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【12-02】「微博」とインターネットの力

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2012年 2月28日

 中国の調査会社によれば、中国のインターネット利用人口はすでに5億人を超えているといわれている。若年層を中心に情報源は新聞やテレビなどのメディアからインターネットにシフトされている。中国政府はインターネットを使った政府批判の情報の流布を警戒し、それに対する管理を強化している。

 しかし、新聞や雑誌、そして、テレビなどのメディアの管理とは違い、インターネットの匿名性と大容量の情報という特徴から政府によるネット管理には限界がある。振り返れば、1976年、唐山で大地震が起きたとき、政府はすべてのメディアに対して、情報封鎖を行った。そして、89年北京で若者による改革を求める天安門事件が起きたが、情報が完全に封鎖された。

 他方、今はインターネットの時代である。2011年7月23日温州で高速鉄道の追突事件が起きた。メディアが報道する前に、インターネットの書き込みが爆発的に増え、その情報は一気に全国的に広がった。当初、鉄道当局は情報を隠ぺいしようとしたが、事故現場周辺の住民は携帯電話などで撮影した写真をインターネットの掲示板にアップロードし、当局による情報の隠ぺいができなくなった。インターネットは中国で新たな時代を作り出している。

1.民主化への突破口となる微博

 中国では、ツイッターやFACEBOOKなど外国企業が開発し運営しているSNSが政府によって遮断されている。こうした海外のSNSの利用を自由にした場合、政府にとって不都合の情報が流れるのを恐れているからと思われている。その代わりに、中国の地場のIT企業がツイッターやFACEBOOKを真似して作った微博(ミニブロッグ)が認められ、利用者が急増している。

 微博を運営する各社の発表を総合すれば、その利用者はすでに1億人に達しているといわれている。微博が国内企業によって運営され政府によって厳しく管理されているが、利用者数と利用頻度が高いため、管理者(administrator)は政府にとって都合の悪い書き込みを全部削除することができない。SNSの書き込みの一つの特徴はその増殖機能である。利用者の間で関心の高い事象に関する書き込みが現れれば、それが次々と転送(リツイット)されていく。

 毎日、微博を使うと、書き込みが削除された跡が散見される。では、どういう書き込みが削除されるのだろうか。また、誰がこういう書き込みを削除しているのだろうか。

 まず、文革や天安門事件に関する書き込みが削除されることが多い。共産党にとって都合の悪い歴史問題や歴史人物について書き込みが集中すれば、たちまち共産党批判に拡大する恐れがあるからである。そして、デモを呼びかける書き込みもいうまでもないことだが、削除されてしまう。さらに、ノーベル平和賞など中国の人権問題に関する指摘についての書き込みも削除の対象になっているようだ。総じていえば、政府批判や共産党批判につながるような書き込みがすべて削除されてしまう。

 実は、書き込みを削除するのはすべて政府の特殊機関ではないようだ。まず、ネットの運営会社の担当者が「不適切」な書き込みを削除する。そして、ネット上をパトロールするボランティアの人々がいて「不適切」と思われる書き込みをみた場合、運営会社に通報しその書き込みが削除される。無論、政府の特殊機関によるモニターリングで微博上の書き込みが削除されることがある。問題はこういった人海戦術によるネットパトロールには限界があり、微博を中心とするSNSはすでに民主化に向けた一つの突破口になっている。

2.微博の力と実名化への動き

 間違いなく、中国政府は微博の普及を恐れている。北京市共産党書記劉淇は微博の情報の信ぴょう性を担保する必要性を強調する談話を発表している。それを実現するために、微博の実名化が提案されている。すなわち、実名化すれば、デマなどを流す者が少なくなると期待されている。また、政府や共産党を批判する声もそれによって抑制される。

 中国では、近年、多くの分野で実名化が進んでいる。たとえば、日本では、飛行機の国内線に乗る場合、パスポートや運転免許証などの身分確認は必要がないが、中国では、パスポートか身分証明証がないと搭乗できない。また、最近、高速鉄道に乗るときも、実名化となり、鉄道の切符を購入する際、パスポートや身分証明証の番号が登録される。

 実名化が進むことで、中国はますます管理社会になっている。インターネットのSNSも実名化されれば、中国はいっそう管理社会になっていくだろう。

 問題は、たとえ微博の実名化を取り入れても、中国社会と中国政治の問題は解決されない。ここで明らかにしておきたいのは、なぜ人々が政府に不満を持っているのだろうか。その不満や批判を権力で抑えても問題の解決にならず、人々の不満と批判の背景にある問題を一つずつ解決していくことこそ重要である。

 11年7月23日に起きた高速鉄道事故を例にとって考えれば、微博による国民の監視があったからこそ、事故の原因が明るみに出て鉄道省は国民に対して謝罪したのである。中国政府がとるべき態度は微博での批判を敵視すべきではない。

 そもそも、中国では言論の自由を求め、掲示板に意見を書き込む歴史と習慣がある。文化革命のとき、文化人が批判されたのはほとんど「大字報」という壁新聞だった。現在の微博は換言すれば、ネット上の壁新聞のようなものである。言論の自由が保障されていない中国では、こういうネット上の壁新聞が貴重な存在になっている。

 民意は政府が作った防波堤によって封じ込められるべきではない。民意の背後にある社会問題と政治問題を解決することこそ社会の安定を担保するカギである。振り返れば、ここ10年来、中国政府はメディアとインターネットに対する管理を強化しているが、暴動の多発など社会の不安定化も増幅している。

このことについて中国政府内部にある誤解があるように思われる。すなわち、政府を批判する者は全員共産党政権を転覆しようとしていると思われている。これはまったくの誤解である。ほんとうに共産党政権を転覆しようとする者なら、政府を批判などせず、最初から破壊活動を行うはずである。政府を批判する者は政府に行政サービスなどの改善を求めているだけで、言い換えれば、政府と政権を強化しようと期待している。逆に、政府は文化人の批判を拒否するということは自らがよくなることを拒否しているということになる。

 最近、人民日報はある社説を発表し注目されている。「不完全な改革は改革しないことで生ずる危険よりまし」という論説である。政権交代を控える中国では、改革の加速を求める機運が高まっている。20年前に、鄧小平は突然広東省を訪れ、改革の加速を呼び掛け、中国社会と中国経済は一気に市場経済に向けて走り出した。しかし、胡錦濤政権になってから改革が大きくトーンダウンしている。こうしたなかで、次なる指導者の習近平に対する期待が急速に高まっている。