【14-05】贅沢禁止令の効果と行方
2014年 6月 3日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
先日、北京出張のとき、数か月ぶりに会った友人(幹部)は見違えるほど痩せていた。ダイエットしているのかと聞かずにはいられなかった。すると、友人は「とくにダイエットしていません。贅沢禁止令のお蔭だよ」と事情を教えてくれた。なるほど、贅沢禁止令は単なる官官接待の取り締まりや腐敗撲滅だけではなく、幹部の健康にも寄与しているのだ。しかし、その晩、友人同士の飲食なので贅沢禁止令の規制に引っ掛からないため、いつもより酒を飲むペースが速く結局、共倒れになった。
後日、別の友人にこの話をしてみたところ、否、贅沢禁止令の「好処(いいところ)」はそれだけではない。もっとも贅沢禁止令を歓迎しているのは、幹部の奥さんたちであるといわれている。従来、毎晩のように外食する幹部たちが、一年のうち家族と晩御飯を食べることは10数回しかないといわれている。その結果、夫婦の関係は疎遠になり、家族は家族らしさを失ってしまった。今から振り返れば、数年前にある高官に会ったとき、「今はカネがあり、家も広くなった。しかし、生活の質が下がった」と私の前で愚痴をこぼした。そのとき、この愚痴の真意を十分に理解できなかったが、今はよく理解できるようになった。
1.閑古鳥が鳴く高級レストラン
北京では、以前ならば数日前に予約しなければ、部屋が絶対に取れない高級レストランが、今では当日予約なしで行っても部屋がないことはない。そして、ウェイトレスにメニューをみせてもらうと、つばめの巣やアワビといった高級料理は「販売中止」になっていることが多い。
実は贅沢禁止令の「被害」を受けているのは高級レストランだけではない。友人との会食でもう一人の友人が公務で遅れた。遅れてきた友人は、ごめん、ごめん、飛行機が遅れたと釈明。友人同士の会食なので、遅れた友人に「罰酒」といって3杯ほど乾杯してもらった。すると、その友人は、実はさきほど飛行機のチェックインカウンターでエコノミークラスは満席で航空会社は好意で私をファーストクラス(中国の国内線では、ファーストクラスとエコノミークラスしかない便が多い)にアップグレードしたいと申し入れてくれたと話した。「よかったではないか」とみんながいう。それに対して、その友人は「とんでもない。わたしは最後までファーストクラスに行かなかった」と続く。なぜ、とみんなが不思議な顔をする。これに対し「だって、もしだれかがファーストクラスに座っている私を写真で取って「微博」(中国語版ツイッター)にでもアップしたら、何を説明しても無駄だろう」と友人は返した。贅沢禁止令では、幹部が出張でビジネスクラスやファーストクラスの利用が禁止されているといわれている。
習近平国家主席は、共産党幹部は人民の公僕であり、贅沢してはならないと地方視察のたびに繰り返して強調する。共産党幹部は一回二回の贅沢で官職を失うのはもったいないと判断し、表面上みんなが我慢している。しかし、本心から倹約しようと思う幹部がそれほど多くないはずである。
かつて日本でも官官接待で贅沢三昧の公務員がいたようだが、今は日本の公務員の生活ぶりはどうみても贅沢とはいいがたい。そして、ワシントンに出張して、商務省や国務省などにインタビューに行っても、夜、いっしょに贅沢なことをしようと誘ってもまず乗ってこない。アメリカでは、ときどきパーティに参加することがあるが、前菜、メイン、デザートで終われば、適宜に解散するのは一般的である。どちらかといえば、何を食べるかというよりも、コミュニケーションが重要な目的である。
それに対して、中国は会食のとき、コミュニケーションよりもどれほど飲ませるか、そして、どれほど高級な料理を用意するかが重要である。不適切かもしれない表現をすれば、まるで死刑に処される前の最後の晩餐のような感じである。
2.贅沢が禁止されても腐敗は続く
そもそも共産党は農民一揆から始まり、ゲリラ戦を通じて、蒋介石が率いる国民党を打倒し自らの政権を樹立した。贅沢を知らない共産党幹部は政権を取ったあと、たいした贅沢はしなかったといわれている。家にテーブルすらなかった一世代目の将軍は北京や上海などの大都市に進駐したあとも、しばらくは自宅の玄関前でしゃがんでご飯を食べていた。
「改革・開放」以降、革命家のジュニアはすぐさま贅沢を覚えた。ゴルフ場にいけば、「紅二代」(革命家のジュニア世代)と「富二代」(企業経営者など富豪の子供)ばかりである。これらのジュニアの多くはアメリカやイギリスなど海外での留学の経験を持っている。無論、真面目に勉強はしていなかった。ある富豪は息子をアメリカ留学に送り、毎月、学費のほかに、たくさんの生活費を送金していた。ある日、自宅に遊びにきた友人はこの富豪に、昨日、北京であなたの息子に会ったと教えてあげた。実は、その息子はアメリカ留学には行っておらず、そのお金で水商売の「小姐」と同居していた。
かつて、近衛文麿元首相についてこれに似たような話があった。近衛元首相は息子をアメリカに留学に行かせたが、ある日、米国大使館の公使を呼んで食事したとき、「貴国の授業は高すぎるな」と愚痴った。すると、その行使は元首相に「ご子息に毎年どれぐらい仕送りしていらっしゃるのか」と尋ねた。近衛元首相が示した金額を聞いてこのアメリカの公使はびっくりした。実は、その息子はアメリカで勉強しておらず贅沢三昧をしていた。近衛元首相は息子を呼び戻し、上海に行かせた。しかし、上海に行ったその息子は品行を改めなかった。
こうしてみれば、贅沢は中国社会の特殊なケースとはいえないが、幹部の腐敗も万国共通の現象である。しかし、その程度の違いから中国では、共産党幹部の贅沢と腐敗は限度を超えたといえる。習近平国家主席が進めている贅沢禁止令は、まったく正しい措置である。しかし、冷静に考えれば、習近平国家主席が引退したあとに、中国社会は再び贅沢三昧の幹部であふれるようになるかもしれない。
杜甫の詩には、このような句がある。「朱門酒肉臭、路有凍死骨」、すなわち、金持ちの家には酒や肉が腐るほど有り余っているのに、道には凍え死んでいる人がいる、という意味である。今の中国社会をみると、幹部たちの贅沢ぶりと貧困層の生活は杜甫の詩が描いた風景と同じように好対照である。共産党は全人類を解放するために革命を起こしたとすれば、その初心を忘れないでほしい。