【09-001】ある一般の中国人が日本で見て感じたこと
馮 惟嵩(フリーライター、上海在住) 2009年1月5日
08年10月、友人の招きで日本を10日間訪れた。20年前初めて日本を訪れた時は、東京と横浜の日本語学校で日本語を半年間学んだが、残念ながら今やすっかり忘れてしまった。今回は3年ぶり3回目の日本訪問であるが、伊東温泉に一度行き、東京の街を一日見て歩いたほか、大部分の時間は友人宅近くでショッピングしたり、街の様子を見たりして過ごした。非常に私的な個人旅行だが、日本という隣国は私に再び深い印象を残したのであった。
一般の中国人の目に映る日本は、経済が発達し、生活が裕福で、環境が清潔で、先進の施設が整い、一般の人は礼儀正しく、テンポが速い社会である。しかしこうしたイメージの背後に、私は彼らが大きな代価を支払っていることに気づき、その一部は私たち中国人にはとても想像しがたいものであった。 私の友人の娘さんは横浜に住み、東京の会社に勤め、毎朝7時に家を出て、帰宅は早くても夜10時半を過ぎ、遅くなれば12時を回り、残業は日常茶飯事である。これは私が友人宅での数日で直接目にしている。そして仕事が忙しいと昼食を食べることさえ忘れ、一日一食というのもよくあるらしいが、彼女は何の不満も言わず、仕事の話題になるとうれしそうに話し、毎日元気な様子で出勤していったものだ。
もしも早朝に地下鉄駅に行けば、サラリーマンが四方八方から小走りで駅に向かう光景が見られ、なかでも若者は皆はつらつとし、楽観的な様子がうかがえる。それを見れば、日本は土地が狭く、資源も乏しいのに、米国に続く世界第二の経済大国であることも不思議ではない。お互いに励まし合い、努力して学び、頑張れ、頑張れといった言葉が彼らの口からしばしば発せられる。もしも私たち中国人一人ひとりが彼らの半分でも努力すれば、中国はもっと繁栄できるに違いない。 中国は改革開放30年の間に大規模な経済建設を行い、政府は大きな力を注ぎ、確かに顕著な効果を上げている。私が住む上海では新たな高層ビルが絶え間なく出現し、高架道路や地下鉄の建設は日進月歩であり、その様相は一新されて、テレビで見ただけでは世界中のどの大都市とも比肩できるように思える。そしてそれは、時に私たちに誇りをも感じさせるものだ。 中国はこうした歳月での努力を経て、物質面で日本に追いつくことはさほど難しくないであろうが、精神面で日本と比較すればまだかなりの差があるように思う。上述のように日本人の仕事に対する態度や勤勉な精神について私が見聞きしたことは、日本の一部の人たちだけのことではなく、国民の多くが非常に勤勉でまじめに仕事に取り組んでいるように思える。私が日本に到着してすぐに目にした空港職員、バスの運転手、商店の店員などの誰もが自分の仕事に誇りを感じ、仕事に責任を持ち、常に上の上を目指して仕事をしている様子がうかがえ、これらは日本国民の精神を示しているように思う。
20年前に初めて日本に来た時のことをよく覚えている。日本に来たばかりのある夜、私は一緒に来日した中国の友人とともに最終電車に乗り遅れ、どうやって家に帰ったらよいのか途方に暮れた。当時はまだ日本語を全く話せない上に、真夜中で道路には人影も少なかった。そこに30歳前後の日本人の若者があわただしくやって来たので、私たちは彼に助けを求めるしかなかった。私たちは紙に書いた住所を見せたが、彼もその場所をよく知らなかった。困っている時にちょうどタクシーが通りがかり、彼はそのタクシーを止めて私たちの代わりに道を聞いてくれた。私たちの住所までは比較的遠く、歩いて帰ることができないと分かった時、若者は私たちに乗るように言い、そして私たちに十分なタクシー代があるかと聞き、私たちを助けようとしているのが見て取れた。私たちはとても感激して手を振って断り、ただ片言の日本語でその若者に感謝を示しただけだった。それからもう20年が過ぎたが、今でもその事がありありと目に浮かび、私とっては一生忘れがたい出来事となっている。日本人が見返りを求めずに喜んで人助けする精神は、これほど高尚で私心がないのだ。
今回の日本訪問で見た事は、日本人にとっては大した事でないかもしれないが、私たち中国人にとっては教育的意義があった。例えば 公共の場所、スーパーマーケット、商店などでは小声で話し、電車、バスの中では携帯電話をマナーモードにし、公共交通機関の中では携帯電話で話したり大声で騒いだりしているのを見たことがない。エスカレータに乗れば左側に立ち、右側は急いでいる人のために空けている。最も感動したのはある日の早朝7時半ころに友人と出かけて地下鉄に乗った時で、ちょうど出勤のピークであった。出勤する人たちはあわただしい様子で、ある人は早足で歩き、ある人は小走りであり、私は本当に視野が広がった気がした。私たちは電車に1時間ほど乗る予定で、そのうえ始発駅から乗るため、座席に座るつもりであったが、プラットホームはすでに人で一杯であった。友人が私を連れて列に並んで電車を待っている時に私に教えたのは、電車の各ドアの前には3人が立ち、その後ろに順番に並び、各列の4番目までの12人ほどが次の電車で座れるのだということであった。ところが私たちが来た時はすでに3番目の電車を待つ位置となり、つまり電車のドアに向かって右側に7から9人目の列に並んだ。早朝の電車は多く、2分前後の間隔で到着する。1台目の電車が出てゆくと、列は左に向かって3歩動いて次の電車を待つ位置まで移動する。
人々は自主的に並び、自主的に移動し、誰も指示しているわけではないことに私は驚いた。私たちの中国では想像できないことで、皆が先を争って乗車しようとする様子は、とても日本とは比べものにならない。これが個人の素養や文明の程度をも示している。私は日本の地下鉄駅で文明道徳の授業を受けたように感じ、自主的に列に並ぶ日本人に尊敬の念さえ抱いたものである。
上海に戻って数日もたたないある日、新民晩報で『市民の困惑:公衆トイレが見つからない、清掃係:清潔に保てない』という見出しの記事を見た。大体の内容は、トイレを探すのに30分も費やし、トイレで列を待つのは運に任せ、「用を足す」時には臭さに耐えなければならない。どの便座の上にも足跡があり、ドアの開閉はやかましく、手を洗う台の周りはどこも水に濡れていて、清掃係は何回清掃してもこんなに汚いとぐちをこぼしている、というものだ。この上品とは言えない話題も、実は人の資質の問題である。
同じ公衆トイレであるが、私が日本で見たものは全く異なる情景であった。私はトイレについてちょっとうるさい方で、外出先でトイレに行くのは一つの難事である。友人宅に一度に多くの客が滞在していたので、本来広いと言える住宅も急に込み合い、トイレに行くのが少し不便なときがあった。そこで私はなるべく外出先で駅やホテル、商店などのトイレを利用することにした。私が思いもよらなかったことには、一般に開放しているこうしたトイレは環境が十分に理想的で、全く異臭がしないのである。人にやさしい設計でトイレットペーパーは2つ用意され、紙がなくなって困ることもなく、便座はほとんどが暖かく、温水洗浄の調節機能があり、水の圧力が大きくても水量は多くなく、汚れを残さないために異臭も残らない。私にとって外でトイレに行くことは一つの心配事であるが、逆に日本訪問でのよい思い出となったのは意外であった。トイレといった小さな事でさえも、日本の文明社会を十分に反映しているのである。
中国は近年、国民生活の物質水準が向上するのに伴い、精神文明構築の重要性を意識しだしている。そのためここ数年は中国も物質面と精神面をともに向上させることを提唱しているが、私は正直なところ、精神文明は一世代だけで築けるものではないと思う。2010年の上海万博開催を控え、上海市政府は現在「私たちはどうしたらマナーを守る上海人になれるのか」を討論している。私が日本で過ごした10日間に経験し目にした状況から言えば、マナーを守る上海人になるには長い歳月が必要である。私たちが現実の生活でしばしば目にするのは、車の割込み運転、乗車での先争い、携帯電話使用での大声、エスカレータで片側を空けない、どこでも痰をはく、ゴミのポイ捨て、公共環境の破壊、トイレの汚さ、乱れ、臭い等々だ。鄧小平氏が生前にサッカー界について話した言葉を思い出すが、それは「中国サッカーは子供から取り組まなければならない」であった。ところがすでに20余年過ぎているのに、中国のサッカーは進歩どころか逆に後退している。中国の精神文明の改善、道徳水準の向上については、次世代からの取り組みや子供から取り組みにだけ頼るのではなく、今すぐ取り組まねばならず、自ら取り組まなければならないと私は思う。
馮 惟嵩(Feng Weisong):
49年、中国上海市に生まれる。
68年、上海紅旗高等学校卒業。 82年、上海立信会計専門学校卒業。
88年10月-89年3月、東京語学専門学院・横浜翰林日本語学院就学生。
現在、上海内森投資管理有限公司投資顧問、フリーライター。