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【14-09】日中産学協力で顕著な実績 清華大学とSMC有限公司

2014年04月03日 小岩井 忠道(中国総合研究交流センター)

 「日中大学フェア&フォーラムin China 2014」の日本人参加者とともに3月17日、北京にある清華大学と、SMC有限公司の工場を訪ねた。空圧機器や自動制御機器の製造・販売で世界に知られる日本企業SMCと中国、特に清華大学の付き合いは長くて深い。そのシンボルともいうべき建物がある。屋根の形が日本家屋を思わせる教学館「高田芳行館」だ。高田芳行SMC会長の寄贈により、2006年に建設された。清華大学の有名な建物の一つ「大礼堂」のすぐそば、というキャンパスの一等地に建つ。同じく高田氏の支援による「清華之友 高田奨学金」と呼ばれる奨学金制度も設けられ、毎年多くの清華大学生が恩恵を受ける。

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清華大学大礼堂/華大学高田芳行館

20年間で1,938人に奨学金

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曲徳林・清華大学日本研究センター長

 清華大学と日本との関係の深さを示すものに日本研究センターがある。多くの学科をまたぐ分離融合の研究機関として2008年に設立された。センター長の曲徳林教授は、化学工学やエネルギー政策の研究者で、駐日中国大使館の教育参事官を務めたこともある。曲教授のあいさつに続き、これもまた高田氏の支援によってつくられたSMC清華大学気動技術センターの何楓センター長(清華大学航天航空学院流体力学所教授)から、高田SMC会長と大学との関係や、センターの目的、活動などについて詳しい説明を聞く。

 清華大学と高田氏の関係は、1988年に清華大学の教授が訪問先の上智大学の教授に高田氏を紹介された時に始まる。翌89年にこの清華大学教授がSMCの草加工場を見学し、91年には高田氏が清華大学を訪問するという経緯を経て、93年に清華大学が高田社長(当時)を招待し、SMC清華大学気動技術センター設立で合意した。センターは「技術支援による国際間の産官学交流」と「友好関係の発展」を目的に掲げている。「気動の研究と応用」とともに「技術の発展と人材育成」を主要な任務に挙げているのが目を引く。

 研究成果は、SMCが所有権を持ち、清華大学が「享有署名権」を持つとされた。清華大学が研究課題を提案、SMCが研究資金と施設を支援・提供する。人材育成面の具体的支援策である「清華之友 高田奨学金」で奨学金を受けた学生は、1994年から昨年までに1,938人に上る。

社長は東京工業大学留学経験者

 SMCは、空気圧制御システムを初めとする自動制御機器製品の製造・販売で知られる日本の優良企業だ。この日訪ねたのは、北京市順義区の北京天竺自由貿易区にあるSMC有限公司北京第3工場。27万平方メートルもの広い敷地に真っ白な製造棟が並ぶ。北京経済技術開発区に建つ第1、第2、第4工場と合わせて北京にある4つの工場のうち、この第3工場が最も大きい。

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SMC有限公司北京第3工場

 「経営者になるとは全く思っていなかった」。自ら、SMC有限公司について詳しい説明をしてくれた趙彤総経理(社長)は、表情、話しぶりから柔和な人柄が伺える。ハルビン工科大学を卒業後、東京工業大学に留学し、1987年制御工学の博士課程を修了、博士号を取得する。その年、日本機械学会の研究賞も受賞した。説明の途中、パワーポイントで示した1枚の写真がある。渋谷区千駄ヶ谷の「留学時代にお世話になった下宿のおばさん」で「今でも感謝でいっぱい」と顔をほころばせた。

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何楓・SMC清華大学気動技術センター長

 帰国後、ハルビン工科大学のポスドク、教授を経て、91年から1年半、SMC筑波技術センターの客員研究員となる。これがSMCとの付き合いの初め。いったん北京理工大学液体制御主任教授になった後、94年9月に設立されたSMC有限公司の総経理に迎えられた。

 「中国国内に64の営業拠点を持つ。社員の総数は5,105人。幹部は現地の人間を充て、彼らのほとんどは中国の大学・大学院を出ている。2002年から2012年までの10年間で国内の売り上げは17倍、輸出額は15倍に増えた」と急成長ぶりを自讃した。日本の本社、SMCそのものが優良企業として国際的に高い評価を得ていることも、併せて強調している。例えば米「フォーブス」誌が発表した「2014年の世界の最も革新的企業100社」の中で、61位にランクされている、といったデータが幾つか紹介された。ちなみに「フォーブス誌」の100社に選ばれた日本企業は、9位の楽天を筆頭に11社ある。

お客第一が社の基本方針

 社の基本方針として、主力製品である空気圧機器を例に「伝統産業を含む客との共同創造で、応用の範囲を拡大する努力を続けている」ことを挙げた。「中国国内の有力12大学の技術センターと共同で空圧技術の基礎研究にも力を入れている。大学と行っている共同研究が30ほどある」という実績を示し、こうした産学連携が「今すぐの製品開発には関係がなく、未来市場を狙ったものである」ことを強調した。

 さらに繰り返し触れていたのが、人材育成の重要性。SMC有限公司と日本のSMC本社の支援で「北京SMC教育基金会」を設立し、奨学金給付や交流事業にも力を入れていることを紹介した。

 SMCの世界展開をホームページで見てみると、82カ国に販売網(うち50カ国に現地法人)があり、ほぼ世界全域をカバーしている。工場も28カ国に持つ。米国には1972年に進出し、インディアナ州インディアナポリス市に子会社を設立し、工場も建てた。アジアでも1974年にシンガポールに進出し、SMCグループとしては初めてとなる海外量産工場を1987年に稼働させている。

SMC世界展開の最大拠点に 

 北京に有限公司を設立したのは1994年で、1985年、89年にそれぞれ子会社を設立している香港、台湾よりも遅れたが、今や製造、販売能力、人員ともSMC世界展開の最大拠点になっている。

 趙氏の丁寧な説明に続いて、工場内に入り、作業現場を間近に見学させてもらう。「米、カナダ、メキシコに輸出している。セ氏零下40度から90度の広い温度範囲でも耐熱性が高いのが特長」。案内役の工場長が自慢したのが、継ぎ手の製造ラインだった。さらに細かな部品も他種類作っており、それぞれのラインで包装など手作業をしている人の数が目立つ。

 「今年の減員目標○○人」。あちこちにこうした張り紙がはられていた。ロボット導入などが今ほど進んでいないころの日本の多くの製造現場も、このようなものだったのだろうか。「人件費はまだそれほど高くないが、人員削減の要請は大きい。最終的には今の人員を半減したい」と工場長。

 それにしても作業中の人たちのすぐそばまで大勢の見学者を入れて、詳しい説明もしてくれるこのおおらかさと自信はどこから来るのだろうか。

人材育成こそ外資企業の最大の貢献

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趙彤SMC有限公司総経理

 中国で産学連携が叫ばれ出したのは、文革後の1978年、鄧小平氏の主導で改革開放政策が始まってからのことだ。1985年の「科学技術の体制改革に関する決定」で「大学と中国科学院は基礎研究と応用研究の方面で重要な任務を担っている」ことが明記された。1996年の「『九五』期間における科学技術体制改革の深化に関する決定」で、「中国の科学技術体系は、企業を主体とし、産学官が連携した技術開発体系と、科学研究員および大学を主とした科学研究体系、および社会化された科学技術サービス体系である」と、さらに明確になる。

 その後も産学連携強化の政策が次々に打ち出され、「国家中長期科学および技術発展計画綱要(2006-2020年)」でも、「企業を主体とした産学官連携の技術イノベーションシステムを形成する」ことが明記された。現在、「国家ハイテク産業開発区」や「国家大学サイエンスパーク」などサイエンスパークに類するものだけで、実に600近い産学官の連携拠点が国内にひしめく。改革開放政策による狙いは、着実、急速に具体化され、実績を積み重ねていることが分かる。

 ただ、国が主導するだけで、産学連携や技術イノベーションがスムーズに進むようなら苦労する国はない。改革開放政策を支える意外な助っ人がいたことを、趙SMC有限公司総経理に教えられた。

 「外資系企業が中国にした一番の貢献は何か、これまでよく聞かれた。『ドルや円の外貨を持ってきてくれた』『先端技術を持ってきてくれた』『世界の市場を持ってきてくれた』...。いろいろな答えがある。しかし、私が言いたいことは違う。いきなり改革開放政策に変わった時、それに対応できる国内の人材を外資企業が育ててくれた。それが外資企業の最大の貢献だ」

 趙氏の次の言葉もまた、印象に残った。

 「記憶力より大事なのは想像力。記憶は過去のことでしかない。想像力こそが未来を開拓することができた。企業も同じ」