【18-015】訴訟詐欺はなくなるか?
2018年10月11日
略歴
御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員
2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職
訴訟詐欺とは何か
訴訟詐欺とは、裁判所を欺いて勝訴判決や執行判決を得、敗訴者や被執行人から財物または財産上の利益を交付させることを言います。いわば公的機関である裁判所を通じて詐欺を行なうことです。今回のコラムは、この訴訟詐欺に関する最近の司法解釈をとおして「訴訟詐欺はなくなるか」という問いについて考えてみたいと思います。
ちなみに、最近の興味深い法律事情としては国家賠償に関する法令、慈善団体の情報公開を求める法令のほか、人民陪審員の選任に関する法令などもあります。そのうち民法典の制定に向けた布石になるだろう法令や司法解釈もそろそろ出て来るはずです。このような中であえて訴訟詐欺に関する司法解釈を取り上げたのは、これが私たちの権利論とは異なる権利論すなわち中国的権利論を反映しているだけでなく、いま日本の権利論が中国的権利論寄りになっていないかという私の危機感を伝えられると感じたからです(正直、私は近い将来、日本の従来の権利論が中国的権利論化するだろうと予想しています)。
「訴訟詐欺刑事事件の法令適用に係わる若干問題に関する解釈」について
早速この司法解釈(以下、本司法解釈)を紹介いたしましょう。本司法解釈は、2018年9月26日に最高人民法院と最高人民法院が合同で公表したものです。最高人民法院審判委員会の採択が2018年1月、最高人民検察院検察委員会の採択が6月でしたので、いつになるかと思っていました。本司法解釈が9月26日付けで、同年10月1日より施行すると言明していますから、公的機関内で研修を済ませたことを受けて公表したのかもしれません。
本司法解釈は、その目的を、訴訟詐欺を取り締まり、司法秩序を維持し、国民、法人およびその他組織の合法的な権利利益を保護するためであるとします。いわゆる訴訟詐欺を処理するために立法した法令であることは明らかです。なお、訴訟詐欺に民事裁判も刑事裁判もありませんから、それぞれの訴訟詐欺をどう処理するかを言明します。
本コラムでは民事裁判における訴訟詐欺について紹介しておくことにします。民事裁判における訴訟詐欺とは、偽造証拠や虚偽陳述により虚偽の民事紛争を起こし、人民法院へ訴えを提起することをいい、この法律行為を刑法307条の1第1項「捏造した事実に基づき民事訴訟を提起すること」に当たる(と認定する)と言明します。また偽造証拠や虚偽陳述に当たる(と認定する)場合について言明しており、それが次の7つです(本司法解釈1条)。
(1)夫婦の一方と悪意の疎通を行ない、夫婦共同債務を捏造する場合
(2)他人と悪意の疎通を行ない、債権債務関係や譲渡担保合意を捏造する場合
(3)会社ないし企業の法定代表者、取締役、幹事、経理あるいはその他管理人と悪意の疎通を行ない、会社、企業の債務や担保義務を捏造する場合
(4)知的財産権の権利侵害関係や不正競争関係を捏造する場合
(5)破産事件の審理中に捏造した債権を申告する場合
(6)被執行人と悪意の疎通を行ない、債権を捏造する、または封印、差押え、凍結した財産の優先権や担保物権を捏造する場合
(7)一方的に、または他人と悪意の疎通を行ない、身分、契約、権利侵害、相続などの民事法律関係に係わるその他行為を捏造する場合
さらに、全額弁済して消滅したはずの債務が消滅していないとして民事訴訟を提起することや捏造した事実に基づいて下された仲裁採決や公正証書の執行を求めて民事訴訟を提起すること、事実を捏造して民事執行を妨害したりすることも刑法307条の1第1項に当たる行為に当たる(と認定する)と言明します(本司法解釈1条)。ここまでが本来の訴訟詐欺に対する取り締まりであると思います。
しかし、本司法解釈はこれらの場合に加えて、次のように言明します。まず、「結果として」人民法院まで騙される場合です。結果として人民法院が捏造された事実に基づいて財産保全や行為保全の措置を採った場合や、結果として人民法院が開廷した場合のほか、結果として捏造した事実に基づいて人民法院が裁判文書を作成した場合などの時も、刑法307条の1第1項「司法秩序を妨害するか、又は他人の合法的な権利利益に重大な侵害を与えること」に当たる(と認定する)と言明します(本司法解釈2条)。「致使(結果として)」とわざわざ書き加えていますから、そこには訴訟詐欺を行なう意図がなかった行為者を含むことになりますし、また公的機関が騙されたという失態を演じても不問に付す免罪符を与えていると言えます。
次に人民法院のスタッフと通謀した場合や訴訟代理人、証人などの訴訟参加者が他人と通謀した場合です。前者の場合、それが同時に職権濫用罪、民事違法裁判罪などの犯罪も成立する時は処罰の軽重に照らして罪名を確定し、重きに従い処罰すると言明します(本司法解釈5条)。そして後者の場合、それが同時に証言妨害罪、偽造幇助罪などの犯罪も成立する時は、こちらも処罰の軽重の規定に照らして罪名を確定し、重きに従い処罰すると言明しています(本司法解釈6条)。
ちなみに、組織が関与する場合、その責任者が罰せられることはもちろん、その組織に対しても罰金を科すと言明します(本司法解釈8条)。こちらは公的機関や組織が訴訟詐欺に意図的に加担することを許さないことを鮮明にしたものと言えます。しかしここには、いわゆる組織的関与が認められた時にその組織まで罰することを言明することによって組織的関与を抑制したい意図があるとも言えるでしょう。
いずれにせよ、本司法解釈は訴訟詐欺として本来想定できる範囲を超えて人民法院が騙される場合もあるし、訴訟の場に入って来る人々の中にも騙そうとしている人々がいることを率直に認め、その中でも訴訟詐欺を構成する場合がないとは言えないとして言明したわけです。この意味では非常に精緻な法令を公表したというべきかもしれません。が、これは中国的権利論に基づくと、当然の反応です。
本司法解釈の合理性とその誘引剤的事実
中国的権利論に基づくと、人々の行動はすべて法令による裏付けがなければ合法と認められません。そのため、法令がまだ言明していないものについては立法関係者を通じて行政通達を速やかに公表してもらったり、人民法院などを通じて「お墨付き」を出してもらったりすることによって、自分の行動が合法であることを周囲に知らしめ、その正当性をアピールします。逆に、法令の根拠を示さない主張はアウトローの世界のやりとりであり、その世界に留まる限り中国的権利論は手も口も出しません。
この論理は民だけでなく官においても通用します。そのため、人民法院はどんな訴状であれば受理するかについて、関連する法令条文と照合し、受理するか否かを判断します。そして、民事紛争の実態に即してその根拠となる法令条文を確認し、その紛争の勝ち負けを判断するわけです(したがって、中国的権利論を徹底すると判例制度は不要の産物になります)。
ここには当事者同士の妥協点を探るという思考(裁判的思考)があるのではなく、いずれの当事者の行為が合法かを検査するという思考(審判的思考)があるにすぎません。そして、中国的権利論に基づけば、刑事罰を受けるかもしれない場合でも自分にその刑事罰を科す行為が合法か否かについて、検察官の主張がその根拠となる法令条文に則っているかの検査を経なければ科されないわけです。したがって、本司法解釈は、訴訟詐欺を立件し、行為者を合法的に処罰するために立法したものと言い換えられます。
立場を替え訴訟詐欺を行なう行為者側に立てば、本司法解釈の公布以前は、訴訟詐欺に当たるか否かを判断する基準を検察官などが十分に有していなかったわけですから、自らの合法性・正当性を主張するために「強引な」事実証明や主張を展開したり、情を通わせて自らに有利な証拠収集をしたりした方が合理的であると言えます。このように考えてくると、立法の承認手続きを早期に終えながらも公表せず、かつ、施行までの日数を極力短縮したことにも何らかの意図(例えば、公的機関内での研修を十分に済ませる時間の確保や行為者に対する威嚇など)があるように思えるのではないでしょうか。
では、本司法解釈の公布により訴訟詐欺がなくなるのかと問われれば、私は「否」と答えるでしょう。しばらくの間は人々の頭の中から訴訟詐欺(行為)という思考が影をひそめるかもしれません。しかし、法の網を十分に把握する人間が将来的には現れ、その穴を突いて再び訴訟詐欺が起こってしまうのではないでしょうか。そして、その穴を塞ぐように新たな司法解釈などが公布されることを繰り返していく...(ソフトウェアのアップデートに似ていますね)。つまり、本司法解釈はそれ自体が訴訟詐欺を誘引する事実をも提供しているのです。矛盾するような言い方で恐縮ですが、訴訟詐欺を防ぐという合理的理由に基づく立法が、訴訟詐欺を誘発する誘引剤を生成する立法でもあるわけですね。
なぜ日本では訴訟詐欺が起こらないのか?
では皆さんにお聞きしたいのですが、日本ではなぜ訴訟詐欺が起こらないのでしょうか?日本の裁判所が優秀だから起こらないのでしょうか(これも1つの答えでしょう)。
実は日本でも訴訟詐欺未遂は時々起こっています。優秀な裁判所がそれを防いでくれています(笑)。最近の事例でいえば、2005年(平成17年)に東京地裁が下した判決があります。そして、この判決によって詐欺犯罪の手法が変化していったと言われています。
この事案は、出会い系サイト登録料などの請求について消費者がそのまま無視していることを奇禍として民事裁判を起こし、欠席裁判で勝訴を勝ち取ってしまおうという事業者の企みでした。仮に欠席裁判となった場合、原告である事業者の言い分どおりの欠席裁判となるため、訴えられた消費者が無視を決め込んでいたら取り返しのつかない不利益を本人も、そして公的機関も被ることになりそうでした。
この企みの勝算がないと悟ったのかもしれませんが、事業者側は訴訟の取り下げを試みようとしていたようです。しかし訴えられた消費者を助けるべく結成した弁護団のサポートもあって反訴し、原告を法廷に引きずり込んだまま開廷しました。そして裁判所も事業者の手法を「訴訟詐欺」と認定し、その請求を棄却しただけでなく、事業者に対して慰謝料30万円の支払いを命じました(ということは、弁護団が優秀だった?)。最近でも架空の役所名義で金品を詐取しようと、手を替え品を替えの詐欺犯罪が行なわれています。が、本当に公的機関の手続きを使って詐取する訴訟詐欺の類いは見当たりません。
ちなみに、訴訟詐欺自体については、さらに古い判例において既に定義しています。曰く、不当な訴訟の提起が不法行為を構成するためには、すなわち訴訟詐欺を構成するためには「訴えの提起が裁判制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠く場合」であること。具体的には「提訴者の主張した権利または法律関係が時事的・法律的根拠を欠くものであり」かつ「提訴者がそのことを知っていたか、または通常人であれば知り得たのにあえて提訴した場合」である、と(最裁小3昭和63年1月26日民集42巻1号1頁)。ここに私たちの権利論が、中国的権利論と比べてメリットとなる点が現れていると私は考えます。
私たちの権利論は細かいことを言明しない権利論です。それゆえに、私たちは、その法令条文がどんな効果・目的をもって定められたかを思料し、その効果・目的の枠内で自由に試行錯誤するという開かれた法治国家の中で生活しています。言い換えれば、私たちは、法令条文に書かれているから守る=順守するというのではなく、法令条文の趣旨すなわち目指す効果や目的の枠組みの中で守る=遵守することによって折り合いをつけてきたのです。
したがって、日本の法治国家は、中国的権利論に基づく法治国家よりは訴訟詐欺が起こり難かったと言えます。
では、今後はどうでしょうか。というのも、最近の日本社会で見聞する言動は中国的権利論に近いように私には感じられるからです。2つほど例を挙げておきます。
1つは、働き方改革の動きの中で「大企業が守れないのだから、(中小企業の)私たちが守る必要はない」とか、「中央省庁で守れていないことをどう考えるのか」といった言動です。これらの言動は正直言って私は嫌いですというのも、前者の言動からは強制的に守らせようとする動機が生まれるので、順守の要求が、否が応でも高まります。また、後者の言動は、足の引っ張り合いをしているだけで、人間でなくなっていくつまり今日の自分と明日の自分は当然違っているはずなのにその変化を恐れているように私には映ります。
もう1つは法学教育のあり方です。例えば、「三権分立とは、立法権、行政権および( )の三権が分立していることをいう。空欄を埋めなさい。」とか、「すべて国民は、( )で( )な( )の生活を営む権利を有する。空欄を埋め、憲法何条の条文であるかを答えなさい。」という問いに正解させるようなことが法学教育であると説明されることです。正解と不正解がハッキリしている分、採点する側も受講する側も分かりやすいことは確かでしょう(その意味では楽でしょう)。
これは私たち日本人が直面している課題です。上記の問いはそのように書かれているのだから、正確にそれを答えよと求めるだけにすぎませんし、強制的に守らせようとする動機は法令条文の趣旨を等閑にしています。要するに、順守することが意識づけられようとしている、つまり中国的権利論に親和し始めているのではないでしょうか(だから、息苦しいのです)。
訴訟詐欺はなくならない方がいい
現代中国が中国的権利論に基づく法治国家では訴訟詐欺がなくならないとあきらめたとしたら、すなわち私たちの権利論に類似する権利論に基づく法治国家へと方向転換するとしたら、日本の程度に現代中国で訴訟詐欺がなくなるでしょう。しかし、おそらく現代中国は中国的権利論を堅持します。そして、本司法解釈を将来的には更新する必要性があることも承認するでしょう。それは今日の自分と明日の自分は当然違うという人間そのものと向き合っている証明であり、健全だと私は考えます。
一方、今後の日本はどうでしょうか。順守の意識が強まるほど訴訟詐欺はなくなるかもしれません。日本人の多くが遵守よりも順守の考え方に慣れてしまったら、私たちの脳裏から訴訟詐欺(行為)という思考が消滅してしまうからです。これは一見すると良いことのように思えますが、私は不健全であると思います。
訴訟詐欺の発生可能性のある社会は、気持ちよいほど人間らしさのある社会だからです。人間と人間のつながりが何らかの文字化した法令条文を順守するだけで成り立つのであれば、それはロボット同士のつながりと同じです。言い換えれば、新しいタイプの訴訟詐欺の生まれる期待がない状態は、人間が相対する人間とのつながりを意識しない状態にほかなりません。ひょっとすると、きちんと人間と向き合っているのは現代中国法の方なのかもしれません。
それ故に、日本でも訴訟詐欺はなくならない方がいい、と私は思います(笑)。
了
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