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【10-04】目に見えない「潜規則」

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2010年 4月13日

 中国共産党は中国の特色のある社会主義市場経済を構築しようとしている。ここでいう「中国の特色」とはいったいどういうものなのかについて必ずしも明らかではない。現に、外国企業が中国に投資する際、さまざまな制度的な障害を懸念するが、中国人は論理的に説明できない点のほとんどについて中国の特色といわれる。

 たとえば、2008年1月に施行された「労働契約法」がきちんと施行されれば、多くの中小企業が人件費の上昇により存続不可能になると思われる。地方政府は外資企業が中国を離れるのを心配して、当該法律を弾力的に施行すると口頭で約束し、外資企業の心配を取り除こうとする。

 中国では、昔からいわれたことだが、「上に政策あれば、下に対策あり」というのがある。しかし、外国企業からみると、地方政府がいつ中央政府の政策に対応して対策を講じてくれるかについてやはり心配である。中国人同士ならば、ここで少々ルールを守らなくても大丈夫だという感覚が分かる。要するには目に見えないルールというものである。しかし、外国人の場合は、こうした目に見えないルールの感覚がなく、カントリー・リスクとしてカウントせざるを得ない。

1.大丈夫といわれたときのリスク

 中国社会は目に見えない「潜規則」(invisible rule)の多い社会である。毎年、中国の至るところで投資商談会が開かれている。その際、主催者側は決まっていろいろな約束をする。往々にして、地方政府が口頭で約束する事項と明文化されているルールと少なからぬ食い違いが存在する。それをどのように理解すればいいか、ほとんどの外国人は戸惑いを感じるところだろう。

 外国企業を誘致する際の「潜規則」の基本形は便宜供与に関するさまざまな口約束である。これらの口約束はすべて空手形ではないが、まったくの好意によるものと思ったら、事後的に大きな代償を払わされることが多い。俗にいうただより怖いものはない。

 振り返れば、昔から日本企業が中国に進出する際の注意点に関するセミナーでよく指摘される点として人脈の重要性が常に強調される。海外投資において人脈が重要でないということではないが、そういった人脈を生かす戦略が必要であるうえ、人脈を利用する場合、コストがかかることを忘れてはならない。

 中国社会の最たる「潜規則」は食卓の席次ではないかと思われる。主催側の席はたいてい決まっているので、問題ないが、複数の客がいる場合、上座を勧められて、うっかり座ると、後になってたいへんなことになる。

 同様に、食事をご馳走になった場合、そのお礼としてお土産を持参するのは礼儀である。また、ご馳走になった場合、必ず次回ご馳走する意思を伝えておくべきである。

 「潜規則」は人間の付き合いのなかで言葉の裏に隠されている真意のことである。同じ文化的なバックグランドを持つ者同士ならば、こうした目に見えないルールを口にしなくても、暗黙の了解で心が通じてしまう。たとえば、現地法人を設立する免許を急いで手に入れたいのに、担当官は繰り返して規則では3ヶ月がかかると強調しても、柔軟に対応してもらうためのコストを払ってもいいというメッセージを相手に伝えれば、3ヶ月がかからないかもしれない。ちなみに、あらゆる「潜規則」のなかで、投資先で政府の幹部に大丈夫をいわれた際のリスクこそ警戒すべきであろう。

2.水を飲む人は井戸を掘った人を忘れず

 中国では、「水を飲む人は井戸を掘った人を忘れず」という言い方がある。しかし、この言葉の本当の意味は、井戸を掘った人を覚えるためではなく、次にまた誰かが井戸を掘ってくれるための環境作りである。

 米中国交回復の立役者であるキッシンジャー博士は未だに中国に行くたびに、国賓並みに厚遇される。それは中国の「潜規則」ではこうした古い友人に対する厚遇を以って相手にメッセージを伝えるためである。中国のグローバル戦略のなかでこうした「潜規則」がおもいぞんぶん生かされている。

 実は、こうした「潜規則」は世界のどの民族にも存在する。アメリカ人と食卓を一緒にする際、何について話をするかの話題選びは重要なポイントになる。たとえば、民族問題や人種問題は絶対にタブーである。もっとも安心して誰とでも話して大丈夫な話題はスポーツである。

 日本人も建前と本音をはっきりする民族である。「今度、家に遊びにおいでね」といわれたときに、ほんとうに誘われているかどうかをきちんと判別しないで、うっかりしてお家に行ったら、相手にとり困ることになる恐れがある。

 しかし、日米のこうした「潜規則」は日常生活レベルのものが多い。国際関係やビジネスにおいて比較的そのルールが明らかにされている。たとえば、日米で現地法人を設立する際、書類が揃えれば、何日経てば、営業許可書が交付されるかについて明確な規定がある。普通の場合、その審査期間を短縮しようと思っても、恐らく簡単にはいかない。

 それに対して、中国ではこうしたことのほとんどはフレキシブルに対応される可能性が残る。ただし、それがただではないことを忘れてはならない。

3.何を信じればいいか

 先般のバンクーバー冬季五輪で金メダルを取った中国選手は自国のテレビカメラに向かって、うっかりして「親に感謝する。そして、国に感謝する」と述べた。先進諸国ならば、こうした発言はごく普通のもので何の問題もないはずである。

 しかし、中国では、それは破天荒のことだった。国家体育総局のある副局長はこの選手の発言について、「感謝するならば、まず国に感謝しろ」と叱咤した。義理人情から子供が事業に成功した場合、まずは親に感謝すべきであろう。しかし、中国のスポーツ選手は国を挙げて育成していることもあり、何よりも、金メダルをとったスポーツ選手は国民の模範であるため、国に感謝する発言は国と党への求心力を高めることができる。国家体育総局の副局長としては、その傘下の選手を注意するのは当然のことである。換言すれば、この選手はうっかりして中国の「潜規則」を破ったのである。

 一方、外国人は「潜規則」の多い中国社会では、表面的にいわれたことを安易に鵜呑みにしないほうが無難である。上で述べた「労働契約法」の施行はその一例である。地方政府は外国企業を誘致するために、同法を「弾力的に」施行することを示唆する。すなわち、「労働契約法」では、労働者を10年以内に解雇できないと規定されている。また、すべての労働者について社会保険への加入を義務付けられている。問題はこうした規定が徹底的に実施されれば、労働集約型の企業の多くは存続できなくなる恐れがある。しかし、ここで、地方政府の対策を信ずると、いざ中央政府がチェックすれば、そのカントリーリスクはすぐさま表面化する。

 日本企業にとっての難点は何を信ずればいいのかである。真面目な経営しかできない日本企業は甘い誘惑に惑わされず、正々堂々な経営を続けていくことしかないかもしれない。中国での経営は山登りと同じように、ときどき近道を行こうと思うと、却って遠回りしてしまう恐れがある。