日中交流の過去・現在・未来
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【18-06】―元重慶総領事 瀬野清水さんに聞く―きっかけを転換点に、日中新時代を切り開く

2018年 6月20日 孫秀蓮(アジア太平洋観光社 取材・構成)

 中国との外交に携わること37年、通算で25年間を中国駐在で過ごした外交官がいる。元重慶総領事の瀬野清水さんだ。改革開放後、世界第2位の経済大国へ躍り出るまでの中国の変遷を見つめ、定年後も日中の民間交流に力を注いでいる。半生を中国とともに歩んできた瀬野さんに中国の昔と今、そして青少年交流や日中関係について語っていただいた。

最初に中国に興味を持ち、関わるようになったきっかけを教えていただけますか。

 日本人は元来『三国志』、『水滸伝』などを通じて中国の雄大な風景や悠久の歴史、文化に憧れと親しみを持っていますが、私が中国に関わるようになったきっかけは少し違っていました。高校生のときのある放課後、日本人の従軍カメラマンによる写真集をみました。その写真集は国威発揚を目的としたもので、残虐な写真が含まれていました。日本人の立場から写しているのは疑いなく、なぜわざわざ戦争して中国まで行ってそんな残酷なことをしたのか、学校では教わらなかったのでショックを受けました。そして、いまの中国人は日本のことをどう思っているのだろうかと考え、もしも日本人への恨みがあるのであれば、それを少しでも減らすことを一生の仕事にしたいと考えたのがきっかけです。

 しかし、当時はまだ国交がなかったので、なかなか中国へ行く機会はありませんでした。そこで外交官、外務省だったら中国に行く機会もあるだろうと思い、外務省を目標に定めました。その後2012年に定年退職するまでの37年間外務省に在籍し、通算25年も中国にいました。DNAの中に中国の血が入っているのかも知れません(笑)。

初めて見た中国にどのような印象を持たれましたか。

 1976年に外務省から派遣されて香港、北京、遼寧の大学で学びました。香港は都会でしたが、北に行けば行くほど建物が普通になり、見渡す限り地平線という景色も相まって、荒廃した印象を受けました。砂埃がひどく、石炭の燃え殻のようなものが降ってきて空気が悪かったです。中国の人たちはぼろぼろの人民服を着ていました。驚いたのは、小学生くらいの子供が道で拾ったタバコを吸っていたことです。多分食べるものがなくて、口寂しかったのだと思います。管理が十分ではなかったから悪いことをしても怒られないのです。ただ、生活は貧しいのですが、皆目が輝いていており、親切でした。日本人だからいじめられるということはありませんでした。

 私は街を歩くのが好きなので、暇さえあれば学校から抜け出して散歩しました。そして、現地の人とお喋りしたり、一緒にご飯を食べたり、招かれて遊びに行ったりなど、できる限り普通の人々(老百姓)と接触しました。肉親が日本軍の被害に遭ったという話をされる人もいましたが、「今の日本と昔の日本は違う」と言って優しくしてもらいました。

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恩師にもらった言葉が今の座右の銘。

数十年前の中国と今の中国では何が大きく変わったと思われますか。

 高層ビルが立ち並び、街は大きく変化し、中国は世界第2位の経済大国になりましたね。世界は中国に対してこれまでとは異なる役割を期待するようになり、中国はそれに応えて改革開放40年の経験を海と陸のシルクロードという言葉が含まれている「一帯一路」の構想で世界に貢献しようとしています。唐代、シルクロードの道を切り開くことによって唐の都長安は栄えました。当時の世界の富の3割が唐に集中したといいます。同時に、シルクロード沿いの都市も栄えました。それを再現しようという考えがあるからこそ、「一帯一路」の構想には「シルクロード」という言葉が使われているのだと思います。中国は締め付けが厳しくなったと日本のマスコミは報じていますが、昔に比べれば中国の言論空間ははるかに広がっていると言えるでしょう。今後、さらに自由な方向に変わっていくでしょうし、また、そうでなければ一層の経済発展は難しいと思います。2007年以来、中国は日本の最大の貿易相手国であり、相互に依存する大切なパートナーです。中国との相互理解と相互信頼を一層深めるためにも、日本は「一帯一路」の構想に協力を惜しむべきではないと思っています。

最後に今後の日中関係に期待することを教えていただけますか。

 今年は日中平和友好条約の締結から40年の節目にあたっています。激動する世界の中で、条約の名のとおり、隣国との「恒久的な平和友好関係を発展させる」ことを条約で約束したことは大切です。それには、周恩来総理がかねがね言われていた「民間が先行し、民を以て官を促す」という外交哲学が大切です。

 中国を旅行する日本人がなかなか増えません。中国への旅行者が増えていかない背景には、中国に対する国民感情があるといわれますが、国民感情は不変ではなく、何かのきっかけさえあれば容易に変わるものです。

 例えば、中国への観光です。日本を旅した中国人が日本を好きになってくださるように、多くの日本人、特に青少年の皆さんが気軽に中国を旅して、自分の五感で「新時代」の中国を体感すれば、きっと中国のことを好きになって帰ってくるに違いありません。「百聞は一見に如かず」の言葉どおり、中国への観光は日本人の対中感情を改善する一つのきっかけになることでしょう。

 例えば、パンダです。日本の子ども達はパンダが大好きです。今年は東日本大震災の発災から7年が経過して、震災の記憶の風化が懸念されております。東北の被災地にパンダが来れば、震災で心に傷を受けた子ども達をどれほどか元気づけ、中国に対する日本人の心を暖かくすることでしょうか。

 条約締結から40年目の今年は、可能な限りこのようなきっかけを探し、それらを転換点にしながらアジアと世界に貢献する恒久的な日中関係新時代が切り開かれていくよう念願しています。

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瀬野 清水(せの きよみ)

略歴

1949年生まれ。75年外務省に入省してから北京、上海、広州、香港などで勤務、2012 年に退職するまで通算25年間、中国に駐在した。現在、Marching J 財団事務局長のほか、アジア・ユーラシア総合研究所客員研究員、日中協会理事なども務めている。共著に、『激動するアジアを往く』、『108 人のそれでも私たちが中国に住む理由』などがある。

※本稿は『月刊中国ニュース』2018年7月号(Vol.77)より転載したものである。