的には期待しています)。

 この指導性裁判例制度について簡単に確認しておくと、それは現実の問題として立法による対処が社会の進展に常に追いつき追い越せるわけではないことから、判断基準としての論理が何であるかを示し、既存の論理によって解決できない場合に参照することを、主として人民法院の裁判官[法官]に示すために設立した仕組みです。そのため、この制度を「判例」のように評価する言動もありますが、私は前提となる権利論(権利の考え方)が異なることを無視すべきでないと考え、この言動を現時点まで支持していません(第5回コラム) 。

 実は、本コラムの記事として当初考えていたのも、別の内容でした(民事裁判は中国的権利論を前提としてもやはり時間がかかる代物なのか?という内容のもの)。関係する最新の司法解釈が今年4月から6月にかけて出ていましたから、これまでの私の現代中国における民事裁判に関する研究の経過観察としても適切かと思っていたのですが、このままお蔵入りするかもしれません(なお、最新の現代中国の民事訴訟については吉村徳重=上田竹司編『日中民事訴訟法比較研究』九州大学出版会2017年が上梓されています)。

 というのも、今回の指導性裁判例群において公表された裁判例の中で、またまた中国らしい事例が現れたからです。余談ですが、今年はこの「中国らしい」事例に遭遇する機会が比較的多い印象があります。ひょっとすると、現代中国自体が何らかの既存の価値観に対する挑戦を受けていて、どう吸収・止揚するかに努めている最中なのかもしれません。

労災保険の典型的論点について

 早速、私が今回のコラムの内容を差し替えようと思った事件の論点について紹介したいと思います。今回の論点は、一見すると使用者による「労災逃れ」と言いますか、労災認定の審査基準と言いますか、いわゆる労災保険をめぐる典型的な論点です。

 そもそも労災保険とは、何らかの事故によって、その後の生活に対する不安を解消し、事故被害者である労働者を治療に専念できる状態に置くための保険のことです。このような保険が背後に控えていることによって労働者は安心して働くことができます。要するに、労災保険は労働者の生活を守るための保険制度なのですね。

 そうすると、この労災保険のポイントは、業務上の事故であるとどうやって認定するのか。いわば労災認定の要件に尽きます。なぜなら、業務上と言えない事故にまで労災保険の適用を認めていたら、保険基金が忽ちのうちに枯渇し、労働者が安心して働けなくなるからです。業務上であることが大切なのです。そして、この業務上であるか否かを判断する基準として、一般に論じられているのが次の2点です。

 第1に労働者と使用者の間で労働契約関係が認められたうえで発生した事故・災害と言えることです。これを「業務遂行性」と言います。第2に、その事故・災害を引き起こした業務と怪我・病気との間に因果関係があると言えることです。これを「業務起因性」と言います。つまり、労災として認定を受けるためには、その怪我・病気と事故との間に、業務遂行性と業務起因性が認められる必要があります。ちなみに、労災保険の保険料を使用者が全額負担するからと言って、労災認定を使用者が行なうことはできないとされています。保険料を支払う側に立てば、労災を認定しなければ保険基金が潤沢になる一方のはずで、その方が良いに決まっているからです。日本では必ず各地の労働基準監督署が行なうとしていますし、現代中国でも管轄地域の人力資源和社会保障局(通称「人社保」)が労災認定の判断権限を有しています。

 ついでに整理しておきますと、日本では、労働者が安心して働けるように、こうして労災認定が下りた場合に、それが業務災害か、通勤災害かによって様々な給付費目を労災保険は用意しています。そして、労災認定を受けた労働者に対して、これらの中から合致するものが給付されます。中国の労災保険条例[工傷保険条例]で対応するものもここで整理しておきましょう(下表参照)。なお、中国では介護保険サービスについて労災保険外(基本法は社会保険法ですから根っこは同じです)で対応するため、下表ではN/Aとしましたし、丸括弧の給付金は一時金的なもの、または結果的に日本法における給付費目と対応する項目に整理しました。

日本法 中国法
業務災害 通勤災害
療養補償給付 療養給付 医疗费,住院伙食交通费,(一次性伤残就业扶助金),外地就医交通费,食宿费
休業補償給付 休業給付 康复医疗费,停工留薪期工资
障害補償給付 障害給付 辅助器具费,(生活护理费)
傷病補償年金 傷病年金 伤残津贴,(一次性伤残扶助金)
遺族補償給付 遺族給付 供养亲属抚恤金,(一次性工亡扶助金)
葬祭料 葬祭給付 丧葬扶助金
介護保障給付 介護給付 N/A

 これらの給付が「業務上の事故」の内容に応じて労働者に支払われるという点を日本では長らく堅持してきました。しかし、東日本大震災時に、自然災害が引き起こしたものではないかと一般に考えられる事故などに対しても労災認定を行なうようになりました(以後、かなり緩やかに適用されるようになってきた印象があります)。その一方で、いつ地震などの災害が起こるか分からない状況で労働者に通常どおり働けと指揮命令することは故意に労働者を危険に飛び込ませるもの。言い換えれば労災事故を誘発すると言えますから、「働かせ方」の意識改革を行なえば、「働き方」改革を声高に求めなくとも良いような印象も個人的にはあります。

 同時に、最近の日本社会では、この労災認定をブラック企業と結び付けて議論することが多いように感じます。業務上の疾病である過労死、うつ病などの労災事故がその例です。そして、このような労災事故の例を聞くと、「労災逃れ」「労災隠し」と批判しなければならない空気に私たちは背中を押されているように感じます。

 もちろんこの空気が生まれる背景も理解できないわけではありません。一般に指摘される背景としては、労災保険を利用すると、その後の保険料が上がってしまう(従業員20名以下の事業所では保険料は変わらないはずですが)というものです。労災保険が自動車保険と同じようにメリット制を採用しているからです。自動車保険の場合、ゴールド免許保持者は保険料が安いですが、一度事故を起こしてしまうと途端に保険料が跳ね上がります。つまり、労災事故を起こしてしまうと途端にその保険料が値上がりし、企業財政を圧迫してしまう。そのため、このメリット制を労災保険が採用しているから使用者は労災事故を隠したがるのだ。また、場合によっては規模の小さい下請け業者が労災事故を肩代わりするといった労災逃れが横行するのだ、というわけです。

 既に述べたように労災保険の保険料は使用者が全額負担していますから、これが直接の原因であると私は考えます。要するに、この論点は「労災事故を問題視する使用者が悪いのでは?という先入観を抱かせるのに十分な内容を含むもの」なのです。

指導性裁判例94事件の概要について

 では、問題の指導性裁判例の概要を紹介したいと思います。この事件は、2011年に重慶市で発生した事例です(この頃の重慶市党委員会書記は薄熙来氏。思い起こせば、日本のチャイナ・ウォッチャーが「重慶モデル」やら、復古主義やら、あるいは自分の権利が不当に侵害されているとしてその権利を主張したり、守られるべき権利が守られていないと権利の擁護を求める運動を「維権運動」といい、重慶市の維権運動はその典型である!などと言って注目していた頃ですね)。A会社で保安員として働き、A会社と労使関係にあるBが、職場外かつ業務外で、通行人から金品を巻き上げていた犯罪者に対して、その違法に得た贓物を返還させるべく、その捕り物中に負傷(その後Bは表彰を受けましたので、捕まえたのでしょう)。Bは治療を受けた後に現地の行政部門Cへ労災認定を申請し、Cは労災と認定しました。ところが、Aは労災と認定すべきでないと考え、Cを相手取って行政裁判を起こした、というものです。

 Cが根拠とした重慶市の条例(国民の正義感からくる行動の奨励条例)は、「国民の正義感からくる行動を奨励し、正義感からの行動を行なった者の合法的な権利利益を保障し、重慶市の社会主義精神文明建設を促進するため」(1条)に制定した法令です。

 中国語の「見義勇為」を一応「正義感からくる行動」と訳しておきました。同条例によれば、この「見義勇為」とは、「法定の職責や特定の義務を負っていない国民が、国家の利益、社会公共の利益、あるいは他人の人身ないし財産の安全を守るために、発生している違法な犯罪を制止するか、あるいは応急措置、救済、救出し、その突出した行為」(3条)と認められるものと言明しています。したがって、今回の事件で、BはB以外の他人の財産の安全を守るために、通行人から金品を巻き上げていた犯罪者の違法な犯罪を制止し、救済するために突出した行為を行なったと認められた(その表彰を受けた)ため、当該条例における「正義感からくる行動」を採ったと言えます。

 ポイントは、その19条です。当該条文では「正義感からくる行動をした国民が、国家機関、社会団体、事業組織の従業員(臨時従業員、退職者等を含む)、または企業従業員である場合、その傷病を労災によるものと認定し、労働災害待遇を受ける。労災保険に加入している場合には、労働災害保険基金が規定に基づき支払う。労働災害保険に加入していない場合は、使用組織が規定に基づき労働災害待遇を支払う。労働災害待遇以外の部分については、正義感からの行動の発生地の社会治安総合治理業務機構が、その基金により解決する。」と言明しています。要するに、正義感からくる行動により死傷した場合の労災認定には業務遂行性も業務起因性も必要ないとしているわけです。これは労災認定の本質を歪ませているのでは?そんな疑問が湧いてきそうですね。

 ちなみに、国務院が制定した労災保険条例15条1項2号において、強盗の取締りや災害救助などで国家の利益や公共の利益を維持する活動をする中で負傷した場合、その従業員[職工]の負傷は労災と「みなす」としています。その一方で、2010年の部分改正の後も「業務に基づき遭遇した事故での傷害又は職業病等に罹患した従業員の医療救済及び経済補償を保障し、労災予防及び職場復帰を促進し、使用組織と労災リスクを分散するため」(1条)という目的を確認していますから、労災保険が労働者の生活を守るための保険制度として想定していることは日本と変わらないと言えます。要するに、労災認定の本質すなわち総論については日本と一致するけれども、実際の運用すなわち各論においては目的を逸脱していそうな規定を有する、ということですね。

 ここで押さえておきたい点は、労災保険条例15条2号を根拠に、現地(重慶)の実情に合わせて立法した重慶市の条例19条の論理と労災保険の論理との間をどのように整合させるのかです。そして、これが、本件の裁判において問題となりました。

認定基準から見える現代中国の正義の本質

 判決文から一部を抜粋すると、以下のとおりです。

 「『労災保険条例』第15条1項2号は、"企業従業員が強盗の取締りや災害救助などで国家の利益や公共の利益を維持する活動をする中で負傷した場合、その従業員の負傷は労災とみなす"と規定している。それによれば、確かに従業員は就労場所ないし就労を原因として傷害を負っていないが、当該行為が国家の利益ないし公共の利益を維持する活動の中で傷害を負った場合も労災に照らして処理すべきである。国民の正義感からくる行動とは違法な犯罪行為と闘争すること、強盗等から救済することと同じであり、社会公共の利益を維持する行為に属するため、大いに提唱し奨励すべきである。したがって、正義感からくる行動および違法な犯罪行為を制止することにより傷害を負った場合は、『労災保険条例』第15条1項2号の規定を適用、すなわち労災とみなすべきである。」(下線は筆者が付記。)

 上記で下線を付記したところが今回の法的論理であると私は考えます。これを展開していくと、労働者の就労も、結局は国家社会の利益に供する活動ということになります。また、労災認定の本質も労働者の生活を守るためではなく、その国家社会を構成する人々の生活を守るためであれば十分であることになるでしょう。そして、表彰などの証拠事実を行政側のみが作成できる仕組みの下で、維権(運動)のバランスを維持しています。この背後に立法過程が控えていることは言うまでもありませんし、関係者すべてが対等に議論して維権のバランスをとる論理が入り込みにくいことは言うまでもありません。これが、現代中国における維権であり、これに満足できない側の維権運動なのではないでしょうか。

 そうすると、この維権を「正義」と置き換えると「中国らしさ」がいっそう鮮明になりますね。そもそも「正義」は社会が変化し続ける限り、不変であるとは限りません。ですが、全員が関与して「正義」について語り合えない、共通の枠組みの中で議論できなければ、(議論すべき場は別の場所、例えば党内議論や「人民内部の矛盾」にあると理解して)その裁判に期待する気持ちはなくなるのではないでしょうか。これは、本件において一審の判決後に訴訟当事者双方が上訴せず、判決が確定した事実が物語っています。

 何が正義かは人民だけに語る資格があり、その人民の支持する正義が法文として示されているのだから裁判ごときで転覆を図るなというわけです。言い換えれば、外野から「それが真の正義だ」と叫ぶことがいかに危ういかということです。ゆえに、それが衝突の激化を誘発するものであるかを意識しつつ、外野が被るリスクを可能な限りゼロにする対処を検討することに徹することが大切であると私は考えます。

 さて、ここまで展開すると、中国国内の正義と国際社会における正義との関係についてお話ししないと消化不良かもしれません。この点については拙著『中国的権利論』東方書店2015年の付章で若干は触れています。が、取り上げるに値する法律事情を確認した際に、改めてお話したいと思います(その時は、意外と早いかもしれませんね)。

以上

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