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【14-02】PISAの経験を基にした上海市の新たな教育評価手法の開発と導入(その1)

2014年 5月16日

新井 聡

新井 聡:文部科学省 生涯学習政策局参事官
(連携推進・地域政策担当)付 専門職

略歴

1998年 埼玉大学文化科学研究科文化構造専攻 修了
2003年 ロンドン大学東洋アフリカ学院 人類学・社会学部博士課程 退学
2005年 在アゼルバイジャン日本国大使館草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱員
2009年 文部科学省生涯学習政策局調査企画課専門職

はじめに

 2013年12月、2012年に実施されたOECD「生徒の学習到達度調査(PISA)」の結果が公表され、2009年に続き上海市が世界第1位の成績を獲得したことが明らかとなり、上海市の「先進的」教育に対し、より世界の関心が集まるようになった。しかし、当事者である上海市では、2度目の世界一を手放しで歓迎していない。その理由は、上海市の成績は、学校や保護者が課す世界一長い宿題の時間によって成し遂げられたものであり、児童・生徒が自発的に学習した結果ではないと考えるからである。そのため、上海市はPISAの経験を基にして、児童・生徒が自発的に学習できる教育を構築するための新しい教育評価指標である「グリーン指標」を開発した。

 本稿は、上海市がPISA等の経験を基に開発した新しい教育評価指標である「グリーン指標」に焦点を当て、同指標を開発した経緯と目的、及び教育部が教育改革の重要案件として同指標を全国的に広めようとする動向を紹介する。

上海市及び中国の初等中等教育改革と教育評価手法の形成

 中国において経済・社会的に最も発展した地域の1つである上海市は、教育においても1980年代から実験的な取り組みを実施している。そもそも上海市は、国が指定する教育実験地区であり、中国の教育改革では、まず上海市が新しい政策を実施し、その成功例を国(教育部)が全国に適用するという方式が定着している。例えば、初等中等教育の教育課程改革については、上海市は、1988年に第1回目、1998年に第2回目の改革を行っているが、これと連動する形で1992年と2001年に教育部は全国レベルの課程改革を実施している。上海市の課程改革の目的は、受験偏重型教育を克服し、児童・生徒の一人ひとりの個性にあった教育の導入とともに、児童・生徒の資質を総合的に伸長させ、自発的で創造的で健康な子供を育成することにあった[注1]。この個性を生かす教育や子供の資質の総合的な伸長に関する目標は、教育部の課程改革にも適用され、1992年の改革では地域の個別の状況に応じた課程の設置方針として「地方が定める課程」の新設が行われ、2001年の改革では、「総合実践活動」(我が国の「総合的な学習の時間」に相当)の導入や各教科の総合化、地方や学校が独自の課程を設置する権限の強化等が行われた[注2]

 上海市と教育部が2度に渡って実施した課程改革のうち、特に1998年及び2001年のものは、21世紀の経済のグローバル化やテクノロジーの急激な進歩に対応した人材育成を意識し、個々人の個性や創造性、応用力等を重視した斬新なものであった。それは教育内容だけでなく、教育方法や教員養成、学校の管理にも大幅に変化を迫るものであり、今までの学校教育で使用されていた評価方法にも変化を迫った。既存の評価で重視されていた点は、試験の成績や進学実績であり、その成果を把握するには、主に中・高等教育機関への入学試験の点数や合格率を見ればよかったが、新たな課程では、児童・生徒の資質、つまり学力だけでなく、心身の健康や美的感性、道徳性等の全面的発達を目指したため、新たな評価枠組みが必要であった。

 この課程改革に対応した新たな評価枠組みが必要と認識した上海市は、教育部とともに2003年から共同で児童・生徒の学習の質を分析し指導に生かすプロジェクトを開始し、また、教育部の初等中等教育課程教材発展センターが行った「児童・生徒の学習の質の分析・フィードバックと指導体系構築」プロジェクト[注3]に参加した。5年間にわたる学力測定の結果、上海市は学習の質を評価するための基礎的なデータベースを構築することに成功し、データに基づく実証的な学力把握を行うため、独自に教育評価指標を開発し始めた。2009年に初めてPISAに参加した上海市は、その方法から大いに啓発を受け[注4]、同年、上海市教育委員会は初等中等教育質モニタリングセンターを成立させ、学力・教育評価のための基準やツールの研究を行った。さらに2010年には、国が進める初等中等教育の質を総合的に評価するプロジェクトに参加することを表明し、教育部と共同で教育評価指標の開発を加速させた。共同研究によりさらに多くの成果を吸収した上海市は、学業における成果ではなく、児童・生徒の健康的な成長に中心的価値を置く学力評価指標である「グリーン指標」[注5]を2011年に完成させた。(その2へつづく)


[注1]:経済協力開発機構(OECD)(編著)『PISAから見る、できる国・がんばる国2--未来志向の教育を目指す:日本』、2012年、p.213。

[注2]:文部科学省生涯学習政策局調査企画課(編)『諸外国の教育改革の動向--6か国における21世紀の新たな潮流を読む』、2010年、p.249。

[注3]:同プロジェクトは、2001年に導入された新しい課程基準を基にした児童・生徒の学力の基準を構築することを目的に、大規模な試験とアンケート調査により児童・生徒の学力の鍵となる要素を把握することを目的としていた。プロジェクトは2012年までに上海市や江蘇省、甘粛省等の6省・市と20の地区級市で行われ、335万人の児童・生徒(主に第3、8学年対象)、15万人の教員、1.2万人の校長の参加があった。参考:中国教育報ウェブサイト、「張民生:引導全社会建立正確的教育質量観」、2012年4月5日。

[注4]:教育部初等中等教育課程教材発展センターウェブサイト「上海市首推“緑色指標”総合評価義務教育質量」、2012年5月17日。

[注5]:「グリーン指標」とは、「グリーンGDP」で表される環境に配慮し、持続可能であるという意味の「グリーン」を用いて作られた造語であり、児童・生徒の健康的で持続的な発達を評価する指標という意味である。参考:光明日報「“緑色評価”能否改変“応試教育”?」2013年6月19日。