【18-010】時効制度の意味することは何か
2018年 8月15日
略歴
御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員
2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職
民法総則1周年と時効制度
中華人民共和国民法総則(民法総則)が公布されたのは昨年3月ですから既に1周年を迎えていると言えます。しかし施行されたのが昨年10月1日でしたから、「そろそろ」とも言えるのではないでしょうか。ちなみに、この民法総則については昨年5回にわたって紹介させて頂きました(興味のある方はそちらも参照頂ければ幸いです)。とはいえ、その5回のコラムでは「時効制度」については省きました。時効制度という技術的な問題であるが故にマニアックで面白みがない、という月並みな理由からでした。民法総則がそろそろ1周年を迎えることから、この技術的な問題も旧法との関係で対処すべき問題に決着をつけておく必要に迫られてきました。そこで、今回のコラムで紹介してみたいと思います。
現代中国の民法総則は、その第9章で時効(制度)について規定しています。いわゆる時効制度とは、消滅時効と取得時効から構成される制度です。一般に私たちが日常生活を過ごす中で大切な時効は「消滅時効」の方です。なぜなら、所定の期間を経過すると、その権利を消滅させてしまう制度が消滅時効だからです(日本では民法改正にともない民法166条で消滅時効期間の原則が10年の規定を維持しつつ5年の規定が新たに設けられています)。
この消滅時効は権利を行使できる時から進行しますので、権利を行使できると知ったら速やかに行使せよ、というのが消滅時効の趣旨と言えます。したがって、本来は短期間の方が良いはずですね。以下この消滅時効を題材にしてお話し致します。
時効制度と理念としての「社会主義法」
そもそも時効制度は「社会主義法」において否定すべき法律制度ないし法的概念です。現代中国法においては、その法学研究の歴史でも時効制度について資本主義の手先のように扱われていた時期があります。人の考え方は物質によって創造されるという唯物論を前提に、その物的な条件によって社会も変化するという唯物史観から出発した現代中国法学ですから、絶対的真実は唯一であるという帰結を持ちます。しかしながら時効制度は「なかったことにする」論理ですので、現代中国法の理論に照らせば時効制度は真実を追及することをあきらめることに等しいことになります。それ故に、絶対的真実を歪めるものが時効制度であり、それは資本主義法の産物であると端的に言えたのです。
このような「社会主義法」の理念に惹きつけられた私のような人間が80年代以降の現代中国法の変容を眺めると、現代中国法はその理念を転向したのか?と映ってしまいます。社会主義市場経済なる用語を組み込んで市場原理を導入し、市場経済を現代中国に適応させるために時効制度を採用する。そこでは権利の行使をしない場合は「なかったことに」して経済活動を促進するために消滅時効をはじめとする時効制度が必要だ、というわけです。それ故に院生時代に私が得た「絶対的真実を追及して正義を貫くという理念を前提にする『社会主義法』が遠のいていく」という感想は当然でした(笑)。
現行法が定める消滅時効とその特徴
さて、この消滅時効の現在についてですが、中国社会で生活する場合は3年と覚えておけば通常は事足りるはずです。なぜならば民法総則188条で「人民法院に民事上の権利の保護を請求する場合の訴訟時効期間は3年とする。法令が別の規定を有する場合は、その規定による。」と言明しているからです。要するに、民事上の救済(例えば損害の賠償や契約の履行など)を求めるならば、3年以内に訴えなさいということ。言い換えれば、3年を超えた後に訴えてきてもその面倒は見ませんよ、ということです。ちなみに、法廷弁論の中で訴訟時効を適用できる場合であっても人民法院が主体的に援用してはならない(民法総則193条)ため、自分で意識しなければ誰も助けてくれません。それ故に「3」という数字はとても重要です。
民事関連の消滅時効についてご紹介したので、刑事関連の消滅時効についても1つ紹介致しましょう。本コラムでも紹介したことのある裸官問題・裸官現象を間接的に促した要因の1つが消滅時効の進行を停止する制度(これを「時効の停止」と言います。)の不存在でした。通常日本でもそうですが、容疑者が出国してしまって国内で捜査が行き詰る場合は時効の進行が停止します。いわば消滅時効という時計の針が一時的に止まるのです。なお、似て非なる概念として「時効の中断」というのがあります。こちらは進行していた時効を終了させて「ゼロに戻る」すなわちリスタートすることになります。現代中国で時効の停止に関連する規定が組み込まれたのは2004年の監察法実施条例からです。つまり、論理的にはそれ以前に国外脱出した不正官僚たちは追及されないことになりますし(このあたりについてはこちらを参照頂ければ幸いです)、今裸官である海外在住の中国人は半永久的に逃亡中ということになりますね。
さて、民事関連と刑事関連で1件ずつ消滅時効について紹介致しましたが、両者を比較してみると、消滅時効に対する論理が一致していないことを見て取れるのではないでしょうか。(これがマニアックと言われる所以だと思うのですが)時効制度は紛争の前提となる法律関係を早期に確定したい事情が強い場合と、悪は徹底的に追及するという事情が強い場合とでその現れ方を異にする、いわば公権力が人間的な感情を吐露しているような面白い制度なのです。
刑事関連の時効制度は、後者の事情を背景に法令が制定されていきます。したがって、10年とか20年という1人の人間の人生の大した時間を費やして公権力からの追及を逃れられた場合には、その期間が犯罪人の贖罪期間であるとする代わりに時効の成立を認めるという論理が示されます。その一方で民事関連の時効制度は前者の事情を背景にします。本来であれば古い証文の類いを精査して精確な法律関係を確定することが大切なことは言うまでもありませんが、その精査に時間がかかることによって今の取引が停滞することは避けたいわけです。そうすると石の上にも三年というように本人が問題視しておらず積極的にその権利主張をしないならば、わざわざ守ってやる必要はないという論理で時効の成立を認めるのです(公平な取引という理念はどこへ行った!?)。要するに消滅時効は「公権力による手打ち式」なのです、と言うと言葉が汚いぞ!とお叱りをうけるかもしれませんが。
グローバル化する時効制度は善か?
さて、民法総則が施行される以前にその役割を担っていた法令が「民法通則」です(民法通則についてはこちらを参照頂ければ幸いです)。民法総則が施行しその1周年を迎えるのに合わせて残っていた時効制度の問題について最高人民法院が立法判断を示しました。これが本コラムでご紹介する「『中華人民共和国民法総則』の訴訟時効制度の適用における若干の問題に関する解釈」です。分量が極端に少ないので、全文を訳しておきます。
「中華人民共和国民法総則」の訴訟時効制度の適用における若干問題に関する解釈
法釈〔2018〕12号
「中華人民共和国民法総則」の訴訟時効制度に関する規定を正しく適用し、当事者の合法的権利利益を保護し、審判の実践と結び付けるために、本解釈を制定する。
第1条
民法総則が施行した後の訴訟時効期間の開始を計算する場合は、民法総則第188条の3年の訴訟時効期間に関する規定を適用する。当事者が民法通則の2年又は1年の訴訟時効期間に関する規定の適用を主張しても人民法院は支持しない。
第2条
民法総則が施行した日に、訴訟時効期間がまだ民法通則の規定する2年又は1年を満たしておらず、当事者が民法総則の3年の訴訟時効期間の規定を適用するよう主張する場合は、人民法院は支持する。
第3条
民法総則が施行する前に、民法通則の規定する2年又は1年の訴訟時効期間を既に満たし、当事者が民法総則の3年の訴訟時効期間の規定を適用するよう主張する場合は、人民法院は支持しない。
第4条
民法総則が施行した日に、時効を停止している原因がまだ除去していない場合は、民法総則の時効の停止に関する規定を適用する。
第5条
本解釈は2018年7月23日より施行する。
本解釈を施行した後に、事件がまだ一審又は二審の段階にある場合は、本解釈を適用する。本解釈が施行する前に既に結審し、当事者が再審を申請するか、又は審判監督手続に照らして再審を決定した場合は、本解釈を適用しない。
同1条は民法総則施行後の問題は民法総則の訴訟時効規定を適用すると言明しているだけの当然の規定ですし、同3条も旧法である民法通則の訴訟時効規定が完成したのであれば民法総則の訴訟時効規定を適用する理由がないと言明しているにすぎません。ポイントは同2条と同4条です。いずれも中途半端に民法総則の時代にかかった問題については民法総則を援用するという一律の対応を言明しました。その一方で、同5条では再審事件については旧法で処理することを言明しています。図示すると次のようになります。
再審事件についてはその結果がどうであれ社会への影響が少ないだろうと予想されること、法律問題があっても過去の問題として後始末的なものがほとんどであろうこと等から民法総則で対応することを拒否する一方、中途半端に現在まで生き永らえている事件については新旧法の間で論理整合性を損なうかもしれないから民法総則で対応するという打算的ですが無難な立法を行なったと言えそうです。
しかしながら見方を変えれば、最高人民法院が行なった今回の立法判断は日本法等における時効制度の運用と軌を一にしており、グローバル化の流れの一環として捉えることも可能かもしれません。要するに日本民法の教科書に書いてある通りの時効制度を踏襲したということです。時効制度の運用が各国で斉一化してゆけば、つまり世界のどの社会でも同じ時効の期間、時効の運用が通用するようになれば、それは日常生活を営む私たちにとって目の前に現れる法令さえ確認しておけばよいために、その分だけ煩わしさを解消できます。これはこれで評価すべきだろうとも考えますが、その一方で反グローバル化の流れが他方にあるように、つまりそれぞれの社会のあり方によって違う時効の期間、時効の運用があって当然であるとして「社会主義法」の古き良き?理念がさらに遠のいていかないように抗えなかったのか?とも考えてしまいます。
繰り返しとなり恐縮ですが、時効制度は「公権力による手打ち式」です。絶対的真実を歪めるものという評価から出発する「社会主義法」だからこそ、斉一化してゆく中でも何らかの改善を組み込んで軌を一にする発想はなかったのだろうかと(無責任な)思いも私の中には生まれています。つまり、この司法解釈がそれを言明できなかったということは、現時点ではその構想が法的論理としてまだ発明できなかったということなのだろうと。
時効制度の定着はグローバル化するか?
今回は消滅時効を題材に取り上げてまいりました。私の論じ方によると思いますが、時効制度の導入が公権力の怠慢であるといった印象を与えてしまったかもしれません。しかし他方で、この程度の適当な緩さが存在するからこそ社会経済が活性化するのではないかと再認識できるかもしれません。いずれの感想も真であると私は考えます。なぜなら、この点にこそ時効制度の意味があるからです。
今回のコラムで述べたように、時効制度は社会主義市場経済を掲げ、市場原理の導入を決める中で法的にそれを保障するために積極的に立法してきた法律制度です。それは「資本主義法」から見れば、グローバル化=斉一化という自分たちの要求に対して現代中国法が応諾した成果であると言えます。もちろん、現実の関係が真実の法律関係でなくとも、その事実に即した権利利益の取得を認める取得時効について現代中国法が受諾しなければ、完全なグローバル化とは言えませんし、中国的権利論に対して致命的なエラーを組み込めません。とはいえ兎も角も現代中国法の中にこうして時効制度を定着させることができているという事実は、現代中国法の理論をグローバル化する攻略の足掛かりを確保できたとは言えるはずです。
とはいえ、現代中国で定着する時効制度がこのままグローバル化の色に染まってゆくかについては不確実性が増しているように思われます(グローバル化の亜流というのが現時点では正確かもしれません)。偶々反グローバル化の色に染まって予想外に強力に理論武装した「社会主義法」が私たちの目の前で復活するかもしれません。いずれの現象を確認できたとしても法学という学問にとっては興味深いです。なぜなら、そうなった場合は、現実社会では厄介な問題を抱え込むことになりますが、法学という学問においては更に深層の未開の地に誘う光が舞い降りて新たなステージに立てると映るからです。そして、これが時効制度の真に意味するところなのではないか、と私は考えます。
了
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