【17-01】新時代の中国市場での競争優位戦略(1)
2017年 4月25日
服部 健治:中央大学大学院戦略経営研究科 教授
略歴
1972年 大阪外国語大学(現大阪大学)中国語学科卒業
1978年 南カリフォルニア大学大学院修士課程修了
1979年 一般財団法人日中経済協会入会
1984年 同北京事務所副所長
1995年 日中投資促進機構北京事務所首席代表
2001年 愛知大学現代中国学部教授
2004年 中国商務部国際貿易経済合作研究院訪問研究員
2005年 コロンビア大学東アジア研究所客員研究員
2008年より現職
今回は少し学術的な内容を加味したお話を2回にわたりしたい。余りにも眼前のビジネスや経済問題に没頭すると木を見て森を見ない危険がある。中国ビジネスや対中投資経営も同様である。
日本企業の対中直接投資は、中国の改革・開放政策とともに40年近い経験がある。中国ビジネスに携わる日本企業は極めて多く、経営の体験をまとめた指南は蓄積されている。だが、中国進出の日本企業の動態をモデル化するといった発想は弱く、個別の経営実績を基礎に経営学からみた「戦略」が確立されているとは思えない。
しかし、中国ビジネスにおける「競争優位戦略」確立に向けた模索は、研究上、実務上も有益である。なぜなら今世紀に入ってからは中国企業の成長、台頭が著しく、中国市場の競争が一段と激化し、対処療法的な経営対応ではなく、しっかりとした中国の商情に合致した経営戦略の形成が焦眉の急となっているからである。
「競争優位戦略」の含意は、新時代の中国市場に対処する基本的な経営戦略の確立を目指すものであり、負けないためにはどうすればよいかが問われている。この文章はあくまで試論であり、中国投資における「競争優位戦略」の全体像を浮き彫りにするものではない。
1.新時代の中国市場
中国市場は新しい時代を迎えている。第一に巨大な規模の経済発展を遂げた。豊富で廉価な労働力を提供し外資優遇策により海外からの多くの投資を引き受け、まさに「世界の工場」と言われるように大量の製品を生産してきた。名目 GDP は2010年に日本を追い越し、米国に次いで世界 2 位(11.4兆ドル、日本4.7兆ドル、2016年)、輸出入総額は3.68兆ドルで米国を抜いて世界1位(2016年)、外貨準備高も3兆ドル近くでこれまた世界1位である。[1]
第二に経済発展に伴い中間層が増大し膨大な購買力が形成された。中国市場には世界の有力メーカー、サービス企業が進出し、巨大な消費を生み出す「世界の市場」と化した。1960年代の日本のように「大衆消費社会」が到来している。個人消費の伸びは2013年には日本を抜き、米国に次いで世界第2位にまで浮上。世界の個人消費総額に占める中国のシェアは8.8%である(日本6.2%、2014年、国連統計)[2]。例えば、2016年の自動車販売台数(商用車を含む)は2802.8 万台と世界最大(米国1786.5万台、日本487万台)でありる。[3]
第三に消費者行動にも変化が表れてきた。富裕層とボリュームゾーンと言われる中間層では、高級品、個性的商品の嗜好が強まり、優れたデザイン、機能性、素材・部品の強さなどが重視されるようになってきた。「モノ消費」から「コト消費」へ多様性が進み、レジャー、教養、文化芸術、スポーツといった広がりが顕著である。
第四に中国市場自体が今や世界性を持ち、グローバル化と競争激化の中で製造業、サービス業の両分野において日本企業の競争優位は必ずしも盤石ではない。日本製品はこれまで安心・安全・高品質といった伝統的なブランドイメージ=メイドインジャパンにより競争優位を保ってきたが、家電、IT製品を筆頭にいくつかの主要商品では対抗ができなくなっている。流通・サービス分野でも中国の慣習になかった「お客様本位」の接客対応や多様な品揃えといったコンセプトもネット通販の普及、越境ECなどの結果、販売形態の変革が求められている。
モノとサービスの両面で日本企業の競争優位は以前と比べて低下し、新たな優位戦略を探ることが喫緊の課題となっている。問われているのは、メイドインジャパンが持つブランドイメージに加えて、日本企業そのものが中国の社会、市場の発展に貢献している“いい会社”という新しいイメージをどう作るかである。「ブランド+いい会社」の構築に向けた競争優位戦略が、新時代の中国市場では肝要と考える。
2.中国市場への経営戦略アプローチ
中国市場を見る場合、新興国市場(エマージングマーケット)に共通する特色を考慮しなければならない。重要なのは、新興国市場を特徴づける「制度のすきま」(institutional void)[4]という実態である。具体的には「市場情報の欠如」「不明確な規制環境」「非効率な司法制度」といった事象で、中国においても未熟な市場運営、不完全な法秩序、政策決定の非公開等々、人治社会、クローニー経済(縁故経済)に起因する現象が存在する。
新興国市場としての中国市場は将来性に富み魅力的であるが、同時に急激な変化を迎え、先の見通しが立たない、従来の経営戦略が通用しない企業環境でもある。そうした場合、ニューエコノミーを分析するアイゼンハートと D.サルが強調するように、できるだけ“シンプルで明瞭なルールを持った戦略”が必要である。できるだけ単純なルールを適用することが望ましく、市場の混乱を避けるのではなく、敢えてその中に飛び込み機会を捉え、有望な可能性に対して迅速な決断と対応を行う事が企業の競争優位の源泉であるとした。[5]日本企業の中国市場における競争戦略のアプローチの一つとして「シンプル・ルール戦略」を考慮することは大いに参考になる。
また、「競争優位」の基本は“収益性と付加価値”である。マイケル・ポーターの競争戦略では、企業は競争相手より有利な「ポジション」に位置することが重要と説くが、中国市場では「コスト・リーダーシップ戦略」の選択は難しい。中国市場そのものが安い労働力の活用で発展しているからである。
「コスト・リーダーシップ戦略」が取れないとなると、製品やサービスといったファクターに対して「差別化戦略」をどのように確立するかが問われる。注目すべきは、新時代の中国市場とは、「大衆消費社会」の様相があり、中国の消費者行動の変化に対応して「差別化戦略」が有効である。
以上から中国市場では、「シンプル・ルール戦略」の適用が可能であり、競争優位戦略の再検討からは、「差別化戦略」が基軸になる。考察されるべき新しい経営の在り方は、「ブランド+いい会社」の構築に向けた高次の競争優位戦略である。
そうした条件を満たす新しい企業戦略の基軸の一つが、マイケル・ポーターが述べる「共通価値の創出」(CSV=Creating Shared Value)[6]とフィリップ・コトラーの提唱する「マーケティング3.0」であると判断する。中国市場の新しい時代に対応して、この二つの戦略のクロス・オーバーが持続性のある新しい競争優位戦略の一角を構築できるのではないかと考える。
次回は「共通価値の創出」(CSV=Creating Shared Value)と「マーケティング3.0」のクロス・オーバーについて述べる。
[1] 日本貿易振興機構発行の各種資料による。
[2] United Nation Statistics Division, National Accounts Main Aggregates Database
[3] OICA (http//www.oica.net/category/sale-statistics/)
[4]タルン・カナ、クリシュナ・G・パレブ『新興国マーケット進出戦略』(2009)上原裕美子訳(日本経済新聞出版社)を参照のこと
[5] キャサリン M.アイゼンハート、ドナルド N. サル「シンプル・ルール戦略」『ダイヤモンド バーバードビジネス・レビュー』(2001年5月)
[6] 原文は米ハーバード・ビジネス・レビュー誌 2011 年 1 月 2 月合併号“Creating Shared Value”、日本語版 『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』(2011 年 6 月)p.831「共通価値の戦略」では、Shared Value を「共通価値」と翻訳する。