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【10-04】第1回日中薬物依存シンポジウム~薬物依存の根絶を目指して~

2010年12月21日

橋本謙二

橋本謙二(はしもと・けんじ):
千葉大学社会精神保健教育研究センター

1982年九州大学薬学部卒業。その後、同大学院、アメリカ国立衛生研究所/米国薬物乱用研究所(NIH/NIDA)客員研究員、新技術事業団(現・科学技術振興機構)科学技術特別研究員(国立精神・神 経センターへ出向)、国内製薬企業研究員等を経て、2001年7月より千葉大学大学院医学研究院(精神医学)講師。2003年3月同助教授。2005年4月から千葉大学社会精神保健教育研究センター教授( 病態解析研究部門)・副センター長。

 2010年11月12日、第1回日中薬物依存シンポジウムが千葉大学(千葉市)で開催された。本シンポジウムは、日中両国の薬物乱用の実態、薬物依存に関する基礎研究、臨床研究、教 育に携わる著名な研究者等で構成された。本シンポジウムは主に薬物依存関連の研究者・医師などを対象に開催され、約40名の方が参加した。また本シンポジウムは、日本在駐中国大使館科技処、日中医学協会、国 立精神・神経医療研究センターの後援を得た。

 本シンポジウムは、我が国や中国から薬物依存を根絶するというテーマで、薬物乱用の実態から、薬物依存症の病態解析、診断、薬物治療に関する両国における問題点・研究成果が議論された。また、薬物乱用・依 存に関する両国の共通点を確認することにより、新たな国際共同研究への一歩を踏み出そうとする企画である。

 中国からは、中国衛生部疾病予防控制局精神衛生部の厳 俊処長、中南大学精神衛生研究所の郝 偉副所長(兼Director of WHO Collaborating Center for Drug Abuse and Health)、北京大学国立薬物依存研究所の陸 林所長、中国軍事医学院毒物・薬物研究所の李 錦副所長の4名、日本からは、国立精神・神経医療研究センターの和田 清部長、千 葉大学社会精神保健教育研究センターから氏家 寛特任教授、関根吉統教授、筆者の3名、合計8名の両国の専門家が、これまでの取組みの成果と課題を踏まえ、両国における薬物依存の歴史から最新の薬物乱用の実態、最 新の画像診断技術を用いた研究まで幅深い講演内容であった。また日中両国における薬物依存の問題について、活発な質疑応答、意見交換がなされた。

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違法性薬物乱用の歴史と現状

 違法性薬物の乱用は古くから社会問題になっているにもかかわらず、未だに解決されていない。さらに、昨今のTVや新聞等でも大きく報道されており、社会問題になっている。ま た薬物の種類も覚せい剤のみならず、大麻、合成麻薬MDMA、さらには向精神薬の乱用などその裾野が広がっている。こ うした実情は私達が暮らす社会や国の安全や安定を崩しかねない深刻な社会問題の一つであると言える。

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 国立精神・神経医療研究センター(東京都小平市)の和田 清部長が、「日本の薬物乱用・依存の歴史は、覚せい剤を軸に論じられてきた歴史がある」と語った。日本の覚せい剤乱用・依 存について3つの乱用期を分析し、日本の刑務所における服役者の約70%は覚せい剤関連であり、しかも、これは氷山の一角にすぎないと現状の厳しさを指摘した。更に、このところの薬物乱用問題の特徴としては、① 有機溶剤乱用・依存の激減、②覚せい剤乱用・依存の頭打ち、③大麻乱用の確実な浸透、④Designer Drugに代表される脱法ドラッグ乱用の登場、⑤医薬品乱用の「静かな拡大」とまとめることができる。  特に、これらに共通するのは、使うことによって「捕まる薬物」から、使っても「捕まらない」薬物へのシフトでもあり、「使った者は捕まえる」という対応法、すなわち、「司法モデルとしての対応」だ けでは対応しきれない時代になったと考えられる。違法な薬物であろうが、医薬品であろうが、その共通項は薬物依存に繋がるという事である。したがって、わが国は、これまでの「司法モデルとしての対応」だ けではなく、医療モデルとして、薬物問題に取り組んでゆく必要性に迫られていると思われる。

 近年、中国においても覚せい剤、合成麻薬MDMA、ケタミンなどの新型薬物の乱用に伴う薬物依存症患者が急激に増加している。特に若年層の薬物乱用の増加が深刻な社会問題になっており、早 急かつ有効な対応の必要性が生じている。中国政府は、薬物依存者の高い再使用率や社会復帰の困難さなどを認識し、重要な課題として認識している。違法性薬物の製造・販売の取り締まりを強化するとともに、薬 物乱用の予防・治療に関する研究支援を心掛けている。中国衛生部疾病予防控制局精神衛生処(北京市)の厳 俊処長が、これまで日中両国において、このような薬物依存の問題を議論する機会がなく、両 国の問題を共有することが出来なかったことを指摘し、今後の日中両国の国際的な連携が大変重要であることを強調した。

薬物依存の病態解明について

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 日本においては、覚せい剤はもっともポピュラーな違法性薬物であり、大きな社会問題を引き起こしている。乱用による逮捕者が最も多く、乱用による精神病性障害も深刻である。覚 せい剤をはじめとする乱用薬物への依存形成や、薬物性精神病性障害の合併には個人差が大きいことが知られており、個人のゲノム因子が大きく影響することが知られている。千葉大学社会精神保健教育研究センター・非 行臨床研究部門の氏家 寛特任教授が、覚せい剤使用障害による依存形成や精神病の予後にあたえるゲノム因子を調べるために、2001年に我が国おいて多施設共同研究グループであるJGIDA (Japanese Genetics Initiative for Drug Abuse)を結成し、この問題解明に取り組んできた。これまでに、150を超える遺伝子を解析し、多くの遺伝子危険因子を発見した。例えば、ド パミン・トランスポーター(DAT-l)遺伝子は依存行動そのものには影響せず、むしろ精神病状態の予後を予想する因子の可能性が示され興味深い結果を提示した。ヒトでは多くの遺伝子相関研究があるが、そ のなかで、ドパミンD2受容体遺伝子TaqlA多型がいくつかの異なるタイプの薬物での依存に、Cyp4502D6多型がコデインの依存に重要であることが明らかにされている。し かしながら薬物依存のリスクファクターとして確立された遺伝子の同定はまだ少ないのが現状であり、今後、セロトニン受容体、オピオイド受容体、VMAT2遺伝子などを解析し、覚 せい剤精神病の遺伝学的脆弱性の解明をめざしている。

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 薬物依存症患者の治療後の高い再使用率は、薬物使用に伴い形成された依存が現在の治療法では治療できないことを示しており、患者の社会復帰を考えた場合、深刻な社会問題である。薬 物依存研究の分野における中国の国家級総合研究機関である北京大学・国立薬物依存研究所所長である陸 林教授らは、薬物依存症の治療後再使用に関する神経生物学および臨床治療学や、薬 物依存の疫学について研究してきた。コカイン依存モデルでの研究で、退薬後"incubation of reward craving"のメカニズムが扁桃体中心核(central amygdala)の ERK-CREB経路に関係することを発見した(Lu L et al, Nature Neurosci. 2005)。また、中 脳辺縁系領域の脳由来神経栄養因子BDNFとグリア細胞由来神経栄養因子GDNFによる神経保護作用は、退薬後に見られるコカイン渇望と持久性増強において重要な役割を果たしている事を報告した。
(Lu L et al, Neuropharmacol. 2004)。

最先端の検査法を用い薬物依存症の脳形態および機能変化を解明

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 中南大学精神衛生研究所(湖南省長沙市)は、中国においてトップレベルの薬物依存研究施設の一つである。最近、副所長の郝 偉教授らは、ケ タミン依存症患者における全脳拡散テンソルMR検査を施行したところ、健常例に比べケタミン依存患者の両側前頭葉および左側頭葉の白質で有意な拡散異方性の低下が認められ、依 存の重症度に関連していることを報告した(Liao et al, Brain 2010)。さらに、これらの依存患者の両側前頭葉の灰白質容積が有意に減少していることが認められ、統 合失調症に近似する所見を示した(Liao et al, Biol. Psychiatry 2010)。これらの研究では、MRIを用いケタミン依存症の脳形態学的な変化を捉え、薬 物依存症の病態解明に有意義な情報を提供している。

 千葉大学社会精神保健教育研究センター・治療社会復帰研究部門の関根吉統教授らは、覚せい剤使用者を対象に、[11C]WIN-35,428(ドパミン・トランスポーター測定PET薬剤)及 び[11C](+)McN-5652(セロトニン・トランスポーター測定PET薬剤)を用いたにポジトロンエミッショントモグラフィー(PET)検査を施行した。覚せい剤使用者の脳内ドパミンおよびセロトニン・ト ランスポーターの密度は、対照被験者より有意に減少していることを見出した(Sekine et al, Am. J. Psychiatry 2001; Arch. Gen. Psychiatry 2006)。ドパミン・トランスポーターの減少は覚せい剤の使用期間と関係し、薬物依存性精神病等の後遺症状の重症度と関連があることを報告した。またセロトニン・ト ランスポーター密度の減少は攻撃性と相関していたことを報告した。さらに、[11C](R)PK11195(活性化ミクログリア測定PET薬剤)を用いたPET研究では、覚せい剤使用者の脳においては、ミ クログリアの活性化が起きている事を明らかにし、覚せい剤の使用はヒト脳内において炎症を惹起させる可能性が示唆された(Sekine et al, J. Neurosci. 2008)(図1)。

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図1.対照被験者と覚せい剤使用者における[11C](R)PK11195投与後のPET画像である。
覚せい剤使用者の脳内ではミクログリアの活性化が起きている事が判った(Sekine et al, J. Neurosci. 2008)。

薬物依存症を根本的な治療は可能か?

 現時点では、薬物依存症の根本的な治療法は確立されていない。そのため、根本的な治療法の開発が急務であると考えられる。

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 中国北京毒物薬物研究所副所長の李錦教授は、「薬物依存は、単なる一個人の病気ではなく、また単純な医学的な問題でもない。これは、大きな社会問題で、解決が急務な医学的課題である」と指摘した。薬 物依存の形成メカニズムには複雑な脳神経回路が関わっている。現在、世界保健機構(WHO)は、薬物依存を一つの慢性の脳疾患として認定しており、その意義も大きい。残念ながら、薬物依存症においては、い まだに有効な治療法はない。近年、李教授のグループが、薬 物再使用に予防効果があると言われている新薬開発のターゲットとして最も注目されているドパミンD3受容体に着目した新しい治療薬の開発を精力的に進めている。ド パミンD3受容体に高い選択性および親和性をもつ化合物の精神的依存に対する治療効果と再使用防止への有用性を示した。

 覚せい剤などの違法性薬物の乱用は、長期間にわたり脳に障害を引き起こすことが知られており、深刻な社会問題になっている。覚 せい剤精神病の治療薬として統合失調症の治療に使用されている抗精神病薬が幅広く使われているが、未だ根本的な治療法が無いのが現状である。筆者らは覚せい剤使用によるヒト脳内ドパミン・ト ランスポーターが減少する事から、ドパミン・トランスポーターの減少を抑制する薬剤は新しい治療薬になるという仮説に基づき研究を進めている。第二世代抗生物質ミノサイクリンは、覚せい剤、合成麻薬MDMA( Ecstasy)、フェンシクリジン(PCP)の投与によって引き起こされる行動異常、ドパミン・トランスポーターおよびセロトニン・トランスポーターの減少、認知機能障害などを抑制する事を報告した( Hashimoto et al, Biol. Psychiatry 2007)。最近、米 国Yale大学医学部精神科との共同研究でミノサイクリンが健常者に対する覚せい剤投与による報酬効果を抑制することをプラセボ対照二重盲検クロスオーバー試験で明らかにした(Sofuoglu et al, Psychopharmacology 2010)。以上の結果より、世界中で使用されている抗生物質ミノサイクリンは、覚せい剤や麻薬の使用に伴う精神神経障害の治療薬としての可能性があると思われる( 橋本謙二2008)。

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図2 覚せい剤投与前後におけるサルPET画像所見である。 ミノサイクリンは覚せい剤によるサル脳内線条体のドパミン・トランスポーター(DAT)減 少に対する治療効果が示唆された。 (Hashimoto K et al, Biol. Psychiatry 2008)

シンポジウム開催後随感

 覚せい剤等の違法性薬物の乱用は、我が国だけでなく中国を含むアジア諸国、さらには欧米でも大きな社会問題になっている。筆者らはアジア地区から薬物依存をなくすためには、多国間、特 にアジア地区との国際連携が必要であると考え、数年前から、当該センターに在籍している呉 勁特任准教授(中国国籍)とともに中国の薬物依存研究者との共同研究の可能性を模索し、本シンポジウムの開催に至った。 

 両国は近隣でありながら、そして共通の薬物依存問題を抱えているにもかかわらず、これまで薬物依存の問題を議論する機会がなく、両国の問題を共有することも出来なかった。こうした背景からも、本 シンポジウムの開催は両国間において非常に意義があると思われる。本シンポジウムをきっかけに、両国間の研究者の学術交流を深め、今後、日中両国間の薬物依存における国際共同研究に繫がることや、日 中両国間の遅れている薬物依存に関する協力関係の強化・構築の布石となることを確信している。さらに「両国における薬物依存シンポジウム」を引き続き開催すべきであると中国の専門家から提案され、本 シンポジウムの開催を評価した。

 今後、薬物依存の根絶を目指し、新しい診断法・治療法の開発を目的とした国際共同研究および研究者交流を続けて行きたいと考えている。さらに、日中両国、そ して将来的にアジア諸国の研究者による国際連携で、薬物依存に対する根本的な治療法を開発していきたいと思っている。

 最後に、本シンポジウムの後援機関である財団法人日中医学協会、日本在駐中国大使館科学技術処、国立精神・神経医療研究センターに敬意を表するとともに心から御礼申し上げます。また、中 国科学技術部中国科学技術交流中心の阮湘平先生には、日本駐在中国大使館に在籍時に大変お世話になり、このシンポジウム開催にご尽力頂いた。また、大会の運営にあたって千葉大学の国際企画課をはじめ、多 数の方々のご協力をいただきました。さらに、関連企業各位のご協力も得ており、御礼申し上げます。

参考文献:

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