【10-06】スポーツを通じてみえた中国人の国民性
柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員) 2010年 6月17日
FIFAワールドカップ南アフリカ大会が開かれている。なぜか北京五輪で金メダル最多の中国は予選落ちだった。アジアを代表する3チームは日本、韓国と北朝鮮である。実は、中 国人はサッカーが大好きである。国民的なスポーツといっても過言ではないが、大事な国際試合があるたびに、国民が失望させられる。
次期国家主席と有望視されている習近平は屈指のサッカーファンであり、中国サッカーのレベルをワールドカップに参加できるように引き上げると誓っているといわれている。問題は、な ぜ中国人は大好きなサッカーについてこんなにも下手なのだろうか。
1.サッカーの組織と管理体制の問題
中国は早い段階からサッカーのレベルを上げるために、日本のJリーグと同じような
クラブ制 を導入し、Cリーグを作った。プロサッカーの試合によって選手の競技レベルを上げようとしているが、国際試合になると、一向に勝てないのは現状である。
中国のサッカーファンにとり、毎回悔やむのは自分の好きな選手とチームは肝心な国際試合になると、いつも負けてしまう。昨年になって、ようやくその原因の一つが突き止められた。実は、国 内のCリーグでは選手とレフェリーは真面目にプレーしておらず、試合の結果に関する賭博にかかわっていたのである。
要するに、場外で試合の結果について巨額のお金が賭けられ、選手もレフェリーもそれにかかわっていた。ときには、相手チームの勝利に賭けられる賞金が多ければ、選 手はオンゴールを演じることも少なくなかったといわれている。しかも、レフェリーもこうした演出にかかわっていたのは事態の深刻さを物語っている。言ってみれば、日本の相撲の八百長のようなものである。そ れによって、サッカーチームに対する信頼が失墜してしまったのである。
むろん、こうしたインチキなプレーはいつまで経ってもばれないわけはない。昨年、関係者の内部告発により、インチキが発覚し、ついに逮捕者が出た。以降、C リーグのサッカー試合は以前に比して少しぐらいは真面目にプレーするようになったようだ。むろん、グローバルレベルには至っていない。
2.国民性の問題もあるかもしれない。
実は、中国人がサッカーに弱いのは単なるインチキの問題だけではない。国民性の問題もあるのかもしれない。
中国人の国民性といえば、個人プレーに強い。スポーツでいえば、卓球などに強い。近年、卓球の国際試合では、中国ナショナルチームはほぼすべての種目のチャンピオンを独占するぐらいである。中 国人が個人プレーのスポーツに強いのは、その役割と責任が明らかであり、努力した分が報われるからである。
振り返れば、30年前に始まった「改革・開放」政策は農業改革から着手された。改革の方法は農業生産体制を農家請け負い責任制に細分化したことである。それまで人民公社の体制では、生 産量は一向に増えなかった。個別農家の請け負い責任制になっただけで生産は急増するようになった。これは、中国人が利己主義だからというよりも努力した分、評価されたいからである。曖 昧な評価システムは却ってプレーヤーのやる気を損なってしまう。
考えてみれば、農業改革と卓球の試合は相通ずるところがあるように思われる。逆に、チームワークには中国人が得意ではないようだ。サッカーはその典型例といえるかもしれない。同 じ30年前の改革を思い起こせば、農業改革に成功した中国政府は同じような改革を工業についても行ってみたところ、失敗に終わった。なぜならば、工業生産は個人に細分化することができないからである。チ ームワークを維持しても、その役割と責任がはっきりしないため、増産に向けた積極性は上がってこない。
サッカーの話に戻れば、なぜ中国人はサッカーに弱いのだろうか。実は、いかなるチームワークの作業もカバーレージ(互いに補完しあうこと)が重要である。チ ームワークによる中国のサッカーチームの試合をみると、ゴールキーパーを含む11人の選手全員が相手ゴールを攻めに行きたがるが、相手が攻めてきたときに、守りの体制はばらばらである。誰かが攻めに行ったら、ほ かの選手はそのポジションをカバーしてあげなければならない。そのカバーがないため、いつも失点して負けてしまう。この弱さはスポーツに限らず、実際のビジネスでもみられる。
3.バレーボールの示唆
では、中国人はチームワークのスポーツやビジネスはまったく適さないのだろうか。答えはノーである。
たとえば、同じチームワークのスポーツでもバレーボールなら中国人は非常に強い。6人でプレーするバレーボールだが、サッカーと違って、そ れぞれの選手が位置するポジションによってその役割ははっきりしている。何よりも、バレーボールのキーパーソンはトスを上げるセッターであり、セッターからボールをもらえなければ、どの選手もスパイクを打てない。
このようにしてバレーボールから得られる示唆として、スポーツもビジネスも役割と責任を明らかにすることがポイントである。
再び、30年前の改革に戻れば、国有企業改革は個人プレーのように細分化を試みたが、失敗に終わった。その後、企業経営機能と行政機能が分離され、経営自主権の確立が図られた。そ れでも国有企業の経営は思うように改善されず、最終的に、近代企業制度の構築という名目で国有企業のほとんどは株式会社に転換し、経営責任の明確化が図られた。
むろん、中国の「改革・開放」政策は依然道半ばにあるが、その方向性はすでに明らかである。すなわち、かつての統制経済はそれぞれの個人や企業などの市場プレーヤーの役割と責任が曖昧であり、それゆえ、モ ラルハザードが起きた。市場経済を構築するということは、それぞれの市場プレーヤーの役割と責任を明らかにすることによってその生産意欲を喚起することである。この点が、「改革・開放」政 策わずか30年間で中国経済を世界二位にまで押し上げた背景である。