【07-09】多国籍の学生と助け合いながら留学生活をスタート~阪大河田研の日々と日本文化に接した新鮮な感動~
鄭 美玲(大阪大学大学院留学生) 2007年12月20日
関西空港から伊丹空港行きのバスの車窓から、中国とまったく違う光景を目の当たりにした時、自分は見慣れない国、日本に来て、これから留学生活が始まるのだなと始めて実感しました。先生方や、学友たちはどんな人であろうか?自分は順調に留学生活を始められるだろうか?学業を成し遂げられるだろうか?心中少しばかり不安の念に駆られました……
私は中国科学院理化技術研究所の博士課程の学生で、2007年秋から来日、大阪大学のナノフォトニクス領域の世界的に著名な学者、大阪大学大学院工学研究科応用物理学専攻所属の河田聡教授の研究室で勉強しています。
理化技術研究所での専門は化学材料でしたが、私の研究課題の多くは物理学と密接に関係しています。私が理化技術研究所で師事した恩師・段宣明教授 はかつて日本に留学し、日本で10数年間、仕事に携わった経験があり、現在大阪大学の特任教授を兼任しています。段教授は仕事ぶりが大変緻密、謹厳で、研 究の質に対する要求が厳しい方です。これは先生の持って生まれた気質と日本の研究気風にもたらされた影響によるのではないかと、私は思います。
長い間、段先生と大阪大学の河田教授は密接な協力関係を持ち、共にJSTのCREST研究プロジェクトに携わり、共同で多数の論文を発表していま す。河田教授は何度も北京に来られて、私達の課題チームと研究協力を行い、中国科学院理化技術研究所から名誉教授に招聘されています。国内にいたころに、 私は河田教授にお目にかかり、短い交流をさせていただいたことがあり、また何人かの大阪大学の先生にお会いしており、私達の実験室で大阪大学大学院から留 学生を一人3ヶ月間受け入れたことがありました。こうした付き合いの影響でしょうか、私は日本に留学し、身をもって日本の文化に触れ、新しい知識を学び、 専門分野でより深い研究をしてみたいという考えを持ち始めました。そして、日中双方の先生方のお世話により、私は順調に文部科学省による奨学金の申請承認を受け、長年の夢がついに現実になりました。
しかし、奨学金の受給通知をもらった日から、10月初めの来日までの間、喜びと感激にともない、あれこれの心配と不安も沸き起こりました。先ず、関西空港 で飛行機を降りてから、友達との待ち合わせ場所になっている伊丹空港行きのバス乗り場を一人で見つけられるか、そして迎えに来てくれる友達に会えるかどう かを心配しました。自分は日本語を学んでいないので、日本語のできない自分に、日本での生活や勉強に支障は生じないだろうか、いろんな手続きをスムーズに できるだろうか、日本の先生方や学生たちと深く交流することができるだろうか、自分は普通に生活し勉強することができるだろうか、異国で独りぼっちになっ て孤独に陥ることはないだろうか、といろんな心配事を思い浮かべました。そして、あまりひどく適応しないことのないように、日本に来るまでの時間を利用し て、私は日本の資料を調べたり、日本の歴史と風俗習慣を勉強したりして、早めに「郷に入れば郷に従へ」の心の準備に取り組みました。
しかし飛行機をおりた瞬間から、私はすぐに自分の心配は杞憂であることに気づきました。日本の標識は至ってわかりやすいので、標識にしたがっていったら、 私は直ぐに伊丹空港行きのバスを見つけて、友達と落ち合う目的地を目指して出発することができました。約1時間後に、バスが伊丹空港に着きました。河田研 究室の3人の日本人学生と1人の中国人留学生がバス停留所で私を待っていました。私は思わず彼らの熱烈な歓迎に深く感動しました。
伊丹空港から大阪府南千里留学生会館に向かう車の中で、私のチューターを務める日本人学生は予め決めていた日程を一通り詳しく説明してくれました。留学生 会館に着いて、友達が入居手続きを手伝ってくれて、荷物を降ろし、部屋の施設を丹念にチェックした後、私達は安心して会館を後にし、車で大学へ向かいまし た。道中、友達は「旅行は順調でしたか、気分はいかがですか」と親切に気遣ってくれました。みんなと英語でことばを交わし、意思疎通ができたので、とても 楽しかったです。私は目新しい車窓の景色を眺めながら、異国の風情を精一杯肌で感じとろうとしました。
大学——私がこれから勉強を始めようとするところ——に着いて、私は、久しく敬慕の念を抱いていた教授にご挨拶をし、多くの同級生と新たに知り合いにな り、河田研究室に色々な国の先生と学生が居ることに気付きました。その後、友達に連れて行ってもらって大学の色々な手続きを行いました。手続きは一箇所で はないので、時間を急ぐため、私達は幾つもの窓口を駆け足で回りました。日本人の事務効率がすこぶる高いと前から聞いていましたが、この時、何が高効率な のか、そのことばの意味を身にしみて体得しました。私をたいへん感動させたのは、手続きの度に、友達が必ず真剣に英語で重ねて説明し(一部の関連資料が日 本語で書かれていて、私には読めないからだ)、さらに、私によりよく理解させるため、時折自分たちの理解を付け加えて説明してくれたことです。自分にとっ て、こんなに真面目で責任感の強い友達と知り合いになるのは本当に幸せなことです。
このように、来日後の第一週はこうして各種手続きの中で過ごして、まもなく週末を迎えました。私はこの初めての週末をどう過ごしたらよいかを考えました。 観光名所を見に出かけてみようと思いましたが、知人もなければ土地にも不案内の異国の地で、道に迷ったらどうしようと思案している時に、日本の友達がとて も熱心に私に京都の清水寺(Kiyomizudera)に遊びに行こうと誘ってくれたので、私は喜んで誘いに応じました。
この日、私は初めて日本の電車を体験しました。確かにとても便利です。たくさんの人が乗っていますが、多くの人はこの時間を利用して、新聞や本を読んでいます。
私は京都で、日本の古都の建築や伝統の店舗及び色々な軽食類を見て回りました。清水寺へ行く途中、私達は幸運にもたいへん厳かに執り行われている結婚式に 出会いました。日本の友人によると、このような正式の儀式はふだんなかなか見かけられないというので、やはり私は本当に運の強い人かもしれません。賑やか な人込みを押し分けて、私達はようやく清水寺に辿り着きました。まず目に入ったのは橙色の山門です。日光の輝きのもとで、一際鮮やかに光り輝いています。
本殿にあがる前に、私達は日本の習わしにしたがって、まず清めの水で手を洗いました。先に右手、それから左手の順で、とても厳かな雰囲気の中で行いまし た。清水寺に入った途端に、この千年の歴史を有する古いお寺の昔ながらの建築風格に圧倒されました。お寺全体は棟梁構造式の寺院で、構造は非常に巧妙で す。正殿の正面は宙に浮く「舞台」になっており、高さ数10メートルの太い丸太によって支えられています。「舞台」となる建物は高くて険しい断崖の上に聳 え立っているため、その勢いの雄壮さはより一層際立っています。舞台の上から、足もとに青々と生い茂る木々を見ることができ、また、京都市をはるか遠くに 見渡せるので、その景色はとりわけ天下の絶景です。日本では仏教がたいへん盛んに行われるため、お参りはとても盛んで、多くの人はおみくじを引いて運勢占 いをしています。
ここで、私は清水寺についての1つの面白い言い伝えを耳にしました。もしある人が清水寺の舞台から跳び降りるほどの決意があれば、彼はある事を成し遂げ る決意をしているということを表しているというのです。やはり人間の信仰というものはとても重要なので、こんなに多くの人がこの古寺を参拝しているのでは ないでしょうか。
清水寺から下りてきて、私達はまだ興が尽きないので、嵐山(Arashiyama)へ出かけて、更に美しい自然の景観を味わおうということにしました。そ こで、私達は翡翠のような緑色をした屏風絵のような美しい嵐山、気迫雄大な渡月橋とその下をさらさらと流れる、澄みきっていて底まで見える清流を堪能しま した。川岸は楓と桜の林が一面に紅葉しはじめています。河辺に沿って遊びながら、多くの観光客が川に舟を浮かべて戯れているのを見ていると、まさに「舟は 青い波の上を行き、人は絵の中で遊ぶ」そのものだと思いました。この情景は実に名残惜しいものがあります。
2週間後、日本の友人は私を神戸(Kobe)に連れて行ってくれました。こぬか雨の中で、私たちは中華街を散策し、神戸の美しい夜景を楽しみ、海 浜都市の風采を満喫しました。こうした活動を通じて、私はよりよく日本の民俗風情を理解し、異郷の地に居ながら少しも孤独を感じることなく、楽しい毎日を 過ごしています。道中、私達はずっと英語でしゃべり続けて、笑い声が絶えませんでした。幸運にも、私の新しい友達は英語がとても上手なので、彼らからいろ んなことを教わりました。英語が上手なのは私達の実験室に英語を母国語とする先生や学友が何人もいらっしゃるので、彼らが日頃よく英語を使ってコミュニ ケーションを行っているからです。ふだん、私達は英語という第2言語の助けを借りて交流しており、時折互いに相手のことばを学び合っています。このような 交流様式はとても面白いし、もちろんとても実用的なもので、私達が互いに相手の言語や文化を理解するのに役立つだけでなく、それぞれの英会話とヒアリング の訓練にもなっており、さらに仲間の国際友情を一層強くしてくれているので、まさに「一挙多得」というものです。
大阪大学もいくつかのビッグイベントを組織して、私達が日本の歴史と社会文化を理解する手助けをしてくださいました。大学は私達留学生のために歓迎会を開 いて、学生同士の交流のプラットフォームを提供してくださいました。そこで、私は色々な国の留学生と何人かの中国留学生と新たに知り合いになりました。私 が日本及びその他の国の教育、社会、歴史をより多くよりよく理解する助けになっていると思います。キャンパスでの活動のほかに、大学は大阪城(Osaka Castle)、四天王寺(Shitennoji)及び住吉大社(Sumiyoshitaisha)見学もアレンジしてくださいました。大阪城の周囲には お濠がめぐらされており、近くには美しい庭園や楼台殿閣があります。大阪城の中央に聳え立っているメイン建築の天守閣は、高くて雄大であり、金や銅がちり ばめられていて、実に壮観です。四天王寺の中門、塔、金堂、と本殿が南向きで一直線に並んでいる配置は中国の建物の配置とよく似ています。一方、住吉大社 は私達に日本最古の神社建築の特徴をみせてくれました。こうした歴史古跡を通じて、私達は日本という国の伝統ある歴史と文化の内包を確かに体得しました。
多彩な活動の中で、私は少しずつ成長しており、自分がこのような機会に恵まれて、日本の学友や先生方と交流を深め、各種活動に参加し、視野を広げることが できるのをたいへん嬉しく思っています。私は、日本の科学技術と文化を勉強し、日本への理解を深め、将来中日両国の相互理解の増進に少しでも貢献できるこ とを念願しています。
河田研究室は国際化した研究室で、約4分1のメンバーは日本以外の複数の国からきており、研究室での仕事言語は英語になっています。ここは仲睦まじい国際 的な大家族であり、いくつもの国からの留学生や学者がここで日本の学生や先生と共に学び、互いに助け合い、和やかな国際雰囲気が溢れています。
大阪大学博士課程に入学するには、国際公認の英語の成績が求められています。受験申し込みの時、井上教授は私のために自らインターネットで試験の時間と場 所を検索し、自分のクレジットカードを使って私のために受験料を立て替えてくださいました。英語TOEFL試験を準備する時、オーストラリアから来た留学 生は進んで私に英語のヒアリングと会話練習を助けてくれて、ベトナムから来た留学生はわざわざ私を京都の試験場まで車で送ってくれました。
博士課程入試準備の際、私の指導担当の藤田准教授は面倒なのを嫌がらず何度も私と研究計画案を検討し、自ら私のために入試に必要な報告書の手直しを手伝っ てくださいました。河田聡教授から私の入学合格を発表された時、私は研究室の全員が満面に内心から私を祝福する笑みを湛えているのを見て、自分がこのよう な仲睦まじい大家族の一員になれたことをとてもうれしく、幸せに思いました。
日本の研究環境は世界をリードする研究のための良好な条件を提供しています。河田聡研究室は各種先進的な研究設備と様々な異なる背景をもつ研究人材を擁し ており、ずっとナノフォトニクス及び関連分野で世界最高レベルの研究を展開しています。私が所属する課題チームは主にバイオフォトニクスの研究を展開して おり、光学、物理、生物及び化学と材料の研究に関わっています。課題チームの完備された設備、良好な研究成果の蓄積はさらなる研究のための強固な基礎を打 ち固めています。
私が光学器機、設備及び関連する物理学の知識の制約により、実験器機や設備の組み立てで困難に出会った時、日本人の先生と学友たちは根気よく私に基礎知識 を教え、私と一緒に実験機器の組み立てを行い、関連するコンピュータプログラムの作成方法を伝授し、私が次第に独り立ちして研究を展開できるように教えて くださいました。
日本に来てから2ヶ月が過ぎましたが、留学生活はまだ始まったばかりです。これまで自分が学んできた知識を活かし、化学と材料の分野で色々な新しいアイデ アを提案し、チームの皆さんと一緒により深く掘り下げた研究を進めて行きたいです。私は必ずこの得がたい機会を大切にし、より多くの知識を学び、絶えず自分自身を鞭撻し、自分自身を高め、日本での留学生活を素晴らしいものにしていく決意を新たにしています。
鄭 美玲(ツン メイリン):大阪大学大学院留学生
略歴
81年、山東省生まれ
04年7月、山東師範大学化学学院応用化学学科卒業
04年9月〜06年7月、中国科学院理科技術研究所有機化学博士前期課程修了
06年9月〜07年7月、中国科学院理科技術研究所有機化学博士後期課程(1年目)
07年10月〜現在、大阪大学大学院応用物理学専攻河田研究室博士後期課程(2年目)