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【06-02】平仮名で書かれた校名にびっくり~上海市甘泉外国語中学校訪問記

2006年10月20日

馬場錬成(中国総合研究センター センター長)

 上海市の繁華街で車を降りると、眼前の高いビルの壁に「上海市甘泉外国語中学校」の大きな看板が見える。その中に「かんせん がいこくご ちゅうがっこう」と大きな平仮名の校名が見える。日 本語による校名表記を感激して見上げている筆者に、若い女性教師が近寄ってきて「お待ちしていました。ようこそいらっしゃいませ」と流暢な日本語で話しかけてきた。有名なこの外国語学校訪問は、こ うして日本語で始まった。

日本語を第1外国語に選択している生徒が800人

上海甘泉外国語学校の正門ビルにある校名。日本語の平仮名で書いてある校名に感動した。(写真は甘泉外国語学校により提供)

 甘泉外国語中学校の案内をしてくれたのは、日本語が堪能な上海市人民政府外事弁公室・孫倹清副処長である。校内に入って大勢の生徒たちの姿を見ると、外国の学校という違和感がなくなってくる。

 学校の雰囲気は万国共通だ。どこの国の学校を訪問しても、児童・生徒たちの幼く未熟な恥じらいのあるたたずまいの中に、未来を背負った若いエネルギーがにじみ出ている。快 活な会話とはじけるような笑い声が、あっちでもこっちで沸き起こっている。その喧騒はたまらなく心地よい。

 日本からの留学生というスポーツウエアを着た高校生たちとすれ違った。

 「日本人の留学生は60人ほどいます。日本だけではなく多数の外国人留学生が来ています」

 案内役の女性教師の先導で応接室に入ると、校長先生らが待っていた。

 上海市甘泉外国語中学校・劉國華校長、上海市普陀区人民政府外事弁公室・顔毓科長、中国教育学会外語教学専門委員会・張國強秘書長、そして校長の脇には、一 週間前から赴任したばかりという23歳の女性日本語教師が通訳として座っている。

 カラフルなスポーツシャツを着た劉校長は、思いのほか若いのに驚いた。ゆったりとした物腰と、淡々として人の気をそらさない穏やかな応対は、校長先生というよりも人文系の研究者という雰囲気である。& amp; amp; lt; /p>

 この学校の創立は1954年である。甘泉という校名は、土地の名前からとったものだが、案内をした女性の日本語教師は「有為な人材をあたかも泉が湧き出るように輩出するという意味もあります」と言う。& amp; amp; lt; /p>

劉校長は、気さくで人をそらさない楽しいお人柄だった。右が中国教育学会外語数学専門委員会の張國強秘書長

揺籃(ゆりかご)期から知日家を育てる教育方針

 同校は2002年、創立30周年記念式典を盛大に行った。そのときの記念誌「知日家的揺籃」は、日本でも評判になった。ページを開くと、この学校の教育理念が余すところなく書かれている。

 「知日家的揺籃」とは、日本語に翻訳すれば、知日家をゆりかごの時代から育てる教育という意味だろう。教育の特徴として大略次のように書かれている。

 「日本語カリキュラムの設置、日本との学校交流、日本語の掲示板、日本文化展示室などの空間環境の工夫を通じて日本文化を生徒に伝え内面化させる」

 外国語教育の中でも特に日本語教育に力を入れており、現在、上海で日本語を第1外国語として選択できる唯一の公立学校である。

 中学部・高校部・国際部を持ち、生徒数2300名超。日本語を第1外国語とする生徒数は800名余、第2外国語とする生徒数は400名ほどだという。

 劉校長の話を聞いて見た。

 「教育目標は、日本語に長じ、英語もでき、バイリンガル的発展を図ることです。外国語教育に特徴を出しているので、入学してくる生徒も語学に力を入れて学ぶ生徒が多い。日 本語も英語もどちらも学んでいる生徒もいます。インターネットによる語学能力試験でも、本校の生徒は高い合格率を誇っており、毎年200人から300人の合格者を出しています」

 教育理念は、「内強管理、外抓開拓、優化特色、主動発展」という。日本語にすると、「学校内部の管理を強化し、外部に向けては開拓精神を展開し、本校の特色を強化し、積極的に発展を図る」と いうことになる。校訓として「求真、達理、楽群、健魄」が掲げてある。「真理を求め、理にかない、集団生活を楽しみ、体を鍛える」ということだ。

 劉校長は、学校経営者としても並々ならぬ能力を発揮しているように見受けられる。

多くの選択肢を示し生徒の独力で進路を決める

「新甘泉」とは、日本向け情報を発信するコーナーの看板にあった。

 理系、文系の比率はどのくらいなのだろうか。日本では理科離れが課題になっているが、中国ではどうなのか。

 「理系・文系は、高校3年のときに大学受験のために分けます。文系55対理系45でしょうか。理科離れという現象は、中国全体では起きていないと思う。しかし部分的、地域的にはあります。理 系の学問は勉強することが多く、苦労も多い。だから理系に行きたくないという生徒もいる。理系を敬遠する風潮は都会で多いような気がする」

空手講座を知らせるポスター

 「教育方針はあくまで生徒中心です。選択肢を多く示し、生徒の独力で将来の進路を決めるようにしている」

 日本で有名校の校長といえば、年齢もそれ相応に重ねた人であり、話をする雰囲気も堅苦しいものがあるのが普通だ。しかし劉校長は気さくであり、それでいてどことなく気配りをしている。ラ フなポロシャツ姿で出てきたことにも、

 「今日はこれから学校の記念式典があって表彰式がある。そのときにスーツを着てネクタイを締めなきゃなりません。だからいまはインフォーマルで失礼します」と言って笑わせる。自然体なのである。

 どのような経歴の校長なのか。大体、お年はいくつなのか。有名校の校長にしては若すぎるのではないか。そんなことも知りたくて聞いてみた。

 劉校長はすぐには答えず、もともとは数学専科の教師だったと言った。

 「ほほー・・・・」理系だったんだ。驚く筆者に対し、劉校長は楽しそうに自らの経歴を語りだした。

校長歴17年、教育理念に燃えて取り組んだ学校経営

 劉校長は17歳のとき民弁教師となった。そんな若さで数学教師になった方だから、相当に有能な方だったのだろう。それから19歳になって大学に入り、大 学卒業と同時に23歳で正式の数学教師の資格者となった。そして26歳のときに教頭に抜擢され、89年副校長、90年のとき30歳の若さで校長となった。

 そして2000年、江蘇省南通の中学校校長のとき、上海市で甘泉外国語中学校校長の公募があった。劉校長はこれに応募して校長試験を受け、見事に合格してこの栄えある有名校の校長に就任した。

 と言うことは、校長歴すでに17年間。それなのにまだ47歳の若さである。筆者が経歴から計算して47歳をはじき出すと、劉校長は楽しそうに笑った。

 「年齢がばれましたね。この学校に来てから、6年間、いろいろ努力して学校と私の教育理念を実現するために変えました。いまは教壇に立つことはないが、昔は4年間、高校3年生を教えたこともあります」& amp; amp; lt; /p>

 淡々と語る教師歴だが、話の内容から教師としての力量と学校経営のマネージャーとしての能力でバランスのとれた校長であることをうかがわせる。

 いま同校では、日本人の日本語教師を募集している。宿舎も用意しているし、できるだけ優遇したいという。いずれ中等日本語教育研究所を設立したいというから、その準備を着々と打っているのだろう。& amp; amp; lt; /p>

 日本との姉妹校は、大阪市の勝山中学校と城西大学附属高等学校と結んでいる。大学では立命館大学、龍谷大学、九州共立大学などとの交流が進んでいる。

 次回は、日本との姉妹校の交流を中心にお届けしたい。

つづく

劉校長を囲んで記念撮影