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【09-12】食を通して見えたもの

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2009年12月15日

 これまでの「改革・開放」の30年間、中国でもっとも変貌が成し遂げられたのは恐らく中華料理の味の改善ではなかろうか。振り返れば、30年前の中国では、主要都市でも老舗レストランのほとんどは国営であり、料理に関する新たな創作が行われず、サービスも悪かった。

 現在の中国では、国営のレストランがほとんど民営化され、市場競争に勝ち抜くために、各レストランは次から次へと新しい料理が創作され、味も次第に洗練されるようになった。11月久しぶり広州に出張したが、食の広州といわれる如く広東料理は一段と磨きがかかっている。

料理こそ世界を征服する中国のソフトパワー

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 イギリス人は世界を旅して、財布が空になったら、英会話スクールを探して英語を教えれば食べていける。それに対して、中国人は世界を旅して財布が空になりそうなとき、フライパンを買ってきて料理を作れば食べていける。それゆえに、世界に点在するチャイナタウン(中華街)のほとんどは中華料理屋の集合体である。

 中国には俗に言えば、4大料理がある。それは広東、四川、山東と揚州の4大系統である。そのなかで、広東料理は素材の味を生かし、淡白で健康に良いことで有名である。伝統的な広東料理文化のもう一つの特徴は何でも食べるということである。広東人は自らの料理についていつも自慢話をしてくれる。「四つ足のものなら、机と椅子以外何でも食べる。空を飛ぶものなら、飛行機以外何でも食べる」という。筆者がそれに付け加えたいのは「水の中を泳ぐものなら、潜水艦以外何でも食べる」。筆者に賛同しない広東人はいないはずである。

 しかし、今回の広州出張で野生の珍味が食卓から消えたことに気づいた。事情を尋ねてみたら、政府によって禁止されているといわれている。数年前に中国でSARSの騒ぎがあり、多数の死者を出した。その原因はハクビシンという野生動物を食べるのがきっかけだったといわれている。それ以降、野生動物を提供するレストランはライセンスの剥奪処分を受けることになり、広東人が珍重してきた珍味は食卓から消えてしまったのである。

 結局、珍しいものを提供できないレストランは新鮮な素材と洗練された味を提供することによって市場競争に挑むしかない。広州の老舗レストランも店舗の内装を一新し、えびなどの材料は養殖から天然モノに切り替えるなどしのぎを削っている。

食こそ中国の社会安定の担保

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 実は、中国社会の安定を占う試金石はまさに家庭の台所事情である。30年前に、鄧小平は改革を決断しなければ、中国社会が大混乱に陥ったはずである。なぜならば、一般家庭の台所は完全に壊れてしまったからである。現在の中国社会は、格差の拡大など種々の矛盾と対立が激化しているが、大混乱に陥るほど情勢が緊迫しているわけではない。

 都市部の貧しい家庭でも、3人家族の夕食をみると、おかず3品とスープとご飯は普通パターンである。日本人の一般家庭からみると、どこか羨ましい感じがされるかもしれない。

 中国の貧困層にとり、日常生活のなかで不満が溜まっているのは事実である。社会保障制度の整備が遅れ、老後の生活は保障されず、病気になった場合、医療費は「天価」といわれるほど高い。それでも、人々がこうした不満に我慢しているのは食欲が満たされているからであろう。中国の古い言葉には「民以食為天」(民は食を以って天とする、すなわち、民にとって食べることが最優先である)がある。

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 逆にいうと、食べることが保障されなければ、中国の社会は安定しなくなる。したがって、昨年起きた冷凍ギョウザや粉ミルクへのメラミン混入など食の安全を脅かす一連の事件や事故はまさに中国社会を混乱に陥れようとする出来事だった。

 一方、経済が発展し、国民生活が豊かになるにつれ、暴飲暴食の問題も浮上してきた。 中国の一人当たりGDPは3000ドルを超え、途上国から抜け出し中進国になりつつある。しかし、都 市部の富裕層の生活をみると、極めて贅沢な食生活になっている。世界銀行の基準(1日の生活日が1ドル以下の場合は貧困と定義される)によれば、現在、中国には1億人の貧困人口がいるといわれている。同時に、都市部1億人の富裕層は毎食実際食べる分の3倍を捨てている。この捨てることも中国の食文化の一部分と昔からいわれている。また、この1億人の富裕層の約半分はメタボであり、糖尿や重度の脂肪肝を患っている。原因はまさに暴飲暴食にある。中国にとって食糧の安定供給を考えるとき、供給を増やすことを考える以前に、富裕層の需要を下げる努力が求められている。

料理と経営の以外な関連性

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 ところで、料理を通してみえてくるものがもう一つある。それは料理が意外にも経営者が適任かどうかと密接に関連することである。往々にして企業経営者は後継者選びに悩むものである。企業にはいろいろな人材がいるが、経営者に適任するかどうか、そのリーダーシップの有無をいかにして見抜くかは決して簡単なことではない。

 ここで、一つの方法を伝授することにしよう。企業経営者の候補が適任かどうかは、料理に通じるかどうかをみれば、たいてい見分けが付く。というのは企業経営が料理を作ることと極めてよく似ている。会社の従業員は見方を変えれば、料理の材料のようなものである。企業経営者が与えられる従業員、すなわち、材料をどのように料理するかはまさに経営者の力量次第である。

 企業経営者は実際に料理を作る必要はないが、料理のコツなどを知っておく必要がある。おいしくない弁当が出され、黙ってそれを15分もしないうちに食べてしまうような者は経営者に向かないと断定できる。それに対して、おいしくない弁当が出され、それに醤油や胡椒などの調味料を少し加え、おいしく食べることができる者は経営者になる基本的な素質があると思われる。

 実際に、日本を代表する企業の経営者の組織、たとえば、経団連や経済同友会などで講演した際、実際に、料理について聞いてみると、その経営者のほとんどは料理に精通する方々である。極端なことをいえば、料理に無頓着な経営者の企業の株は投資には不適格と判断されるかもしれない。

 繰り返しになるが、「民以食為天」という言葉の通り、食を通じて世相を覗き込むことができる。それは日常生活や企業経営について様々な示唆を示してくれる。